君
◆
――私は昔から司書と呼べれる人々が苦手だった。
いつも覆衣で顔を覆っていて、その奥から覗く視線が誰のものか分からなかったからだ。
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手にした指輪を握りしめ、私は屋敷を出た。
外は一面の雪国で、吹き付ける冷風が肌を焼くようだった。
「今すぐ馬を出しなさい!」
古びた馬小屋の前で、私は声を張り上げた。ちょうど掃除をしていたらしい、馬小屋の亭主が慌てて出て来た。
「今から外出でございますか? 視界があまりにも悪うございます」
「構わない! 緊急の用事だ。馬を一頭借りる」
おどおど身じろぎをする侍従から、鍵を取り上げ私は馬を連れだした。
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――司書とは元々「史書」から転じた人を指す言葉だった。
それは人の「記録」を「記憶」として宿す人々であり、優れた「知性」を保存するための媒体だと言われている。
司書を名乗る彼女達には「巻名」が与えられ、高貴な家の下で専門職をこなすことが許された。
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外は既に夜が帳を下ろし、白と黒が入り混じる世界だった。
道沿いの凹凸が視界をかすめ、おおよその方角を指し示す。
馬を走らせ、私は「処理」が行われるであろう教会目掛けて馬を走らせた。
吹き付ける風は全身を麻痺させ、道を囲う木々の枝が擦れるたびに肌を裂いた。
(なぜ、一言も相談をしてくれなかったのか……)
雪がまた降り始め、視界を遮る。冷たい綿雪が目に入り、私は何度か頭を揺すった。
寒さに堪え始めたのか、大きな体躯の馬が鳴き声をあげていた。
口から入り込む冷たい空気がひりひりと舌を痺れさせる。
それでも、走らせるしかない。
早ければ数時間で着く。
遅れれば――間に合わなくなる。
◆
――司書とは何だと思いますか?
しっとりとした彼女の声に、私はあのとき何と答えればよかったのだろうか。何度も繰り返し考えた。
私とて、分かっていた。彼女はきっと不安だったのだと。
司書とは「他者の記憶」を宿す存在だ。
記憶を多く宿す程、司書の価値は増していく。
けれど、蓄積された異なる「記憶」はやがて「自と他の境界」をあやふやにする。
◆
吹き荒れる雪の中、遠くに小さな明りが見えた。
私は馬を下り、足が沈む雪道を駆ける。雪が足を攫い体が雪に埋もれる。
立ち上がる拍子に、小さな指輪が手から滑り落ちた。
慌てて私はそれを拾い上げ、埋もれる足で路面を切り開くように前に前に足を動かした。
彼女の憂い気な横顔が目に浮かぶ。
◆
自己を失い始めた司書は、やがて境界を失い狂い始める。
そうなる前に、境界を作る処理を行う。それが「削稿」だった。
けれど、それは自己を取り戻すことではない。
あくまで「自他の区別なく、辻褄が合うよう余分な記憶を処分する」ことだ。
――わたしに触れないで。
彼女は何を恐れて、そう言ったのだろうか。
◆
「シノブ!」
遠くに映る教会に向けて、私は必死に声を絞り出した。
雪が舞う白銀の世界に、ポツンと教会が建っていて、その手前に明かりの付いた馬車が停止している。
私の声に、遠くに見える桃色の髪の女性が振り返ったように見えた。
数時間吹雪を吸い込んだ肺がひりひりと痛む。
教会の衛兵が、こちらを振り返り大声を出した。
◆
――わたしを否定しないで。
彼女が呟くように言ったその言葉の意味を、私はずっと考えていた。彼女が何を考え、何を伝えたかったのか。
◆
巨漢の衛兵が乱暴に私を押さえつけた。
身分証を出そうとした腕は、長時間の乗馬で力を失い、思うように動かせない。
体は一瞬にして彼らの下敷きになり、冷たい積雪に体が沈む。
◆
――ハナツメクサ。
その本来の花言葉は「わたしを拒否しないで」
私はずっと考えていた。彼女が付いた小さな嘘を。そこに、どんな意味が込められていたのかを。
◆
「シノブ! 君は君だ」
声にも似つかない嗚咽が漏れる。
『ここから先は立ち入りが禁じられている!』
私を押さえつける衛兵の声が私の声をかき消した。
体は既に言うことを聞かず、彼女がいるはずの明りがそこまであるのに、思うようにたどり着けない。
(伝えなければいけない。言わなければ。そうしなければ、彼女はもう戻っては来ない……)
そう分かってはいるのに、体は思うようには動かない。
少しでもいい、たった一言でも彼女に伝えたかった。
私は張り裂ける喉の悲鳴を無視するようにただ声だけを飛ばした。
「シノブ! 君は問うたな! 司書とは何かと」
私の嗚咽に驚いた衛兵が僅かに身を引くのが分かった。
「君は君だ。ただ、記録を記憶として読めるだけの、少し優れただけの唯の人だ!」
彼女の悲し気な口角が浮かぶ。彼女の優しい笑い声が何度も頭の中でこだまする。
彼女の言葉の一つ一つが私を締め付け、小さな花を芽吹かせる。
「私たちには言葉がある。君がもし、『記憶』を失うことを恐れるのなら、言葉で残せばいいだけだと私は思う。君がもし、一人で不安になるのなら、私が君の『記憶』を埋める」
だから、共にいてくれ! 君がいてくれるなら、『君を残す』方法はある――
出ているのかも分からない声を私はただ絞り出した。
しびれるような全身の痛みに、体が浮遊するような感覚に、吐き気をもよおす。
そうして――白銀の視界の中で意識が薄らいだ。
せめて、後一言。後一言と思いながら――私の意識は深い雪の中に埋もれた。
手に握っていた銀の指輪が滑り落ち、雪の中に消えた気がした。
◆
――もっと早く伝えておかなければいけなかった。
削稿が終わってからでは遅い。
削稿が終わった司書は、新しい身分と共に新しい人生を歩み始めるのだから。
――誠の名も、顔さえ知らない私では、君を探し出すことは出来ないだろう。
◆
その後、私は見慣れた屋敷の医務室で目を覚ました。
ベッド脇に置かれた椅子の上に、還暦が近い白髪の父が座っていた。父は何やらずっと文句を垂れていた。
窓の外から見える白い景色に柔らかい日差しが照り付け、路上の雪を露へと変えている。
先日の雪が嘘だったかのように色とりどりの景色が顔を覗かせていた。
せめて、君の誠の名だけでも聞いておけばよかったと後悔したのはそのときだった。
せめて、黒い覆衣で覆われた彼女の素顔を、一度くらい確認しておけばよかったと。
そうすれば、幾分かは探しようがあったはずで、幾分か望みはあったはずだ。
◆
窓の外には一面の芝桜が咲き誇っている。
あれから何度か、侍従に頼んで近隣の町を探しに行かせたが、顔も名前も分からない薄桃髪の女性を探す手立てなど皆無に等しかった。
机の上に散らかる書類には経理の詳細が描かれているが、疲れた目は紙の上を滑って仕方がなかった。私は一度目を押さえると、事務的に紙の上にインクを落とす。
温かい日差しが窓から入り、背中をじんわりと温めていた。
――コンコン
「カシ様」
木造のドアを叩く柔らかい音に続いて、侍従の低い声が部屋の中に響き渡った。私が促す声を返すと、茶髪の侍従が扉の隙間から身を滑り込ませるように入室した。
「配達員と名乗る女性が、カシ様に内密の手紙をと申しております」
「私にか? 後で確認する。受け取っておいてくれ」
配達の受け取り確認とは珍しい……そう思いながら私が適当に返答すると、侍従は困ったように笑って見せた。
「いえ、どうも直接でなければ受け渡し出来ないとおっしゃっております」
「……直接だと?」
私は訝しく思いながらも呼び鈴に手をかけた。
「分かった、通してくれ」
侍従が退出して暫くすると、再度扉をノックする音が室内にこだました。私がまた適当に返答すれば、軋む扉は柔らかい音を立ててゆっくりと開かれる。
目に見えて慎重な所作の一人の女性が顔を覗かせた。薄い桃色がかった白髪の女性だ。
「それで、内密の手紙というのは」
私がゆっくり顔を上げると、その女性はゆったりと綺麗な所作で一礼して見せた。
そうして、音もなく机の方に歩み寄ると、和紙の封筒を手渡した。
封筒の中には、6枚の花びらが付いた一輪の桜と、同じ模様の銀の指輪が入っていた。
驚いた顔で見返す私に、女性は嬉しそうに口角を上げた。地面に咲き誇る白い桜を連想させる、爽やかな笑顔だった。
窓から吹き込む春を匂わせる穏やかな風に、女性の声が溶け込む。
喉の奥に詰まった言葉を押し流すように、女性が声を絞り出した。
「ナツメと申します。お約束通り手紙を受け取りに参りました」
◆
ハナツメクサ。ハナシノブ科の多年草。
一般には芝桜と呼ばれることが多い。
淡い色合いの花言葉は「臆病な心」
濃い桃色の花言葉は「私を拒否しないで」
白い花弁の花言葉は「煌めく愛」
地面を覆うその花は色とりどりで、まだらであるからこそ美しい。
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