対峙
闇の形相は、それは醜悪だった。後ろで倒れて気を失っている炎耀とは、似ても似つかない風貌だ。
それがまた、自分の少年から青年時代にそっくりな炎耀の姿であるので、炎嘉は本気で嫌悪した。こんな顔で居たことなど、我の生では無かったわ。
しかし相手は、同じように炎嘉を嫌悪してその上何か憤っているようだったので、炎嘉は様子を見ようと相手をじっと見つめて、薄っすらと笑みすら浮かべて闇を見つめた。
「…何ぞ。何を怒っておるのだ。己の存在の醜悪さに、我の美しさを妬んでおるか。」
闇は、怒りを隠そうともせずに、吐き捨てるように言った。
「…主など…!この人型とさほど変わらぬではないか!何が醜悪ぞ!そんなことより、なぜに陰の月が主にあのように応える!まるで主の陽の気がそれに煽られるようであったわ!」
炎嘉は、心の中で思った。そう、闇は維月を自分のものにしたいと思っているのだ。確か、維月に嬲られるたびに快感を感じているのだとか。そんなものを感じたことのなかった闇は、どうあっても陰の月を他の命に取られたくないと思っている。だからこそ、炎嘉の呼びかけに応えて維月が、その気を送って来ることが妬まれてならないのだ。
「ほう。陰の月とな?陰の月は気まぐれぞ。あれが相手にする男など星の数ほど居るのではないのか。主も分かっておる通り、我はこのように美しい容姿。あれの好みよ…我の方が陰の月の求めに応えられ、より楽しませることが出来るからこそ陰の月は我に肩入れしておるのではないのか?」
闇は、体から黒いオーラを湧き上がらせて、ブンブンと首を振った。
「我の方が、陰の月を楽しませておるわ!主などたかが普通の神。闇と陰の月の絆など分かるまい!」
炎嘉は、フフンとそれを鼻で笑った。
「何が絆ぞ。たかが下僕の分際で。我がなぜにここへ来ておると思うておるのだ…このような、主が居るような危ない場所に。」
闇は、フーフーと息を荒くして言った。
「知らぬ!勝手に割り込んで来たのではないのか!我が、陰の月を惹きつけるのに憤っておるのだろう!」
炎嘉は、それには声を立てて笑った。
「そんなはずはあるまいが。我は、己で命を懸けて来たのよ。陰の月は殊の外危ない橋を渡るのが好きなようで…この美しい我が、己の気を惹くために命を懸けて、そうして死んで逝くのを見られると、それは嬉々として我を見ておる。そう、陰の月は今、我を見ておるのだ!主では無くの!」
闇は、グッと黙った。そう、陰の月はそんな性質だ。美しい顔が歪むのを見るのが楽しいと言っていた。それはそうだろう…だからこそ、自分もこの美しい型にリスクを冒して入ったのだ。
だが、自分は命を懸けてはいない。
命を懸けたという、この男の方を見ているというのは、本当のことだろう。だからこそ、陰の月はさっき、この男に気を送って来たのだ。
「そのような…!」闇は、もはや焦りの表情をしていた。「我は、それよりも陰の月の慰み者になりながら、あれの楽しみに貢献しておるのに!」
炎嘉は、わざと嘲るように高笑いした。
「何を言うておる!あれは主がそうして欲しいのだろうが!陰の月がそれに気付かぬとでも思うておるのか…いつまでも人型にこだわって死のうともしない下僕など、陽の月に任せて放って置くかと言うて、我の所へ参ったわ。もう、主は飽きられてしもうたのよ!」
闇は、愕然として、呆けたようにその場に棒立ちになった。紫翠が教えてくれたのは、闇が性的な快感を覚えてそれに我を忘れていると。炎嘉は、ハアと大袈裟にため息をついた。
「さあ、早う我を攻撃せぬか。我は死なねばならぬのだ。そのためにここへ来た。主が我を嬲る様を見せて、あれを楽しませてもっとあれの気を惹きたいのよ。」と、わざと狂気を目に映して、続けた。「そうして、外へ帰った暁には、あれに弱った我を散々に嬲ってもらい、そうして殺してもらうのだ!どれほどに心地良いことか…死するほど大きなあれの気をこの身に受けて、消滅して逝く心地を考えたら、我は今から身が震えるわ!」
闇は、その感覚を思い浮かべて、同じように身を震わせた。確か、闇は維月に殺して欲しいほどだと言っていたと、維月が言っていたのだ。炎嘉が今語ったことは、闇にとってそれは魅力的なことだったろう。
「そんな…ならば我がここで一気に主を殺してやろうぞ!」
闇が手を上げる。炎嘉は、それでも余裕の顔で、まるで恍惚としているような顔をした。
「主が殺す前に、己の楽しみを取られると陰の月が我を引き上げようの。おお、一度では我を殺すことは出来ぬぞ。だが威力が強ければそれだけ早く陰の月に会うことが出来よう。早う我を打て。さあ!」
炎嘉が、胸を開いて前へと反らすようにすると、闇は慌てて手を引っ込めた。
「何を…!そのようなことはさせぬ!」
炎嘉は、胸を引っ込めると、闇を睨んだ。
「…何を言うておる。ならば我を攻撃せざるを得ぬように、我から主を攻撃してやろうぞ!」と、気弾を放った。「さあ参れ!我を打て!」
闇は、思わずそれを避けた。炎嘉は狂気に満ちた笑い声を上げながら、そんな闇に気弾を降らせた。
「はっはあ、何を避けておるのだ!やはり主は命を捧げるつもりもないのよ!陰の月はそんなものお見通しぞ!そのままでは陰の月の心などものにすることは出来ぬぞ?ああ我は陰の月のために死ねる!あの慕わしい気の手に掛かって死ぬのだ!早う、早う我を打て!」
闇は、たまらず炎嘉へと気弾を放った。
炎嘉は、避けることも出来たが、それを真正面から受けた。そうして、草原に転がった。
「!!」
闇は、それを見て慌てて炎嘉に走り寄った。炎嘉は、そんな状態になりながらも、口を歪めて笑っていた。
「…その程度か。これではまだ陰の月は引き上げてくれぬ。もっと放たぬか!もっとぞ!」
こやつは、本当に陰の月に殺されようとしている。そうして、その最期の時に感じるだろう快感を期待して、こうして笑っているのだ。
闇は、首を振った。
「我よ!」闇は、立ち上がって空を見上げた。「我が!我がその栄誉を得るのだ!陰の月に見捨てられて長らえても何もない時しか我に許されぬ。我はその最期の瞬間のためなら、陰の月の手に掛かってというのなら、死しても良いわ!」
炎嘉は、同じように首を振りながら、身を起こした。
「何を言うておる!我はもう主を攻撃などせぬぞ!主はどうするつもりよ!陰の月はもはや主の声など…!」
しかし、闇は空に向かって叫んだ。
「陰の月!陰の月よ!」空が、何やらまだらに動いたような気がした。闇は叫んだ。「我が主に最高の快楽を与える!」
すると、紛れもなく維月の気がして、それに混じって陽の月の気が、殺さぬ程度に降りて来た。闇は、それを大手を広げて受け、そうして、人型は波打って薄れ、そうしてまたハッキリとした。
「馬鹿な!」炎嘉は叫んだ。「なぜに陰の月はそのような事を!」
闇は、炎嘉を嘲笑うように、掠れた声を上げた。
「やはり陰の月は主より我を殺したいのよ!我を殺す快楽を選んだのだ!残念であったな、ただの神が!」
空からは、まるで雨のように、維月の気と混じった十六夜の、陽の月の力が降りて、闇の体を形作っているものを嬲った。その度に、その体は宙に舞って地に叩きつけられ、闇は何度もその場に転がってはまた起き上がる。それなのに、その口元には笑みが浮かび、恍惚とその、痛みを受けていた。
炎耀が、その様を体を重そうに起こしながら、驚愕したような顔をして見ている。
炎嘉は、弱い陽の月の気しか降りて来ない事実に、維月はもしかして、陰の月に飲まれて、本当に闇を嬲るのを楽しんでいるのでは、と懸念したのだった。




