第90話 ドラゴンクイーン
ドラゴンクイーンは歩みを止めない。
ゆっくりと近づいてくる姿を改めて見ると、派手なのは化粧だけではなかった。
大柄な身体を包む極彩色のドレスは足元まで伸び、
それでも収まりきらない裾が後ろの地面を長く引きずっている。
歩くたびに布が草を撫で、土の上を滑るようについてきた。
ずいぶんと動きにくそうな格好だ。
迷宮ならまだしも、こんな荒れた場所を歩く服ではない。
あの格好でここまで歩いてきたとなると、どこから来たのかが気になる。
もっとも、相手は魔物だ。
服装の常識を考えるだけ無駄か。
それよりも……
両手にも腰にも武器らしいものは見当たらない。
名前にドラゴンと付いているだけに、火でもはくのだろうか。
見た目からは竜らしい要素など、どこにも見当たらないが。
「師匠、どうします? こちらから仕掛けますか?」
カーリナが槍を構えたまま尋ねてきた。
「まだ分からない。少し様子を見よう」
武器を持っていないからといって、安心材料にするのはまだ早い。
Sランクなら、魔法や特殊能力の一つくらい持っていても不思議ではない。
ここは相手の出方を見るのが先だ。
それから仕掛けても遅くはない。
それに、夜通し戦った身体が重い。
正直なところ、ちょっと横になりたい気分だ。
隣ではボニーが剣を構え、その少し後ろでユホも剣を握っている。
リーザは杖を手にしたままドラゴンクイーンを見据え、
レオノールもクロスボウへ矢を装填していた。
周囲でも剣を抜く音が続く。
右翼に残っていた騎士や冒険者たちが、
こちらと同じようにドラゴンクイーンへ向き直っていた。
一晩戦い続けたのは自分たちだけではない。
それでも、目の前にSランクが現れた以上、休んでいる場合ではないらしい。
この状況――ひとりだけ寝るわけにはいかないな。
そうこうしている間にも、ドラゴンクイーンとの距離がさらに縮まる。
武器も持たず、長い裾を引きずりながら歩いてくるだけなのに、
誰も先に踏み込もうとしない。
静まり返った平原に、地面を擦る布の音だけが近づいてきた。
静寂を破ったのは、少し離れたところにいた冒険者の声だった。
「ドラゴンクイーンだ。格闘で戦う魔物だ!」
周囲の何人かが声のした方へ顔を向ける。
知っている者がいたか。
それなら、少なくとも何をしてくるか分からない相手ではない。
「武器は持ってない。囲んで一気に行くぞ!」
声を掛け合い、六人の冒険者が前へ出た。
剣や槍を手に左右へ広がり、ドラゴンクイーンを囲んでいく。
そこで初めて、ドラゴンクイーンの歩みが止まった。
格闘相手に武器を持った六人。
しかも一方向からではなく、囲んで同時に仕掛けるつもりらしい。
普通に考えれば悪くない。
先頭の剣士が地面を蹴った。
「行くぞ!」
掛け声と同時に、六人が一斉に動く。
正面から振り下ろされた剣を、
ドラゴンクイーンは身体をわずかに傾けてかわした。
そのまま一歩踏み込み、剣士の胸へ掌を叩き込む。
鈍い音とともに身体が後ろへ飛び、地面を転がった。
横から槍が突き出される。
ドラゴンクイーンは身を引くどころか、槍を脇へ挟み込み、
そのまま身体をひねる。
槍を手放す暇もなく、冒険者の身体が宙へ浮いた。
大きく弧を描き、背中から地面へ叩きつけられる。
反対側から斬りかかった男には蹴りが飛んだ。
剣を振り下ろすより先に腹へ入り、男の身体がくの字に折れる。
膝をついた直後、間髪入れず顎を蹴り上げた。
男が仰向けに倒れる。
残った三人が同時に迫る。
ドラゴンクイーンは一人の首元へ腕を回し、その身体を脇へ抱え込んだ。
拘束された冒険者がもがく間にも、別の男が剣を振りかぶって近づいてくる。
空いている片手が動いた。
拳をまともに受けた男が横へ弾き飛ばされる。
直後、抱え込んでいた冒険者の身体を持ち上げるように腰を入れた。
足が地面から離れ、勢いそのまま背中から叩きつけられる。
最後の一人だけが残った。
長い裾を地面へ引きずりながら、ドラゴンクイーンは一歩ずつ近づいていく。
男は腰が引けたまま動けず、ドラゴンクイーンが近づくにつれて、
震える剣先だけが少しずつ下がっていく。
次の瞬間、ドラゴンクイーンが男の顔へ額を叩き込んだ。
鈍い音が響き、剣が手から離れ、男はその場で膝から崩れ落ちた。
ドラゴンクイーンは乱れた髪を片手でかき上げる。
あっという間に六人の冒険者が倒された。
立っている者は一人も――
「ぐっ……」
最初に吹き飛ばされた剣士が、剣を杖代わりに身体を起こそうとしている。
「ぐあっ……!」
ドラゴンクイーンが起き上がりかけた男の背中を踏みつけ、
そのまま地面へ押し戻した。
速くて、力強い。
だが、一番厄介なのはそこじゃない。
戦い方は驚くほど冷静で合理的だ。無駄に暴れず、一人ずつ確実に潰していく。
大柄で派手な見た目に反して、かなりの頭脳派だ。
それに……頭まで硬いのかよ。
格闘型だと知っていたところで、あれをどうにかできなければ意味がない。
皮肉にも、六人の冒険者が、身をもってそれを証明してしまった。
ドラゴンクイーンが剣士の背中から足を下ろし、
ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
次の瞬間、地面を蹴った。
「えっ?」
カーリナの声が聞こえたときには、
ドラゴンクイーンはもう目の前まで迫っていた。
カーリナが反射的に槍を突き出した。
ドラゴンクイーンが左腕を伸ばし、槍の柄を掴むと、そのまま強く引く。
「わっ!」
カーリナの身体が前へつんのめった。
ドラゴンクイーンとの距離が一気に縮まり、右の拳が持ち上がる。
その横から、ボニーの剣が薙ぎ払われた。
ドラゴンクイーンは槍から手を離し、一歩退いて剣をかわすと、踏み込んできたボニーの腹へ蹴りを返す。
「くっ!」
ボニーがよろめきながら数歩下がった。
ドラゴンクイーンが再びカーリナへ向き直り、一歩踏み出す。
「カーリナ、下がれ!」
ユホが割って入り、剣を振り下ろした。
ドラゴンクイーンの腕が横から伸び、刀身の側面を押して軌道を外へ流す。
そのまま肘を刀身へ押しつけ、下から膝を突き上げた。
甲高い音が響く。
折れた刀身が回転しながら宙を舞い、離れた地面へ突き刺さった。
「なっ――」
ユホの手には、途中から折れた剣だけが残っている。
その一瞬だった。
ドラゴンクイーンの手がユホの首元を掴む。
「ぐっ……!」
片腕だけでユホの身体が持ち上げられ、両足が地面から離れた。
考えるより先にワンドを向ける。
「アクア・バレット」
放った水弾がドラゴンクイーンの肩へぶつかり、弾けた。
しかし、身体はほとんど揺れない。
代わりに、ゆっくりと顔がこちらへ向いた。
まずい。
思わず撃ち込んだが、完全にこちらへ注意を向けてしまった。
ドラゴンクイーンは自分を見たまま、掴んでいたユホを横へ放り投げる。
「うわっ!」
ユホが背中から地面へ落ち、そのまま何度も転がっていった。
「ユホ兄さん!」
カーリナの声が響く。
ユホを放り投げたあとも、ドラゴンクイーンはすぐには踏み込んでこない。
さっきから視線が自分から外れないのが気になるな。
もしかして、次に狙われるのは自分――
「こっちだ!」
右手から一人の騎士が剣を振りかぶって駆け込み、
ドラゴンクイーンとの距離を詰めていく。
ドラゴンクイーンは騎士へ顔を向けると、
右手を持ち上げ、指先を唇へ触れさせた。
何をするのかと身構える間に、唇から離れた指先が騎士へ向けて払われる。
投げキッス……か?
いや、そんなわけが……
でも、どう見てもあれは……
あまりにも場違いな仕草に気を取られたが、
それを受けた騎士の動きがおかしい。
駆け込んでいた足が急に遅くなり、
振りかぶっていた剣がゆっくりと下がっていく。
やがて柄を握る指がほどけ、剣が地面へ落ちた。
それでも騎士は拾おうともせず、両腕を垂らしたまま、
ふらふらとドラゴンクイーンへ歩いていく。
この動きは――誘惑だ!
バニーガールを正面から見たときも、身体がふわりと軽くなり、
考えが薄れていった。
あの騎士も、武器を落としたまま無防備に近づいている。
騎士が目の前まで近づいたところで、ドラゴンクイーンが腕を大きく振った。
頬を打つ乾いた音が響き、
平手打ちをまともに受けた身体が横へ弾き飛ばされる。
騎士は受け身も取れずに地面へ落ち、そのまま転がっていった。
おいおい、無防備にさせてから、あの力で殴るのかよ。
背後から別の冒険者が剣を手に迫っていた。
ドラゴンクイーンが振り返り、再び指先を唇へ運ぶ。
「見るな!」
声を張り上げたときには、もうその手が冒険者へ向けて払われていた。
踏み込もうとしていた足が止まり、剣先が地面へ向かって下がっていく。
間に合わなかったか。
剣が手から滑り落ちても、冒険者はドラゴンクイーンから顔を背けない。
先ほどの騎士と同じように、武器を置き去りにして近づいていった。
ドラゴンクイーンはその場を動かず、
冒険者が手の届くところまで来ると、後頭部へ片手を回した。
そのまま頭を引き下げ、顔面へ膝を突き上げる。
「ぐっ!」
冒険者の身体が一度跳ね、両膝が折れた。
ドラゴンクイーンが手を離すと、そのまま地面へ崩れ落ちる。
剣を振れば折られ、距離を取れば誘惑で近づかされる。
しかも、武器を落とした相手にも容赦がない。
さっきは警告したときには、もう手がこちらへ払われていた。
声を掛けるなら、もっと早くなければ間に合わない。
ドラゴンクイーンが倒れた冒険者から顔を上げ、今度はカーリナへ向き直った。
また片手が持ち上がる。
その指先が唇へ近づいていくのを追いながら、
自分は声を張るために息を吸った。
「カーリナ、見るな!」
カーリナが顔を背けた直後、ドラゴンクイーンの指先が唇から離れ、
その手がカーリナへ向けて払われる。
カーリナは槍を握ったまま、その場に踏みとどまっていた。
先ほどの二人のように武器を落とすことも、
ふらふらと近づいていくこともない。
今度は間に合った。
指先が唇へ触れる前に警告すれば、顔を背ける時間が取れる。
あの手の動きを見逃さないようにしなければ。
「皆さんも、指を口元へ持っていったら、すぐに顔を背けてください!」
返事が重なる間に、ドラゴンクイーンがカーリナへ踏み込んだ。
カーリナが向き直って槍を突き出すが、
穂先をかわした大柄な身体が、そのまま間合いへ入ってくる。
「下がって!」
カーリナが槍を引きながら後ろへ跳ぶ。
追おうとしたドラゴンクイーンへ水弾を放ち、
その足が止まったところへレオノールの矢が飛び込んだ。
身体をひねってかわす間に、カーリナが距離を取る。
隣ではリーザも杖を向けていた。
近づけば、こちらの攻撃を利用される。
今のように離れた場所から手を出す方が、
少なくともあの間合いへ入らずに済む。
「リーザさん、魔法で攻めましょう。
レオノールちゃんは、後ろから援護をお願い」
「わかりましたわ」
「カーリナ、ボニーさんは、正面から仕掛けないでください」
カーリナが槍を構え直し、ドラゴンクイーンへ穂先を向けたまま口を開く。
「向こうから来たときなら?」
「そのときは横から止めてくれ。
攻撃するなら、こっちへ注意が向いている間に横か後ろから。
深追いはしないでくれ」
「分かりました」
ボニーも剣を構えたまま一歩下がり、カーリナと左右へ分かれていく。
その間からドラゴンクイーンへワンドを向けると、
向こうもこちらへ顔を向けた。
隣でリーザが杖を持ち上げ、
後ろからはレオノールが次の矢を装填する音が聞こえる。
さっきは、一瞬で目の前まで来られた。
この距離があっても、動いてから狙ったのでは間に合わない。
踏み出すところを捉えなければ。
長い裾を引きずっていたドラゴンクイーンが、地面を蹴った。
「来ます!」
向けていたワンドをそのままに、こちらへ迫る身体へ狙いを定めた。
「アクア・バレット」
こちらへ迫るドラゴンクイーンの胸元へ水弾を撃ち込んだ。
水が弾け、踏み込む勢いがわずかに鈍るが、足を止めるには至らない。
「イグニス・バレット」
隣から放たれた炎の弾が、ドラゴンクイーンの脇腹へぶつかった。
炎が弾けると、大柄な身体が大きくよろめき、踏み出していた足が止まる。
極彩色のドレスには焦げ跡が残り、薄い煙が立ち上った。
今のは効いた。
水弾を受けてもほとんど揺れなかった身体が、あれだけ崩れている。
「リーザさん、もう一度!」
「はい!」
リーザが杖を向け直すと、ドラゴンクイーンがそちらへ顔を向けた。
その足が踏み出す前にレオノールの矢が飛び、
首を傾けてかわしたところへ、カーリナが横から槍を突き出す。
穂先が脇腹をかすめ、ドラゴンクイーンがカーリナへ向き直った。
「深追いするな!」
「はい!」
カーリナがすぐに槍を引いて離れると、
反対側から背後へ回り込んだボニーが剣を振るった。
ドラゴンクイーンがそちらへ向き直り、リーザへ背中を向ける。
「イグニス・バレット」
その背中へ炎の弾が直撃した。
大柄な身体が前へよろめき、ドレスの背中が黒く焦げる。
ボニーは追撃せず、剣を引いて距離を取った。
二発とも、水弾とは明らかに反応が違う。
自分が同じように撃ち続けるより、
リーザの火魔法を当てる機会を増やした方がいい。
「リーザさん、そのまま火魔法で攻めてください。こちらで足を止めます」
「わかりましたわ」
ただ、リーザも一晩中戦ったあとだ。
いつまでも撃ち続けてもらうわけにはいかないし、
近づかれれば杖を構えている余裕さえなくなる。
狙って撃てる時間を、こちらで作らなければ。
水弾と矢で牽制する間に、リーザが杖を構え直す。
カーリナとボニーも左右へ回るが、
その前でドラゴンクイーンがリーザへ顔を向け、身を沈めた。
「リーザさん、下がって!」
リーザが後ろへ下がるのと同時に、ドラゴンクイーンが地面を蹴る。
横からカーリナの槍が伸び、その進路へ穂先が差し込まれた。
ドラゴンクイーンが足を止めて槍をかわすと、反対側からボニーが剣を振るう。
身体をひねって剣を避けている間に、
カーリナは槍を引き、ボニーも踏み込んだ足を戻した。
二人が離れ、ドラゴンクイーンの胸元が空く。
「リーザさん!」
「イグニス・バレット!」
炎の弾が胸へぶつかり、
弾けた炎の向こうで、大柄な身体が数歩後ろへ下がった。
焦げたドレスから煙が上がるが、
膝をつくことなく、またこちらへ顔を向けてくる。
水弾では得られなかった手応えがある。
それでも、ここまで火を受けて、まだ倒れない。
水弾と矢で足を止め、カーリナとボニーが横から牽制する。
その間にリーザが火魔法を撃ち込み、
指先が口元へ上がれば声を掛けて顔を背ける。
同じことを、何度繰り返しただろう。
ドレスの焦げ跡は増えていくのに、
次の攻撃を構える頃には、また距離を詰めてくる。
こちらへ踏み出しかけたドラゴンクイーンが、急に方向を変えた。
「ボニーさん!」
呼び掛ける間にも、大柄な身体がボニーの懐へ入っていく。
迎え撃とうとした剣を外へ払い、そのまま肩をぶつけた。
「ぐっ!」
ボニーが弾き飛ばされ、地面を転がった。
追おうとする足をカーリナの槍が止め、
水弾と矢で牽制する間に、ボニーが剣を支えに立ち上がった。
「大丈夫!」
そう言いながらも、すぐには前へ出ず、息を吐いて足元を確かめている。
また何度か攻撃を重ねたところで、今度はカーリナの槍が掴まれた。
引き戻すより先に柄を強く横へ振られ、踏ん張った足が地面から離れる。
「わあっ!」
横へ投げ出されたカーリナが地面を転がる。
水弾で牽制する間に起き上がったが、
膝の土も払わず、槍を支えにして一度息をついた。
リーザの火魔法も、次の一発まで間が空くようになっていた。
杖を構え直すたびに肩が上下し、呼吸を整える音が隣から聞こえる。
「リーザさん、無理はしないでください」
「まだ、いけますわ」
そう答えて杖を持ち上げるが、すぐには魔法が続かない。
一晩中戦ったあとで、これだけ撃ち続けている。
休んでもらいたいが、
火魔法を止めている間も、ドラゴンクイーンはこちらへ迫ってくる。
横から斬りかかった二人の冒険者も、拳と投げで地面へ倒された。
助けに入った騎士まで蹴り飛ばされ、
起き上がりかけたところを踏みつけられる。
水弾を放って足を離させたが、騎士は伏せたまま動かなかった。
誘惑への警告も間に合わず、
武器を落として近づいた者が平手打ちで吹き飛ばされる。
倒れた者を目で追っていれば、その間に詰められる。
助けに動く時間さえ、まともに取れない。
何度も水弾を放つうちに、周囲から割って入る掛け声が減っていた。
腕を抱えてうずくまる冒険者や、身体を起こそうとする騎士が目に入るが、
一人ずつ様子を確かめる余裕はない。
ドラゴンクイーンの姿も、最初とはずいぶん変わっていた。
鮮やかだったドレスは泥と焦げ跡にまみれ、
槍や剣がかすめた箇所では布が裂けている。
後ろへ長く伸びた裾にも土がこびりつき、動くたびに荒れた地面を擦っていた。
頬の濃い化粧も崩れ、ところどころ色が筋になって擦れている。
それでも、ドラゴンクイーンはまたこちらへ顔を向け、指先を唇へ近づけた。
「見るな!」
顔を背けた直後、地面を蹴る音がした。
すぐに向き直ると、ドラゴンクイーンがもう目の前まで迫っている。
身体を横へ投げ出すと、拳が頬のすぐそばを抜けた。
地面へ肩を打ちつけ、そのまま転がりながらワンドを握り込む。
誘惑を避ける間は、こちらも相手から目を離している。
あの速さでは、顔を戻すまでに間合いへ入られてしまう。
「師匠!」
片膝をついて顔を上げると、ドラゴンクイーンがこちらへ踏み出していた。
カーリナの槍とボニーの剣が横から迫り、レオノールの矢が続く。
その間に立ち上がって距離を取ると、
リーザの炎がドラゴンクイーンの脇腹へ直撃した。
身体はよろめいたが、まだ倒れない。
ワンドを持ち上げ直す腕が重く、息を吸っても呼吸が整わなかった。
いつの間にか、朝日はずいぶん高くまで昇っていた。
周囲へ目を走らせても、
武器を構えて立っている騎士や冒険者は、もう見当たらない。
カーリナが槍を握り直し、ボニーも肩で息をしながら剣を構える。
後ろではレオノールが次の矢を装填し、
隣のリーザも杖を下ろさずに踏みとどまっていた。
この一帯で、まだあれと戦っているのは自分たちだけだ。
誰か一人が崩れれば、今のように攻撃をつなぐこともできなくなる。
ドラゴンクイーンがこちらへ向き直るのに合わせ、重い腕を持ち上げた。
「イグニス・バレット!」
ドレスにまた一つ焦げ跡が広がったが、ドラゴンクイーンは足を踏み直すと、
焦げた布から煙を上げながらリーザへ顔を向けた。
「リーザさん、下がって!」
地面を蹴ったドラゴンクイーンの進路へ、カーリナの槍が伸びる。
だが、身体をずらし穂先をかわすと、柄を片手で外へ押しやった。
「くっ!」
カーリナの上体が流れる間に、反対側からボニーが斬り込んだ。
ドラゴンクイーンは振り下ろされる剣の軌道から身をずらし、
ボニーの腕を横へ払って、その脇を抜けてくる。
二人の間を抜かれた。
リーザへ迫るドラゴンクイーンの肩へワンドを向ける。
「アクア・バレット!」
水弾は肩へ当たったが、身体をわずかに揺らしただけで弾けた。
足は止まらず、リーザとの距離が縮まっていく。
リーザは杖を向けているものの、魔法が続かない。
肩で息をしながら下がる足も遅く、
ドラゴンクイーンの一歩で、開いた距離が詰まってしまう。
「リーザさん!」
ドラゴンクイーンの右腕が持ち上がった。
もう一度ワンドを向けるが、その拳が届く方が早い。
踏み込もうとした大柄な身体が、不意に止まった。
後ろへ長く伸びたドレスの裾が、地面へ向かって張り詰め、
持ち上げた右腕が揺れる。
裾の先には、片膝をついて剣の柄を両手で押さえ込むユホがいた。
「ユホ兄さん!」
カーリナの声が上がった。
ユホが体重を掛けているのは、さっき折られた剣だ。
柄側に残った短い刃が、ドレスの裾を貫いて地面へ突き立っている。
ドラゴンクイーンがなおも前へ出ようとすると、
張り詰めた布が裂ける音がした。
布の裂ける音は止まらない。
長くはもたない。
それでも、リーザへ届くはずだった一歩は止まった。
右腕を上げたまま、ドラゴンクイーンの身体が傾いている。
「今です!」
カーリナとボニーが同時に踏み込む。
自分もワンドを向けた。
左からカーリナの槍が伸び、反対側ではボニーの剣が振り抜かれる。
ドラゴンクイーンは傾いた身体のまま槍へ腕を伸ばしたが、
払いきれず、穂先が身体をかすめた。
さらにボニーの剣が脇腹へ入り、身をひねる動きに合わせて、
張り詰めた裾から布の裂ける音が響く。
ユホは剣の柄を両手で押さえ込んでいる。
その刃の周りから裂け目が広がっていくのを捉え、声を張った。
「レオノールちゃん!」
弦音とともに飛んだ矢が肩へ突き刺さり、ドラゴンクイーンの上体が揺れる。
カーリナとボニーが武器を引いて離れたところへ、構えていたワンドを向けた。
「アクア・バレット!」
胸元で水弾が弾ける。
ドラゴンクイーンは飛沫の向こうで顔をこちらへ向けたが、
すぐには踏み出せない。
「リーザさん!」
隣ではリーザが杖を両手で構えていた。
肩は大きく上下しているが、杖先はドラゴンクイーンの胸へ向いている。
ドラゴンクイーンがそちらへ向き直り、強引に足を踏み出した。
張り詰めていた布が大きく裂け、地面へ突き立った剣から裾が抜ける。
「イグニス・バレット!」
踏み出しかけたドラゴンクイーンの胸へ、炎の弾が直撃した。
弾けた炎が大柄な身体を包み、泥と焦げ跡にまみれたドレスが揺れる。
ドラゴンクイーンは一歩後ろへ下がったが、膝をつくことなく踏みとどまった。
まだ倒れないのか。
ワンドを向けたまま次の動きを待つと、
ドラゴンクイーンがもう一歩後ろへ下がり、その足が止まった。
身体の輪郭が黒くにじみ始める。
こちらへ向けた顔も、持ち上げかけた腕も、黒い霧へ崩れていく。
大柄な身体が消え、最後に地面を擦っていた長い裾まで霧に変わると、
その向こうに立つユホの姿が見えた。
霧が薄れても、しばらくワンドを向けていた。
何も動かないのを確かめて腕を下ろすと、膝まで震え始める。
ようやく終わった。
カーリナが槍を地面へ突いて大きく息を吐き、ボニーも剣を下ろした。
隣のリーザは杖を握ったまま、肩で息をしている。
「リーザさん、大丈夫ですか?」
「ええ……もう一度と言われたら、少し困りましたけれど」
次を頼まずに済んでよかった。息を整えながらうなずいた。
「ユホ兄さん!」
カーリナが駆け寄る先で、
ユホは自分の足で立ち、地面へ刺した折れた剣を抜こうとしていた。
その姿に、ようやく胸のつかえが少し下りた。
周囲には、まだ倒れたままの騎士や冒険者が多い。
肘をついて身体を起こす者や、仲間に声を掛けられている者もいるが、
歓声は上がらなかった。
後ろのレオノールを確かめようと振り返ると、その姿がない。
「レオノールちゃん?」
見回した先で、小さな兎耳が動いた。
ドラゴンクイーンが消えた場所にしゃがみ込み、何かを拾い上げている。
もう回収に行っていたのか。
こちらは立っているだけで精いっぱいなのに、あの手際は変わらない。
戻ってきたレオノールが、両手に包んでいたものを差し出した。
「お兄ちゃん、これ!」
受け取ったのは、一枚のコインだった。
鑑定すると、公正なコインという名前が浮かぶ。
名前だけでは使い道が分からない。
調べるのは休んでからにして、なくさないようにしまっておこう。
もう一度みんなへ目を向けた。
五人とも、ここにいる。
ユホの剣は折られ、自分たちも何度となく地面を転がされたが、誰かを失わずに済んだ。
大きく息を吐いて顔を上げると、太陽はもう高く昇っていた。




