裏切り者
―クロエ 自室 夜中―
「あぁぁぁ! ムカつく! 本当にムカつく!」
先日、自室にしたばかりのこの部屋の壁を私は怒りのままに殴った。真っ白な壁は、そんな私の怒りを見事に受けとめてみせた。
「っう……!」
全力で殴った右の手が痛い。受けとめてくれたせいで、私の手に全ての負担が来た気がする。こんなことならやらなければ良かった、後悔してももう遅いけれど。
普通、痛い思いをしたのなら怒りなどしぼんでしまうだろう。しかし、私の怒りの炎はまだメラメラと燃え続けている。この程度の痛みでは足りなかったみたいだ。しかし、他に怒りを収める方法が思いつかない。
(もう一発ぐらいぶん殴って……!)
この怒りを収める為、私はさらに強い力でもう一度壁を殴ろうとした――のだが。
「可哀想だよねぇ、壁が」
上に持って行った腕を、ねっとりと耳に触る喋り方をする何者かによって思いっ切り掴まれた。いや、何者かなどあえて隠す必要はない。この豪邸の中にいる人物など、限られ過ぎているのだから。
「その喋り方……十六夜 綴!」
「もう名前は完璧に覚えてくれてるみたいだねぇ。相変わらず、嫌われているみたいだけど」
巽君――いや、彼の体を借りた十六夜は、薄ら笑いを浮かべて私の顔を背後から覗き込んだ。普段の彼なら、絶対に見せない表情だ。それがしゃくに触る。怒りの炎がさらに燃え広がっていくのを感じた。
「自覚してて、平気で私に近付いて来るの……本当にムカつく!」
「好きなんだよねぇ、嫌われてる人に嫌な思いさせるの。あ、嫌われてなくてもする時はするけどね。ハハハ!」
「本当最低! 気持ち悪い! いい加減離しなさいよ!」
「あぁ~ごめんごめん」
十六夜はヘラヘラとしながら、私の腕をようやく離した。掴まれていた右腕を確認すると、やや赤くなっていた。
「何様のつもりよ……あれを勝手に盗み出しておきながら失敗して、挙句の果てにいいようにやられてそんな有様になっているというのに、よくもまぁ平然と姿を見せられるものね。しかも、ボスの所に連れて行けなんて……あんたは裏切り者なのよ!?」
過去、十六夜は私達の組織に所属していたことがある。当時は、まだ自身の体を持っていた。国に追われているとか何とかで居場所を失ったと路頭に暮れていたのを、ボスが連れて来たのが始まりだった。私達の組織は全てを奪われた者達の集まりだ。そこに種族や性別、年齢は関係ない。だから、私達は十六夜を受け入れた。歓迎した。
しかし――こいつは裏切った。私達が持っていた禁忌の魔術を勝手に持ち出して、巽君に使用したのだ。それは完全なる魔術、それをずっと前に不完全な魔術を施されていた巽君に使用することで、十六夜は一人だけ復讐を果たそうとした。他の者達のことも考えずに。結局、それは失敗に終わった。終わったからこそ、この世界は存在している。
「時間がなかったんだよ、ちんたらちんたらと他の奴の復讐なんて待ってる暇もなかった。どうせ、彼の望みはこの世界の終焉じゃないか。それが彼の……フフ。そこに君達のちっさな復讐なんて、彼にとっては余興にもならない。彼もそう思ってるから……この私を笑顔で向かい入れてくれたんじゃないかなぁ?」
「ちっさな……!? ふざけるなあぁぁぁ!」
体が燃えるように熱い。
「おやおや……怒りに任せてこんな所で魔法を使うつもりかな? 駄目だな、それでも魔術王国名門大学に通う特待生かい? ま、別にいいけど……身のほどを弁えることも出来ないのかな?」
十六夜は、私に手のひらを向けた。
***
―クロエ 自室 早朝―
窓の向こうから聞こえるのは、鳥の歌声。気が付いたら、私は天井を仰いでいた。何が起こったのか、十六夜に手を向けられた以降の記憶がない。溢れ出る感情のままに、魔法を使ってしまった。もうそこに巽君の姿はなかった。
一つ分かっていること、それは――負けたということだ。




