傷だらけの夜明け A
どれほどの間、治癒を続けていたのだろうか。
星も月も見えない地下牢の中では時間の感覚すら曖昧だった。地下牢を照らす蝋燭の減り具合からおおよその時間はわかるものの、治癒に夢中になっていたせいか自分の感覚からすればほんの30分前後しか経っていないような気がしていた。
だが、10人前後の人達全てに浄化魔法を注ぎ込んだことを考えれば、既に2時間近くは経過しているはずだった。
地上の大広間のことは気にかかったものの、あの場に今更戻ることはできない。
あそこにいても『僕』にできることはただ祈ることだけしかできないし、ここにいる人達を放置することは自分にはできなかった。
それに、上にはディスダム神父がいる。
奴のことは気に食わないし、はっきり言って嫌いだが、その能力の高さは本物だった。
『神魔法』がなくたって、あの人はこの状況における最善の結果を得るだろう。
俺に今できることはここにいる人達に1人でも多く治癒魔法を注ぎ込むことだった。
傷を負った人を最優先にし、感染者の血液に触れた人や接触の可能性が低い人にも念のために浄化魔法を注ぎ込んだ。
そして、点滴を入れている時間を利用して『神魔法』で小さな怪我を治していく。
「ググリゲさん、傷を見せてください」
「ああ」
この地下牢に最初にやってきたというググリゲの傷を診れば、ヴァンパイアの傷に特徴的な紅斑が少しずつ消えているようだった。
『僕』がこの場にきて最初に治癒を施した少年であるダダネの方も身体の血色が大分よくなっていきていた。揺り動かせば目を開け、少し眠そうながらも明確な返事をしてくれる。
ビヌの力も借りつつ全ての人の治癒を終えた頃には既に地下牢の蝋燭の火は消えかかっていた。
「・・・・・・・・はぁ・・・」
そして、最後の患者の紅斑が消失傾向にあることを確認し、僕は大きく息を吐きだした。
力尽きたように地下牢の真ん中にへたり込み、胡坐をかいて俯く。
大きく深呼吸をすれば、久々に酸素を吸いこんだかのような痛みを伴った。心臓の音がやけに大きく聞こえ、拍動に合わせて頭痛が走る。
達成感や高揚感など欠片もない。ただ全身を包む倦怠感と睡魔が自分の意識をどこかへと運んでいこうとしていた。
「・・・おい、おいアギリア」
「ん?」
ビヌが僕の肩を叩く。力尽きたような顔で彼女を見上げれば、そこには焦ったように僕を見下ろす彼女の顔があった。
「大丈夫か!?動けるか!?」
「ああ、うん・・・どうだろ・・・」
腕が重くて上がらなかった。足を動かそうとするが震えるばかりで力が入らない。
魔法の使い過ぎだった。
血液に流れる魔力を用いる魔法は使いすぎると貧血に似た症状を起こす。『神魔法』だけは例外らしく、いくら使っても息切れすることはないものの、今日はそれ以上に『浄化魔法』や『水魔法』『土魔法』などを使いすぎた。
考えてみれば、ヴァンパイアの眷属に襲われた時に『竜の精霊』に干渉して強力な『風魔法』も発動している。
自分の魔力の限界は理解しているつもりだったが、今日は明らかにその限度量を越えていた。
「動けねぇのか!?なら、アタイが代わりにやる!何をすればいい?」
「え・・・あ・・・そっか・・・」
彼女の真剣な表情を見て、僕は自分が現状の説明を何もしていないことに気が付いた。
ふと顔をあげれば心配そうに僕を見つめる視線が何対もあった。
ただ、それは僕の身体を心配してくれているわけではない。僕が治療途中で倒れたかのように見えたから自分達の心配をしているだけだ。
「大丈夫・・・ひとまず・・・危機は越えたと思う」
「え?ほ、ほんとか?」
「うん・・・でも、正直言って絶対ってわけじゃないから・・・できればしばらく動かないでいてくれるとありがたいんだけどね・・・」
「しばらくって・・・どれぐらいだ?」
「えと・・・」
そして、僕はラックが襲われた時のことを思い出していた。
彼女はベッドの上で一週間は安静を言い渡されていた。
だが、この人たちをこの牢屋で一週間も安静にさせることなどできるはずもなかった。
教会にそんなに長く留まっていれば、なにか理由をつけて処刑されるのがオチであろう。
そして何よりこんな冷たい地下牢に彼等を長時間放置するのは治癒魔道士を目指すものとして失格もいいところであろう。
「・・・・・・どうしよっか・・・」
そして僕はゆっくりと自分を見つめる人々を見渡した。
「・・・皆さん・・・帝都に住んでるんですか?」
その質問に各々が曖昧なまま頷く。
「なら、また明日・・・いや・・・ここから逃げた後・・・ナルグバード魔術学園に行ってください・・・そこで、治癒魔道士の診察を受けて・・・それから・・・その指示に従ってください・・・」
「・・・それじゃあ・・・アタイ達はもう・・・逃げていいのか?」
僕は声を出す気力も失い、首肯するだけでその返事とした。
「ホントか!!よし!そんじゃあ、さっさとこんなとこ出よう!!鍵はアタイに任せろ!!」
地下牢の中からホッとしたような空気が流れる。
そして、彼等はすぐさまに移動を開始した。
足を怪我した人は『神魔法』で治した。
体力を消耗しすぎて動けなくなった人は鬼人の人達が率先して担いでいる。
髪を剃られた獣人の女性が上の様子を確認しに階段を駆け上がっていった。
一人残らずここから出ていけそうな様子を見て、僕は力無く瞼を閉じた。
正直、もう今すぐにでも眠ってしまいたかった。このまま意識を失うのにもう数秒もかからないだろうと思われた。
「アギリア・スマイト」
「はい・・・なんでしょう」
男の声で名を呼ばれ、無理やり顔をあげる。
身体に染みついた礼儀作法というのはそう簡単には抜けてくれないようだった。
僕が顔をあげると、そこには自分の息子を背中に担いだボンが立っていた。
「・・・本当に・・・礼を言う・・・本当に・・・ありがとう」
僕に向かって頭を下げてくれるボン。
しゃがみ込んでいる僕からはその瞳に滲む涙を見ることができた。
その言葉だけで、この夜が無駄でなかったかのような気がしてくる。
「いえ・・・でも、僕がやったのは応急処置に過ぎません・・・必ず魔術学園に行くか・・・他の治癒魔道士に診せるだけでもいいんで・・・」
「ああ、必ずそうする・・・」
そして、ボンはふと周囲を見渡して、もう一度僕へと目線を向けた。
「それで、お前はどうするんだ?」
「え・・・あぁ・・・そうですね・・・・」
ふと、隣を見ればビヌが他の人が立つのを手伝いながら僕の方をチラチラと見ていた。
「・・・・・・そうですね・・・動けないんで・・・ちょっと寝てから・・・上に行きますよ・・・」
「・・・それは・・・大丈夫なのか?お前は俺達を助けたんだ・・・そいつが教会にどんな言いがかりになるかわからないわけじゃないだろ?」
「え・・・ああ・・・そうかもしれないですね」
異端審問のことを言っているのだろうが、今の僕にはそのことを考えられる程には頭が回らなかった。
それに、自分の『神魔法』はディスダム神父にとってまだ利用価値があるという考えもあった。
『神魔法』自体の有効性ではなく、僕が田舎で積み上げてきた『神魔法の少年』という名前と実績にはまだ価値があるはずだ。
それを考えればすぐさま処刑になることはないだろう。
確かに何かペナルティを負う可能性はあったが、そんなことはもう今更だった。
「でも・・・いいです・・・置いていってください・・・」
僕がそう言うと、それを聞いていたビヌが勢いよく立ち上がった。
「な、なんならアタイが担いでやるぞ!アギリアぐらいならアタイでも担げるぞ!」
「気持ちだけ受け取っておくよ・・・でも、いいんだ・・・」
僕は教会の中にいなければならない。
なぜなら、僕にはまだ友人達がいる。彼等の安全は僕が教会に協力することによって成り立っている。
もしここで逃げ出せば今度は彼等が地下牢にぶち込まれる。
なんなら、この場で襲われたことにしてしまえば、戻らなかった理由にもなるし、同情票も貰えるかもしれない。僕はこの場に留まることが一番だった。
「・・・・・・アギリア・・・」
僕の前に今度はググリゲが立っていた。
彼の肩の傷は焦って治したせいか、少し肉が盛り上がり、醜い傷跡となって残ってしまっていた。
自分は得意とする『神魔法』でさえ、完璧に扱えていないことのいい証拠だった。
それでも、傷の周囲に見られていた紅斑が完全に消失していることから僕のしたことは間違いではなかったようだった。
彼は今まで僕が見てきた中で誰よりも深々と頭を下げた。
「・・・代表して謝罪する・・・色々と・・・すまなかった」
「え・・・」
「皆、悪気はなかったんだ・・・だが、こんな状況で『人間』を信じることがどうしてもできなかった」
「・・・わかります」
「・・・すまない・・・そして、ありがとう」
その一言が胸の奥に染みこんでいく。乾ききっていた心に潤いが戻るかのような気分だった。
だが、その胸の奥に刺さった鋭い棘が抜けることはない。
『アギリア・スマイトぉおおおおお!あんたはそこでなにしてんだぁあああああああ!!!』
『あんたが!!あんたが救ってくれるって言っじゃないか!あんたが!!あんたがぁあああ!!』
彼の悲痛な叫びが今も鼓膜の奥にこびりついていた。
僕は自嘲するように笑い、首を横に振った。
「・・・安心はしないでください・・・僕は本当にただの一年坊主です・・・今回の治癒が絶対に成功しているとは言い切れない・・・必ず・・・必ず・・・」
「ああ、俺が責任をもって全員を魔術学園まで送り届ける」
その時地上の様子を見に行っていた獣人の人が戻ってきた。
「外は誰もいない。それと、もうすぐ夜明けよ」
夜が終わる。月が沈み、ヴァンパイアの夜が終わる。
その知らせは今日という一日の中で誰しもが待ち望んだ瞬間だった。
皆が歓喜に沸く。
その声を聞きながら僕は目を閉じようとした。
「アギリア・・・さん・・・」
髪を剃られた彼女が後ろで頭を下げている気配が伝わってくる。
「ありがとう・・・ございました」
僕はもう力無く頷いて聞いていることを示すことしかできない。
その後も牢屋にいた人達が礼を述べては去っていく。
僕は彼等が階段を上っていく足跡を聞きながら、最後の気力を振り絞って返事をしていた。
「アギリア。本当にあんた・・・すごかったよ」
それはビヌの声だった。
「もし、なんか開けたい鍵があるなら、アタイのことを探しとくれ。普段は人間になんか手を貸さないけど。あんたなら格安で仕事したげる」
その言葉を夢現の狭間で聞いていた。彼女がどういう仕事をしているのかを今更問い詰める気はなかった。
「・・・アギリア」
そして、最後まで残っていたのはググリゲであった。
「・・・・・・・・」
彼は僕の後ろに回り込んでいた。彼の腕が僕の首に回る。触れた彼の腕から躊躇うような空気が伝わってくる。
彼がこれから何をしようとしているのかが僕にはわかっていた。
そして、それがこの場で最善だということもわかっていた。
「・・・すまない」
「いえ・・・ありがとう・・・ございます」
その直後、彼の太い腕が僕の頸動脈を締めあげた。必要以上の力を込めてくれたのは、首に締め上げた痕跡を残すためだろう。一瞬で脳への血流が途切れ、視界が薄暗くなっていく。
だが、そんなことをせずとも僕は意識を失う寸前だった。
僕は柔らかな眠りに落ちるような心地よさと共に意識を手放した。
それからどれ程、眠っていたのだろう。
僕は夢を見ることもなく、深い眠りの中にいた。
そして、次に僕が気が付いた時、僕は修道服を着た男性に揺り動かされていた。
「アギリアさん!!大丈夫か!!大丈夫か!!」
「・・・う・・・あ・・・」
「気が付いた・・・良かった、よかった・・・君は『神魔法の少年』なんだぞ!自分を大事にしなくちゃだめじゃないか!!」
神父の説教のような言葉を聞きながら、僕は霞む目で地下牢を見渡す。
そこには獣人も鬼人もいない。
誰もいない薄暗い地下牢で僕は数人の修道士に囲まれていた。
「・・・ヴァンパイア・・・は?」
「え?あぁ、もう大丈夫だ・・・ヴァンパイアは教会の聖騎士が討伐したとの連絡があった。都に散らばる眷属達も時機に全て駆逐されるだろう」
「そう・・・ですか・・・」
僕は修道士達が僕の首の痣を消すための聖魔法の詠唱を聞きながら、肺に溜まった空気を吐き出した。
ヴァンパイアの夜はこうして終わりを告げたのだった。




