露見
汐は、トボトボと屋敷へと帰って来た。
というのも、嘉韻は王との緊急の会議に召集されて会うことが出来なかったのだ。また明日にも行くかと思っていうと、螢が学校の方から飛んで帰って来るのが目に入った。
汐は、足を止めて振り返った。
「螢。戻ったのか。」
汐が見上げて言うと、螢は降りて来て、言った。
「はい、父上。」
汐は、苦笑して言った。
「主も一人前になったのだから、いつまでも通っておらぬで王に申し上げて屋敷を戴き、きちんと世話すればどうよ。そのようだと、はぐれの神だからふしだらなとか言われるのだぞ。」
螢は、汐が何も知らず、まだ自分が静音に通っているのだと思っているのを、それで知った。なので、首を振った。
「いえ、父上。あの女は、他に男が居りまして。その男の子が居るので、もう通っておりませぬ。」
それを聞いて、汐は眉を上げた。そして、同情したような顔をすると、言った。
「…いろいろとあるもの。はぐれの神出身の女は時にそのようなのが混じっておるのだ。とはいえ、そんな女ばかりではないゆえ。他を探すが良い。」
螢は、苦笑した。哀れな男だと思われているのだろうな。確かに、そうだ。
だが、頷いて汐に従って屋敷へと入ろうとすると、汐がふと、足を止めた。
「…そういえば、主にいうておかねばならぬ。」
螢も、慌てて立ち止まった。
「なんでございましょうか。」
汐は、頷いて螢に向き直った。
「我は、結界外に残しておる子をこちらへ引き取れるよう、王にお話しようと思うておるのだ。主より僅かに年上であるが、主もそのつもりでな。」
螢は、びっくりした。まだ居たのか。居てもおかしくはないが。
「まだ父上の御子が残っておりましたか。」
螢が言うと、汐は少し考えてから、首を振った。
「…我の子ではない。だが、我のせいで独りきり、北東中央南の三つ目の集落に残されてしもうたのだ。」
螢は、息を飲んだ。もしかして…。
汐は、螢の顔色を読んで、頷いた。
「梓の子。我の子を産む前に、産んでおった子が一緒に居た。だが、あの頃の我はどうでも良かったゆえ…放って置いた。しかし、梓の気持ちを考えると、このままというわけには行かぬ。何やら事情があるようであったが、外ではあれも充分には生きられまい。ここへ、我の子として引き取ろうと思うておる。」
螢は、言葉に詰まった。ということは、母は自分の残して来た子について、父に話したのだ。父はそれを引き取ろうとしている…だがそれは…。
「…では、父上は王に?」
汐は、頷いた。
「今、嘉韻殿に取次ぎを頼もうと参ったが、お留守であった。取り込み中のようであるし、ならば明日にでもと思うておるのだ。」
螢は、迷った。汐が探そうとしているのは、薫のことだ。薫は、助けを待つのではなく母を探して自力でここへ来た。そうして、今軍に入っているが、恐らくは広い軍の中、まだ汐から薫を見ることも無かったのだろう。
しかし、探そうとしているのなら、早晩知れるのは間違いない。何より、母が父にその事実を話したのだ。
螢は、そう思い立って、言った。
「父上。」螢が、何やら決心したような顔をして迫って来るのに、汐は驚いたようだが、その場から動かなかった。螢は続けた。「その、子のことですが…もしかして、金髪のような茶髪に、赤い目の鋭い子だったのでは?」
汐は、驚いた顔をした。
「なぜに、知っておる。」
知っているはずがないのだ。
だが、螢は言った。
「その子は、薫。自力でここへ来て王に名を戴いて、軍へと入ったばかりです。まだ、お会いになっておらぬので知らなかったのでしょう。ですが、薫は父上のお顔を覚えていて、もうこちらへ母を確認に参っております。幸福であるなら、それでいいと言っておった。」
汐は、その場に固まった。もう、ここへ来ていたのか。たった一人で、どんな方法を使ったのか知らないが、そうして母を探し出し、その様子を確認して、尚黙っているのだと。
汐が驚いて声を出せずに居ると、屋敷の戸板の向こうから、すすり泣くような声が聞こえて来た。驚いた螢が戸を開くと、そこには梓が、崩れるように床に座り込んで、泣いていた。
「梓…。」
汐が、いたわるようにその背に手を置いた。今の話を、聞いていたのだろう。
「汐様…」梓は、涙の中から言った。「我は間違っておりました。我が子が幸福であるだろうと勝手に思い、諦めて…なぜに、落ち着いてすぐにこちらから探しに行ってやらなかったものか。あの子は、己でここへ来たというのに。そうして、我の様子を見て、声も掛けずに去っておったなんて…我は、我はこちらを気遣ってくれるあの子になんということを…!」
汐は、その背を撫でた。我が子を放って置いた自責の念は、痛いほど伝わって来る。
螢は、言った。
「父親のことは、聞かぬと言うておりました。ですが、薫は別に名を持っておるのだとか。母上、あなたにも、沙希という名があるのだと聞いております。」
梓は、ハッと顔を上げた。そうして、螢を見上げると、汐のことも見てから、首を振った。
「我は、もう沙希ではありませぬ。我は梓。王から戴いた名。そうして、最初は恐ろしいと怯えていただけでしたが、汐様はこんな我を、大切にしてくださいまする。我を妻としてきちんと遇して世話をしてくださるこのかたに、我は梓として仕えて、ここで生きて参ると決めたのです。もう、沙希という名は捨てました。だから…あの子にも、そのように。」
螢は、首を振った。
「母上、我からではなく、あなたからそれを申すべきです。」螢は、強い調子で言った。「薫は、あなたを案じて探してここへたどり着いたのです。ここで親子として暮らせなくても、薫に一度己から話してください。そして、見捨ててしもうておったことを、詫びてください。確かに薫は、もう何もあなたに求めてはいません。ですが、母親として、最後にけじめをつけるべきです。」
汐は、いつの間にかしっかりとした考え方を持って、結界内に住む軍神として育って来ている螢を、眩し気に見た。
梓は、そんなことを幼かった螢が言い出したことに驚いたが、確かにもっともなことなので、頷いて同意したのだった。
その頃、維月が碧黎と維心に挟まれて、月の宮へと到着していた。
そのままの状態で蒼の居間へと入って来た時には、維月はまるで捕まった犯罪人のようだと思ったが、十六夜が、笑って手を差し出した。
「ああ、来たか維月。で、説明するのに霧を使って見せたのか?」
さっき、十六夜の力を勝手に使ったのを気取ったからだろう。維月は、頷いた。
「そうなの。」維月は、急いで十六夜の手に飛びつくようにして寄って来て、その背に隠れるようにした。「お父様と維心様が、怒っていらして。」
十六夜は、顔をしかめて維月を背後に置くと、二人を見た。
「あのなあ、子供の遊びじゃねぇか。別に大事にならなかったんだし、今頃怒るなよ。気付かなかった自分達が悪いんだろうが。っていうか、維心は関係ねぇだろ。」
維月を庇っている。
恐らくは、ずっとこうして来たのだろう。十六夜が維月を背後に隠す様は、場数を踏んでいる慣れを感じた。
維心が言った。
「別に怒ってはおらぬ。だが、幼い子にそんなことを許しておったなんて、主も主であるぞ、十六夜よ。」
碧黎が、頷いた。
「我は禁じておったのに。主が多めに見ておったらやめぬだろうが。主が甘やかせ過ぎなのだ!」
そもそも双子の片割れに世話をさせるのもおかしなものなのだが、皆そこは考えないらしい。
十六夜は、通せんぼするように両手を腰に置いて、背後の維月が見えないようにした。
「どっちにしろもう終わったことだろ?今更ごちゃごちゃうるせえぞ。それに、今回はそれが役に立つかもしれねぇってのに。」と、維月を振り返った。「で、維月。お前今でも霧を使えるか?やってみたんだろ?」
「うん。ほら。」
維月は、頷いて手を上げた。すぐに、回りから霧が集まって来て手の上に浮く。十六夜の結界があるこの月の宮で霧が存在出来るのは、維月の力で呼び出すからだ。
それを見た皆が仰天して一斉に後ろへと下がった。憑かれてはたまらないからだ。
しかし十六夜は、慣れたように頷いた。
「やったな、すごいじゃねぇか。それが役に立つんだぞ。で、何か新技あるか。」
維月は、目を輝かせた。
「あのね、昔は花って言っても朝顔ぐらいしか作れなかったのに、今は薔薇も作れるのよ。蝶も、モンシロチョウじゃなくてアゲハ蝶が作れるようになったの!」
確かに薔薇の上にアゲハ蝶が飛んでおったな。
維心がそれを聞きながら思っていたら、十六夜は盛大に維月を褒めた。
「やったな!細かい細工が出来ねぇってベソかいてたのによぉ。」
維月は、得意げに胸を張った。
「それからね、打ち上げ花火が出来るの!見てくれる?」
十六夜は、頷いて側の窓を気で開いた。皆が何をするつもりなのだと気が気でない中、二人はそちらへと歩いて行って、維月は手の上に浮かべた玉を持ち上げた。
「見ててね!」
黒い玉は、打ち上がった。
と思ったら、青空に黒い花火が、パーンという音は無かったが、開いた。そうして、維月が手を上げると飛び散ったその花火はまた収束して、維月の手の上に玉を作った。
「ね?火薬が要らないし静かだし、再利用出来て経済的!」
夜だったら見えないけどね。
蒼はそう言いたかったが、十六夜は言った。
「真ん中から四方へ飛ばすのって難しいのにさあ。お前、いろんな技が出来るようになってるじゃねぇか。」
維月はフフフと笑った。
「もっとたくさんの霧があったら、もっと盛大に出来るんだけど、さすがにやらないわ。」と、唱えるように言った。「十六夜。」
すると、サッと月の浄化の力が降りて来て、黒い玉は跡形もなく消えた。
間違いなく、初めてではない。慣れている。つまり、何度もこうして十六夜と一緒に遊んでいたということだ。
そうして、後ろを振り返って、皆が退き気味に見ているのにハッと気づくと、維月は慌てて手を引っ込めた。
「あの…今は、やりませぬから。」
十六夜も、維月を庇うように後ろへとやると、言った。
「そうだぞ。嫁に行ってからはやってないからな。オレだって久しぶりに見たんだ。」
ということは、嫁に行くまではやっていたということだ。
紫翠が、庇うように言った。
「ですが、とにかく維月殿がそうやって霧を操れる事実を知れたので良かったではありませぬか。しかも、かなり扱い慣れておるよう。心強い限りです。」
それはそうだったが、問題は、維月が意識のある闇というものを、扱えるかどうかなのだ。
「確かに…維月がそれを出来るのが分かったところで、なんだけど、闇はどうなんだ?出来そうな感じか?」
蒼が言うと、維月は軽く首を傾げた。
「うーん、感覚的には、闇なんか何とでもなる、という気持ちになるの。これが、恐らくは陰の月の意識なのでしょうけど。気に入ったら考えてやらなくもない、って、そんな感じなの。とても上から目線で、見下しているような感じ。だから、きっと大丈夫だと思うわ。私は、陰の月の本来の意識のように、気に入ったらなんて思わない。絶対気に入るはずがないから。あの闇は最低。深の時とは大違いなの。」
十六夜は、維月を見て、頷いた。
「だったら、とりあえず光希の屋敷へ行こう。オレの結界に封じてるから、側へ行っても大丈夫だ。様子を見ようや。」
維月は頷いて、十六夜の手を握った。そうして二人で手を繋いで飛び立とうとすると、維心が慌てて後ろから割り込んで来た。
「待て!我も行く。」
碧黎も、やって来て維月の後ろについた。
「では我も。」
十六夜が、鬱陶しそうに眉を寄せたが、維月の手を握ったまま飛び上がった。
「お前らめんどくせえなー。」
そうして、飛んで行く四人を見て、後ろで見ていた蒼も、嘉韻も義心も紫翠、将維、炎託も共に、それを追って行った。




