すべての真相
爛 梓豪が白無相を連れて、仙人たちが住む山へと向かった。
それを見送った全 紫釉は、翌日、ある場所へひとりで出向く。
「…………」
彼がたったひとりで向かったのは食堂だった。そこでは女性が死に、いもしない娘の存在で騒がしかった場所だ。
けれど今はもぬけの殻で、蜘蛛の巣すら蔓延っている。
──昨日今日に、夜逃げ騒動があったはず。それなのに、こんなに古びてしまっているなんて。明らかにおかしい。
壁を見れば、ひび割れが起きていた。床はギシギシと軋んでいる。椅子や机にいたっては、触っただけで木屑が出てしまうほどだった。
「……やっぱりおかしい。これではまるで、何年も使われていないような空気がある」
黒い衣を脱ぐ。青い華服の袖がヒラリとなっても気にしてはいなかった。
視線はつねに建物の壁などに向かっている。
ざあー……
秋風が、開いている窓から入ってきた。
全 紫釉は髪を押さえ、すっと瞳を細める。
「……どうなっているのか。あなたは、ご存じなんですよね?」
振り向くことなく、淡々と告げた。
そのとき、彼の背後にあった壁が、ゆらりと動く。かと思えば、そこからひとりの中年男性が現れた。
中年男性はボサボサの髪をしている。
「知ってる。あの子たちが願っていたことだから」
「願う?」
何をと尋ねようと、振り向いた。瞬間、中年男性の姿はぐにゃりと曲がっていく。
そして現れたのは中年男性……とは程遠い、真っ黒な服を着た子供だった。
「……やっぱり、あの中年男性の正体はあなただったんですね? 黒無相──」
彼の目線の先にいるのは黒髪に黒い服、そして黒い錫杖を持つ子供である。
この子供は白無相と対をなす妖怪だ。けれど白無相とは違って非常におとなしく、かなりの無口で人見知りをする。
そんな妖怪が、事件の被害者でもある女性の子供の隣人を演じていたのだ。それには何かしらの理由があるよう。
全 紫釉は、それとなく聞いてみた。
「……あ、あの子たちが、願っていたから」
「依頼を解決してほしいという願いですか?」
すると黒無相は、力強く首をふる。
「……違うのですか? と言うか、あなたは一体何をしているのです?」
腰を曲げて、黒無相と目線を合わせた。
子供はもじもじとしながら、潤んだ瞳を彼へと向ける。
「は、初めは、白無相に無理やりやらされていた、銀妃への協力だった、です」
「無理やり……やはりあなたは、自分の意思であの男と、一緒にいたわけではなかったんですね?」
「…………」
黒無相は涙目になりながら頷いた。
「ぼ、ぼくは、人形を作ればいいだけって言われて……」
涙声ですべてを話していく。
黒無相は中秋節になるとほぼ同時に、この町へと着いた。
ともにいる白無相からは、異國の銀妃なる者と協定を結んでいると聞かされる。理由などは不明ではあったが、人形師としての彼らの力を借りたいと言われたとのこと。
白無相は乗り気であったが、黒無相は怪しんでいた。けれど気の弱い妖怪の黒無相は逆らうことができず……
「それで、倉庫のあれですか?」
「う、ん」
そこまで聞いて、全 紫釉は考えを改めていった。かろうじて座れそうな椅子を探し、腰かける。
──気の弱い黒無相だからそこ、ここまで来てしまったということか。だけど、そうなると説明がつかない。なぜこの子は……
ごめんなさいと謝り続ける黒無相の頰に指を伸ばした。大丈夫だからと優しく微笑む。
おいでと、膝の上へ案内した。黒い服の子供は大きな瞳を滲ませながら、彼の膝の上へと乗る。
「依頼を出した子供たちの隣人に扮していたのはなぜ?」
「……こ、この街に着いたとき、あの子たちが、さ迷っていたから」
「さ迷う? それじゃあ、あの子供たちは……」
黒無相の、もちもちとした頬をつついた。妖怪であるということを忘れるほどに柔らかく、そして温かい。そんな頬をムニムニとしながら、さんにんの子供たちを思い浮かべた。
──おかしいと思っていた。あのさんにんの姿を、誰も認識していない感じだったし。何よりも、必ずなくてはならないもの。それが存在していなかった。
「どうして、隣人に成りすましていたんですか? 子供たちに、不審に思われなかったんですか?」
膝の上に乗る黒無相へと尋ねる。子供は黒い帽子を外し、漆黒の髪を見せた。
「あの子たち、もう、記憶がおかしくなってたから。母様が亡くなったことは、覚えていた。でも、それ以外は何も……」
黒無相は、風乱たちの声を耳にする。
母親の死の真相だけを求めていて、自分たちが今、どうなっているのかすらわからなかったそうだ。
そこで黒無相は考える。記憶が曖昧ならば、隣人に成りすましても問題ないはずだと。
子供たちの魂の願いは、母親の死の真相。そして再び会うことだった。
「で、でも、あの子たちは、もうこの世とは繋がっていない。そんな子たちが、依頼出せるはずもなくて……」
「……ああ。もしかして、代わりにあなたが出したんですか?」
「は、はい」
隣人の中年男性に化け、仙人へと依頼を出した。ただ、それだけのことだった。
「なるほど。大体のことはわかりました。でもそうなると、カカオの事件は? それに、ここにいた人たちは……っまさか!」
黒無相を見下ろせば、泣きながら頷いている。
──そうか。爛清や私がこの食堂に来たときにいた客たち。彼らは、過去の人々。元元ここは閉店していて……
「あなたの術で、店の中をきれいに見せていたんですね?」
「ご、ごめんなさい! 姫様を騙すようなことして。でも、これだけは信じて! ぼくは……っ!」
涙を流す黒無相の唇に全 紫釉が、すっと指を当てる。優しい聖母のような笑みを子供に向け、ギュッと抱きしめた。
「大丈夫ですよ。わかっています。あなたは、とても優しい子。でなければ危険を犯してまで、隣人に化けようなんて思いませんから」
黒無相は顔をくしゃくしゃにする。そして彼へと抱きつきながら号泣した。
しばらくすると、黒無相は泣きやむ。涙の痕を拭いていた。
「黒無相、カカオの事件……あれは、過去に起きた事実だったんですね?」
「ぐすっ。はい……ぼくが直接見たわけじゃないから、詳しくは知りません。でも、ここでそれが起きたことは本当。あの子供たちが、それを悔やみ続けていたのも本当、です」
魂を扱う妖怪として、ほっとけなかったというのが本音のよう。申し訳なさそうに、瞳を潤ませていた。
全 紫釉は苦笑いし、優しく黒無相を包容する。
「あなたは何も悪くありません。子供たちの願い……辛い顔を見たくなかったのでしょう?」
黒無相が黙って頷くのを確認した。子供の頭に顎を乗せ、一息つく。
黒無相を見れば、どこか照れている様子。その姿がかわいと思い、彼はクスッと微笑した。
そしてあることを切りだす。
「……白無相はあの子供たちの魂の願いを利用して、倉庫であのようなことをした。それで、合ってますか?」
手持ちぶさたからか。話しながら黒無相の頬を両手でペタッと触り、ムニムニした。
黒無相は嫌がるどころか、とても嬉しそうに笑っている。
──ふふ。少し、元気にはなったかな。……それにしても、ようやくわかった。白無相と黒無相は、同じ目的ではないということ。むしろ、真逆で対立すらしているような感じがする。
これを吉とするか、凶と取るか。それは全 紫釉の心次第だった。