だいたい、仙人たちのせい
地盤沈下に見舞われた宿屋は、見事に全壊してしまった。
道行く人々は足をとめ、何事かと騒ぎたてる。宿屋の従業員は泣き崩れ、店主にいたっては魂が抜けたかのようになっていた。
「……阿釉、これ、どうすんの?」
宿屋で起きたちょっとした騒動が解決したはいいものの、今度はとり返しのつかない事態になってしまっている。
そのことに頭を抱える彼は、苦笑いしながら全 紫釉を見た。
視線を向けられた全 紫釉は、ふふっと微笑む。黒い衣を深く被ったまま、絶望して泣いている店主の元へと行った。
店主の肩に触れる。長いまつ毛でも隠しきれない大きな瞳を柔らかく細めた。
「もう一度建て直すのなら、専門家に頼んでからにすることをお勧めします」
従業員たちからの視線を受け、肩をすくませる。それでも透き通る声音は変わらなかった。
そのとき、瓦礫の一部分が大きく動く。するとそこから、白くてもふもふとした尻尾が現れた。尻尾はふりふりと、魅惑的に左右に動いている。「みゃぁーお」というかわいらしい仔猫の鳴き声がする。
爛 梓豪は、その声の正体に慌てた。近くにいる人たちと協力して瓦礫を退かしていく。
全 紫釉は両手をこっそりとワキワキさせながら、クスッと微笑した。そして瓦礫の前まで歩き、両手を広げる。
「牡丹、躑躅、大丈夫だった?」
退かされた瓦礫からひょっこりと顔を出したのは白い毛並みに縦縞模様の仔猫と、漆黒の体と翼を持つ蝙蝠だった。
どちらもがつぶらな眼をしていて、非常にかわいらしい。
小動物という言葉が相応しいどに愛らしい二匹は、助けてくれた爛 梓豪たちに見向きもしなかった。一目散に全 紫釉の元へと駆けよっていく。
「……ふふ。二匹とも、ご苦労様。でも、助けてくれた人たちにお礼はしなくちゃ駄目だよ?」
めっ! と、子供を諭す母親のように優しく伝えた。
仔猫たちは全 紫釉に何かを渡し、人々へと近寄っていく。
女中や客の女性たちは、二匹のかわいらしさに頬を緩ませた。男性たちも満更ではないよう。
「阿釉、それは?」
特に動物たちと戯れる理由もない爛 梓豪は、人々の輪から抜け出した。全 紫釉の前に立ち、手に持っているそれを指差す。
「ああ、これですか? これは……」
彼に微笑みを送り、店主へと渡した。
「店の権利書です。あの子たちに頼んで、探してもらいました」
視線は仔猫と蝙蝠へと注がれた。
女性の足元でごろ寝する仔猫、中年男性の頭の上で寝ようとする蝙蝠。どちらもがとてもかわいい姿で、その場の人気者となっていた。
──飼い主冥利につきるなぁ。あの子たちのかわいさはこういうとき、本当に癒される。もちろんどんなときでも、抱きしめたいほどにかわいいけど。
うんうんと、ひとりで納得しては頷く。けれど、意識を店主へと戻した。
「この権利書があれば、また宿屋を建て直せると思います。ただ、ここはやめておいた方が無難かと」
みるも無惨に崩壊した宿屋を眺め、苦笑いする。
ふと、爛 梓豪が横に並んだ。彼の手には、どこから取ってきたかもわからない酒瓶が握られている。そして全 紫釉の右肩に肘を置いて、ぐびぐびと呑み始めた。
「ぷっはぁー! やっぱ酒は旨い!」
屈託のない、人好きのする笑顔で、全 紫釉に酒を呑むかと進める。
全 紫釉は首をふり、ため息をついた。そして彼の酒を奪い取り、キッと睨む。
「ひょっ……」
調子に乗っていた彼は、全 紫釉の冷めた瞳に恐怖した。さあーと顔を青ざめさせ、素早く土下座する。
「調子こいて、すみませんでしたーー!」
「……昼間から酒は、いかがなものかと思いますが?」
「ご、ごもっともです!」
ひーひー言いながら、何度も地べたに額を擦りつけては謝った。全 紫釉の足にしがみつき、泣きながら許してと叫ぶ。
そんな彼の姿はとても情けなかった。同時に、絶望という暗い空気が嘘のように、周囲が笑いに包まれていく。
「……あなたねぇー」
──わざとなのか。それとも素なのか。どちらにせよ、爛清のおかげで、暗い空気が消えた。本当に不思議な人だ。
自然と、微笑みが溢れていく。
「……はあー。もう、いいですよ。それより、何か言いたいことがあるのでは?」
「お? 許してくれるのか? ってか、わかっちゃう? いやー。さすがは阿釉! きれいなだけじゃなくて、鋭い!」
「ちょっ……やめてください!」
──ち、近い。爛清の顔が近い。
ドキドキとする心臓を抑え、そっぽを向いて火照った頬を隠した。手汗を拭いたくなる。けれど気持ちを隠し続けたいという思いが勝り、笑顔だけ返すことを選択した。
「そ、それよりも。何が言いたいんです?」
「ん? ああ、そうだった。なあ阿釉、建て直すのはいいとしても、その資金はどうするんだ? 簡単に手に入る額じゃないと思うぞ?」
全 紫釉から離れ、肩にかかった長い黒髪を払う。
「……ああ、それですか。大丈夫です。そのことなら、あっさり解決すると思いますよ?」
「うん? どういうことだ?」
理解できないようで、彼は両目をぱちくりさせていた。
全 紫釉はふふっと、軽くはにかむ。
「叔父上たちに、援助してもらえばいいんですよ」
「…………はい?」
「もとはと言えば、あの山で仙人昇進試験を行ったことが原因ですよ?」
すっとんきょうな声になる彼を無視し、片口をつりあげた。そしてあろうことか端麗な顔立ちに似合わない、悪どい笑みを浮かべる。
「あの山……崑崙山脈で試験をしなければ、この宿屋が増築なんてする必要はなかったと思いません?」
つらつらと。もっともらしいことを述べていった。
「あの山を試験会場に選んだから、こんなことになったんです。会場を選抜した叔父上たちに責任がない! なんてことは、通用しないでしょう。特に今回のことは、増築せざるをえない原因が私たち見習いともなれば……」
「た、確かにもとを正せば、あの山を選んだお師匠様たちのせい……かも?」
小首を傾げて、うーんと唸る。
そんな彼を見て、全 紫釉の瞳は妖しく光った。
──後、もうひと押しかな? だったら……
「今まで、こういった事件が起きなかったことは奇跡としか言い様がありません。でも今回は運が悪かった……いいえ」
爛 梓豪の耳元で囁く。片口は、企みを含んだように上がっていた。
「偶然にしろ必然にしろ、これはいい機会ではないかと思うんですよ」
「……へ?」
悩み続ける彼だったが、いい機会という言葉に眉が動く。
目ざとい全 紫釉はそれを見逃すことなく、胸の内でほくそ笑んだ。
「今回のことを餌に、叔父上に一泡吹かせられるかもしれませんよ?」
「……はっ!」
彼の細い目は、思いのほかに大きく見開かれる。そして驚きから、にんまりとした不敵な笑みに変わった。踵を返し、端麗さに似合うような真面目な顔つきになる。
「よし。阿釉、今すぐ、お師匠様たちの元へ行くぞ! そんでもって、お師匠様の弱みにしてやる!」
悪巧みを隠す素振りもなかった。むしろ、玩具を貰えて喜ぶ子供のようにはしゃいでいる。
彼はがに股になりながら大笑いで「崑崙山脈に行くぞ!」と、全 紫釉の腕を引っぱった。
提案した本人の全 紫釉は彼に手を握られながら、悪びれた様子もないほどの笑顔になる。
──乗せられやすい人でよかった。でも、それはそれで心配だけど。
腹黒さを笑顔で誤魔化した。
ふたりは互いの思惑を見せ、そして隠す。
それでも相棒として、ともに崑崙山へと向かった。




