彼の力になりたくて3
「今、父はお風呂に入っている所なんです。もう少し待ってもらえますか?」
とは言うものの、来れなくなったり、大幅に遅れたりする場合は、時間が来る前に必ず連絡をくれるはずのクシイを信じ、少し遅れるだけだと判断した私はそう嘘をつく。
「別にかまわないよ。無理を言っているのはこっちの方なんだから」
エンはにこやかに答えると、少し肩の力が抜けたのかほっとしたような表情にもなる。
私はその場にエンを残すと一人台所へと向かう。飲み物でも用意した方が良いだろう。
冷蔵庫を開けると、コーラのペットボトルが一つ。他に目に付く物はない。
特に私はコーラが好きだという訳では無いのだが、偶然にも先日買った物が残っていたのだ。
ガラスのコップを二つ取ると、それにコーラを注いでいく。シュワーッという音が妙に頭の中に大きく響き渡り、コップに満たされていく黒い液体に何故か見入ってしまう。
危うくこぼれそうな所でやっと我に返り、手を戻す。
何かが頭の中で叫ばれている。そんな気がしてならない。
まるで、これ以上エンに関わってはいけないとでも言っているかの様な、不安な感じがする。
私は頭を振って気を取り直す。
「別に、嘘を付くのは仕方がないこと」
エンに対する後ろめたさからそういう気持ちになっているのだと思った私は、自分にそう言い聞かせる。
そして、お盆にコップを二つ乗せるとリビングへと戻って行った。
私は自分の部屋へと戻っていた。
エンにコーラを出した後、父親の様子を見てくると言って奥に引っ込んできたのだ。
今は八時十分。そろそろクシイが来てくれないと、エンが不審に思うだろう。
やはり、まだ帰って来てないと言っておいた方が良かったのだろうか…。
そんな事を考えていると、目の前の空間が歪んだ様に見える。そして次の瞬間、目の前に私服姿のクシイが立っていた。
「すまない、着替えに時間を取ってしまった。こんな服、そうそう着る機会がないからな」
謝りながら、少し照れ臭そうに自分の姿を見直すクシイ。
「もう来れなくなったのかと思いましたよ。昼間の件もありますし」
私は胸を撫で下ろす。
同時に、滅多にないクシイの私服姿を目にして少し違和感を覚える。何しろ、私は今までクシイの制服姿しか見た事が無かったのだから。
いつもぴしっとして、てきぱきと仕事をこなしているクシイが、どこにでもいるような普通の中年のおじさんの様な格好をしている。…どうもイメージに合わないな。
そんな私の視線を感じ取ったのか、クシイは、
「そうじろじろ見ないでくれ。私も似合わないとは思っているのだ」
と、苦笑いを浮かべる。
「と、そうだそうだ。昼間の件は、今の所は何も問題が起こっていないという事で先送りになったよ。シータが調査した結果にも何も無かったからな」
昼、クシイと別れた後、私は一人で例の社へと向かった。
眼で見た限り、つまり物理的には何も異常な所は見つからなかった。例えば、壊れていたり、傷ついていたりといった様な。
そして、アルドを調べてみても結果は同じで何の反応もなかった。ごく自然のままのアルドの流れが感じられただけで、全く乱れている点など無かったのだ。
「そうですか。先送りですか」
「と言っても、まだ現状をきっちりと見張ってなければならないからな。もし何かあったらすぐにでも飛んでいかなければならない。エン=スガムラの件が片付く前に呼び出されない事を祈っていてくれ」
冗談でも言っているかのような口調。けれどもそれが冗談では無い事は、私にははっきりと分かっていた。それがFOLSなのだから。
「祈っていますよ」
私は微笑を浮かべ、クシイの言葉に答えた。
「ところでクシイ、そろそろリビングの方へ行きませんか? あんまり彼を待たせるのも変に思われるかもしれませんし」
その言葉がクシイに与える影響を私はあらかじめ予想していた。予想していながら、私は何でもないように言ったのだ。
そして、その反応は私の思った通り――
「彼? 彼というのは、エン=スガムラがもう来ているのか?」
これは別に、エンが時間通りに来ていた事に驚いた訳ではない。
これは、クシイが私以上にアルドに敏感だからこその驚き。
「リビングには人のアルドは感じられない。虫の様な小さな生き物のアルド位しか――」
「そうです。でも、エン=スガムラはそこにいるんです。さあ、行きましょう。行って会えば分かりますよ。昨日言った話したい事っていうのはこの事なんです。私も驚いているんですから」
そう言って私はクシイの背中を押す。
「そうそう、お父さん! お父さんは今までお風呂に入ってたって事になっていますから」
耳元で小さく囁くと私はリビングへと向かった。
「ごめんなさい、エン君。待たせてしまって。お父さん、早く!」
廊下に向かって叫ぶ。
クシイはリビングに来る途中、風呂場に寄っているのだ。流石に風呂上がりに髪も濡れず、少しもほてった感じを見せずにやって来たらおかしいだろう。
咄嗟の嘘だったとはいえ、少し失敗してしまった。誤魔化せればいいのだが。
と、部屋に入ってきたクシイは、
「いやあ、すまないすまない。待たせてしまったようだな」
まさに風呂上がりそのもの。一体どうやったのだろう、この一、二分の間に。
「初めまして、私がシータの父です」
「は、初めまして、エ、エン=スガムラです!」
本当に緊張している様で、不自然に声が大きいエン。立ち上がって頭を下げる。
「ははは。まあ楽にして」
クシイはエンの前のソファーに腰を下ろし、私もその横に座った。




