680 「頑張ったで表」
「ふぅ……」
区切りのいいところでペンを置き、一息つく。
目前には、英単語や数式がびっしり書き込まれたノート。昼間に皆から夏休みにかける期待……という名の圧をかけられた俺は、あれからずっと自室の机にかじりついていたのだ。
時は丑三つ時。普通の子どもならば明日に迫る試験に備えて眠るのだろうが、俺は稼働し続ける殺戮兵器。こういったときばかりは、睡眠を必要としない我が機巧に感謝をせねばなるまい。現金なことだがな。この性能に、バイト時代などは大いに助けられたものだ。
「さて」
試験時間まで、まだ時間はある。
テスト勉強など、どれだけやっても足りるということはない。特に今回の試験には、皆と過ごす夏休みがかかっている。万一にも追試や補習を言い渡されるわけにはいかん。もう一踏ん張りだ。
俺は別の教科書とノートを取り出し、再び机の上に並べる。座布団に座り直し、夏前の少しむっとした夜の中で勉学の世界にのめり込まんと──、
「こくこく……はぁ……真剣な顔で勉強する先生素敵……♡ そんな先生の横顔を見ながら飲むワインは格別ですねぇ♡ ここ! この角度! ん~、イケメン!」
「はぁ、そうですか……」
「…………」
のめり込まんと、するが……こちらへ注がれる二つの視線に集中を遮断された。区切りがよかった影響もあり、上手く没入できん。
視線の主は、ティアと聖剣だ。他の皆が寝静まり暇なのか「邪魔はしませんので! 先生を肴にお酒を静かに楽しむだけなので!」と俺の部屋で酒盛りを始めたのだ。
当初であれば焦りや使命感もあり気にならなかったが、こうして勉強に一区切りつくと、どうも余裕という名の隙が生まれてしまう。俺の集中が足りていない証拠だ。
「ティア。またお酒のペースが早く……」
「いいじゃないですかぁ~♪ 明日は休みですしぃ~、潰れちゃっても主は赦してくださいます♡」
主は赦しても俺は許さんぞ。誰がその吐瀉物を片付けると思っている。
机を挟み対面同士で座るそんな二人をチラリと見る。就寝前でも変わらず修道服を着たティアが、ミニスカメイド服の聖剣にお酌をさせているところだった。
ティアは既にほぼできあがっており、だらしない笑みでヘラヘラ笑っている。聖剣はペースを守っているのか、少々頬は赤いが酔っている様子はない。苦笑をしながら身を乗り出し、ティアのグラスに紅ワインを更に注いでいた。
「……」
さっさと潰れさせ、部屋に追い返すか。
だがこうして監視者が傍らにいたからこそ、集中して勉強に打ち込めた面も否定はできない。
さて、どうしたものかな。白紙のノートを前に思案する。邪魔といえば邪魔だが、明日の教科的にはこちらにも余裕はある。根をつめて視野を狭めるより、メリハリをつけて時には視線を上げてみるべきか……むむむ。
迷っていれば……この時間、なぜか特に強い視線を送ってきていた聖剣の視線が、再び俺の頬に刺さるのを感じる。ティア一筋の聖剣が、悪鬼のいったい何を見ているというのだろうか。
「じぃ~……」
「ふっふ~、どうしたんですかエリィ? 先生をじっと見つめちゃって。やはり……分かりますか!? エリィも先生の魅力に気づいてしまいましたか!? 惚れちゃったんです!? というか日中に先生のこと『先輩』って呼んだの思わずスルーしちゃったんですけどあれはいったい──」
「いえ。『なぜこんな男が好かれるのか』と観察していただけです。どこからどう見ても馬鹿で粗野な悪鬼だというのに」
ふん、酷い言われようだな。事実だから仕方がないが。
「でもイケメンですよ」
「ティアは顔がよければそれでいいのですか」
「魂も立ち振る舞いもイケメンですってぇ、でへへ。そこがもうドストライク! きゅんきゅん!♡」
胸の前で"はーとまーく"を作り『きゅんきゅん』と叫ぶアラサー修道女は今日も絶好調に可愛らしい。
だがそんなだらしない己の担い手の姿を見て、聖剣はプイとそっぽを向く。
「……私には分からない」
「えぇ~? じゃあ逆にぃ、エリィの好きな男性のタイプはどうです? そういえば聞いたことなかったかもしれませんね。聞く前に私が食べちゃいましたんで」
この聖女は……。
呆れていれば、聖剣は瞳を閉じ、首を横に振る。
「考えたことも。私はティアしか愛しません」
「たとえば! たとえばですって!」
「む……であれば、ティアのように清廉で」
その程度の清廉さでよいのか?
「ティアのように分け隔てない愛情を持ち」
神も悪鬼も愛する女は、確かに分け隔てない愛情を持っているといえるのかもしれんな。
「尊敬……そう、見ていて自然と尊敬できるような人をこそ、私は愛するでしょう」
「でへへぇ……もうっ、エリィったら♪」
「はい♪ ティア。そう……少なくともそこの悪鬼でないことは確かです。ゆえにこそ『なぜ』という疑問が尽きず、観察していたまでのことです。妙な邪推は、我が担い手といえどやめていただきたい」
「えぇ~」
「ふん……」
そして今の会話で、俺の方針は決定した。我が主も言っている。『売られた喧嘩は、言い値で買い叩く』と。
俺はペンをコロンと投げ、椅子に座る聖剣へ鋭い視線を向けた。
「『なぜ』だと? 先日にも言った通りだ。俺は我が王達が喜んでくれるよう、日々成長を遂げている。彼女達の喜びこそ、我が喜び。それに寄与する俺を憎からず思うことは、むしろ当然のことと言えよう?」
「その勉強というのもそうなのか? 我等刀剣の仕事には必要のないものだろうに」
「ただの刀剣ならばな。だが俺は誇り高き眷属であり、兄であり、弟であり、相棒であり、使い魔なのだ。俺は確かに馬鹿だが、間抜けではそれらは務まらん。ゆえにこれは、無双の戦鬼の仕事足りうる」
「……むぅ、これが……仕事……」
顔立ちに凛々しさの残る聖剣が眉を寄せ、難しく唸る。
そんなミニスカメイドを前に、ティアがヘラヘラ笑顔で提案した。
「あ♪ じゃあエリィも勉強してみれば、先生がどれだけ頑張ってるのか理解できるんじゃないですかぁ~?」
「わ、私がですか?」
トパーズの瞳をキョトンとさせる聖剣に、ティアはその笑みを深める。
「私も修道院で子ども達に簡単なことなら教えていましたが、そういえばエリィにそういうことをさせたことはなかったですねぇ。できるようになれば、私のお仕事も手伝えますし……ちょっとやってみません? ほらほら♪」
「ちょっ、ティア……悪ノリが……」
席を立ち、ティアは千鳥足のまま聖剣の手を引く。
そうしてもつれ合うように座布団へ軟着陸し、ティアは机の上にあった教科書……数学のものを手に取った。
「はいっ。じゃあまずは簡単な方程式から♪」
「は、はぁ……」
ノリノリのティアに対し、聖剣からは『無駄なことを……』という心の声が聞こえてきそうな態度である。無益な遊びに付き合う子どものよう、とも。
「……数学。数字ですか。童子切安綱が苦労する一方、リゼットや刀花のような年頃の子どもでも解ける内容なのですよね?」
「そうですね~」
この聖剣は外国文化の影響か、他の者に対し基本呼び捨てで呼ぶ。とはいえその態度や声色には一本気が宿っているため、呼ばれた側も無礼とは思わない。
担い手相手であれ愛称で呼び、様付けなのは我が姉上のみだ。コイツの趣味がよく分かるというものだった。
「どれどれ……ほうほう」
「分からないところがあれば言ってくださいね~」
「貴様、そもそも勉強などできるのか?」
「ふ、馬鹿にしないでもらおう悪鬼。私こそは、正統なる王のみが抜くことのできる聖剣エクスカリバー。王とは即ち王道……あらゆる道に通じていなければならない。そんな王の帯剣が、簡単な数字遊びをこなせずしてどうするというのだ」
「ほう。言ってくれる」
試すように眉を上げれば、聖剣は再び教科書に視線を戻す。
「ふむ、なるほどな。しかしこれは、あれだな。レベルが低い」
「あぁ?」
得意気な顔にイラッとしながら聞き返せば、聖剣は憎たらしいほどの笑みでこちらに教科書を向け、ペシと当該ページを叩いた。
「見ろ──数学だというのに、アルファベットの誤植がある。これが日本の教科書なのか? 教科書ですらこの体たらくならば、貴様の頭が悪いというのも仕方のないことなのかもしれないな! ですよねティア!」
間抜けは見つかったようだな。
思わず、無言のままティアと視線を交わす。
「…………」
「…………」
……俺は。
俺は、去年の編入試験の勉強をする際、リゼットと刀花がどれほどの絶望を抱いたのか理解できた。
キラキラ笑顔で同意を求める聖剣に、ティアは酔いすら少し覚めた様子で「え~……」と漏らす。
「エリィ、嘘ですよね……?」
「何がですか? あれ? もしかしてこれ英語の教科書……ではないですよね。はい、数学です。驚かせないでください」
コイツはまずいな。
「貴様……」
「???」
小首を傾げる動作で、切り揃えられた金のショートカットがサラサラと揺れる。この一年坊主めが。俺と同じ道を辿りおって。
「あのぉ~、エリィ? これはですねぇ……」
「は、はぁ……?」
そうして気まずそうにするティアが『これは間違いなく数学の問題である』ということを懇懇と……逃げ道を塞ぐように懇切丁寧に説明し……。
「~~~~~ッッッ!!」
「そ、そんなに泣かないでくださいエリィ……」
酒でもイッキ飲みしたかのように首筋から上を真っ赤にし、ミニスカートがくしゃくしゃになるほど両手で握りしめ羞恥に耐えるエリィちゃんができあがってしまった。トパーズの瞳には大粒の涙すら浮かべている。
先程その顔立ちは凛々しいと言ったが、それは男勝りというわけではない。剣道少女のような爽やかな愛らしさすら感じさせる。そんな見た目は可憐な少女がペタンと床に座り、俯いてプルプル震える様はまるで童女のようであった。
「わ、わたっ、私は……!」
「……聖剣」
「──ッ」
呼べば、聖剣はビクッと肩を震わせ縮こまる。
あれだけこちらを馬鹿にしながら、己がそれ以下だったという事実。こちらとしては『馬鹿の金メダルは貴様の首にこそ相応しい』と言ってやってもバチなど当たりはしないだろう。
「う、うぅ~……!」
……とはいえ、だ。
怒られる、と思いながら肩を縮める一年坊主相手に、そんなことを言うのも大人げない。特にここにはティアがおり、ティアは聖剣を愛している。そんな対象に侮蔑を投げ掛けるというのも、ティアがいる手前格好もつくまい。
ゆえに俺は、
「ふぇ……?」
その小さな背中をポンと、慰めるように叩くのだった。
「貴様はこれまで刀剣として、そしてティアに愛でられるためにしか生きてこなかったのだろう。ならば、勉学など出来なくて当然だ。刀剣に高水準の知識を求めるなど無謀であることを、俺は知っている」
「……ぐす。でも、貴様は……」
「ああ、貴様よりはできる。言ったであろう? 俺は積み重ねたのだと。十一年間、人として生きたのだと。たかが一年ほど生きただけの新米に負けるような浅い積み重ねなどしておらんというだけのことだ」
「積み、重ね……人として生きるということ、か……」
しょぼんとする聖剣。何を落ち込んでいるのか。
俺は今一度、そのなだらかな肩を叩いた。
「今は出来ぬからといって、これからも出来ぬということではあるまい? お前はこれから積み重ねられる。俺の十一年という絶対的な時間は埋められぬだろうが、デキの善し悪しならばその限りではない。生真面目なお前のことだ。やり始めれば、勉強の面で俺を越えるなどすぐだろうよ」
「──」
途中からこちらを上目遣いで見上げていた聖剣に、不敵に笑う。
「貴様もこの童子切安綱と同じく、伝説的な刀剣類であろうが? ならば積み上げられぬ道理などあるまいよ。それでも不安に思うのならば……あぁ、そうだな……」
俺はノートの端をちぎり、その上にペンを走らせる。俺が昔、同じように苦悩していた折、刀花が笑顔で渡してくれたものだ。
ペンを置き、出来映えを確認しながらそれを聖剣に渡した。
「こ、これは……?」
「ふ……名付けて『頑張ったで表』だ。まだ空欄しかないそれを頼りに、一つひとつを積み重ねていくがいい」
小学生が夏休みのラジオ体操でもらうスタンプ表のようなものだ。むしろそのものである。刀花がそれにヒントを得て、昔俺に手渡してくれたのを思い出したのだ。
「何かを頑張れば、積み重ねられれば、そこにスタンプを押してやる。人間とは、目に見える成果があればあるほど安心する生き物なのだ。そして、それがいずれ自信になり、その者を人として形作っていく」
「──」
「貴様が刀剣のままでいいと言うのならば、それは止めん。だが担い手をより喜ばせたいと思うのならば、その空欄を埋めてみろ。満杯になる頃には……なに、人として多少は見られる者になっているだろうよ」
「……なぜ、私にここまで……」
「ふん」
スタンプ表に目を落としたまま呟かれる言葉に、俺は鼻息を鳴らした。
「──出来ぬことの不甲斐なさを、その悔し涙の味を、俺は知っているからだ」
「っ」
「なに。やるかやらんかは貴様次第だが……先達として、そういった道もあるということは示しておかねばな。確かにただの刀剣であることの方が楽であり、人として生きるのは面倒ばかりだが……」
「……あぁ」
「これが──楽しいのだ」
それに尽きる。
人として生きるのは面倒だが、それ以上に楽しいことが山ほどある。愛しい者とその楽しさを分け合える喜び以上のものはない。
「あ──」
こちらを見上げるトパーズの瞳。
そこに羞恥や涙以外の感情が宿るのが見える。人として生きる刀剣の先輩として『尊敬』を集められたのかもしれん。尊敬いう感情は強制などされず、先征く者の背中より自然と滲み出るものだ。
「っ」
こちらと視線が合えば、聖剣がパッと慌てて視線を下に切る。だがスタンプ表は、まるで宝物かのようにその胸に抱いたままにして。
そんな聖剣の様子に、戸惑いを浮かべるのはずっとこちらの様子を見守っていたティアだ。
「あ、あれ? エリィ? あれ? も、もしかして……」
「あっ、あのっ、お茶! お茶をいれてきますね!」
「ちょっ!?」
切れ味鋭く、きびきびとした動きで部屋を出ていく聖剣。
それを呆然としたまま見送ったティアは、こちらにギギギと油の切れたブリキ玩具のような動きで向き直り……にこり。
「せ・ん・せ♡ 私にもその『頑張ったで表』く~ださい♡」
「駄目だ。これは物が人になるための"ぱすぽーと"であり、人が持てば当然のように差が出てしまう。劣等感とは多くの者にとって毒にしかならん。貴様は大人なのだから、ご褒美なしで頑張れ」
「おっっっ、大人であっても!! ご褒美は欲しいです!!!!」
「安心しろ。それを大声で叫べるのは人間の証よ。ゆえ、あれはティアには必要のないものだ」
「そ、そそそそんな……わ、私じゃなく、エリィにだけなんてぇ……! お、鬼! 悪魔! 無双の戦鬼! アラサーの脳を破壊して楽しいですかっ!」
見ての通りだ。
「ずるいぃ~~~!! 私もスタンプいっぱい貯めて、先生からエッチなご褒美もらいたい~~~!! ぶえぇ~~~~~!!」
「誰もそんな褒美をやるとは言っとらん。そしてティアならば、スタンプなど貯めずとも褒美をやると常伝えているつもりだぞ。そら、服を脱いでねだれ」
「えっっっ♡ はぁ、はぁ……先生ぇ……♡ わ、私のここ、先生の童子切安綱でいっぱいいぢめてぇ……♡」
「よし分かった。そのまま俺の子を宿せ」
「あ、あっ、いけません……私には主が、愛するエリィが……♡」
「た、ただいま戻りまし──あ゛ーーー!!?? なななななにをしているせんぱ……っ、ど、童子切安綱ぁーーー!!」
「見て分からんか。これから貴様の愛する女を悪鬼が孕ませるところだ」
「エリィ……ごめんなさい、私……♡ あ、それとも混ざります?」
「だっ、だだだだだだめぇぇぇぇえぇぇーーーーーー!!!!」
今にも致しそうな我等に、聖剣は涙を流しながら突撃してくる。
そうして騒音で起きた姉上に怒られるまで、我等はドタバタと大騒ぎを続けるのであった。




