表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/120

壊れていく沐浴場

 爛 梓豪(バク ズーハオ)から贈られた(くし)を触り、ふふっと微笑む。

 すぐ隣で湯船に浸かりながら両目を閉じている彼に、そっと指を近づけてみた。


「ん? どうした阿釉(アーユ)?」


「あ、いえ。何でも、ありません……」


 彼に気づかれた瞬間、近づけていた指をさっと戻す。


 ──爛清(バクチン)は、私のことをどう思っているのだろう?


 好きではないという言葉でもいい。聞きたくはないけれど、それでも嫌いという残酷な言葉よりはよかった。

 

「…………」


 どちらもが無言の時間が生まれる。

 普段は五月蝿いほどに口が滑る爛 梓豪(バク ズーハオ)も、今回ばかりはおとなしかった。何かを言いたそうな目をしてはいる。けれど、何かを口にするということはなかった。


 そんな彼の普段と違う行動に、全 紫釉(チュアン シユ)は小首を傾げる。彼を見れば片手を伸ばして、引っこめてを繰り返していた。


「……? えっと、爛清(バクチン)?」

 

 どうしたのかと尋ねようとしたとき、爛 梓豪(バク ズーハオ)もまた動く。そのときに、ふたりの指が湯船の中でコツンっと触れ合った。


「うおっ、(わり)ぃ!」


「す、すみません!」


 高さの違う、ふたつの声が重なる。バシャッと、お湯が大きく波打った。


「…………」 


 爛 梓豪(バク ズーハオ)は視線を逸らす。「湯船は暑いなぁー!」と、何かを誤魔化すかのように、大声を出した。汗まみれのまま、手を団扇(うちわ)代わりに、パタパタと扇ぐ。


 全 紫釉(チュアン シユ)は縮こまり、顔を真っ赤にした。彼からゆっくりと離れ、胸に手を当てる。


 ──彼に触れられただけで、心に余裕が生まれる。嬉しい。すごく、幸せだって思ってしまう。


 両頬に手を置いた。にやけてしまう口を隠しながら、彼に聞こえない程度に時間を楽しむ。


 その瞬間──


 再び、あの揺れが、体を突きつけるように訪れた。ドンッと下から突き上げるように、勢いが強くなっていく。


阿釉(アーユ)!」


 爛 梓豪(バク ズーハオ)が、咄嗟に全 紫釉(チュアン シユ)を庇った。

 彼の腕に包まれながら、地震が収まるのを待つ。


 しばらくして振動が収まり、彼の頼もしい腕は離れてしまった。

 それを心惜しみながら、はーとため息をつく。


「……また地震、起きましたね」


「ああ。でも結局は、この宿屋だけなんだろう?」


「おそらくは」


 確かめに行くかと、ふたりは湯船から出た。

 すると、脱衣場の方からバタバタと誰かが走ってくる。沐浴場の扉前でとまり、今度はたたく音へと変わった。


「お客様! ご無事でございますか!?」


 声の主は男性で、慌てている。

 ふたりが大丈夫だと答えれば、ホッとしたように「よかっです」と言った。


「今しがた、また地震がありまして……やはり、宿屋だけのようです」


「そうですか。まだ、揺れているようですが……」


 天井を見れば、柱がぐらついている。ただ、立っていられるぐらいには弱かった。

 そのことを脱衣場にいる男へ伝える。


「え? 揺れていらっしゃるのですか? 私どもがいるこちらは、まったく揺れておりませんが………」


「……え?」


 どういうことだろうか。

 同じ宿屋にいながら、感じる振動の大小が明らかに違っていた。しかも扉一枚だけを隔てただこの場所で。

 これはどうなっているのかと、ふたりは顔を見合せる。そして頷きあった。


「えっと……私たちは大丈夫ですので、他の方々のところへ行ってあげてください」


「わ、わかりました。何かありましたら、すぐにお知らせください」


 脱衣場にいる男の気配が消えていくのを確認し、ふたりは向き合う。


「……俺はここにいるから、阿釉(アーユ)は脱衣場に行ってみてくれ」


「はい」


 彼の考えを悟り、全 紫釉(チュアン シユ)は扉を開けて脱衣場へと入った。脱衣場の中は振動が消えている。

 振り向き、開いたままの扉の先にいる彼へと声をかけた。


爛清(バクチン)! 確かにこちらは、何の異変もありません。そちらは?」


「えー? やっぱり、こっちは揺れてるぞ。どうなって……うおっ!?」


 そのとき、彼の近くに、壁の一部分が落ちてくる。小さくはあったが、それでも当たると痛いと思えるぐらいには重たそうな壁の一部だった。

 

「あ、ぶっねー!」


爛清(バクチン)! そこは危ないので、脱衣場に来てください」

 

 時間を待たずに、次々と壁が剥がれていく。欠片もあれば、手のひらに収まる大きさのもあった。

 爛 梓豪(バク ズーハオ)が脱衣場に避難したときには、振動が収まったよう。それでも、パラパラとしたものが壁や天井から落下してい。


 ふたりは急いで華服を着た。身だしなみを一通り整え終えれば、急いで脱衣場から外へと出る。




 部屋へ戻る最中、先ほどの状況について互いの考えを語った。


「宿屋って言うよりは、沐浴場が元凶じゃねーかって思う」


 彼の考えに肯定するように、全 紫釉(チュアン シユ)は静かに頷く。

 二階へ通じる階段を数歩登り、途中で足をとめた。


「でもさ。何で、沐浴場なんだ?」


「…………」


 彼の隣に並びながら、全 紫釉(チュアン シユ)は真剣な面持ちで思考を巡らせていく。


 ──彼の言うとおり、そこが疑問だ。なぜ沐浴場なのか。考えられるとすれば、あれ(……)しかないけど……


 うーんと腕を組みながら、銀髪を揺らした。


「あ、女中さん。少しいいですか?」


 たまたまた通りかかった女中をとめ、あることを聞きだす。


「あの沐浴場は、どうやって水を掬い上げているのでしょう?」


 全 紫釉(チュアン シユ)の美しい銀髪と整った顔立ちに、女中は顔を赤らめた。けれどすぐにハッとし、拱手(きょうしゅ)する。


「え、ええと……詳しくは存じ上げませんが、確か地下に管を通して、そこから掬い上げていると聞き及んでおります。最初は近くの井戸から水を汲んでいたのですが、それでは日が暮れてしまい……」


 沐浴を拡張と同時に、そういった手段へと切り替えたのだと口述した。

 女中は軽く頭を下げ、どこかへと行ってしまう。

  


 ──地下から水を……そうなるとやはり、あれしかない。この宿屋の中でしか起きない地震。そして沐浴場の振動……


「…………」


 そこまで考えて、部屋の扉を開けて中へ入ろうとする爛 梓豪(バク ズーハオ)の袖を軽く引っぱった。


「うん? どうした?」

 

 突然引っばられた彼は、きょとんとしている。

 そんな彼に、全 紫釉(チュアン シユ)は真向かった。


爛清(バクチン)、今回の地震の件、答えがわかりました」


「え!? 本当か!?」


 全 紫釉(チュアン シユ)は首を軽く前に倒しながら、銀髪をくるくると指に巻きつける。


「店主、それからすべての従業員を、沐浴場へ集めてください。私の考えが正しければ、おそらく時間の猶予(ゆうよ)はないと思いますので」


「…………わかった」

 

 彼は何の疑いもなく、全 紫釉(チュアン シユ)の言葉を信じたようだ。紫色の華服を(ひるがえ)し、階段を降りていく。


 全 紫釉(チュアン シユ)は彼の背中を見送りながら踵を返し、ひとり、沐浴場へと向かっていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ