新年
月日は瞬く間に経って行った。
神世では特に目立った動きもなく、維心は手が空けば維月に会いに月の宮へと飛び、そこで共に休んでまた次の日の朝に龍の宮へ帰って来るような生活を続けていた。
炎嘉も、維心が行かないと分かっている時を狙って月の宮へと訪ね、維月の様子を見舞った。炎嘉は泊まることは無かったが、大きくなって来る腹をそれは楽しみにしていた。維月も、腹で育てているのは紛れもない自分の子なので、炎嘉と共に名前を考えたりと、それは楽し気に過ごしていた。
新年のその日も、炎嘉は朝からやって来た。維心が、年始の挨拶に来る神に対応せねばならないので、宮から出ないのを知っていたからだ。
維月と十六夜の、早く早くという思いが通じたのか、まだ5カ月でしかない維月の腹は、結構な大きさになっていた。元々月は成長が早いので、姿など思うままなのだが、このままではそのうちに生まれるのではと、炎嘉は驚いて腹を擦った。
「…なんとの、人のように10月でも早いというに、この子はもうこの大きさか。やはり月の腹に居るせいなのかの。」と、腹に耳を当てた。「…おお、元気のようよ。男…男か。」
維月は、微笑んで頷いた。
「はい。男子であるなあと、十六夜とも申しておりましたの。良かったこと…皇女であったら、炎嘉様の御力にもなれぬし…。」
炎嘉は、苦笑して首を振った。
「我はそれでも良かったのだぞ?この子を道具のように思いとうないのだ。我は、初めて心の底から早う子の顔を見たいと思うた。生まれた子は幸福にしたいと思うておるのだ…誰よりの。」
維月は、困ったように笑った。
「まあ、炎嘉様は御子は皆可愛がっていらしたのに。」
炎嘉は、クックと笑ってまた首を振った。
「このように指折り数えて産み月を待っておるのは初めてよ。いつもいつの間にか産み月で、生まれたと連絡が来て慌てて名を考える、といった感じであったわ。今は男女どちらかも分からぬのに両方の名を考えてみたり…政務をしておってもどんな具合なのか気になって身が入らなかったり。まさかこれほど楽しみだとは。」
維月は、フフフと笑った。
「炎嘉様ったら…。ですがまだあと数カ月はあるはずですわ。十六夜と、早う生まれた方がいいんだけどって話しておりましたから、よく育っておるみたいなのでもう少し早いかもしれませんけど。」
炎嘉は、腹に手を当てて目を閉じ、じっとその気を読んだ。それで何か分かるかというところだが、赤子はまだ目覚めていないし念を送っても聴こえているのかどうかも分からないだろう。
しかし、炎嘉は目を開いた。
「…気の感じが結構成熟して来ておるのよ。生まれたての赤子と近くなっておるので、我はもう近いかと思う。それにしても…嬉しい驚きであるが、こやつは月というよりほとんど鳥よな。維心と主の子が龍であるからそうではないかと思うておったが、龍は血が濃いゆえもしかしてと思っておった。」
維月は、頷いて腹を擦った。
「そうですわね。月は他の種族を交わると相手に染まるのですわ。鳥の男子…願った通りで良かったこと。」
炎嘉は、また腹に耳を当てた。
「早う出て来ぬかなあ。話をしたいと思うておるに。我がどれほどに待っておったのか、文句を言うてやるわ。」
維月は、何度も腹の音を聞こうとする炎嘉に、微笑ましくなって笑った。
「炎嘉様ったら、そのように言うたら出て参りませぬわよ?準備が整ったら出て参りますから。もうしばらくお待ちくださいませ。」
炎嘉は、仕方なく頷いた。
「わかったわかった、文句は言わぬよ。元気に生まれてくれさえしたら良いわ。」と、立ち上がった。「さあ、では部屋に籠ってばかりでは体に良うないから庭へでも出よう。最近は、具合が良いのだと聞いたが。」
維月は、炎嘉に手を取られながら立ち上がって、頷いた。
「はい。目は薄っすら赤くなっているようですけれど、全く変わるような感じが無くて。今は十六夜の力の玉をこうして頚連にしておるのですが、それで充分に抑えられておるようですわ。」
炎嘉は、微笑んで頷いた。
「良かったことよ。これで、主も出産の後いつなり維心の下へ帰れるのではないか?維心も待っておるだろう。」
維月は、苦笑して袖で口を押さえた。
「はい…。ですが毎日ほど、こちらへ夕刻には参られまするし…朝には飛び立って行かれますけれど。本日は、元日であるのでお忙しいしどうなさることか。」
炎嘉は、フフンと笑った。
「絶対に参る。賭けても良いわ。まあ、我もあれに挨拶に行かぬわけには行かぬから、主と散策を終えたらそのまま龍の宮へ参る。今日はどうしても子の様子を見とうて先に来てしもうたのだ。あやつと鉢合わせた面倒であろう?」
そうまでして腹の子の様子を見に来る炎嘉に、維月は炎嘉がどれほどにこの子を楽しみにしているのかと思った。なので、炎嘉と共に庭へと足を踏み入れながら、尚更早く産んで対面させてやりたいと強く思っていた。
炎嘉は、言っていた通り維月と少し庭を歩いてから、名残惜しげに月の宮を飛び立って行った。
そして、夕刻になるとやっぱり言っていた通り、維心はフラフラになりながらも維月の下へとやって来た。維月は、維心を出迎えて頭を下げた。
「まあ維心様、本日はお疲れで、もう来られないかと思うておりましたわ。」
維心は、維月の手を取ると抱き寄せ、ホッと息をついた。
「本日も山ほど挨拶に来おって。一人きりでそれを受けるのは退屈でならなんだわ。しかし、さっさと終えて来た。」と、維月と共に椅子へと座ると、続けた。「炎嘉が午後から来おったが、朝はここへ来ておったのだろう?」
維月は、頷いた。
「はい。維心様にご挨拶に参るとおっしゃって、昼過ぎにはこちらを出て行かれましたわ。」
維心は、腹をチラと見た。
「これだけ大きくなったのだから、もう近いやもしれぬな。我の子の時は皆9カ月で出て参ったからかなり早いと思うておったが、まだ5カ月ほどではないのか。もう、今にも出て来るのではないかという大きさぞ。確か…十六夜との間の、蒼の月の命が出来た時は、確か三カ月ほどであったし…我が居る時に出て参ったら我が立ち会うが、居らぬ時と思うと主が案じられてならぬ。」
維月は、維心を見上げて言った。
「大丈夫ですわ。十六夜も父も居りまするし、父は毎日見に参っておりますが、問題ないと申しておりまする。普通の神よりは早くなると申してはおりまするが。」
維心は、じっと腹に触れて気を読んだ。腹の子が緊張したように動いたのが分かる。炎嘉の時はこうではなかったのだから、恐らく何も分からないながら、強い気が自分を探るのを感じているのだろう。
「…やはり、近い。」維心は言った。「我の気を気取って緊張した気を発しておる。一端の神並みよ。今にも生まれてもおかしくはないぞ。困ったこと…我もしばらくこちらへ詰めるか。」
維月は、困って維心を見上げた。
「大丈夫ですわ。父が居りますもの。維心様にはまだ、明日明後日とお役目がございまするし、私もそこまで無理は申せませぬ。」
維心は、しかしすぐに首を振った。
「何を言うておるのだ。主の一大事であるのに、我が政務になどかまけていられぬわ。何かあったらなんとする。良い、正月の挨拶はもう済んだ。明日は重臣の目通りであるしあやつらとは今朝も顔を見ておるのだから良い。それより主ぞ。我はここに居る!」
言い出したら聞かないので、維月は仕方なく頷いた。
「はい。では…お手間をお取り致しますが、そのように段取りを。宮にもご連絡を急がれた方があれらも助かるかと思いますわ。」
維心は、頷いた。
「では、すぐに帝羽に連絡をさせようぞ。それにしても、案じられるの…我の子でも大概案じておったが、他の神の子となると、それで何かあってはとハラハラするわ。」
維月は、苦笑した。子を産むリスクは誰の子でも同じだ。それに、自分は月なので力を失くしても月へ戻ってしばらくすれば、また人型を取れるようになるのだ。なので、そこまで案じることは無かった。無尽蔵に気を作り出している父親と、同じ体を共有する兄がついていて、どうにかなることもまず、考えられなかった。
それでも、維心が何を言っても安心することは無いので、維月は仕方なく黙って維心が帝羽を読んで指示を出すのを見ていたのだった。




