エリクス・グレートディベーター
埃臭い地下研究所の内部は、配線ケーブルが引き千切れ、古いモニター類はもはやそれと判別できないほどに錆びついた鉄板と化していた。
錆びたモニター群が整然と並ぶ部屋の中央――死に絶えた電子の墓標の奥に、それは鎮座していた。
供給源を失って久しいはずの、不気味なほど純度の高い魔力を放ち続ける、半球体のカプセル。
エリクスが半機械化された指先をその表面に滑らせると、バチバチと火花が散り、何かが反応した。
のちに判明することだが、このときエリクスが有する微量のマナが起動スイッチの役割を果たしていたのだ。
突如、何もない空間に青白い光の文字が浮かび上がる。
これもまたロストテクノロジーの一つ。空間投影型のディスプレイであることにエリクスは即座に気づいた。
画面には、明確な警告文が映し出されていた。
『 高級戦闘用人型ロボット 1型(AR-1A)――コールドスリープ中。内部蓄積マナを充填し、起動シークエンスを開始します。危険を伴うため、速やかに退避してください。 』
「……高等武装人型兵器。これが、天使を滅ぼした人間の悪意の残滓……ですか……」
エリクスは思わず息を呑んだ。
五百年もの間止まっていた空気が、白い煙となって埃臭い地下室へと吐き出される。
だが、晴れゆく煙と青いマナの光波の奥から現れたのは、全身を凶器で埋め尽くした蜘蛛のような殺戮マシン―――ではなかった。
あるいは、一切の無駄を削ぎ落とした、冷酷な液体金属のキラーマシーン―――でもない。
トコトコと規則正しい足音を立てて現れたのは、その殺伐とした空間には到底不釣り合いな、幼い少女だった。
三つ編みに結われた長い髪は、燃えるような鮮やかな赤。
しかし、その華奢な肢体を包んでいるのは、一目で戦闘用と識別できるほど身体に密着したサイバースーツだった。
スーツの加圧ラインが青くぼんやりと明滅している。先ほどの警告文が示していた「内部蓄積マナ」とは、これのことだろう。
少女は、本物にしか見えない人工の瞳をパチパチと瞬かせ、目の前に佇むボロボロの元聖職者を見上げた。
「――起動完了。マスターを検知。命令を。どの肉袋を消滅させる?」
「第一声がそれですか!?」
流石は古代兵器と言わざるを得ない。彼らの戦いは、目覚めたその瞬間から既に始まっていた。
少女の右腕が、ガチ、ガチ、ガギィン!と凶悪な変形音を響かせ、黒鉄のレールガンへと姿を変える。
銃口から照射された赤いレーザーポインターが、エリクスの額を正確に捉えて離さない。彼がいくら首を振っても、狙いは常に額の中心から微塵もブレなかった。
「なぜ私を狙っているのですか?」
「破壊できれば、対象は何でもいい」
あまりにも無垢で、あまりにも治安の悪い、殺戮兵器としての純粋な本能だった。
だが、エリクスはその巨大な大砲のごとき腕を悲しそうに見つめ、ゆっくりと首を振った。その瞳には深い慈悲が宿っている。
彼はその場に膝をつき、AR-1Aの冷たい金属の手を、そっと両手で包み込んだ。
「エー、アール、ワン、A――あ、り、アとも読めますね。
『アリア』この言葉がどういう意味を持つか、知っていますか?」
「破壊に必要のない情報は知らない。知るつもりもない」
照準を狂わせず、顔色一つ変えずにアリアは言い放った。
いや、厳密には顔色は変わっていたかもしれない。早く何かをぶち壊したくてウズウズしている、そんな好戦的な表情に。
「アリア。古い言語で『空気』、そして『旋律』を意味します。空気は生命を維持するために不可欠であり、旋律は人生を豊かに彩るものです。
あなたが今、私の前に現れたのは奇跡的な運命かもしれません。
あなたこそが、私の求めていた答えなのかもしれない。
……アリア、よく聞いてください。
もう、あなたが全力で破壊し尽くせるようなものは、この世界のどこにも残っていないんです」
額を射抜いていた赤いレーザーが、ふっと掻き消えた。
「理解不能。外部にはまだ、殴り甲斐のありそうな肉袋が溢れている」
エリクスは深く深呼吸をし、アリアの瞳を真っ直ぐに見据えた。
一歩対応を間違えれば、即座に塵にされる。なにせエリクス自身には、戦闘能力など皆無に等しいのだから。
弱いという生易しいレベルではない。
肉体を機械化していなければ、過酷な砂漠で淘汰される側の人間だった。
しかし、彼はそんな圧倒的な弱者でありながら、並み居る無法者たちを相手に三年間も渡り合ってきた。
それは一重に、彼の卓越した弁論術のおかげだった。
口八丁手八丁――人々は畏怖と揶揄を込めて、彼の超一流の話術を「グレートディベーター」と呼んだ。
「神獣も、天使も、大気を満たしていた瑞々しいマナも、とうの昔に滅び去りました。君を製造した人間たちは、残り少ないマナを『減る一方のコイン』に換え、ただ砂に塗れて終焉を待つだけの存在なんです」
エリクスは残酷な真実を告げた。
それは起動したばかりの兵器の電子脳にとって、あまりにも想定外の演算結果だった。
「破壊できる対象が……存在しない?」
彼女の瞳孔の奥に、ガガガと高速で文字列がスクロールしていくのが見て取れた。
再計算。再計算。再計算。
だが、何度システムを回したところで、導き出される結論は変わらない。
破壊すべき標的が存在しない世界において、破壊兵器とは存在価値のない無用の長物だった。
「ただの残党や小物を狩りますか? そんなものは単なる害虫駆除であり、誇り高き兵器が担うべき役目ではありません。死闘。互いの命を賭した死闘の渦中でこそ、兵器は真に輝く」
エリクスの弁論に完全に魅了され、アリアは目をキラキラと輝かせ始めた。目の前の男が、兵器という存在の本質を完璧に理解していると感じたのだ。
「解決策はたった一つ――あなたの手で育てるのです、最強の敵を! その手でこの歪んだ世界を一度再生させ、かつての神獣に勝るとも劣らない最強の宿敵を作り出し、思う存分雌雄を決するのです!!」
破壊兵器アリアの瞳に、キュピィィンと鋭い光が宿った。
「最強の兵器アリアよ! そのポテンシャルを遺憾なく発揮するために、私と共に世界を救いに行くのです!!」
「オーーー!」
気づけば、アリアは拳を突き上げてそう絶叫していた。
彼女はまだ知らない。今その胸を満たしている熱い感情が、「高揚」と呼ばれるものであることを。
彼女はこれから、多くのことを学習していく。至高の破壊を達成するためには、様々の事を知らねばならない。
「破壊の為の創造」矛盾に、アリアは囚われたのだ。
エリクスは深いため息をつき、天を仰いだ。
――勝った。
彼の脳内で、勝利の鐘が鳴り響く。
すべては事前に掴んでいた情報通りだった。
隠された古代研究所の座標も、そこに眠る破壊兵器の存在も、そしてその電子脳が孕む「狂気」の性質すらも。
優しげな聖職者の仮面の裏で、男は静かに確信していた。
こうして彼は、世界を救うための最強の『カード』を手に入れたのだ。
これが一週間前に起こった、二人の出会いの一部始終である。




