一刀、刺客に襲われる
次、次こそは、一週間で。
「それで一刀、その蜂蜜酒というのはどんな味がするのだ?」
「ごめん。俺も名前だけ知ってるだけで飲んだことはないんだ」
一刀は鈴々の後ろを追う形で山中の道を確実に踏みしめながら、余裕があれば蜂蜜酒の作り方を調べてみるのも悪くないなと考えたりした。彼のイメージの中では蜂蜜酒というのは中世ファンタジーに出てくるものだったので、こちらの技術でも作れるのではないかと思ったのだ。
「麦で作った酒、芋で作った酒、果実で作った酒、蜂蜜で作った酒。なんとも夢が広がる話なのだ」
隣で相好を崩している鈴々を眺めながら、一刀は苦笑を形作った。
「確かに、鈴々や祭さんみたいな人間にとっては天国みたい環境かもな」
「鈴々たちだけの話じゃないのだ。一刀が今朝言ってた、"すいーつ"とかいうのだって、沙和あたりが聞けば生まれる世を間違えたとむせび泣きそうなものなのだ」
「確かに、こっちで甘味って言ったら、基本的に果物の類だけだもんな」
その果物もあんまり甘くないんだよな。一刀は口には出さなかったが、心の中でそう付け加えた。
実際、品種改良された果物が溢れ、コンビニで名だたるパティシエが監修した菓子を容易く買うことが出来た時代で暮らしていた一刀にとって、こちらの時代の甘味というものはあってないようなものであった。
そのような状況でも我慢できたのは、突き詰めてしまえば甘味が嗜好品に過ぎないからであったが、なまじパンなど作ってしまったばかりに一刀の舌はありし日の贅沢を思い出してしまったのだ。
一刀は最初、ストレートに砂糖を作ろうとしたのだが、これは原料である砂糖大根や砂糖キビを調達する術が見つからずにご破算になった。しかし、食い気というのはやはり貪欲なもので、彼は昨日、代案を思いついたのだった。
養蜂。それが彼のたどり着いた結論だった。
「しかし、変なのだ。ここら辺から、甘い匂いがただよって来てるのに、蜂一匹姿を見せないのだ」
熊に先を越されたのだろうか。鈴々は一瞬そう考えたが、すぐにその考えを捨て去った。獣臭もしないし、そもそもここら辺の山に生息していた熊は彼女が全て狩りつくしたはずだったからだ。
原因をどうにか突き止めようようと鈴々が鼻に意識を集中させていると、先行していた凪が斜面をものともしない駆け足で戻ってきた。
「御二人とも申し訳ありません。蜂の巣はこの付近には見当たりませんでした」
その言葉を聞いて、一刀は木々の間から日の高さを確認すると迷うことなく結論を下した。
「じゃあ、また今度にするか。別に急ぐようなことでもないし」
「一刀、そうつれないことを言うものじゃないのだ。まだまだ日の光が照ってるのだ」
「いや流石に俺、夜の山を降りる自信はないからさ」
山には危険が満ちている。たとえ、それが物理的には一刀を脅かしはしないとしても、鈴々たちは彼をフォローしようとするだろう。人にわざわざ迷惑をかけたいと思うほど、一刀は酔狂な人間ではなかった。
「いざとなったら、鈴々がおぶって降りればいいだけの話なのだ」
一刀は自分が鈴々におぶさられている図を想像して、小さく頭を振った。
「できれば、それは遠慮したいな。っていうか、鈴々、そこまでしたくないの?仕事」
一刀の質問に、鈴々はおもむろに彼から視線をそらした。図星をつかれた証拠である。
そもそも今回の山入り自体、朝食の後、腹ごなしに凪を連れて屋敷の回りを歩いていた彼が鈴々とたまたま出会った際に、ぽろりと出た話題から急遽決まったものなのだ。
そのときは鈴々の勢いに押しきられてしまった一刀だったが、彼女の意図は透けて見えていた。
「別に働きたくないわけではないのだ。ただ、あれは仕事とは呼べないと思うのだ」
口をへの字に曲げながら、わき道を刀で切り開いていて、往生際悪く探索を続ける自分のところの大将を、凪が何とも言えない顔で眺めていた。どちらかという愚直の部類に入る彼女からすると、鈴々の意見も分からなくはないのだろう。しかし、同じ愚直さが彼女に諫言を口にさせた。
「ですが鈴々さま、人からどう見えるかというのも上に立つ者にとっては大切なのでは?」
「鈴々が上に立つのが不満なら、刀で決着を付ければいい話なのだ。礼儀とか、礼法とか、そういうのは結局のところ上っ面なのだ。何で、そんなものを鈴々が覚えなくてはならないのだ?」
国香たちを配下に収め、日に日に力を蓄えていく鈴々たちの下にはその武を頼って、彼女たちの勢力地の外からも様々な陳情が持ち込まれるようになってきていた。その大半は、平将門本人が出てくる必要のない些細な土地や水の使用権をめぐるいざこざの調停の依頼だったが、なかには有力な土豪が様子伺いをかねてやってくる場合もあった。
そういったときは鈴々との面会も当然設けられる。しかし、そこでの鈴々の態度はお世辞にも洗練されたものとは言えなかった。中にはそのような彼女のあけっぴろげな態度に好感を覚えた人間もいたものの、多くに関東の人間にとって平将門とは都からやってきた貴種の末裔なのであって、そういう人々からすれば、鈴々のざっくばらんさというのは幻滅の対象でしかありえなかったのだ。
そこで急遽、祭が中心になって鈴々に礼儀作法を教え込む会が発足したのだが、肝心の本人には今回のように逃げ回っているのだった。
「しかし──」
ずんずんと進んでゆく鈴々たちの後を追いながら、二人の議論は平行線だと察し一刀は、言い募ろうとする凪を手の動きだけで押さえた。
「鈴々が言ってることは分かるよ。けど何っていうか、視野が狭いかな」
「どういうことなのだ?」
「例えばだけどさ、鈴々は一万人の相手に一人で勝てる?」
一刀の質問に鈴々は眉をひそめると、己の両手を見つめて指折り何かを数え始めた。
か、数えるような質問なのだ。一刀は後ろにいる凪と共々どん引きだったが、計算そのものは割合すぐに終った。
「鈴々では、勝てそうにないのだ」
逆にどれくらいまでなら勝てるんだろう。一刀は喉まで出かかった質問を飲み込むと、脳みそをフル回転させて作った理屈へと鈴々を誘導していった。
「じゃあ、その一万人と戦わなくちゃいけないとしたらどうする?」
「幾つかの集団に分断した上で個別に叩くか、あるいは奇襲を重ねて相手の士気を削ぐか。たぶん、その両方なのだ。」
「つまり、真正面からは戦わないってことだろ」
「もちろん、そんなことが出来る生き物はたぶんこの世には存在しないのだ」
「礼儀作法ってそういうものなんじゃないかな」
「どういうことなのだ?」
「いや、これは鈴々が会うような人はってことなんだけどさ。そういう人たちって百人とか二百人とか、そういう規模の集団の代表みたいなもんなわけだろ。でさ、そういう人たちがまた百人とか集まって、一万人の集団を作るんだと思うんだよ。だから、礼儀作法っていうのは、その一万人をバラバラにするっていうか、戦わないための作戦みたいなものだって考えれば、鈴々も受け入れられるんじゃないかと思ったんだけど」
「つまり、仲間割れさせるってことなのだ?」
「ん?そうなるのかな。鈴々がそれで納得するなら、そういうことでいいと思うけど」
「なるほどなのだ。確かに、そう考えれば、礼儀作法というやつもそうそう馬鹿にしたものじゃないのかもしれないのだ」
見事に鈴々を説得してみせた一刀を凪は尊敬のまなざしで見つめていたが、尊敬されている当の本人は何処か釈然としないものを感じていた。しかし、彼がその理由に思い至ることは永遠になかった。唯一、そこまで思考を伸ばせたであろうこの瞬間に、別のことに気を取られてしまったからだ。
「ところでさ、俺たち何処に向かってるんだ?なんか一周しちゃった気がするんだけど」
一刀の言葉の通り、鈴々の足取りはぐるりと綺麗に円を描いて、ちょうどわき道を進む前に彼らが歩いていた比較的広い登坂道にたどり着いたところだった。
「凪、一刀を頼むのだ」
そう言うと、鈴々は登坂道まで出たところで歩みを止め、力みのない所作で刀を構えた。
その言葉に凪は俊敏に、一刀は遅々として対応した。彼は鈴々に疑問の言葉を投げかけようとしたが、その前に全ての謎は氷解してしまった。
彼らの目の前に、一人の女が現れたからだ。
女の顔の上半分は白い仮面で覆われていたが、一刀は半ば直感的に、彼女が奮い立つような美しさの持ち主であると確信していた。
朱色の色で後ろに束ねられた漆黒の髪、仮面が隠さぬ薄桃色の唇、手足からのぞく透き通るような肌の白さ、その全ての彩りが、彼がこの世界に来てから見たものの中で最も鮮やかで、その色たちの主人である女に醜いところがあるなどと、とても想像することができなかったからだ。
「どうして分かった?今まで狩りをしていて、どんな獣にも気配を気取られたことなどなかったんだが」
女の顔の半分は仮面で覆われているため、その表情をうかがい知ることはできなかったが、その声音にはかすかであるが驚きの色が存在していた。
「確かに、気配そのものは見事になかったのだ。ただ山には山の気配があるのだ。その中で、気配が無い場所が、ずっと近くに存在していたら、おかしいと思うのが普通なのだ」
自信満々にそう断言した鈴々に、仮面の女は小さく首を横に振ることで答えを返した。
「それが普通だったら、世の狩人たちは商売にならないだろう。さて、いちよう儀礼として訊ねるのだが、平将門殿、そこにいる二人の首をわたしに渡してもらう訳には──」
女がそれ以上の言葉を口にすることが出来なかった。鈴々の刀が彼女を叩き切ろうと恐るべき速さで振るわれたからだ。
「大した腕前なのだ」
鈴々は自分の刀についた血をチラリと眺めながら、相手の実力にそう評価を下した。彼女としては礼儀に乗っ取って、とりあえずは腕一本を刈り取ろうと意図した一撃だったのだが、刀が捉えたのは骨まで届かぬ表層の肉だけだった。
彼女の刀がまさに腕を断ち切ろうとした瞬間、仮面の女が隠し持っていた小太刀が、鈴々の刀の軌道をずらしたのだ。
「終わりましたね」
やはり、鈴々様の武は圧倒的です。一刀を背後に隠しつつ二人の立会いを見ていた凪は、少しばかり緊張を解いた。
「えっ、もう?」
「はい。鈴々さまの一撃は決して浅くはありません。もう相手はろくに刀も構えられないはずです」
凪の言葉の通り、仮面の女の右手は力なく垂れ下がり、二の腕のあたりから血が腕をつたって地面へと滴っていた。
少しばかり妙なのだ。鈴々は刀を構えたまま、油断なく相手を見つめていた。
先ほど刀同士を合わせた感触では、目の前の相手には先の一撃を十分に防ぎきる実力が備わっていたように思えた。とはいえ、わざわざ自分から進んで手負いになる武士など普通はいない。となると自分の見立てが間違っていたということになるが、鈴々は生まれてこの方、相手の実力を見誤ったことなど一度もないのであった。
まっ、次の一撃で終らせればいい話なのだ。鈴々はこんがらがりそうになる思考を強引に断ち切ると、今度は相手を両断するつもりで重心をかすかに移動させた。
その瞬間、鈴々の虚を見事につく形で、仮面の女の右腕がまるで鞭のようにしなり、手の内から何かが投じられた。
「鈴々は、お前よりずっと治りの良い神技の持ち主を知っているのだ」
鈴々は虚をつかれたことなど微塵も感じさせない刀捌きで、己みがけて投じられた物体を刀の先のギリギリで地面へと切り落とした。
「目潰しとは何とも卑怯な手口ですね」
凪の寸評に、一刀は心の中で首を傾げた。目潰しであれば、刀で斬られた時点で煙の一つでも出しそうなものだが、彼が見た限り、女が投じたのはただのドロ団子のようだったからだ。
砂で目潰しって話は聞くけど、あんな風にまとめちゃったら逆効果だしなぁ。一刀は不思議そうに、女の血にまみれたその物体を眺めていた。
だから、その異変に最初に気づいたのは一刀だった。
「鈴々、逃げろ!」
「なっ──」
鈴々の叫び声は、すぐに遮られた。二つに割れた土くれから急に伸びだした蔓たちが、彼女を覆い尽くしてしまったからだ。
「これで良しと」
女の満足げな言葉に答えるように、蔓の中から轟音が響いた。
「無駄だ。その蔓は無限に成長を続ける。いくら武神と崇められようと、手が二本しかない人間には、全方位からの攻めに対応できる道理などあるはずがないだろう?」
蔓の中から響き渡る二度、三度の轟音に処置なしという風に首を振ると、女は今も成長を続ける蔓の牢の脇を抜けて、一刀たちの方へと歩き出した。
「貴様っ、祭さまに恥ずかしくないのか」
一刀を背後に置きながら、凪は己の怒りを気へと変じて全身へと駆け巡らせた。
凪には先ほど目の前で起こった出来事を説明できる神技の持ち主に一人心当たりがあったのだ。
<血癒>──それは血液を媒介にして、自分自身を含む生き物全ての生命力を賦活する神技だった。
回復力では劣るが応用が利く分、わしなんかよりずっと人の上に立つのに向いた神技じゃな。そう何処か誇らしげに言っていた祭の顔を思い出して、掌の皮膚が破れるほど強く己の右手を握りしめた。
「国香か、死ぬべき定めを逃れて、のうのうと生きているあちらの方が、ずっと恥を知るべきだろうよ」
己の正体が見破られたことなど気にも止めず、平貞盛──愛紗は平然と凪の方へと歩を進めた。
「──それは、祭さまの命を狙っているという意味か?」
愛紗が当然というように頷く前に、凪は既に疾走を始めていた。
好機は最初に一撃しかない。凪は彼我の間にある力量の差を正確に把握していた。だからこそ、一刀を守りながら逃げるのではなく、あえて攻撃を選んだのだ。
平将門を蔓牢に閉じ込めたことで、相手には幾分かの慢心が見て取れる。その油断を突き、強引に小太刀すら使えぬほどの接近戦へと持ち込めば、まだ勝機がある。
凪は全身の急所を隠すように身をちぢこませながら、矢のような体当たりを対象へと、
「甘いな」
ぶつけられなかった。
するりと伸びた愛紗の脚が、両手の防御をすり抜けて凪の鳩尾をしたたかに蹴り抜いたからだ。
「そう急くな、物事には順序がある。まずは大元の原因を断ち切らないとな」
胃液を撒き散らしながら悶絶している凪を、感情の無い目で見下ろしながら、愛紗は仮面の下でかすかに眉をひそめた。凪を蹴り抜いた右足がまるで意のままに動かなかったからだ。
「やめろ、狙いは俺のはずだろ!」
凪の横でぴたりと動かなくなった愛紗の意図を勘違いして、一刀はあらん限りの声で叫んだ。
よく考えれば、鈴々だって俺を傷つけれないんだから、そのビクビクすることもないんだよな。場の空気に飲まれちゃったぜ。そんな緩んだ一刀の思考は、女が着物の袂から取り出した物体を見た瞬間、あっけなく吹き飛んでしまった。
その黒光りする物体は、とてつもなく奇妙な形をしていた。まず先端からある部分までは筒状であり、その筒の太さはおよそ中指くらいであった。そして、その筒から後ろは大きく広がっており、大きく分けて、先端のものの何十倍の太さもある筒と、手を握る部分と、人指し指をかける部分と、親指で動かすであろう何らかの部品で形成されていた。
つまり、要するに、愛紗の手に握られていたのは拳銃であった。
一刀の口からあらゆる水分が消し飛んでしまっていた。一目見て分かったのだ。それが自分を殺せる武器なのだと。
轟音が響いた。
「外れたか。そういえば、近づけて撃てと言われていたな」
一刀にとって幸運だったのは、彼を殺すために秀郷が用意したその道具が、一刀がもといた国においてだけポピュラーな、目標を撃つことよりも威嚇射撃に重点が置かれた、世界でも稀なる銃であったということだろう。
愛紗は右の足を引きずるようにしながら、一歩一歩、目標へと近づいていった。
その間、一刀は一歩として動けなかった。頭の少し上のあたりを通り過ぎていった銃弾の衝撃で、彼の思考を完全に真っ白にしてしまっていたのだ。
愛紗は一刀の目の前に立つと、今度は外さぬように、彼の頭にしっかりと銃口をつきつけた。
凄まじい轟音が響いた。
死んだ。思わず目をつむった一刀は暗闇の中で、そう確信した。先ほどとは比べものにならないほどの音が発生した理由が、彼の頭の中を銃弾が駆け巡っていること以外に思いつかなかったからだ。
だが恐る恐る目を開けた一刀の前にいたのは、天使でも閻魔でもなかった。
「鈴々?」
一刀の声に、鈴々は恥ずかしそうに後ろ髪をかいた。
「いくら斬ってもきりがないなら、根っこごと引き抜けばいいだけの話だったのだ。ちょっとばかり、うっかりしていたのだ」
一刀が視線をめぐらすと、つい先ほどまで彼の前にいた仮面の女が、2メートルほど横で蔓のかたまりの下敷きになっているところだった。
一刀は全身の力が抜けて、その場に尻から座り込んだ。
「あっ、蜂だ」
「えっ?何処なのだ?」
こりゃ、鈴々におぶってもらわないとな。青い空を気楽そうに飛んでいる蜂を眺めながら、一刀はそんなことを思ったのだった。
すごく難産しました。ネタを盛り込み過ぎたのが敗因な気はしています。
ニューナンブの精度は別に悪くないのだそうですが、作劇的な都合でそういうことにしました。形式上、一刀さんを殺せるアイテムが必要なので出しましたけど、特に火薬系のチートとかは予定してません。主に一刀さんの性格的な理由ですけど、仮に生産に踏み切っても、作中で五年しか経過しないこのお話だと戦況を左右できるような状態にはならないだろうなという気はします。




