665 「缶蹴りすル?」
「あ、ジン」
「兄さんっ」
「ん、終わったカ」
放課後となり、短い時間で追試も終えた下校時刻。
靴を履き替え校舎を出れば、校門付近で俺の帰りを待ってくれていたご主人様と妹、ついでに露国の諜報員がこちらに気付き手を振ってくれる。
暮れなずむ陽の光を受けて佇むそんな三人は、なかなかに壮観な景色としてこちらの目を焼いた。国際色も豊かである。
お人形のように愛らしい金髪の英国人美少女に、背が高くスタイルも良い銀髪碧眼の美人、そして千年前から褪せることなく日本人が愛してやまない黒髪ロングを活発なポニーテールとして結び、万人が見れば虜になるほどの愛らしく人懐っこい笑みを浮かべる我が愛しい妹。今日も妹という存在を俺にもたらしてくれる世界に感謝。育ててくれた姉上にも感謝だ。
そんな国籍も色彩も豊かな三人が一所に集まっているのだから、それは道行く学生や社会人までも簡単に目を奪われるというもの。校門という通り道にいるのだから目立つのも当然ではあるが。見ろ、外周を走らされている運動部など、一部がよそ見をして大渋滞を起こしておるわ。
「待たせてすまないな」
そんな視線の中を突っ切りながら、少し膨らんだ学生鞄を漁る。そうして手間賃代わりに買っておいたジュースを投げ渡しつつ歩を進めれば、それに合わせリゼットと刀花もその表情にどこか心配げな色を宿し、テトテトと歩み寄ってきてくれた。イレーナは特に思い入れはないのか、澄ました顔のままジュースを受け取り、校門の石壁に背を預けている。ちなみにリゼットは受け取り損ね、一度ジュースを落としていた……そんなダバダバするところも愛おしい……。
「して。これは俺の不始末ゆえ、待たずともよいと言ったのだがな」
「ま、待つわよ。当たり前でしょう? 眷属の成績を確認するのも、ご主人様の務めだし……」
「それでそれでっ、どうでしたか!?」
「まるで子どもの受験だナ……」
呆れたように肩を竦めるイレーナに鼻息を返しつつ、俺は二人に安心させるよう笑みを向けた。
「無論、大事なく終わったとも。所詮は敗戦処理にも似た追試、何かが起こるべくもない」
「あなたの場合、それが起こっちゃうから心配なのよっ」
「まぁ確かに。途中で我がマスターにどうしても会いたいと肥大化する欲求に抗うのが大変ではあったが」
「えっ♡ そんな……もう、おばか……♡」
「お昼の後遺症じゃないですか……」
「戦鬼が何かを起こしているのではなク、そのご主人様が一番邪魔をしているのだナ」
「あなた達うるさい」
とはいえ、追試を問題なく通過できたこと自体は僥倖である。勉学に関して言えば、やはり地道な努力こそが一番の近道となるのだ。勤勉な態度を示していれば、教諭の採点とて甘くなる。感謝するぞ、採点中に解答を変えさせてくれた数学の小野田……あれがなければ少々危うかった……。
「それデ?」
そのままの足で校門を抜け、帰り路についていれば。
両側をご主人様と妹で固める俺に対し、イレーナが数歩先をモデルのような足取りで征きつつ、視線のみを寄越し妖しく笑う。
「試験も終わったのだシ、そろそろ私と殺し合いをしてくれるノ?」
「ダメ。なぜならこれからご主人様と優雅な時間を過ごすからよ」
「駄目です。なぜならこれから可愛い妹とえちえちなことをするからです」
「すごい温度差と生々しさの差ダ……」
「そもそも貴様は俺をどうしたいのだ……マスターと刀花に上手く取り入りおってからに」
「クラスメイトと仲良くなるのは当たりマエ。殺し合いはただの趣味、強いオスが好きだかラ。殺しても死なないオスはもっと好キ。私の任務は主に情報収集だけド、できれば私のことを好きにさせテ、そのまま本国に引き抜きたイ」
「殺し合いたいならトーカと戦えば?」
「残念ながら私は異性愛者。そして殺し合いを経験したいのであっテ、死にたいわけではなイ。つよつよランキング上位なんてただの異常者集団。そんなのに勝負を申し込むなんて勇敢を通り越してキモイ。あんなランキングに入ってるのもぶっちゃけキモイ」
「ここに公式非公式一位の兄妹がいるんだけど」
「その理屈なら俺とて除外されるだろう」
「『無双の戦鬼は美少女相手なら優しくしてくれるフェミニストでありルッキストでもある』と各国の秘密機関では有名」
「あなたメチャクチャ言われてるわよ」
同じようなことを秘蹟編纂省でも言われたため否定できん……事実として、美しいモノは好きだからだ。
難しく唸っていれば、イレーナは澄んだ碧眼をジトっと細める。
「自分で言うのもなんだけド、これでもどこかの作品くらいならメインヒロインになれるくらいの美少女なのニ、いったい何が不満なのカ? しかも処女」
「そういうこと自分で言っちゃうふてぶてしさじゃないかしら……」
「私はなんでも言葉にしてくれるの好きですよっ」
「束縛強めな女なんて放っテ、少しくらい私と遊んでくれてもよくなイ? もうそこの公園で缶蹴りでもいいかラ」
「この女本当にただ遊びたいだけなんじゃないの。ん? 今、束縛強めな女って言った?」
リゼットが静かに怒りを蓄えている間にも、イレーナはイタズラっぽく微笑みながら飲み終えたジュースの缶をフリフリと振る。
「缶蹴りすル?」
「せん。誰がそんな下らん遊びを」
「ビビってんノ?」
「あ?」
缶蹴り開始──!!
「缶を寄越せ。無論、最初の鬼はこの無双の戦鬼が引き受ける。要はこの缶を守護すればよいのだろう? だが、ただの缶というのも侘しいものだ。ここは俺の意欲を上げるため、まずは我が主の美しい金の抜け毛を取り付け、愛らしさをだな……」
「私の抜け毛集めるの気持ち悪いからやめてって言ってるでしょおバカ」
「シュウゥーーーーーーーーーー!!!!!!」
「マスタぁーーーーーーーー!!!!」
「それを私扱いされるのすごい複雑なんだけど」
一瞬の隙をつかれ、神速で振り抜かれる刀花の蹴りにより公園の奥地まで缶を飛ばされてしまった。俺のマスター缶がっっっ。
茂みに入ってしまった缶を探し当て、公園の中心に戻りながら俺は涙を飲む。
「たとえ我が妹とて、俺のご主人様を足蹴にすること……ゆ゛る゛さ゛ん゛!」
「そんなグチャグチャに泣く?」
「む、マスター見つけた」
「最初から参加してないから……あなた達みたいな万国ビックリ人間の遊びになんて付き合えないから……」
手をヒラヒラと振って、リゼットは近くのブランコに腰かける。インドア派のご主人様におかれては、友人と外で遊ぶ経験も楽しんでほしいものだが。
「さて……」
そんな彼女を見送り、俺は周囲に視線を走らせる。
刀花とイレーナは上手く隠れている。刀花は当然として、イレーナも諜報員という職に恥じぬ気配の消し方だ。
果たしてどこに隠れているのか。俺はじりじりと砂を蹴りながら、慎重に缶から距離を離していく。守護対象から離れれば離れるほど敵の発見は容易くなるが、同時に襲撃の危険性も跳ね上がっていくことになる。
だが籠城を決め込むばかりでは、敵を排除できない。安全と危険とを常に天秤へとかけながら、守護と排除を両立させねばならないのだ。
「──ッ!!」
缶蹴りとは──つまり死合いと呼ぶに相応しい遊びなのだ……!!
「ハァ……ハァ……!!」
「缶蹴りでこんなに汗かいてる人初めて見た。主婦のおば様達が遠巻きにヒソヒソしてこっち見てるから早めに終わらせてね」
リゼットの冷たい声と、主婦層が小さな子の手を引きそそくさと離れていく気配を感じながら、冷や汗を拭う。
どこだ……どの間合いから仕掛けてくる。今のところ、周囲に異変は感じられない。遊具周りは静かなものだ。強いて言えば、水飲み場の水がいつの間にか出しっぱなしになっていることだが……むっ、いやっ!
「来るか──」
「なにが? って、うわ」
缶を中心に円を描くようにして密かに撒かれていた水が、次々に脈動して人の形をとり始めたのだ。
水が形作るのは銀髪碧眼の少女……イレーナ。なるほど、人間と水の精の半人半妖という出自は伊達ではないというわけだ。
(撹乱が目的か……?)
偽者を示しながら缶を踏んでも、それは有効とは言えぬだろう。この中に本物が一人潜んでいるか、それとも全員偽物で影から機会を窺っているのか……?
『っ』
考えている間にも、俺と缶へ向け走り出す総勢十人以上のイレーナ。そちらが外法を使ってくるというのならば、こちらとて容赦はせんぞ!
「むぅん!」
腹に力を入れ、覇気を撒き散らす。意識あるモノであれば思わず竦んでしまうほどの覇気を。
強い気を当てられた水は、途端に原形を保てなくなり、ただの水としてパシャリとその場に水溜まりを残す。こちらと近い水の分身から、それは次々に伝播していき──む。
「全員、偽物だと……?」
てっきり本物が一人混じっているものと踏んでいたが……水の分身でも缶は蹴れんこともないだろうが、俺を相手取るには少々芸がない。
「別の意図が……?」
結果として、缶周辺には水溜まりが遍在することとなっているのみ。目眩ましか? ならば缶より外周に注意すべきかもしれん。
「──」
そう判断し、缶と水溜まりから、周辺の遊具の方へ視線を切った──その時を待っていたかのように、濃密な気配が背後の水溜まりから現れた!
「ちっ、水の中に──!」
缶の最も近くにある水溜まり。
そこからぬうっとイレーナが姿を現し、まさに今、缶を蹴ろうとしている……!! 十一年前に青龍めが見せた、水から水へと移動する術技『流転』に類するものが露国にもあるのか!
紺色のプリーツスカートから伸びるしなやかな脚と、よく磨かれたローファーに包まれた爪先が缶へと迫る。
(間に──)
合わない……!!
「ク、ハハハ……」
今の姿のままではな……。
獣のような前傾で疾駆しながら、俺は缶と爪先の間に──、
「ハァッ──!」
頭から生やした闇色の角を、差し込む──!!
「……さすガ」
それは見事僅かな隙間を掻い潜り、イレーナの鋭い爪先をすんでのところで止めた。
「だが、それだけではあるまい!」
「ム!」
無論これに続くであろう、これまで沈黙を保っていた刀花の連携も見据えている!
読み通り、缶を挟んだ俺の背後の水溜まりから、刀花が現れる気配。水溜まりを媒介にした挟撃こそが、二人の狙いだ!
「見切った!」
垣間見えるイレーナの淡い水色の布地から目を逸らすことなく、ここに至る途中で拾っていた俺の学生鞄を今度は刀花の爪先と缶の間に挟み込んだ。どれだけの強さで蹴られても構わぬよう、鞄の中には既に鉄板を仕込んである。抜かりはない!
そうして楽しそうな笑顔のまま足を振り抜こうとする刀花を前に、その衝撃を耐えるべく俺は腕に力を入れ──しかし、
パァン!!
「な、に……!?」
爪先が鞄に振れた瞬間……刀花の姿が、弾けた。雨のように散る水飛沫と共に。
(ここに来て、また分身だと……!?)
そんな俺の間隙を縫うように──、
「シュウゥーーーーーーー!!!!」
刀花の鋭い声の後、見事缶を撃ち抜かれた。
──ジャングルジムのてっぺんから飛ばしてきた、刀花の片っぽのローファーによって!
「遠距離攻撃ってありなの?」
そんなリゼットの呆れた声も無情に耳を流れゆく。
やられた。水分身の大群で目を眩ませ、イレーナの実体と刀花の幻影で近距離戦をこちらに意識させ、最後に意識の外である遠距離から標的を撃ち抜く。
結果……金色の髪を幾筋が貼り付けた缶が、悲しくも宙を舞うこととなってしまった。
「ま、マスタぁーーーーーーー!!」
「だからそれ私じゃないって」
「むふー、リゼットさん討ち取ったりー!」
「私じゃないって」
「ふ、作戦勝チ。とはいエ、刀花ちゃんの超高速狙撃ありきの作戦だったけド。ナイス刀花ちゃン。さすがの仕事だっタ」
「そうですか? そうですか? 靴飛ばしなんて久し振りにやりましたけど、案外いけるものですねっ! もっかいリゼットさんにシュウゥーーーーーー!!」
「ちょっ、死体撃ちやめなさいよマナー悪いわね! というか本当に私だと思って蹴ってるでしょ! あったま来た……ちょっとジン! 今度は私が指示を出すわ! こんなノリで生きてるだけの二人にいいようになんてさせないわよ!」
「吸血姫とその眷属が相手とハ、面白くなってきタ。吸血鬼はその眷属と組んだ時にこそ真価を発揮すル……刀花ちゃン!」
「むふー、第二ラウンドいきますよぉ~……シュウゥーーーーーーー!!!!」
「飛ばしすぎだってばもう!! ジン取ってきて!」
「承知した、マスター!」
そうして俺と年少組の少女達は、勉強中の間に遊べなかった分、その鬱憤を晴らすかのように日が暮れるまで缶蹴りに興じるのだった。
「──皆揃って、泥だらけではありませんか。もう……どうして体操服に着替えなかったのですかっ。ご飯も冷めてますしっ」
「すまん……」
……年甲斐もなく泥だらけで帰り、姉上に怒られることでオチはついた。すまない、姉上……。




