殭屍《キョンシー》退治
崖の左がわに全 紫釉が。右には爛 梓豪が降りた。
「阿釉ーー! 先に木を切っておいた方がいいのかー?」
向かいがわの崖上にいる爛 梓豪が、大声で話しかけてくる。
全 紫釉は銀髪を風に遊ばせながら、彼を見つめた。
「そうですね。できれば、その方がいいと思います」
「了解……って、阿釉はどうやって木を斬るんだ?」
謎を追及するというより、ただ知りたい。興味があるだけという表情をしている。
「俺は、この剣があるからいいけど。阿釉は持ってないだろ?」
それならば、どうやって木を斬るというのか。素朴な疑問が飛んできた。
全 紫釉は「ああ」と、顎に手を当てる。頭の上にいる朱雀の身体を撫で、ふふっと微笑した。
「そういえば、あなたにはまだ、見せていませんでしね?」
「見せる? 何を?」
彼が小首を傾げた直後、朱雀は朱い光を放つ。その光は反対側の崖にいる爛 梓豪まで届いた。
「私は、戦うことを得意とはしません。ですが、補助なら……」
全 紫釉の透き通る声に、朱雀のかん高い鳴き声が重なる。瞬間、目映い輝きに包まれていった。
そして……
「私と四神が力を合わせれば、何者にも負けない、陽の霊魂となる」
太陽に透ける銀の髪は、焔の朱を纏う。元々の薄く輝く銀に混ざり合うように、光沢すら帯びていた。
細い背には朱雀と同じ、燃える朱い翼が生えている。
そして何よりも、体を包む夕陽のような美しい焔。淡々と、それでいて熱く燃える焔は、ときおり地に落ちては蒼い花になっていった。
「……私が母から受け継いだ力は、花を操るだけではありません。四神と融合し、闇を裁つ力を持っています」
落ちる焔が蒼い花に変化する。それだけでも不思議な現象といえた。
そして生まれた蒼い花は開花した瞬間、蛍火のように地上へと浮き出てくる。全 紫釉はそれらを集めるように、ゆっくりと両手を広げた。
「──さあ、おいで。闇を打ち砕く力になって」
優しく、穏やかな声に誘われながら、花は両手に集まっていく。そして数分もたたないうちに、身の丈以上の大きな弓になった。
弓を持ち、弦を引く。たったそれだけのことなのに、全 紫釉はより強く儚く見えてしまう。
「…………」
ふっと、軽く息を吐いた。その瞬間、弓から焔の矢が放たれる。
無数に降り注ぐ焔の矢は木々の根へと落下。そのまま木々は倒れ、次々と山のように積み上げられていく。それを自らの力、黒い焔で結んでいった。
木々を浮かせ、崖の落下口まで進ませる。
ゆっくりと積まれた木の山を眺めなかまら、全 紫釉は悠然とした姿勢で立った。
「……ふう。爛清、そっちもやりましょうか?」
一仕事を終え、満足しながら笑顔になる。美しく燃え続ける輝く銀朱の髪を払いのけ、大きな瞳に彼の姿を映した。
爛 梓豪は口を大きく開き、何が起きたのかわからないといった様子だ。けれど声をかけられると、すぐにハッとして首を左右に強くふる。
「い、いや。俺は、この剣で木を斬ってくよ。そ、それより阿釉……今の何だ?」
わくわくとした感情と、驚きが混ざったような表情になっていた。そわそわと、落ち着かない視線を向けてくる。
全 紫釉は、彼の正直すぎる反応に苦笑いを送った。
──爛清、素直すぎるなぁ。
期待の眼差しというのだろうか。彼の瞳は子供のようにキラキラとしていた。
そんな彼を見れば、剣で木々を斬っている。
「爛清、この術……というか、これについては、殭屍を退治してからお話します。外叔父上も交えて話した方が、わかりやすいでしょうから」
「ん? そうなのか? ……わかった」
彼の素直すぎる反応に、些か拍子抜けしてしまった。それでも目の前の目的を優先しようと、全 紫釉は踵を返す。そのときだ。
懐に入れていた花びらが、仄かに温かくなる。花びらを手にし、凝視した。
「……爛清、外叔父上が黒無相と合流し、殭屍たちをこの崖に、押し返し始めたようです」
「よーし。なら、俺たちも頑張らないとな!」
彼は腕まくりをし、一本の大木を軽々と持ち上げる。彼は仙人に昇格したことにより、どうやら超人的な力を手に入れたようだ。本人もその自覚はあるらしく「すごいだろ?」と、満面の笑みで大木を肩に担ぐ。
それを見た全 紫釉は、彼の頼りになる姿に惚れなおした。
──そういえば、叔父上が言ってたな。仙人になれば、霊力を制御する術を身につけられるって。上手い人だと彼のように体の一部に霊力を集めて、腕力や脚力を上げることができるって。
向かいの崖にいる彼は、霊力を上手に制御できるのだろう。それはある意味で、一種の才能だった。
そのことに感心していると、少し離れたところが騒がしくなっているのを知る。そこを注視してみれば、黒 虎明と黒無相のふたりが、殭屍を押し戻すように崖へ向かってきていた。
全 紫釉と爛 梓豪は顔を見合せ、頷く。
「爛清、外叔父上たちが殭屍を崖の下まで連れ戻したら、一気に木を落とします」
朱雀と融合したまま、朱の混ざる銀髪を揺らした。弓矢を構える。
「おう。任せておけ!」
彼もまた大木をドスンっと地面に置いて、はにかんだ。
黒 虎明たちを見れば、次々と殭屍を薙ぎ倒していっている。なかには四股を取られ、動けなくなった者もいた。
「……外叔父上、ここまで連れて来てって話してたのに。動けなくしてどうするんですか」
猪突猛進な男に視線を走らせる。
黒 虎明は猛獣ならぬ、獰猛なまでに大剣を使用していた。一緒にいる黒無相こと白月が、それは駄目と注意しても聞く耳持たずなよう。
それを見ていることしかできない全 紫釉は頭痛を覚えた。
爛 梓豪はあんぐりとしてしまっている。
「……あのおっさん、何してくれてんの?」
「外叔父上は、頭で考えるのが苦手なんです」
はあーと、ふたりは盛大なため息をついた。けれど諦めているようで、彼らは顔を見合せて吹きだす。
「……外叔父上は、ああいった性格なので諦めましょう。それよりも……」
遠くにいたはずの殭屍たちが、目前まで押し寄せてきていた。
全 紫釉は矢を放ち、黒 虎明たちが討ち洩らした殭屍へと向ける。
それに気づいた男は立ち止まり「どっせーい!」という声とともに、大剣を大きく振り下ろした。すると殭屍たちは土煙とともに崖へと、一斉に押し戻されていく。
「今です爛清、木で道を塞ぎましょう。ついでに殭屍を潰してやりましょう!」
「よっしゃあー! いく……ぞ! そーれー!」
彼は木々を持ち上げ、次から次へと崖下へと落としていった。
それに習うように、全 紫釉は大木の山を縛る黒い焔に矢を放つ。大木は一気に散らばり、崖下へと急降下。
そして、崖下にいる殭屍たちを踏み潰していった。
土煙を撒き散らしながら、振動が周囲へと響く。しばらくするとそれは収まった。
全 紫釉は崖のすぐ目の前で立っている白月に視線を走らせる。
「白月、殭屍たちの反応は?」
全 紫釉の、朱雀と混じり合う声が木霊した。手のひらにある蒼い花びらに話しかけると、すぐに返事がきた。
「……そう、ですか」
「阿釉、何だって?」
彼は心配そうに尋ねてくる。
「禿側にいた、殭屍の反応は消失したそうです。ただ、この崖よりも向こう……他國からは、まだたくさんの反応があるそうです」
「ふーん。まあ、こっちの國のやつらがいなくなったんだ。それでいいだろ?」
疲れたのだろう。彼はその場に座ってしまった。
「……ええ。少なくともこれで、ここから殭屍がこの國に入ってくることはなくなりました」
緊張の糸が途切れた全 紫釉は笑顔を浮かべる。そして朱雀の融合を解いたのだった。