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真の口から、卒業の危機を伝えられた幸希。
現実味が湧かないものの、やはり、落ち込みがあるらしい。
しかし、真とは違い、以前の学校に居た頃から、受験勉強を一切していない幸希。出席日数も怪しかった幸希にとって、高校進学を望んでいなかったのも事実。将来を蒼間に捧げているに近い幸希には、高校生活は単なる足枷に過ぎないのだ。
そう、思っていたが、状況が一変した。
真の一件により、幸希は遥鳴の援護の為に居住を移す事になる。
更に出来る限りの真の護衛監視。勿論、暗鬼の件で仕事が増え、事実上、護衛は雪乃に任せっきりになっているのだが、だからと言って、今の状況では高校に進学しなければ話にならない。自業自得と言う奴なので、誰にも当たる事が出来ないのだ。
「・・・悔やんでも仕方無いし。
早くしよ。2人共終わらないと担任帰してくれないから。」
口にするなり、ノートと参考書を取り出し、黙々と問題を解き始める真。
虚しい事に、初日だけあって、担任は2人が終えるまで職員室で待つとの事。優しさなのか、信用がないのか。何れにせよ、提出は余儀なくされている。
それに真には、どうしても早く帰りたい理由があった。既に日は傾いているが、完全な闇になる前に帰りたい。まだ、この時期の夜は暗い。
―――あの日の夜を思い出すからだ。
暗鬼が怖い。
―――それが、率直な思い。
また暗鬼が襲ってくるかもしれない。
今日かもしれない――。
明日かもしれない――。
常にそんな不安に駆られている。だからこそ、出現する可能性の低い、少しでも落ち着く明るい時間に帰りたいのだ。
そんな真の思いを余所に、幸希は冊子を捲るが、日頃の授業すら聞いていないので、問題が解る筈がない。
―――・・・ヤバい・・・。
幸希はペンを進める事が出来ず、真を盗み見るが、何も言えずに項垂れる事しか出来なかった。
「・・・ごめんって・・・。」
先程から、何度この科白を返事が帰って来ない状況で口にしているのだろうか
完全に口を閉ざし、不機嫌極まりない真の瞳は冷めている。
この気まずい雰囲気を作り上げているのは、幸希自身であるので、何一つ文句を付ける事が出来ない。もう時は夜中の9時を上回っており、既に夜が出来上がっている。本来ならば、真は1時間前に帰宅できている筈だ。
あの20枚もの問題集は、中学3年間の総まとめであり、例え忘れてしまった箇所があろうとも、真面目に書き込んだノートと参考書のお陰で、霞んでいた記憶と言う物が取り戻されていった。
自分でも感嘆する程見事な集中力で、[苦痛]と感じる時間も現さずに、20枚もの冊子を攻略してみせた。
―――これで帰れる。
そう言い聞かせ、自分への労いのため息を小さく吐き、思い出したかの様に隣を見た。
信じられない事に、幸希は眠りについていたのだ。
一日中。授業という授業を眠りに費やしていたであろうに。余程待たせていたのだろうと、真は軽く揺すり起こすが、何ということだろう。幸希は問題を何一つ解いていないのだ。
言い分はこうだ。
あまりにも解らずに、気が付いたら寝ていた。
流石の真も、堪忍袋の尾が切れる。
しかし、憤怒より脱力の方が上であった。
終わらない事には帰れない。
胃の痛みを覚えながらも、真の答えを幸希が写し、それにより1時間。
何とか提出を果たしたが、担任は呆れて物も言えない感じであった。
職員室以外に校舎には人の気配は無く、廊下もグラウンドにも、電気は落とされている。
最早会話する気力も無くした真は幸希を余所にスタスタと帰路を急ぐ。
しかし女子である真に追い付く事は容易であり、遠慮もあってか、幸希は真の1歩後ろを付いて行く。
「・・・何処まで付いて来る気?」
電車に乗り、真の家の最寄り駅。
此処まで会話なく続いていた時間も、真の一言で途絶えた。
もとから帰りを共にする気などは無い。
自然の流れで居たが、幸希は自分の家に帰るのでは無く、どう考えても付いて来ているとしか思えない。
1人では無いのは心強いが、今の精神状態では耐えられるものではない。
「そんな怖い顔すんなよ。
俺のせいでこんなに暗くなってるんだし、女の子1人で帰らせる訳ないだろ。」
幸希は口元を引きつらせながらも、顔は困り果てている。いくら紳士的な言葉も、今の真には嫌味にしか聞き取れない。
「結構。私はそんなにか弱くないし、普通に帰れるから。」
「意地張んなって。
お前一度帰りを暗鬼に襲われてんだろ。
いつまた狙われるか解らない中こんな遅くに1人で帰せるかって。
それこそ俺が遥鳴と雪乃に殺される。」
強く出ていた真も[暗鬼]の台詞には押し黙ってしまう。何故その事を知っているのかとも思ったが、幸希は四柱。知らない筈が無い。
雪乃にも、2度目の襲撃は話していないが、情けない幸希の一言により、確信を持てた。
真以上に幸希は譲らないであろう。諦めに出たのは真だった。
「・・・四谷は、私の家を知ってるの?」
自然と出た質問。何故なら校舎を出てからの帰路。駅も、あたかも知っているかの様に共にしているのだから。
「ん。まあな」
それには目で見てわかる程の嫌そうな表情をされた。ストーカーでも見るような。
本人は、自分がどのような顔をしているのか気付いてもいない様子で会話は続けられる。
「今どこに住んでんの?」
「言ってなかったか?
俺今遥鳴ん家に居候してんだよ」
「へぇ・・・」
そんな他愛ない会話をしているうちに、真のアパートが視野に入るまでに来ていた。
「もう此処でいいよ。直ぐそこだし。
とりあえずありがと。じゃあ明日。」
有無を言わせぬ一方的な言葉で、真は小走りに家へと去って行った。
幸希は、立ち止まったまんま、何だかんだで感謝を述べた真に、苦みを含めた笑みを零していた。
補講が始まって4日目が過ぎようとしていた。有り難いのは、追試の科目が3教科のみだけと言う事。内容は補講の応用。
それでも急に頭を回転させる事は気力と体力を費やす為、2人は疲れ果てていた。
今日も、冊子を手渡されたのだが、何時もと少し違って薄い。
そう感じていると、教師は言った。7時に応接間に来る様にと。それも2人共に。
想像はついていた。
説教か何かであろう。卒業に向けてか、追試に向けてかの追い討ち。
理解していたからこそ、心持ちは重い。
そうは言えど仕方ない事。
時間内に仕上げ、ギリギリで幸希を追い立てる。
職員室に寄り、冊子を教員の机に置く。教員は既に応接間に居る様で、職員室に姿は無い。
ふと疑問を感じた。
普通、このような場合は応接間ではなく、指導室なのでは。と。
だが、もう目の前には応接間の扉がある。
真は軽く深呼吸。
幸希は溜め息。
それぞれ心の準備を成すと、ノックで到着を知らせ、入室する。
「おうっ。やっと来たか。」
教師の言葉よりも、2人にはもう1人の存在に驚きを隠せない様子。
疑問符を立てながらも教師に促され、応接間に相応しい堅苦しい革製のソファーに腰を沈める。
「・・・何で・・・お前が此処に?」
先に口を開いたのは幸希であった。
2人を驚かせた人物。
その空間に居たのは他の誰でもない。遥鳴であった。
「何で。じゃないだろー。
お前達の成績が悪いから面談だ。面談!!!
お前等もいとこ同士なら初めからそう言っとけ!」
担任の発言に頭がついていけない2人。
―――いとこ―――?
「聞いた所によると、何だ?お前等の両親が揃いに揃って海外転勤で、それによりこっちに来て、面倒みて貰ってる訳だ。
で!!
保護者になるのが蒼間になるからわざわざ来て貰ってる訳だ。」
「そうですね。」
話題を振られた遥鳴は笑みを絶やさぬまま相槌を打つ。
どうやら2人はいとこの間柄らしい。
身に覚えは無いが、蒼間の画策なのだろう。
真は勿論の事、幸希もそれは初耳らしい。
「全く・・・。蒼間は優秀だからな。
お前等勉強見て貰え。」
溜め息混じりに吐かれた科白。
その口調から、遥鳴もこの学校の卒業生なのが伺える。成績も。流石は蒼間の当主なだけあるのだろう。
今此処で、遥鳴に迷惑をかけているのは明らかである。真は、自分を恨んだ。繊細故か、人に迷惑を与える事を恐れているからだ。
また、幸希も珍しく顔色を悪くしている。
支えるべく存在している自分が、多忙過ぎる遥鳴の足枷となっている事。
そんな2人の胸中を余所に、教師は数刻前に真と幸希に伝えた追試の内容。更に2人の成績の事細かな詳細を遥鳴に与えた。
他にも教師は遥鳴に2人について語ったが、話題の2人には、耳に抜けていくばかりで、内容は一切頭に入らなかった。
揃って帰宅を許されたのは、一時間後であった。
門前へ揃った3人は会話無く帰路を歩む。
遥鳴の表情は読み取れないが、少なくとも2人は説教にも近い教師との面談に疲れの色を隠せない。
「今日はすいませんでした。」
暫く歩いて、真は遥鳴に謝罪の意を述べる。
幸希の居る間での謝罪は不本意だが、そんな意地を張る程幼稚ではない。
「いや、気にする事じゃないよ。真も急に環境が変わって大変だったから、仕方ないよ。
これから挽回すればいいさ。
・・・幸希は自業自得だけどな。」
「・・・何だよそれ。俺挽回の余地無いじゃん。」
「お前は元から勉強した事ないだろ。」
配慮したやり取りか、本心か、伏せられていた真の瞳は徐々に上がっていく。
少々自分の至らなさ反省していた幸希も、遥鳴の一言でその思念が消えた。
逆に遥鳴は、自分に負い目を感じているのだから。
空気が変わった所で、幸希は、思惑あってか以前と同じ台詞を真に放つ。
「相模~。
遥鳴に敬語止めろって。・・・気持ち悪ぃ。」
「・・・気持ち悪いって・・・」
まさか本人を前にしてそれを口に出されるとは想わなかったので、怒る所か反応が返せない。
遥鳴は蒼間の若者から崇拝されている。彼が世界の頂点すら思い込んでいる程。だが、本人はソレを好んでいない。幸希はそれを知っている。
蒼間の組織をよく知らない真には尚更。
「そうだね。わざわざ気を使う事はないよ。」
優しく答える遥鳴に、真は返す言葉を失う。
対応に困っているのだ。
「急には難しいだろうから、慣れてからでいいよ。本当。遠慮とかしなくていいから。」
真の心情を解っていたのか、遥鳴の言葉に少し救われた。
それから3人は電車に乗る。この時間帯は、流石に人が少なく、ゆとりを持って座席の確保が出来る。
駅へと着くまでは、幸希が話し、遥鳴が答え、真が聞く。そんな、緩やかな時が続いた。
それは早く流れるもので、気が付くと真が降りる駅まで来ていた。
「俺は真を送って帰るから、幸は先に帰ってな。」
「折角だから俺も行くよ。」
「いや。お前は帰って仮眠でも取るといい。
俺が帰ったら勉強見るから、今のうちに休んでおけ。」
それに幸希は顔を歪ませる。
幸希の成績が絶望的だと知らされていたからだろう。今の時点で自分が勝てないと悟った幸希は大人しく引き下がる。
そんなやりとりのうちに電車は駅へと到達し、幸希に別れを告げ、2人は降りた。
慣れ親しみ始めた街並み。街頭も、路地も、人気の少ない時間なだけあって、閑静さを保っている。
遥鳴と歩くのも随分久しいが、2人きりになった途端、照れが生じて鼓動が高鳴る。
まともに顔も見れないが、今日言わなければ次に会うのは何時かも知れない。
早くしなければ・・・
そう感じると、口だけが焦るように動く。
「あの・・・。
私バイトしたい・・・んです。」
先の会話の所為で、言葉が詰まるが、慣れるまでは仕方ない。
今の状況では、頼み込んでいる分尚更。
未成年の真がアルバイトをするには保護者の許可が必要となる。それを、同様未成年の遥鳴に聞くのもどうかと思うが、両親に連絡を取れない以上、保護者代わりである遥鳴に許可を取るしか方法が無い。
一方の遥鳴は、急に何を言い出すのか。そんな表情をしていたが、直ぐに柔和な何時も顔でくすりと微笑む。
「いいよ。遊びたい年頃だからね。
月の支給足りない?」
「あっ・・・いや、そんなんじゃなくて・・・社会勉強をしてみたくて・・・。その・・・・。」
「社会勉強も必要だしね。駄目とは言わないよ。
ただし。
無事高校に進学して、最初の学力テストで平均点を取ればね。それが条件。」
その言葉に肩を落とす。
確かに、卒業の危機に面している人物には誰だって許可をしないだろう。優しさ故の厳しさ。
考えてみてもタイミングが悪い。
この状況下では、認めて貰える筈もないのだ。
分が悪い。
どう足掻いても無駄だと悟った真は力無く頷く。
―――時は、刻々と近づこうといる。
何が幸せで、何が不幸か。何が真実で、何が偽りなのかさえ。
ヒトは、気付かない事で幸せを保ち続けるのかもしれない。
知らない事で、現実から背いているのかもしれない。
彼女が、全てを知るのは、まだ・・・先の話。




