揺れています
爛 梓豪は床に寝っ転がり、ぼーとしていた。
床には空になった酒瓶がところ狭しと転がっている。それを蹴っ飛ばしては、盛大にため息をついた。
「……櫛とか簪って、好きな相手に贈るものだったのか。そうかそうか……」
無表情にも近い瞳で、蜘蛛の巣がある天井を見つめる。けれど数秒もたたないうちに、両目をカッと見開いた。
勢いよく上半身を起こし、頭を抱える。
「……って! いいわけあるかー! 恋人とか、好意を持った相手にやるやつだぞ!? 結婚してください宣言にもとられるし!」
──知らなかったんだ。あれが、そういう意味を持ってたなんて。阿釉が喜ぶと思ってたから……
そこまで考えて、再び床へと寝た。大の字になり、両目を瞑る。
「まあ、阿釉の喜ぶ顔が見れたからいいけどさ」
櫛を買ってあげたときのことを思い出した。
全 紫釉はとても美しい。下手をすると、妓女よりもきれいだ。一見すると、誰もが振り向くほどの美少女。色香もあり、微笑んだだけで華やぐ。
男なのに大きな瞳が特徴で、線の細さが儚さを際立たせていた。
「はあー……すっげえ、かわいいんだよなぁ。ってか、めちゃくちゃ俺好みだし。だけど、さ……」
──あれだけ魅力的で、美人なんだ。守ってあげたくなるような気持ちにもさせられる。そんなあいつを好きなやつは、きっと多いんだろうな。
全 紫釉の見目を思い出すだけでも胸の奥が熱くなっていく。次第に顔が、ボッと真っ赤になってった。同時に、他の誰かのものになってしまうと考えた瞬間、チクリとした痛みも芽生える。
この熱さと痛みは何だろうかと、首を傾げた。
「…………よく、わかんねーや」
考えることを放棄する。
ゆっくりと起き上がり、散乱した部屋を凝視した。苦笑いしながら近くにある酒瓶を手に取り、次々と片付けていく。
あっという間に片付けると、今度は寝所の布を剥ぎ取った。それを広げ、窓を開けて干す。
「……俺、何やってんだろうなぁ?」
窓枠に両腕を乗せ、黄昏た。
窓から見える景色は絶景そのもの。
近くに見えるのはいくつもの山だ。その内のひとつは、薄い水の膜に覆われている。浮いてもいる不思議な山の名は崑崙山で、彼が仙人昇格試験を挑む地だった。
そんな山々を背後に、彼が今いる街──【温風洲】──は、とても賑やかである。
常に、山茶花や睡蓮などの花びらが舞っていた。
老若男女問わずに、人々は日々を過ごしている。
街の中にある水路を進む小舟では枇杷を売っている。
豊かな自然に囲まれた、賑やかな街。この街の中にある宿屋で、彼は寝泊まりをしていた。
「阿釉、起きてっかな?」
阿釉と、親しげに字で呼ぶ全 紫釉は、相棒として試験に挑んだ者だ。
たくさんの偶然や思惑が絡んだ試験は多くの者たちに邪魔され、そして助けられる。
出会った人の中には強すぎる優しさがゆえに、課題を複雑に絡ませてしまった者もいた。妖怪の思惑もあり、少しばかり混乱を招く結果にもなっていった。
「……一応、試験の課題は解決したんだけどな」
どこか、煮え切らない思いがある。
それでもできることはもうないのだと、青空を眺めた。ゆったりと進む雲を隠すように、鷹が鳴き声をあげながら飛んでいる。
「……試験の合格発表は、明後日か。それまで何す──」
そのときだった。
ドンッという、下から突き上げるような音が耳に届く。かと思えば、間を置かずに全身が大きく揺れた。
「うおっ!?」
足元が揺れている。それは立っていられないほどだった。
その場に片膝をつき、揺れが収まるのを待つ。せっかく集めた酒瓶は振動のせいで転がり、割れてしまっていた。
一分ほどたっただろうか。振動はなくなった。
爛 梓豪は冷や汗を拭い、ふーと深呼吸する。
「げっ!?」
部屋の惨状に目を逸らした。けれど、それで解決するわけではない。そう悟り、片づけを始めようとした。
「あっ! 阿釉は大丈夫なのか!?」
隣に部屋を取っている美しい人のことを心配し、廊下側にある扉を開けようと手を伸ばす。直後──
「爛清、爛清、大丈夫ですか!?」
扉の向こう側から声がした。扉をたたきながら名を呼ぶ声は、少しばかり慌てているようにも思える。
「阿釉!? よかった。無事だったのか。怪我とか、してないか!?」
「あ、はい。私は大丈夫です。でも、牡丹と躑躅が怯えてしまっていて……」
「あー……それは、まあ……」
あれだけ派手に揺れたことを考えると、動物からすれば恐怖以外の何者でもないのだろう。それは仕方のないことだと、密かに苦笑いをした。
「爛清、宿屋がかなりの騒ぎになっています。どうします? ……ん? あれ?」
「……? どうした?」
扉が何度もガタガタと音をたてている。どうやら全 紫釉が向こう側で扉を開けようとしているようだ。
「……この扉、開きませんよ?」
「え!? 嘘!?」
そう言われた彼は、慌てて扉を掴む。本来この扉は左開きになっていた。けれど何度やっても、びくともしない。
「こ、これって……」
──ちょっと、まずくない? 俺、閉じこめられた? え? でも何でだ? さっきまで普通に開けることができたぞ?
急にこのようなことになるはずがない。爛 梓豪は考えてみた。すると扉の向こう側から、全 紫釉があることを教えてくれる。
「恐らくですが……先ほどの地震の影響で、この扉の建てつけが悪くなったんだと思います。少し歪んでいますし」
全 紫釉の説明に、彼はなるほどと納得した。
──とは言え、このままじゃ、出れないしなぁ。……しょうがない。
「阿釉、ちょっと下がってくれ」
そう言う彼もまた、窓際まで下がった。そして勢いをつけて走り、扉を蹴りつける。
すると扉は、見事なまでに外れた。ドンッという扉が倒れる音と同時に、銀色の糸が目にとまる。
「阿釉」
銀色の糸の正体は、頼もしき相棒の全 紫釉だった。女性のように美しい顔を、黒い衣を被ることで隠してしまっている。
せっかくの端麗な顔なのに勿体ないと思いつつ、無事な姿を見てホッと胸を撫で下ろした。
「いやぁ。めちゃくちゃびっくりしたよ。すっげえ地震だったもんな」
「ええ。ああそうだ。今、従業員の方々が客の安否を確認していましたよ」
「お? そうか」
地震の直後であっても、ふたりとも、動揺はあまりしていないよう。いつものように状況報告をし、整理を始めた。
「あんな地震、俺は初めて体験したよ。阿釉は?」
「私もです。ただ……」
全 紫釉は彼の部屋の中へと入っていった。そして窓まで到着すると、外を指差す。
爛 梓豪は小首を傾げる。
「外、見てください」
「外?」
散乱した酒瓶を避けながら、全 紫釉の待つ窓へと向かった。そして言われるがままに外を凝望する。すると……
街の外は騒がしい。けれどそれはいつものような賑わいとして、だった。裏を返せば、何も変わらないいつもの日常のままである。
「……え? ど、どうなってるんだ!? だって地震起きただろ!? あんなに大きな地震なら、普通はもっと……」
「それについてですが……どうやら地震が起きたのは、この宿屋だけのようです」
彼の驚きに口を挟むよう、全 紫釉は淡々と告げていった。
「……ん? ……んん?」
爛 梓豪は理解できず、自らの耳を疑った。




