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傷だらけの夜明け B

複数の修道士達に『聖魔法』と称される『治癒魔法』を施してもらい、僕は複数の人に支えられるようにして地下牢を後にした。

蝋燭に照らされた階段を上りながら、背後では僕が気絶させた修道士がヒステリーを起こしたかのように喚き散らしていた。


「私が魔族を一人ここに連れてきたときには既に獣人が逃げ出していたんだぞ!!最後にここの鍵を扱った奴は誰だ!だいたい、なぜ地下牢に護衛の一人も置いていなかったのだ!!そのせいで、この私だけでなく『神魔法の少年』まで危うく命を取られるところだったのだぞ!!」


とりあえず、彼を昏倒させた相手が自分であることには気づかれなかったようだった。

後は、僕がどうして地下牢に出向いたのかの言い訳だ。


「Mr.スマイト。君も魔族の手で気絶させられたのかい?」

「・・・はい・・・神魔法の疲労を少しでも癒すために休める場所を探して・・・あそこに入って・・・そこで、誰かに首を絞められたとこまでは覚えてるんですが・・・」

「そうか・・・おお、神よ・・・魔族に襲われそれでもこの少年の命が無事であるなんて・・・まさに奇跡だ」

「ええ・・・そうですね・・・」


気のない返事をしながら、ゆっくりと階段をあがる。

地下牢で冷えた身体を地上の柔らかな温もりが包み始める。

そして、僕は光の溢れる地上へとようやく足を踏み出した。

教会の大聖堂の裏手にある小さなホール。窓ガラスから見える外は既にオレンジ色に染まり、日が昇ったことを教えてくれていた。太陽の輝きに照らされたホールには修道士の恰好をした人達が集まり、支給された食事を腹の中に収めていた。食前食後の祈りもそこそこに、腹に素早く粥を流し込んでは、すぐに大聖堂へと戻っていく。そして、入れ替わるように別の修道士が入ってきては食事を受け取ってはまた去っていく。


そんなホールの片隅に僕は見覚えのある顔をみつけた。

ホールの壁際に座り込み、湯気の上がる椀を持ってコクリ、コクリと頭を揺らしていたのはルルであった。

いつもは白い彼女の肌は更に色を失って青くなり、手足は小刻みに震えている。もはや食事を取ることもできない程に疲弊した顔で、睡魔と戦いながらなんとか食事を取ろうとしている。


僕は彼女の姿を見て、自分の身体を支えてもらっていた修道士達の手をやんわりと外した。


「Mr.スマイト、もう大丈夫なのですか!?」

「ええ・・・あなた方の『聖魔法』のおかげでしょう。ありがとうございました」


八百屋の店先でやっていた接客用の笑顔と声音で愛想を振りまきながら、僕は彼等から離れる。

背中からはずっと心配するような視線が追いかけてきていた。僕は一度彼等を振り返り、苦笑いを浮かべて小さく頷く。


そんな小さな仕草に彼等が安堵してくれたのがわかった。


僕はふらつきそうになる身体を引きずるようにホールを歩いていく。

途中、僕のことに気づいた修道士達が声をかけてくる。


「Mr.スマイト。途中でお姿が見えなくなっておりましたから心配していたのですよ!」

「すみません。不用意なことをして・・・襲われてしまって」

「アギリア様!御無事でよかったです。もしかしたらヴァンパイアに襲われたのかもと皆心配していたのですよ!」

「・・・大丈夫です・・・聖水による祝福はもう受けましたから」


僕は当たり障りのない返事をしながら、この教会でほんの僅かしかいない気の許せる友人のもとへと歩み寄った。


「ルル」


僕が彼女の名前を呼んでも彼女は顔をあげなかった。

彼女は夢と現実の間を彷徨っているの顔をしていた。


ふと、横に目を向ければ彼女の隣にはベクトールが小さく丸まって倒れていた。

脇には空になった椀が転がっており、彼女の手には匙が握られたままであった。きっと、食事を食べつくした直後にそのまま倒れて眠ってしまったのだろう。


「・・・疲れたよね。そうだよね・・・」


二人とはたった数時間離れていただけであったのに、その姿は別人と見間違うぐらいに変わり果てていた。

目は落ち窪み、頬も少しこけたように見える。二人の指先は痛々しい程に赤くなり、あちこちが擦り切れていた。清潔だった服は血が点々と飛び散り、赤黒い染みとなって残っている。石の床にずっと膝をついていたせいか膝の部分は一部が破れていた。


僕が地下牢で過ごしている間も、彼女はずっと大広間で他の修道士の目を盗みながら人を救っていたのだろう。

僕はルルの隣に腰かけた。彼女の手の中の椀が傾きかけていたので、それを受け取る。その段階になってようやくルルは僕が隣にいることに気が付いたようだった。


「あ・・・アギー・・・いつの間に?」

「ルル・・・お疲れ様」

「・・・はい・・・私・・・頑張りました」


今にも瞼が落ちてしまいそうな彼女に僕は無理やり微笑みかける。

一晩中働き続けた彼女を前に自分の疲れた姿なんて見せられるわけがなかった。


「・・・アギー・・・」

「ん?なに?」

「・・・ダメですよ・・・」

「え・・・」


ふと、頬に冷たい掌が触れた。

ルルの細く、冷え切った掌が僕の頬に当たっていた。


「・・・そんな顔・・・しちゃ・・・ダメですよ」

「・・・ルル・・・」


ルルは今にも眠りそうな顔をしながらも、僕の目を覗き込んできていた。

彼女のエメラルド色の瞳の中に僕の酷く引き攣った笑顔が映っていた。


その顔を見て、僕は自嘲する。


どう取り繕ってもこんな顔で『疲れてない』と言い張るのは無理があった。

やはり、自分がタフになるには程遠いようだった。


「アギー・・・なにか・・・あったんですか?」


あった。たくさんあった。


大広間での祭壇の上で色々あった。

救える人を救えなくて色々あった。


地下牢の中でも色々あった。

救える人を救えて色々あった。


でも、結局浮かんでくるのは失ったものばかりだった。

耳の奥には今も悲痛な声で僕の名を叫ぶ声が残っていた。


「アギーも・・・頑張ったんですね」


ルルの優しい言葉がしみ込む。

それは自分のもっとも脆くなってしまっている場所に的確に入り込んでいく。

乾ききった土に水を撒くかのように、僕の心が解きほぐされていく。


その言葉に甘えることができたらどれだけ楽であろう。

『僕も頑張った』と言って縋りついてしまえばどれだけ楽だろう。

彼女に泣きついて、嗚咽を漏らせればどれかで楽になれるのだろう。


「ルル・・・」


だが、僕にはそれをすることができなかった。


それだけはしてはいけなかった。


「違うよ・・・違うんだよ・・・」

「アギー・・・」


僕は唇を噛みしめ、熱くなってくる目頭を瞼を閉じて耐える。

悲しみが流れだしてしまわないように。自分が引き起こした悲劇を胸に刻んでおくように。

僕は涙をこらえて、顔をあげる。


俯けば涙が零れ落ちてしまう。


ルルの手が僕の頬から離れていった。


「僕は・・・何もできなかった・・・何もしなかった・・・『頑張った』なんて口が裂けても言っちゃだめなんだ」


救った命もあった。

獣人や鬼人達からの感謝の言葉も貰った。


だが、それで失ったものが戻ってくるわけではなかった。


「『頑張れなかった』よ・・・僕は・・・」


その言葉を聞き、ルルの表所が曇る。

彼女も大広間に響き渡った絶叫は聞いていただろう。

あの場で何が起きていたのかは知っているはずだ。


「・・・・・僕は・・・人を殺してしまったのと同じだ・・・」


救える人を救えなかった。それは罪に問われないだけで、殺人と変わらない。

罰の無い罪が胸の奥に居座る。罪悪感が心臓を破壊しそうな程に胸を締め付けていた。

息を吸うことも、吐くことも許されないような気がして、呼吸が浅くなる。


僕は震える口元で息を吸いこんだ。


そんな時だった。


「・・・それは・・・アギーだけじゃない」


少しくぐもったような声がした。


「あたしも・・・救えなかった・・・」


少し震えたような低い声。それはルルの向こう側から聞こえてきていた。

ベクトールの声だった。


「エステン・ブルームさん・・・バラン・ノームさん・・・・・・ピリカ・アッシュさん・・・・・・」


一人一人の名前を呼ぶ毎に、声が少しずつ詰まっていき、次第に涙声になっていく。


「・・・あたしも・・・死なせた・・・死なせてしまた・・・・・・・何も・・・できなかった」


ベクトールのその声に僕の胸が一際締め付けられる。

彼女がここまで感情を剥きだしにしているところを僕は始めて見ていた。


ベクトールの顔は僕からは見えない。

きっと彼女も見られたくはないだろう。


ただ、僕にはベクトールが両腕を目元に押し付け、涙を止めようとしている姿が見えるようだった。


「・・・あたしも・・・『頑張り切れなかった』・・・」


そんなベクトールの声を聞き、ルルの手が強く握りしめられ、そして震えた。

それを見て、僕も悟った。


彼女も同じ経験をしたのだ。同じ罪を負ったのだ。


失った命を数え、自分に『仕方がない』と言い聞かせて、それでも別の患者を救い続けて夜を越えたのだ。


だが、ルルはそのことを決して顔には出さなかった。

強張ったのは掌だけ。彼女は慈愛の表情を浮かべたまま、ベクトールの頭に手を置いた。


その全てを受け入れたようなルルの横顔が、泣き顔よりも胸に刺さった。

その顔を僕はそれ以上見てられなかった。


「・・・ルル」

「えっ・・・」


彼女の頭を抱え、自分の肩に彼女の顔を押し付ける。腕の中に彼女の丸みのある頭があった。

櫛も通らない程に荒れた髪の中に僕も顔をうずめ、彼女を強く抱きしめる。


「あ、あの・・・アギー・・・あの・・・離していただけますか」


その言葉と裏腹に、その声は泣き出す直前のように震えていた。


誰しもがこの夜に傷を負った。

涙を流すまいと堪えようとしていた。


だが、ベクトールが涙を流したんだ。


感情をいつも見せない、頑固者のドワーフが泣いたのだ。

だったら、人間やエルフが泣いたっていいじゃないか。


「ごめん・・・少し・・・こうさせて・・・」

「・・・・アギー」

「僕も・・・泣くから・・・」


その言葉が最後の一突きだった。

自分の涙をせき止めていた壁が決壊する。

それと同時にルルの口からも嗚咽を押し殺した声が聞こえてくる。


ベクトールが泣き、ルルが泣き、僕が泣いていた。


傷だらけの治癒魔道士が三人。


神に背く魔法を使って人を救った三人が、明け方の教会の片隅でひっそりと涙を流し続けていた。

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