一枚目 イタミちゃん
「イタミはイタミだよ?私は可愛いイタミちゃん」
楽しそうに笑って言った。
*
「あっ! また新しいネイルしてんじゃん」
制服を着崩し、椅子の上に片足を乗せている金髪の少女が、イタミの手を取って爪を眺めた。
日に焼けた肌に、セミロングの金髪。いわゆる黒ギャルだ。
「やっぱイタミって、ヤバいバイトしてるっしょ?」
「してないよー。ちゃんとしたバイト」
イタミは片手を握られたまま、もう片方の手でツインテールの毛先をくるくると巻きながら答えた。黒髪に入れた紫のメッシュが、指に絡む。
「普通のバイトでそんなに金入る? アタシなんて、この髪だからバイト見つかんないし……」
金髪の少女はイタミの手を離し、不貞腐れたように自分の髪を触った。
「ギャルは金かかるからねー」
窓際にもたれていた、少しふくよかな少女も同調する。こちらも制服を着崩し、スカートの下にはジャージをはいていた。
「それよりイタミさあ、三年の先輩ふったんだって?」
金髪の少女が顔を近づける。
「聞いた聞いた! なんでえ? イケメンじゃん」
窓際の少女も身を乗り出した。
「だってえ、タイプじゃないからー」
イタミはピンク色のカーディガンの袖から指先を出し、両手を顎の下に添えて、ぶりっ子ポーズを取った。
「じゃあ、あんたのタイプってなんなのよ?」
「ひーみーつ」
イタミはウインクした。
「あんたモテるのに誰とも付き合わないもんね」
窓際の少女はお菓子の袋を開け、棒状のチョコ菓子を一本取り出した。
「あっ! 花ちゃん! イタミも欲しい!」
「はい。あーん」
「あーん」
差し出されたチョコ菓子を食べ、イタミは満足げに笑った。
「あっ!」
「どうしたの、イタミ?」
二人が不思議そうに顔を向ける。
「バイトの連絡」
「スマホなんて鳴ったっけ?」
金髪の少女が花ちゃんを見る。
「聞こえてなーい」
イタミは、アクセサリーをじゃらじゃらと付けたカバンから、ガラケーを取り出した。こちらにも、いくつものストラップが揺れている。
「こっちこっち」
ぱかっと開いて画面を見ると、イタミは嬉しそうに口元を緩めた。
花ちゃんが後ろから覗き込む。
「……なんも映ってなくね?」
「ふふっ」
イタミは舌をぺろりと出した。舌に付けたピアスが、きらりと光る。
「相変わらずイタミは不思議ちゃんねー」
金髪の少女は、座ったまま伸びをした。
「今日、バイトあるからさー。花ちゃんとあゆみんは、放課後先に帰ってて」
「はいはい」
あゆみんは紙パックの紅茶をひと口飲み、返事をした。
やがて、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
二人はそれぞれの席へ戻っていく。
イタミは授業が始まるまで、ガラケーの画面を見つめて、にやにやしていた。
放課後、あゆみんと花ちゃんに別れを告げる。
「さてと」
イタミは鼻歌交じりに、屋上へ向かって階段を駆け上がった。ツインテールがふわふわと揺れる。
屋上の扉を開けると、転落防止用のフェンスの外側に、制服姿の少女が立っていた。
イタミがその姿を認めた瞬間、少女は飛び降りた。
イタミは少女が立っていた場所へ、ゆっくりと歩いていく。
フェンスの内側から外を眺めた。
上部は内側に折り返されていて、とても乗り越えられそうにない。
イタミは大きく伸びをし、あくびをした。
しばらくすると、先ほどの少女が音もなく屋上に現れた。
青白い顔には、生気がない。
少女はイタミに目もくれず、フェンスへ向かって歩いていく。そのまま網目をすり抜け、外側へ出ると、再び飛び降りた。
イタミはフェンスに背中を預け、カバンからスマホを取り出した。画面に指を滑らせながら、少女が消えた方をちらりと見る。
また少女が現れる。
フェンスをすり抜ける。
飛び降りる。
イタミはもたれたまま、スマホをいじり続けた。
何度か同じことを繰り返したところで、画面から顔を上げる。
「もしもーし? 飽きないですかー?」
少女は立ち止まり、ゆっくりとイタミを見た。
「……見えてるの?」
「うん」
「怖くないの?」
「なんで?」
「……まあいいわ。邪魔しないで」
少女はイタミから視線をそらし、再び歩き出した。
「何回も何回も、おんなじことして楽しい?」
イタミは呆れたように言った。
「あなたに何が分かるの?」
少女が怒りに満ちた目で睨む。
「分かんないから聞いてるんだけど」
イタミは指先で髪をいじりながら答えた。
「楽しいわけないじゃない! でもね、繰り返しちゃうのよ! 何度も、何度も、何度も、何度も! 地面に当たる瞬間、また屋上の扉の前に戻るの! 何回死んでも、死ねないのよ……」
少女はその場に崩れ落ち、泣き出した。
「でも、今日はイタミがいるよ? 今は繰り返してないね」
イタミは屈み、少女の頭を撫でた。
「えっ?」
少女は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
「ほらほら、イタミが話聞くからさ」
イタミは少女の前に体育座りをした。
「……うん」
少女も涙を拭き、イタミと向かい合って座る。
「名前は? あっ、イタミはイタミね」
「佐川……」
「違うよ、下の名前」
「由美……」
「由美ちゃんね。よろしく」
イタミはカーディガンの袖に半分隠れた右手を、ひらひらと振った。
「ところで、なんで飛び降りなんかしたの? あっ! お菓子食べる?」
そう言いながら、カバンから棒状のチョコ菓子が入った箱を取り出し、開ける。
「食べられるのかな……?」
「念じればいけるみたいだよ? 食べるぞーって」
イタミは両手の人差し指を頭の横でぐるぐると回した。
「た……食べるぞー」
由美も同じようにしてお菓子を見つめる。
「あっ……おいしい……」
その顔が、少しだけ明るくなった。
「やったねー。しかも減らないって、ちょーよくない? コスパ最強じゃん」
イタミは箱から三本まとめて取り、二口で食べた。
「でも、ここから動けないよ……」
「やったことあるの?」
「ないけど……」
「じゃあ、やってみたら?」
「……」
由美は視線を落とした。
イタミは少し待ってから、再び口を開く。
「そうそう、さっきの質問。なんで飛び降りたの?」
お菓子を食べながら、スマホをいじる。
「いじめられてたの。お母さんも、新しいお父さんと暮らすようになってから、私が邪魔みたいで……家から二人とも出て行って、どこにも居場所、なくて……相談する人も誰も……」
由美は抱えた膝に顔を伏せ、すすり泣いた。
「でも、このままも辛くない?」
「分かってる……分かってるけど……」
「ふーん」
イタミはカバンの上にスマホを置いた。お菓子をくわえたまま、ルーズソックスを直す。
「由美ちゃんは、成仏するのが怖いの? それとも悔しいの?」
「えっ?」
由美が顔を上げた。
「イタミはね、由美ちゃんみたいな子と結構しゃべったりするんだ。それで話を聞いてると、悔しいって子も結構いるの」
「悔しい……?」
「うん。自分を追い詰めた人が、のうのうと生きてるのが悔しいって」
イタミはまたお菓子を食べ始めた。
「……」
由美は黙ったまま、一点を見つめている。
「……悔しい」
「んー?」
イタミが由美を見る。
「私は……悔しい……」
膝を抱える腕が震えた。
「私は……悔しい!」
「そっかそっか」
イタミは由美の頭を撫でた。
「ひどい目に遭わせたい?」
「えっ?」
イタミはピアスの付いた舌を出し、棒状のお菓子を下から上へと舐めた。
「由美ちゃんがちゃんと成仏できるように、お手伝いしてあげるよ?」
「ど……どうやって?」
「ふっふーん」
カバンから使い捨てカメラを取り出す。
「じゃじゃーん! イタミちゃんカメラー」
「イタミちゃんカメラ?」
由美は首を傾げた。
「本当はそんな名前じゃないけどね。かわいくない、これ?」
イタミは顔の横にカメラを掲げ、ウインクした。
「う、うん……」
「これで由美ちゃんを撮るとね、恨んでる人が写真に浮き出てくるの。しかも、その写真のデータが観測所に送られるんだー」
「観測所?」
「イタミのバイト先。そこで、写った人に恨みパワーを送るの」
イタミは楽しそうに笑った。
「そのカメラで、そんなことができるの?」
「普通のカメラじゃないからねー。で、どうする?」
「……もう十何年も前だよ?」
「だから?」
「そんな、今さら……」
「じゃあ、なんで由美ちゃんは成仏しないの?」
「……」
「何年も前だから何? されたことは消えないよ? それとね、イタミがここに来たのは……」
カバンからガラケーを取り出し、開く。
「由美ちゃんからメッセージをもらったからだよ」
画面には、『タスケテ』の文字が浮かんでいた。
「私が、これを……?」
「十何年もここで、死ぬ瞬間を繰り返してたんでしょ? でも、もう由美ちゃんの心が限界に来たんだよ。だから、イタミにメッセージが来たの」
イタミはにこにこしながら言った。
「……」
由美は画面を見つめ、やがて口を開いた。
「……本当に、私の恨みは届くの?」
「バッチリだね」
イタミは親指を立てた。
「私は、それを見届けられる?」
「それは無理。このカメラで撮ったら、由美ちゃん消えちゃうし」
「……」
「でもね、あの世で知ることはできるみたいだよ?」
「そうなの?」
「このガラケーちゃんにメッセージが来るの。成仏してから、一度だけね」
イタミはガラケーを閉じ、左右に振った。
そのたびに、ストラップがじゃらじゃらと音を立てる。
「さあさあ、由美ちゃん。どうする?」
「……やる。あいつらに分からせてやる」
「ふふっ、オッケー!」
イタミはガラケーをしまい、カリカリとカメラの巻き上げダイヤルを回した。
「撮る前に、恨んでる人を思い浮かべて? 何人でもいいけど、少ない方が恨みのパワーは強く伝わるよ」
ファインダー越しに由美を見て、笑う。
「……」
由美の脳裏に、十数年前の光景がよみがえった。
「おい! ブス!」
黒板消しを押しつけられ、制服が白く汚れる。
「パックしてあげるね」
顔に牛乳をかけられ、雑巾で拭かれる。
床にへたり込んだ由美を、二人の女子が笑っていた。
家に帰っても、誰もいない。
お金が置いてあるだけ。
やがて、そのお金すら置かれなくなった。
学費や家賃のことで、大人たちから責められた。
由美は屋上の縁に立っていた。
そして、身を投げた。
由美の意識が、目の前のイタミへと戻る。
思い浮かんだのは、自分を笑っていた二人の女子と、自分を捨てた母親の顔だった。
「……三人なら、どうかな?」
「全然オッケー!」
イタミはにこにこ顔で答えた。
由美はひとつ息を吐き、覚悟を決めたようにイタミを見る。
「イタミちゃん。お願い」
「はーい」
イタミはカメラを構え直し、由美をファインダーの中央に収めた。
「ところで、イタミちゃんは何者なの?」
「イタミはイタミだよ?可愛いイタミちゃん」
由美からの問いかけにイタミは不敵に笑う。
「そっか。変なこと聞いてごめん」
もう一度イタミを見る。
「イタミちゃん……」
「なーに?」
「ありがとう……」
「またお菓子食べようね」
イタミは微笑んだ。
そして、シャッターを押す。
フラッシュが光り、由美の姿が消えた。
イタミはカメラを下ろし、由美が座っていた場所を見つめる。
「……」
スマホを手に取り、電話をかけた。
「あっ! 所長! 写真撮ったんで、もうすぐデータ行くと思います! またイタミ、所長の検証の役に立ちました?」
イタミは返答を待った。
「えへへ、嬉しい! じゃあ、また今度バイト代お願いしますね! あと、またご飯に連れてってください。約束ですよ!」
電話を切ると、満足そうに笑った。
「所長と電話……嬉しいなあ」
イタミは楽しそうにくるくる回る。
「私はイタミ、所長の可愛いイタミちゃん」
数日後の放課後。
ホームルームの終わりに、担任が教室を見渡した。
「最近、この辺りで不審者の目撃情報が出ている。帰るときは気をつけるように。以上」
教室がざわつく中、あゆみんと花ちゃんがイタミの席にやってきた。
「イタミ、帰ろー」
「うん」
イタミはカバンを持ち、立ち上がった。
「不審者って、呟きババアのことじゃね?」
あゆみんが言う。
「何それ?」
イタミは首を傾げた。
「知らない? ホームレスみたいな格好で、誰かの名前をブツブツ言いながら、ずーっと謝ってるらしいよ」
花ちゃんが答えた。
「なんだっけ? ゆみだか……ゆいだか……」
あゆみんは腕を組み、名前を思い出そうとする。
「ふーん」
イタミは興味なさそうに返した。
三人で学校を出て歩いていると、あゆみんが思い出したように話し始めた。
「そういや、二人とも今バズってる動画見た?」
「見た見た! 女同士の殴り合いのやつね」
「イタミ、それなら知ってるー。どっちも『お前のせいだ!』って言いながら、夜の街で殴り合ってるやつでしょ?」
イタミは花ちゃんの肩に、拳をぺちぺちと当てた。
「そうそう! 色んな人が色んな角度で撮ってるから、特定もバッチリされてるやつ。マジおもろいよね」
あゆみんはスマホをいじりながら笑う。
「何したんだろうね」
花ちゃんは笑いながらイタミの手を払い、そのまま抱きついた。
「きゃー、花ちゃん、やめてー!」
花ちゃんがイタミをくすぐる。
「倍返しってやつよ」
二人が笑い合う姿に、あゆみんも呆れながら、優しく微笑んだ。
イタミのカバンで、アクセサリーがじゃらじゃらと揺れる。
その中にしまわれたガラケーの画面に、
『アリガトウ』
という文字が浮かび、やがて消えた。
終




