兆し?
そんなわけで維心は、それから月の宮に滞在した。
思った通り臣下は大騒ぎだったようだが、維明が優秀なのでそれほど困らなかったようだ。ただ、時に龍の宮から急使が来て急いで指示を出すという慌ただしさはあった。維心でなければ判断出来ないことも、まだまだ多かった。
十六夜は、何を言っても維心が帰らないのでもう、文句を言う気も無い様で、維月は夜は十六夜の部屋へ泊まったり維心の対へ泊まったりと落ち着かない日々だった。
維心がずっと居るので、炎嘉も訪ねて来る事が出来ず、十六夜が月から経過を話している状態で、結構イライラしているらしい。それはそうだろう、自分の子なのに維心が必死なのが、筋が違うと思うのは仕方がないことだ。それでも維心は、断固として月の宮を出ることはなかった。
そんな困った維心だったが、もう生まれると言いながら、段々に日が過ぎていくのに焦っていた。
というのも、節分が来るのだ。
節分は、どうあっても帰らなければならなかった。維月が居たなら、一緒に出ただろう催しがあって、毎年のことなのでどうしてもそれを、欠席するわけには行かなかった。
腹の子は、ピタリと出て来る様子が無くなってしまったので、本当に困っていた。
「…年明けには今にも出て来そうだったのに。」維心が、眉を寄せて本当に困ったように言った。「まさかここまで居座るとは思わなんだ。どうなっておるのだ、こやつは。」
維心は、維月のせり出した腹を睨んで言った。維月の腹の中では、子はじっと動かずに居る。いつもは元気に動くのだが、維心が側に居ると緊張したようにじーっとしていることが多かった。
「お前が居るからじゃねぇのか。」十六夜が、呆れたように言った。「そいつ、お前が維月の側に居ると、緊張したような気を発してるぞ。今出たら危険だって思って出て来ないんじゃねぇの?」
維月は、あながち十六夜が間違っているとも思えなかったので、困ったように笑う。維心は、不機嫌に十六夜を軽く睨んだ。
「どういうことよ。いくら我でも赤子を責めたりせぬわ。そもそも殺すつもりならとっくに消し去っておる。それをせずに出て来るのを待ってやっておるのに。失礼な奴よ。」
すると、維月の腹が少しグラっと動いた。十六夜はそれをじーっと見ていたが、顔をしかめた。
「…もしかしてこの腹の子、結構賢いんじゃねぇか?お前が何を話してるのか、多分理解してるぞ。」
すると、維心はふんと鼻を鳴らして言った。
「当然よ。我ら王族の子は、腹に居る時から結構な外の気を感じ取っておるのだ。我がそうだったゆえ、恐らく炎嘉の子ならそれなりに気取っておるはず。微妙な気の揺れで、言語は分からぬでも相手の意思が理解出来る。我は今生、母が腹を撫でて将維の訪れが無いことを愚痴っておったのを聞いておったわ。将維は本当に母に会いに参ったのは、宮に入ったその日だけだったらしい。我が出来たと聞いた時も、臣下から報告があっただろうに、行かなかったのだの。そうして、出産が始まって我のこの気で母は亡くなり、外で待っていた将維がそれを聞いて、亡骸の母を見舞ったのが最後だったようだ。我は、前世の記憶が蘇るまでの間、父は我など要らなんだのではないかと思うておったものよ。」
十六夜も維月も、顔をしかめた。維心が覚えていたのも驚きだったが、将維があまりにもその維心の母の妃を大事にしていなかった事実が分かったからだ。
「…あいつの気持ちは知ってるし神世の王がそんなもんだとは知ってるが、それでもせっかく龍王の跡継ぎを産んだのに、ちょっとは顔見にぐらい行ってやれば良かったのに。」
維月は、頷いた。
「本当に…そのかたのお気持ちを思うと、将維を恨んでしまいますわ。そういう筋ではないのは分かりまするが、もしも私であったらと思うと…居たたまれませぬ。」
維心は、慌てて維月の肩を抱いた。
「主をそんな風に扱うはずは無いではないか。将維はあのようであるが、その気持ちも今は分かるゆえに我は責める気持ちにはなれぬ。なかなかに妃を愛するとは難しい事なのだ…特に、我ら龍には。」と、息をついた。「まあそんなことを申すつもりはなかったのだ。ただ、腹の子は我らの意思をくみ取っておる。それを伝えたかっただけよ。」
維月は、頷いて腹を撫でた。炎嘉の子なのだから、維心を恐れるのは分かる。だが、今維心が言ったように、もし殺すつもりならとっくにそうしていただろう。こうして、生まれ出るのを不自由ながら待ってくれているのだ。その気持ちだけでも、腹の子には分かって欲しかった。維心が、誰よりも炎嘉を友として大切に思っている事実を、この子にも理解して欲しかったのだ。
維月がそう思ってじっと黙って考え込んでいると、ふと、何かピシッという、キリキリとした痛みが一瞬走った。
「…!」
維月は、身を固くした。何だか、腹の中で何かが割れたような感じ…。
維心が、気取って維月の顔を覗き込んだ。
「どうした?何か感じたか。」
維月は、顔を上げた。
「あの…腹の中で何かが割れたような…」と、眉を寄せた。「…何やら、鈍い痛みが…。」
十六夜が、じっと維月を凝視して、慌てて立ち上がった。
「…おい。維心の子を産む時散々見たがこれは、出産の時の気の動きだぞ!」
維月は、びっくりした。まだあんまり痛くないのに?
「え、でもあんまり痛くないけど。」
すると、碧黎がパッといきなり現れた。最近はゆったりと戸から入って来る方が多かったのだが、今日はパッと出だった。
「維月、産むのか!」
碧黎も、焦っている。維月は、戸惑いながら碧黎を見上げた。
「いえ、あの、まだそんなに痛みは来ておりませぬ。少し絞るような痛みが弱くありますけれど。」
碧黎は、首を振った。
「出産の気ぞ!」と、維心を押しのけて維月を抱き上げた。「産所へ参る!ここでは安心出来ぬからの。」
そうして、パッとその場から消えた。
維心は、慌てて立ち上がった。
「産所とはどこぞ?!」
十六夜は、パッと移動しようと構えたところだったが、言った。
「治癒の対の中だ!先に行くぞ!」
そうして、その場から消える。
維心も瞬間移動は出来たが、出た先に誰かが居たら面倒な事になるので、こんな近くて狭い場所の場合は、簡単にはそんなことはしない。なので、悪態をつきながらその部屋を出て飛び抜けて行った。
炎嘉にも、それを知った蒼からの知らせが飛んだ。
碧黎も十六夜も、維心でさえ炎嘉のことなど全く忘れて治癒の対に詰めているからだ。
炎嘉は返事も書かないでいきなりに月の宮へとやって来た。しかも、部屋着のままだったので、いったいどれほど急いだのかそれで分かる。
蒼が迎えに出ていたが、そんなことも構わず、勝手知ったる月の宮の、治癒の対へと足を進めながら言った。
「蒼、知らせを感謝する。それで、維月は?!」
蒼は、必死に炎嘉について行きながら、答えた。
「はい、本人はまだ痛みも弱いのですぐには生まれぬと言うておるのですが、碧黎様と十六夜が出産の時の気だと治癒の対へと連れて参って。維心様も居られます。」
炎嘉は、憮然とした顔で頷いた。
「あやつはもう。我の子だというに。長い事居座りおって、我は来れなんだではないか。だが、生まれるとなると遠慮はせぬからの。維月に何かあってはならぬし、我の子が生まれるというに!」
話している間に、治癒の対に着いた。出て来た心という、明人の娘の治癒の女神が、言った。
「炎嘉様。出産のご兆しがございまして、男のかたはと申したいところなのですが、もう今三人もいらっしゃるので御父上が入られないのもということで、どうぞ、中へ。維月様もよろしいとおっしゃっております。」
あの三人なら絶対出て行かないだろうな。
蒼はそう思いながら、それを聞いていた。だが、碧黎も十六夜も、維心の子が生まれる時は、ここまで必死では無かった。遠く気を探って見ている程度で、維月にくっついて離れないのは維心だけだったはずだ。
蒼は気になったが、自分は別にそこまでして踏み入ろうとも思わないので、外で待っていることにした。
炎嘉は、蒼が来ないのにも気付かない風で、碧黎が枕元、維心が右、十六夜が左にぴったりついている、維月に歩み寄った。
「維月!」
三人が、振り返る。維月も、顔をこちらへ向けた。
「炎嘉様?まあお早い御着きですこと。あの、まだまだだと思うのですわ。維心様の御子の時には、もっと痛みが来てからしばらく頑張ってやっと生まれるぐらいで。それなのに皆、こんな序盤から何やら必死であられて。」
炎嘉は、維心を押しのけるのはさすがに気が退けたので、十六夜に会釈してから、十六夜の向こう側へと立った。
「…我が父親であるのに。この人数で出産とはの。」
碧黎が、言った。
「維心の子の時は、前世人の体であってもポンポン産んでいたし問題無かったので、維月との相性が悪うないのを知っておったからそう案じてもおらなんだが、此度は鳥。産んだ事も無いものを生むのに、案じないわけはあるまいが。何があっても、我と十六夜が居れば維月に何かあるはずはない。主にそれが言えるのか?」
炎嘉は、グッと黙った。維月の命に関して、碧黎に適うはずはない。
そもそも、碧黎と十六夜など最強の組み合わせなのだ。その二人と同じことが出来るはずなどないのだ。
炎嘉は、ため息をついた。
「主らに適うはずなどない。では、我の子と維月をよろしく頼む。だが、我も己の子の誕生を共に体験したい。ここに居る。」
碧黎は、あっさりと頷いた。
「居れば良い。だが、何かあった時は我の邪魔をするでないぞ。」
そうして、さっさと維月の様子へと視線を落とす。維心は、炎嘉を同情気味に見た。自分が居ることもそもそもはおかしいのだが、恐らく同じことを言われたようで、ただ黙って維月の右手を握っている。炎嘉は、そんな維心の視線に軽く同意するような色を返すと、自分も維月の右手を握った。
維月は、困惑したように言った。
「でも…あの、本当にまだあまり痛みが来ませぬの。確かに定期的に張りが来ますが、維心様の御子の時で言うたら前駆陣痛で、すぐに収まってまた、しばらく陣痛が遠のくと思うところでございますわ。ですから、これぐらいでは回りに言わずで居たほどで…。」
前世今生と維心の子を産み続けて来た維月なので、それが言えるのだろう。だが、碧黎は首を振った。
「だが、先ほどからその前駆陣痛とやらが収まる様子もなく、しかも間隔が狭まって来ておろうが。主はそう痛まぬと言うが、こちらから見ると子は出たがっておる。どう考えても、もう数時間もないぞ。」
維月が怪訝な顔をしているのに、足元で着物を広げてそちらが見えないようにと高く掲げていた二人の治癒の女神達が、足元に居る一人と合わせて三人で一斉に叫んだ。
「はい!維月様、お気張りくださいませ!!」
「ええ?!」
維月は、驚いて慌てて踏ん張った。というか、全く痛みが来ないんだけどどういうこと?!
「だから言うたであろうが!」
碧黎が言う。だが、維月は自分で自分がどうなっていて痛みを感じないのか分からなかった。確かに痛いのだが、そこまで痛いわけではないのだ。
「んんん~~!!」
訳が分からないが、それでも出産に慣れている治癒の神達が必死に言うのでそれに従うしかないのだ。維月は、言われるままに必死にいきんだ。
「はい、力を抜いて!」
「はっ!」
維月は、ハアハアと息をついていきむのをやめる。維心が、困惑したように言った。
「なんとの、主はいつも痛みに耐えて口も利けぬでおったのに。何としたことかの、これは。」
維月は、息を切らしながらも躊躇いながら、答えた。
「はい。どうした事かもう、全く分かりませぬの。痛むのは痛むのですけれど、あの腹をえぐられるような痛さがございませんで…。」
炎嘉は、誰の出産にも立ち会ったことなど無かったので訳が分からなかったが、言った。
「常より楽ということかの?ならば良かったと言うて良いのか、我にもよう分からぬが、それで支障が出ぬなら良いのであろうか。」
維月は、首を傾げた。
「それだけ子宮が収縮しておらぬとしたら、子を押し出す力が足りぬのではないかと案じられまするわ。」
しかし、着物を掲げている治癒の者は、こちらを見て言った。
「いえ、しっかりとお子が降りて来ておりまする。我らも痛みが無いのがよう分かりませぬが、それでも維月様、頑張ってこちらの指示通りにお気張りくださいませ。」
維月は、仕方なく頷いた。本当に自分でも産んでいる実感が無いのだ。だが、着物で見えていない、足元の治癒の神が叫んだ。
「はい!参りました、お気張りくださいませ!」
維月は、また慌てて力を入れた。
もう出産なのか何なのか、維月自身にもよく分からなかった。




