男の娘やめます?
「おいしい〜〜!」
ラピス公爵邸の敷地の一角に設けられている小さな東屋。テーブルの向かい合わせの席で、満面の笑みを浮かべているのは私の婚約者のユフィである。
ついさっき焼き上がったばかりのクッキーをつまみながら過ごす、穏やかな午後のひと時。それぞれマチルダとアンナに給仕をしてもらいながら、傍らでは妹のミリアが蝶々を追いかけながら遊んでいる。そのミリアをハラハラしながら見守っているのは、元クラスメイトで、私の専属侍女になったメアリだ。
まさしく理想の平和そのものの光景に自然と笑みがこぼれた。
あの壮絶な激戦の後、戦いのどさくさで故郷に帰ってきた私は、ラピス公爵家の嫡男クリス・ラピスとして新たな人生をスタートする事となった。
表向きクリスティーナ・ファナ・ラピスと言う人物は、先の邪神との戦いで死亡した事となり、私の双子の兄と言う架空の存在がでっち上げられ、それに成り変わる事で、私は公爵家の嫡男と言う本来のあるべき姿に戻る事が出来たのである。
驚くべき事に、この計画の立案者はユフィの父親であるセントラル皇王その人であった。
「それにしても、皇王陛下からいきなり死んだふりをしろ。と言われた時は驚いたわ。それに、まさか男だと気付かれてたなんて」
しみじみとこぼした私の言葉に、すかさずユフィが愚痴を挟む。
「その小細工を知らずにいた私の方が、もっと驚いたのだけど?」
「………っ、だ、だって世間を欺くためには仕方ないって、陛下が…」
「いっぱい泣いたんだから……」
「うう…、ごめんなさい」
今回の事に関してはとにかく謝る他ない。私だって逆の立場であったらどれほど傷付いた事だろう。万事上手くいったからといっても、許せる事とそうでないものもあるのだ。
「それよりも私は、クリスティーナ様が殿方であった事に驚きましたわ」
思わずそう口にしたのはユフィの専属侍女のアンナだ。
「正直、未だに信じられません…」
横目で私を見つめながら溜息をつくアンナに、無理もないと周りが同調する。
「大聖女として、世の女性の最高位を極めた美少女が男だなんて、普通思わないわよね」
「その呼び方止めてよ。それにユフィだって大聖女のお話があったでしょ?」
「当然断ったわ。いやよ、あんな派手な称号」
「くっ、私だって断ったのに…」
死人に口無し。故人となったクリスティーナが、死後に賜った称号に文句をつけれる筈がない。
「本当に仲のおよろしい事。私、てっきりお二人共そういうご趣味で、愛の形には色々あるからと納得していたのですが、特殊な趣味はクリスティーナ様だけだったのですね」
「私のこれは趣味ではありません!」
当たり前のように女装を趣味と言い切るアンナに、私は大声で反論する。
「そもそも未だに私が女装をしているのは、みんなが男の格好をするのに反対したからでしょ!」
この私の主張にわざとらしく視線を逸らす一同。
当然のことながら、公爵家に帰ってきた私が真っ先にやったのは男の格好に戻ることだった。しかし、これがなかなかに難しかったのである。
先ず腰まで伸びた髪をバッサリと切ってしまおうと、私は敏腕侍女軍団であるチームマチルダに髪のカットをお願いした。しかし誰も私の髪を切りたがらないどころか、その役目を押し付け合う始末。それなら仕方がないと自分でハサミを持てば、侍女達全員に泣いて止められた。
いったい何なの!?
とりあえず髪を切るのを後回しにした私は、それを邪魔にならないように後ろに束ねると、この日の為にあつらえた男物の騎士服を着ることにした。すると―――。
「はう…」
着替えを手伝ってくれていた侍女の一人が倒れた。
なんちゃってブラジャーを外した私がつるペタの胸板をさらしただけで、侍女達の反応がすごく、その後も一人また一人と倒れていく。
「大丈夫!? 気をしっかり持つのよ! 誰か、この者を休ませなさい!」
「マチルダ様! この者も立っているのがやっとです!」
「意識の無い者はソファーで休ませなさい! 続けられそうな者はいますか!?」
「私は、まだ大丈夫です!」
「わ、私も…」
「あなたもかなり顔が赤いわ、無理だと思ったら、直ぐに離れなさい」
「すみません」
この私が一体何をしたと言うのだろう?
ただ着替えるだけのはずが、野戦病院のような有り様である。侍女達は総じて顔を赤くして視線を逸らし、指先が震えてボタンすらろくに付けられない。
その後のマチルダの奮闘でなんとか騎士服に着替える事は出来たが、最後まで残っていたのはマチルダだけで、その本人も顔が赤く、決して私と視線を合わせようとしない。
コンコン、タイミング良く部屋のドアがノックされ、お母様の声がした。
「そろそろ着替え終わったかしら?」
私の着替えが終わるのを見計らってやって来たのだろう。私が大丈夫だと伝えるとドアが開き、お母様が部屋に入って来る。
部屋のあちこちで倒れこんでいる侍女達、着替え終わった私と疲れ果てたマチルダの様子を見て、お母様が軽く溜息をついた。
「申し訳ありません、奥様」
「いいのよマチルダ、あなた達は本当よくやったわ。公爵家への忠義ありがたく思います」
「奥様…」
優しくマチルダの肩に手を添えて労わるお母様と、涙ぐむマチルダ。え〜と、な、何これ? 一体何の茶番なの?
「クリス」
「はい、お母様」
手招きされて近寄る私。お母様は意味深な微笑みとともに口を開いた。
「男装はしばらくお預けよ」
「ええええぇぇ―――っ!? な、なんでですかぁ―!? そもそもこれは男装じゃなくてー!」
母親からの容赦無い宣告に、当然私は猛抗議だ。
「あなたの気持ちも分かるし、その服もとても良く似合っているわ。……まぁ、多少、刺激的ですが…」
「し、刺激的? って、に、似合っているのであれば、良いではないですか?」
なおも食い下がる私に、再び溜息をついたお母様が優しく諭す。
「いいですか? 似合っているのは大変良い事ですし、私も嬉しく思います。本当によくここまで成長してくれました。しかし、侍女達の反応を見たでしょう? あなたのその姿は、年頃の若い娘には目の毒なのです」
「………人を危険物みたいに」
「事実危険なのだからしょうがありません」
ピシャリと断言するお母様はひたすら容赦が無い。
「いいですか、このお屋敷には側仕えや侍女達だけでゆうに200人を超える女達が働いているのです。その者達が使いものにならなくなったらどうするのですか?」
「ど、どうと言っても…」
「屋敷の女達全員が機能不全に陥らないためにも、男装はしばらく自重しなさい!」
「そ、そんなぁ…」
せっかく念願の男に戻れるはずが、まさかのお預けに目の前が真っ暗になる。
確かにお母様の言い分はもっともで、騎士団を除いたラピス公爵家の家臣の内、半数は女性であり、屋敷内に限れば女性の方が圧倒的に多い。それらが使えなくなればいかに公爵家と言えど直ぐに立ち行かなくなってしまうだろう。この広い屋敷を何事も無くきりもり出来ているのは、一重に彼女達のお陰なのだ。
こうして私の男復帰計画は出鼻から頓挫したのだった。
しかし嘆くにはまだ早い。知っての通りユフィが公爵家に来た事で、次のチャンスは直ぐに訪れたのだから。その私の予想通り、ユフィは着いた早々当然の権利と言わんばかりに私に男の姿をねだってきたのだったが……。
「はう……」
数人の侍女と共に倒れるユフィ。なんでだ?
この日用意したのは先日の騎士服ではなく、一般の男性貴族の礼装だったが、ユフィと侍女達の反応はなんら変わる事はなかった。
「ちょ、ちょっとユフィ大丈夫!?」
倒れたユフィにびっくりした私が慌てて駆け寄り、上半身を優しく抱き起すと、侍女達から悲鳴が上がった。さらに抱き起こしたユフィと目が合った瞬間、ただでさえ赤い彼女の顔が耳まで赤く染まってしまい、ユフィはうるうると涙目になってしまう。
「む、無理ぃ……」
なんとなく幸せそうに、涙目で笑うと言う器用な事をしながらそのまま気を失うユフィ。それを見た私は当然大慌てだ。
「ユフィ!? ちょ、ちょっとぉ何ぃ!? 何なのよぉ、もお!」
「お嬢様そこまでです! これ以上は皇女殿下が持ちません!」
「え? ま、マチルダ、なにそれ?」
「目隠しです。かなり不本意ですが、やむを得ません! お嬢様、失礼します!」
「きゃあ! も、もう、お嬢様じゃないしぃ!」
私を視界に入れないためか、目隠しをしたマチルダと侍女達が、手探りで私の肩を掴むと、そのまま強引に取り押さえられてしまう。
「百歩譲って殿方としても、無駄な色気が多すぎるのです! とにかく、着替えて下さい!」
「百歩譲らないと男として認知されないなんて訳わかんないぃ! それより無駄って言うなああぁ―――っ!!」
結局このドタバタ騒動の後、強制的に着替えさせられた私は、お母様から改めて男装?禁止が言い渡され、理不尽この上ない事に、以前と変わらぬお嬢様スタイルで日々を過ごす事とになってしまったのである。
せっかく精霊の愛し子の呪縛から解放され、公爵家では私の性別が男である事はすでに周知徹底されているというのに、私を取り巻く環境はまるで変化が無い。若様と呼ばれることを若干期待していた私としては、当たり前のようにお嬢様と呼ばれるのも大いに不満の種であった。
「ユフィは、私に男に戻ってほしくないの?」
私は焼き菓子をほおばりながら、目の前に座るユフィに愚痴をこぼす。
「も、もちろん、戻って欲しいわよ…。でも、いきなりあんなカッコよくされると、心臓が…」
「せっかく婚約出来たのに、このままじゃ、二人で花嫁衣装を着る羽目になっちゃうよ」
「それはありね」
「ありですわ!」
「見てみたいです!」
ダメだ。私の周りはどうしてこうも裏切り者だらけなのだろう。目をキラキラさせながら期待の眼差しを向けるユフィとマチルダ達に何も言えなくなる。
実際、ユフィと婚約はしたものの、式を挙げるのは二人が成人してからの話だ。私達二人はまだ13歳であり、この世界の成人年齢である16歳まで3年もある事を考えれば、焦る必要は一切ない。世の中はこんなにも平和そのものなのだから。
「それに、ほんの少し寂しいしね」
「? クリス、何か言った?」
「ううん、何でもない」
危ない危ない、少し心の声が漏れてしまったか? 私だって今までずっと慣れ親しんだこの令嬢生活に多少の未練があるのだけど…、あれ? これって完全に男の娘になってないか? だって、きらびやかな衣装に身を包むのも、何も無い穏やかな午後に刺繍をたしなむのも、こうやって皆と仲良く女子会するのも悪くな……、いや、私は女子じゃないし、ましてや男の娘でもない! 絶対に普通の男の子になってやるんだから! って、あれ? 普通ってなんだ?
順調にいけば、次回最終話となります。




