力の兆候
暗鬼に襲われて一週間。
真は一度も家を空けずに引きこもっていた。
三度も襲われかけたのだから、暗鬼に対する恐怖が抜けず、那穂も何も言わない。家に居ても、やって来ない確信は無い。
落ち着こうとして紅茶を飲もうとしても、カップを持つ手が微かに震えているのだ。
とても、情けないと思う。
そもそもは自信の身を護る名目でわざわざ引っ越してまでこちらまでやって来た。だが蒼間から逃げた今。何のためにここにいるのか・・・目的が解らない。家に戻ったとしても出迎える家族はもういない。
そして確実に暗鬼に召されるだろう。
想像できる最悪の事態に溜息しか出ない。
そんな自分も嫌で嫌で仕方ない。
自分への嫌悪感をも高まりを感じる。
暗鬼は怖い―――。
しかし、このまま何もせずに籠っていても悪い方向にしか進まないのは今までの経験から解りきっていた。
何より今は情報が欲しい・・・。
狭間方の那穂も蒼間方の雪乃も、聞けば解る限りの事は教えてくれる。
だが真には根本的な物を何も知らないのだ。
「・・・・・」
暫く考え、行動に出る事にした。
昼下がりはまだ太陽の光が眩しい。
何日か日を直接浴びていないので目も慣れず、日差しが心なしか辛い。
真は図書館に向かおうとしていた。
遥鳴に出会った時に蒼間の名を聞いた。
陰陽師の系統だとも彼は言った。
そもそも真は陰陽師が何なのかを詳しく知らない。漫画や小説でのみ知る存在。まずはそれを詳しく調べるべきなのだ。そうすれば、何か解るかもしれない。
可能性は低いが、蒼間、狭間の関係する何らかの文献があるかもしれない。
時間はあるのだから。それに賭けた。
駅を使えばそんなに遠くなく、それなりの大きさもある図書館。
暗鬼の恐怖は消えない。
何時現れるかも解らない。
不安ながらも対策として、人の多い所を歩いた。
時間が時間なだけに、人は多く、駅などは買い物客や観光客が多く存在し、それに真は安堵した。
遠回りにはなるが、大通りを通る。
慣れない道ではあるが、最近覚えた地図機能で携帯片手に道なりを進む。
随分と昼の風景に慣れて来ている。
学校に行ってる限り、ありつかない光景。
ほんの些細な幸せを感じていたのだが、その終わりはあまりにも早かった。
喉の乾きを覚える空気。
湿った感覚。
一瞬にして変わった空間に真は立ち止まる。
この感覚には覚えがあった。一気に低下する体温。
心臓の高鳴りが身体に響き渡る。体が警告しているのだ。
――――――危険だと―――――――。
この場から逃げだしたくとも足がすくんで動けない。
そうしているうちに、足元に広がるどす黒い影。
真の回りには漆黒の色をした水溜まりが溢れ―――――――。
――――ゴポッ――と、嫌な音をしてそれは姿を現した。
「!!!」
足元からはい出て来る暗鬼。数は解らないが、目の前の光景に震える体に鞭打って、その場から駆け出した。
暗鬼の姿を目にした何も知らない周囲の一般人が悲鳴を上げ、逃げ出すのを気にも掛けずに―――。
あれらの出現により路地周辺は混乱に見舞われた。
足が縺れながらも必死になって暗鬼から逃げる真。
――どうして―――?どうしてどうしてどうして!!!!
今の真には疑問符を浮かべる事しか頭が働かない。それ程追い詰められていた。
周囲の人々に紛れ込み、暗鬼から回避しようとしていたが、闇からはい出た暗鬼は真を見逃す筈が無く、軽快過ぎる身のこなしで一跳ねで真の目の前に現れ逃げ場を奪う。
「・・・っ」
四方を塞がれ、逃げ場を失った真は身を竦める。恐怖からか、体の震えが止まらない。
真との距離を少しずつ縮めて行く暗鬼。
一つの暗鬼が真へと手を伸ばした時、真は死を覚悟し、目をつむった。
しかし、衝撃の代わりに来たものは浮遊感と温もり。
違和感に駆られ目を開けるとそこには遥鳴がいた。真は、遥鳴に抱き上げられ、暗鬼の手から逃れていた。
軽く空高く跳び上がった遥鳴は暗鬼から距離を置いてフワリと、着地する。
久々に会う遥鳴だが、気まずい別れをした為に、言葉が出ない。浮かぶのは、何故遥鳴が此処にいるのかと言う疑問詞。
ただ、呆然と見つめるしか出来ない真を気にする事無く、遥鳴の視線は暗鬼の方向に向けられたまま。
瞳は厳しいものだった。
真の視線に気付いた遥鳴はゆっくりと真を降ろし、大丈夫?と、多少の困惑を含んだ笑みを向け、それに真は小さく頷いた。
地に着けた足は震えている。
今にも崩れそうだったが、力を込め、耐えた。
――しかし、安堵の時もつかの間。
先程の暗鬼は直ぐに真の場所へと現れた。
総数は10。
真の前に現れる数が少しずつ増えて来ている。
だが、今回の暗鬼は、大きさこそ変わらないが、一体も以前の様に腐臭を漂わせていないのだ。
今の状況で、真が以前との違いにに気づく余裕は無い。再び体を硬直させる真を遥鳴が片手で抱き寄せる。
「!!」
驚いて遥鳴を見やると、暗鬼を見つめたままボソリと何かを口にした。
声こそ聞き取れなかったが、その声に呼応したかの様に小さな光が彼の右手に集まり立派な刀へと姿を変えた。
――――初めて那穂に会った時と、同じ光景――――。
真は刀に魅入られていたが、妙なざわつきを憶えた。
きっとこれは――畏れ―――。
「逃げ切れる?」
真の側で小さく尋ねる遥鳴。
一瞬、何の事だか戸惑ったが、すぐに理解した。
一人で、この場から去れるか――。
そう言う意味だ。
コクコクと頭を下げ、少しずつ後退る。
走って逃げるにはまだ、足に力が入らない。
かといって足手まといにはなりたくない。
少しずつ、少しずつ、遥鳴から距離を取って行く。
離れながらも殆ど心配はしていなかった。
以前襲われた時も助けてくれた様に。
彼は、蒼間一の実力者。蒼間を束ねる当主なのだから。
そう思っていた途端。
目の前にいた筈の遥鳴が消えた。
同時に聞こえたのは重い破壊音。
音の方向に顔を向けると、目を疑った。
遥鳴の身体が、壁に打ち付けられていたのだ。
壁は無惨にも亀裂が入り、崩れている。
「・・・っ」
遥鳴の顔が微かに歪む。
急に攻撃を仕掛けて来た暗鬼に対し、刀で防いだのだが、あまりにも強い力に、身体ごと飛ばされてしまったのだ。
遥鳴自身。以前出逢った暗鬼とは気配から全く違う事に気付いていた。
だからこそ警戒はしていたのだが、遥鳴が思う以上に強さを増していた。
真より先に、遥鳴に目的を変えたのか、暗鬼は遥鳴の周囲を取り囲む。
――それでいい。
暗鬼の目が遥鳴に行けば、その隙に真が逃げる事が出来る。
この気配にこの数だと少なくとも誰かは気付く。それが、蒼間であっても、狭間であっても―――。
自分が暗鬼の相手をしているうちに真を保護してくれればと思う。
10体の暗鬼。
厄介ではあるが、勝てない相手ではない。
・・・問題は、どれ程暗鬼の力があるのか。
実戦は数年ぶりになる。
本格的な「敵」との戦い。
――背中は壁の為、引き下がる事は出来ない――。
精神を統一させ、小さく呼吸を整えると、遥鳴は刀を握る手に力を込めた。
―――先に行動を移したのは暗鬼だった。
2体の暗鬼が遥鳴へと飛び掛かる。
しかし、遥鳴は暗鬼の体が地から離れた瞬間。最も体制が取れない時を見込み、暗鬼よりも素早く懐に入り2体の胴体を切り裂いた。
感覚に残る物を斬った手応え。
真っ二つずつに別れた暗鬼は人型を崩し、バチャバチャッと黒の液体となって地面に落ちた。
―――まずは2体。
着地と同時に体制を変え、更に踏み込み、隣の暗鬼の首に刀を突き刺す。
水風船が割れた様に頭部を破裂させた暗鬼は倒れ込み、液体へと化した。
その気になれば大した相手では無い。
元を辿れば使役なのだから。
一斉に攻撃を仕掛けてくる暗鬼を持ち前の集中力と洞察力で避けつつ、確実に一体ずつ消して行く。
その様子を、真は逃げる事なく見つめていた。
正確には、逃げない訳でなく、逃げれない。
何処へ行けばいいのかも解らなければ、足もまだ動かないのだ。
遥鳴を見ても、早過ぎる動きは捕らえられず、残滓しか瞳には写らない。
しかし一体ずつ確実に消える暗鬼を見ては安堵していた。
だからこそ気付かなかった。
真の足元周囲に黒い影が広がっていた事を。
――――ピチャッ―――。
一歩。退いた時に聞こえる水音。
水たまりに踏み入れた感覚で初めて真は足元の気配に目を落とす。
「・・・・ひっ・・・」
身が固まった。
何かは解っていたのだが、解っていたからこそ体に力が入り動けない。
少しでもこの場から立ち去らなければならない。だが、真の瞳は足元に囚われていた。
漆黒の影は、一つの波紋を生み出し、静かに静かに現れた。
やはり、使役だったものに過ぎない暗鬼と一族率いる遥鳴とでは力の差は歴然であった。
周囲を囲っていた暗鬼は残り一体となり、心があるのか後退を示すかのように跳び退いた。透かさず遥鳴は跳び込み暗鬼を貫く。
全ての暗鬼を消し去り、視界を周囲に開かして見えたものは、逃がした筈の真の姿。
更に真に迫る新たな暗鬼の影。
――――間に合わない。
体制の取れていない遥鳴が向かう事は不可能であった。
既に真の眼前にまで迫っていた暗鬼の手は捕えようとしていた。
「真っ!!!」
心臓が高鳴った。
頭が真っ白になり、全身の血が逆流したかのような息苦しく、湧き上がった[何]か。
自分にも一体何が起こったのか理解が出来ない。
ただ、目の前には足元の影から現れた暗鬼の頭が頭上から貫かれており、その刹那、形を崩し水の弾ける音と共に、地へと消えた。
手には冷たい物質の感触。
それは真の背丈以上ある長い柄に反りのある太幅の刀身を装着した武具。薙刀とも呼べるその武器を真が手にし、真自身が暗鬼を貫いていた。
暗鬼が消え、地へ突き刺さった刃先。
何処から現れたかも解らない、何故、そんなものを手にしているのかーーー
額に汗を浮かべ、息を荒らしながら混乱する頭を必死で落ち着かそうとしていた。
「・・・真」
名を呼ばれた事により我に返った真は声の方へ顔を向ける。
振り向いたそこには、遥鳴が信じられないと言った愕然の表情で立っていた。
「・・・・どうして・・・真がそれを・・・・」
遥鳴にしては珍しく、絞り出す様にして発せられた問い。
視線は手元の武具に向けられている事からそれとは武器の事だろう。
きっと、何か知っているのだろう。
解らない。
―――そう、言おうと一歩踏み出そうとした時、足に力が入らずにがくんと膝を折って崩れた。
地面に倒れ込む前に遥鳴が真を支えたが、そのまま真は意識を失ってしまった。
手元から離れた武具はからんと音を立てて地面へと落とされ、小さな光となって拡散し、消えた。




