彼の力になりたくて2
「調査を…シータ、やってくれないか?」
命令というよりは頼み、という様な感じだ。
ふと時計に目をやると、午後の授業はもう始まっている時間だという事が分かった。
今さら学校に戻るのも何だかきまりの悪い感じがするので、クシイの申し出を受けるのも良いかと思う。
エンの件はミズホに頼んだのだから、恐らく大丈夫だろう…そう、エン――
「分かりました。調査は私がやります。えっと、それで話は変わるのですけれども、エンの件は大丈夫なのでしょうか?」
不意に頭にその事が浮かび、クシイに尋ねる。
こんな事態になって、クシイが時間を取れなくなったなどと言われたら、わざわざエンを呼んだのが無駄になってしまう。
私としては、この問題を先送りにするのは避けたいのだが、事の重大性からしてクシイが時間を取れなくなる事は十分に有り得る。
「いや、その件は大丈夫だ。約束の時間はちゃんと空けてあるからな。君が調査してくれるって言うのなら仕事も減る。…まあ、それで何かあったとしたらどうなるか分からないが…」
そこでクシイは、ちらりと壁掛け時計に目をやる。
おそらく、予定が詰まっているのだろう。
「これから私は別の任務で本部に戻らなくてはならないのだが、何かあったらすぐに連絡しろ」
そう言い終わった所で、クシイは声をひそめて呟く。
「…と言っても、何かあったらベータが黙っている訳がないがな」
けれども、その小さなクシイの言葉を私は聞き逃さなかった。
「ベータ? どういう事です?」
驚きを隠す事が出来ず、私は思わずそう声を出してしまった。
ベータというコードネームを持っている人物は、私達FOLSの最高責任者の一人である。
と言っても、私はその姿はおろか声すらも聞いた事は無いのだけれども。言うなれば、雲の上の人とでもいったところか。
FOLSの創設に大きく関わっているという話で、彼女無しではFOLSは無かったと言われている。彼女、というのはベータが女性であるという話を聞いた事があるからだ。まぁそれは噂程度の話で、真偽の程は定かでは無いのだけれども。
とにかく、ベータが出てくるというのは並大抵の事ではないのだ。それが出てくるかもしれないという事は――
「そんなに状況は芳しくないって事なんですか?」
立て続けに質問を口にする私。
と、クシイは苦い表情を浮かべて、
「おいおい、早とちりしないでくれよ。例えばの話だよ、例えばの」
苦笑混じりにそう口にする。
「万が一の話さ。まあそうなったとしても、シータはベータと会う様な事にはならないさ」
どこか引っかかるような物言いだが、言い返す言葉が見つからない。
私は、開きかけた口を閉じるとソファーから立ち上がる。
「じゃあ、私はそろそろ調査に向かいます」
軽く会釈してその場を後にしようとする。と、
「何も無いと思うが、くれぐれも気を付けてな」
「はい」
後ろを振り返りそう答えると、私は玄関へと向かう。ワープするにしても靴を履かない訳にはいかないからだ。
と、そこにあったのは、
「内履きだったんだ…」
私は苦笑いを浮かべつつ、懐から銀のプレートを取り出す。
このプレート、朝は鞄に入れていたのだけれども、昼休み、自分の席を離れる際にしっかりと取り出して持ってきていた。
つまり、鞄は学校に置いたままという事だ。特に入用な物が入っている訳じゃないから、別に問題ない。
けれども、靴がないのは困る。
私は内履きを持ち、プレートを強く握ると、
――――学校の生徒玄関へ――――
強く念じた。
今は授業の真っ最中。生徒玄関にいる者などいないだろう。そう思って、私は目を閉じた。
「ピンポーン」
どこにでもある、一般的な家のチャイムの音。
私はパタパタとスリッパをならしながら玄関へと急ぐ。
扉を開くと、そこには一人の少年が立っていた。上下揃ったジャージに動きやすそうなスニーカー。ぱっと見はジョギングの帰りの少年という様な感じだ。
「いらっしゃい。時間通りですね」
そう言って中へと招き入れる。
「お邪魔します」
緊張でもしているのだろうか。おずおずとそう言った少年の表情は硬い。
私はスリッパを用意して少年の前に置く。
「こっちです」
入ってすぐの所だが、私はリビングルームへと少年を導き、ソファーに座るよう促す。
「父はもう帰って来ているんですが…」
時計を見上げると既に八時を回っていて、八時一、二分といったところだ。
クシイはまだ来ていない。
クシイは約束は守る人なのだが、それが時間に遅れているという事は、昼間の件がやはり尾を引いているという事なのだろうか……。




