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鏡の中の魔法使い  作者: 星野 葵
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#4 外へ

彼女は歩く。誰もいない森の中、ただ自分の感覚だけを頼りに。


「ふむ…。たしか、この辺りだったはずなのじゃがのう…?」


そんなことを呟きながら、彼女はあっちへ行ったりこっちへ行ったりを繰り返す。


「おかしいのう。この森は大体の地図は頭に入っておるのじゃが、ここまで目的地にたどり着けぬのは初めてじゃ。さて、あの少年、どこへ置いたか…?」


言葉は焦っていたが、それでも足取りは軽く、のんびりとしていた。どこかにいるのだから、そのうち見つかるだろうというのが彼女の考えだ。歩き疲れ、ふと上を見上げる。


「おや。そうじゃったな。」


その視線の先には、一本の木があった。そして、その枝に、まるで洗濯物であるかのように、少年が一人引っかかっていた。


「あの少女が簡単に見つけられんように、木の上に上げたのじゃった。すっかり忘れておったわ。」


と、まるで反省する様子もなく、彼女は魔法で少年の体を持ち上げ、その木の根元に座らせた。そうして見ると、少年は木に寄りかかって眠っているようにしか見えなかった。


「よく眠っておるの。ま、それも当然じゃが。」


彼女は少年に近づき、その手を取った。


「バリューガ、といったか?痛いじゃろうが、我慢せよ。死ぬほどにはやらぬ。」


そう言って、彼女は手の甲をすっと指でなぞった。特に力は入れていないし、爪も立てていない。だが、皮膚はまるで鋭い刃物で切られたようにすっぱりと切れ、そこから血が流れた。


「…思ったより多いのう。少し力を入れすぎたか。まあ良い。後で治してやればいいだけじゃ。」


そんなことを言って、彼女は今度は指先を流れている血につけた。ここから魔力を取り出すのだ。彼女が意識を集中させると、血はみるみるうちに真っ黒に染まった。血の中の魔力だけを集めて、ピドルを作り出しているのだ。手の甲には真っ黒い液体だけが残った。魔力だけを集めたため、血の成分はほとんど混じっていないが、それでも少しは残っているので、固まりかけてドロドロとしている。


「もったいない。これだけの量のピドルがあれば、わらわなら三日は生きられる。」


彼女はちらりと少年の顔を確認する。まだ目を開けていない。彼女は思い切って、手の甲に口をつけてピドルを舐めた。


「おまえ…。」


その瞬間、少年が声をあげ、うっすらと目を開けた。見計らったようなその反応に、彼女は口をつけたままの状態で固まってしまった。


「何やってんだ…?」


彼女は自分の置かれた状況を確認する。今、少年は目を開けたばかり。自分は今、その少年の手の甲に口をつけている…。


(これでは、まるで口付けしているようではないか!)


彼女は少し焦る。だが、それを表に出さないで、口を離し、言った。


「ふむ。目覚めおったか。わらわが思う限りでは、ここまで早く目覚めるはずではなかったのじゃがのう。まったく、剣使いとは不思議なものじゃ。」


そう言ってみたはいいが、少年はまだ訳が分からないと言いたげな顔をしていた。


「だから、おまえ、何やってたんだよ。」


そう言って、ジトっとした目で彼女を見た。


「おかしなことを考えるでないぞ。少年。わらわはただ、ピドルを舐めておっただけなのじゃからな。」

「ピドル、ってなんだよ。」

「魔力を固め、液状にしたものじゃよ。そなたの意識が途切れる寸前、そなたの全身にかかった黒い水じゃ。」

「ふーん…。で、なんでそんなものを舐めるんだよ?」

「それは…わらわはピドルがないと生きて行けぬからじゃ。」


そう言うと、少年は何かを察したようで、少し遠慮がちに、呟いた。


「そっか…。だから、普通の人間と何か違うように感じるんだな。」

「そなた、分かるのか?わらわが魔法使いとは違うということが。」


少年は黙って頷いた。彼女は続けて言った。


「これはまた驚いた。剣使いとは、思っていたよりも魔法の才能があるのかもしれぬ。まあ、魔力を持っておらぬから魔法は使えぬが…聞いておるのか?」


少年はぼうっとしていた。まだ意識がはっきり戻ったわけではないのかもしれない。


「おい、そなた。聞いておるのか?」

「ん?あ、いや、ごめん。」


彼女は少年の視線を追う。それは、手の甲につけられた傷だった。ピドルが取り除かれても、まだ傷はふさがっていないため、そこからは再び血が流れている。


「なるほど、血か。」


少年は黙ってうつむいた。


「血は…そなたにはどのように見えるのじゃろうな。」

「どういう意味だよ。」

「そのままの意味じゃ。そなたの目に、血はどのように映っておる?」


少年は再び黙った。彼女は続けた。


「本来、多くの人間は血が流れれば目をそらす。見ていて痛々しいというのが主な理由じゃが、それだけではない。血とは、死を連想させる。多くの血が流れることで、人は死ぬことがあるからのう。それが恐ろしくて、人間は血から目を背けるのじゃ。」

「オレは…。」


少年は言葉を選んでいるのか、それとも遠慮しているのか、ゆっくりと言った。


「血が…とてもキレイに見える。今だけじゃない。ずっと前、自分の血を見た時も、キレイだって思った。本当は、流れるほど血が出てたら、怖いって思うはずなのに…。」

「なるほどのう。」


彼女は傷を回復魔法で癒し、少年の目を見つめて言った。


「それは、恐れることではないぞ。流れる血が死を連想させるのは、血が命を象徴しておるからじゃ。だからこそ、それが体の外に出ることに恐怖を感じる。だがそなたは血を美しいと思う。それは、すなわち命を美しいと思っているということ。わらわは、血を汚いと思う者よりも、美しいと思う者の方がよほど理性があると思う。」


少年はしばらく黙ったままだったが、やがて言った。


「…あんたは、血はどんな風に見える?」

「そうじゃな…。美しいとは思わぬ。じゃが、汚いとも思わぬ。ただ…羨ましい。流すほどの血を持っているということに、強い憧れを感じる。」

「どういうことだよ?あんたの中にだって、血くらい流れてるだろ?」

「いいや。流れてはおらぬ。」


彼女は静かに、しかしはっきりと言う。


「わらわの中に流れておるのは、ピドルだけじゃ。血は一滴も流れておらぬ。先ほど言ったように、血液は命の象徴。それを持たぬわらわは命とは呼べぬ。」


彼女は自分の内側で抑えきれないほどの強い感情が生まれるのを感じた。それをなんとか表に出すまいと目を閉じる。


「こんな姿でこの世に生まれるのなら、いっそちゃんとした人間として生まれてきたかったものじゃ…。」


彼女は立ち上がる。少年から目をそらし、言う。


「やれやれ、少し話が長くなってしまったようじゃな。わらわはそろそろ行かねばならぬ。そなた、動けぬとは思うが、無理に動こうとはするでないぞ。体に悪い影響が出るかもしれぬ。」


それだけ言って、彼女はその場を立ち去った。少年のことはできるだけ見ないようにした。強い感情が収まっていくのを感じる。


彼女の中に生まれた思いは、人間に対する嫉妬と憧れだった。彼女は人間になりたかったのだ。魔獣は生きるために魔力を消費し、休んでも回復させることができない。魔力の供給が無くなればすぐに死んでしまうこんなはかない命より、休めば回復できるという人間の体を、温かい血の流れる体を、彼女は強く欲していた。


ーーーーーー


ティレアは、二人の行方が分からなくなってから、急に元気を落とし、学校を休んで家の中にいることが多くなっていた。親は、学校で何かあったのか、またいじめられたのか、などと優しく尋ねてくるが、ティレアとしてはなんとも説明しがたいものがある。


(二人。今頃どうしているんだろう…?)


自分が森に連れ出してしまったばかりに、こんなことになってしまうなんて。辛い。苦しい。この上なく嫌だった。


「ううっ、私のせいで…!」


ティレアは泣き出した。だが、その涙はすぐに止まった。


「やれやれ、泣き虫じゃのう。こんな泣き虫があの少女の友達じゃとは、いやはや、この世界は期待を裏切ることがよほど得意とみえる。」


そんな声が聞こえたのだ。親が小言を言っているのかと最初は思ったが、どうにも口調がおかしい。


「だ…誰?」

「わらわは獣じゃ。」

「どこにいるのっ!」

「ここにいるではないか。どこを見ておるのじゃ。この泣き虫が。」


ティレアが部屋を見渡すと、一枚の鏡が目についた。それは姿見で、壁に掛けてあるものなのだが、その鏡の向こうに、この部屋にはいないはずの女性の姿が見えたのだ。


その光景に、ティレアはキャッと叫び声を上げ、その場に座り込んでしまった。部屋の中にはティレアの他には誰もいない。だが、鏡の中にはいる。これは一体どういうことなのだろうか。


「そう怯えるでない。わらわはそなたに話があって来たのじゃ。」


女性は怯えるティレアを特に気にすることもなく言った。


「セクエとかいう少女を知っておるな?」


ティレアは驚いた。なんでこの人がセクエの名前を知っているのだろう。そして、なぜ鏡の中にいるのだろう。ティレアは声を出せなかったので、代わりに大きく頷いた。


「ふむ。やはりそうか。では、その少女が持っておった指輪型の魔道具を作ったのはそなたか?」


女性は続けて尋ねる。ティレアはまた頷いた。


「やはりな。そうじゃと思っておった。フフフ…、わらわの予想も捨てたものではないのう。」


女性は満足げに一人で頷いた。その様子に、ティレアはついつい心を許してしまった。その動作があまりにも人間的だったからだ。


「あ、あの…あなたは誰…?」


ティレアはまた同じことを尋ねた。ちなみに、同じことを言っているということは、ティレア自身が気付いていない。


「そなたの友達を預かっておる者じゃ。」

「えっ!じゃあ、二人がどこにいるのか知ってるんですか?」

「当然じゃ。預かっておるのじゃから。」

「二人を返してください!どうしてこんなことするんですかっ?」


女性は呆れたように一つため息をつき、そなたは阿保か、と言ってから話をした。


「無事に動けるようになれば返すと言ったじゃろうが。そう急がせるでない。わらわもこう見えて急いでおるのじゃ。」

「で、でも、もう何日も二人は帰ってこないままじゃないですか。」

「ふむ…そうか。もうそれほどの時が流れておったか。ならばなおさら、そなたにわらわの話を早く聞いてもらわねばならぬな。」

「…私に、何の用事なんですか。」

「そなたに魔道具を作ってほしい。」


女性はいきなりそう言った。


「ただし、効果はこちらで決めてもらったものを作ってもらう。二人を助けるために、どうしても魔道具が必要なのじゃ。」

「でも…どうして私に?」

「気づいておらぬのか?そなたは自分で思っておる以上の魔道具製作の才能がある。その才能を使ってほしいのじゃ。」


ティレアは黙った。この人の言うことは、きっと信じた方がいい。この人が二人を預かっているということは、悪い言い方をすれば人質を取っているようなものなのだ。二人を助けるために、自分が力になれるなら…。


「分かりました。どんな魔道具ですか。教えてください。」

「うむ。良い返事じゃ。」


女性は満足そうに頷いて、効果を説明し始めた。


「わらわが必要としているのは、二人の人間の魔力を共有させる魔道具じゃ。一度つければ永久的に効果が発動するものが良い。効果はそれだけでよいが、他に特徴として、外れにくい、頑丈、といった特徴がほしいの。」

「…それを、どのくらいの時間までに作ればいいんですか。」

「それはそなたに任せる。じゃが、時間よりも質を優先させよ。いくら早く作ったとはいえ、効果が伴っていなければ使い物にならぬ。」


ティレアは目を閉じ、トモダチと意見を交換し合う。どんな命令を、どんな道具に込めれば、そんな魔道具が作れるのか。それを相談するのだ。


「魔道具に求める効果は…それだけですか。」


ティレアは目を閉じたまま、呟くように質問をした。相談の中で生まれた疑問を質問しているのだ。


「そうじゃな。それだけの効果がつけば、十分じゃろう。」

「その魔道具をつけるのは、あなたの所にいる二人ですか。」

「それはそなたの作る魔道具しだいじゃ。そなたが決めよ。」

「形に制限はありますか。」

「ない。」

「…分かりました。作りましょう。」

「そうか。それは助かる。では、出来上がる頃にまた来る。」


ティレアは目を開けた。女性の姿がまだ鏡の中に見えていた。ティレアは声をかける。


「いえ。その必要はありません。というか、むしろやめて下さい。」


女性の動きが止まった。


「…どういうことじゃ?そなたがわらわの所まで来ると言いたいのか?」

「そうじゃありません。魔道具のためにそんな時間をかけなくてもいい、ということです。」


女性が眉をひそめる。ティレアは緊張しながらも、はっきりと言った。


「今、この場で魔道具を作ります。あなたはそれを持って行って下さい。」

「時間はかからぬのか?」

「はい。魔力に与える命令は、だいたい作れましたから。」


それだけ言って、ティレアは自分の机に向かう。引き出しを開け、中から魔道具になりそうな物を探す。しばらく机の中をあさっていたが、ティレアは最終的に二つの腕輪を取り出した。二つとも、腕に実際につける部分と、装飾の部分が外れるようになっている物だ。片方の腕輪は大きな鳥を、もう片方はこの辺りの山に住む山犬の群れをかたどった装飾になっている。ちなみに、この二つは対になっていて、取り外した装飾部分は取り替えることが可能だ。構造が面白いと思って、少ない小遣いを貯めて買ったのだが、この構造であるからこそ、ティレアの思う通りの魔道具が作れるはずなのだ。


ティレアは腕輪を机の上に置くと、椅子に座って目を閉じ、ほうっと息を吐いた。それから目を開けて、まず装飾部分を取り外した。腕につける部分を両手で持つ。そこで一つ気がついた。


「あの…。」


ティレアは振り返って鏡の中の女性に声をかけた。


「なんじゃ?」

「二人のうち、どちらかの魔力はありませんか?それが無いと、多分作れないと思います。」

「ふむ…。なるほどのう。仕方ない。そなた、その腕輪の飾りの部分にも魔力は必要なのか?」

「はい。」


それを聞くと、女性は鏡の中を歩いて、鏡の向こうにあるティレアの机に近づき、その上に置いてある部品に、一つ一つ触れていった。


「これで良いか?」


鏡の中の女性は鏡の中のティレアに向かって言った。ティレアは腕輪に触れて魔力の量を確かめた。


「…あなたは、あとどのくらいバリューガさんの魔力を持っているんですか。」


ティレアは尋ねる。どうしてバリューガの魔力を持っているのかなんて、尋ねるだけ無駄だと思ってあえて言わなかった。


「この倍ほど残っておる。まだ足りぬのか?」

「はい。あるだけ全部入れて下さい。余った分はお返ししますから。」


ティレアがそう言うと、女性は嫌そうな顔をしたが、それでも仕方なさそうに残りの魔力を腕輪に込めた。それが終わると、また鏡の前まで戻り、ティレアの様子を見た。ティレアはそれを無視して作業にとりかかる。


「ポポ、フィラ、ミルル。いつ頼むか分からないから、そばにいてね。」


そう声をかけて、ティレアは腕輪のつける部分を二つ、両手に持った。目を閉じて意識を魔力に集中させる。


それから、ティレアは声を一切出さなかった。完全に意思の会話だけでトモダチと会話していたのだ。トモダチは、ティレアが出してくる細かい指示を一つ一つ丁寧にこなしていった。主に、魔力に命令を加えるのがポポ、魔力を抜くのがミルル、魔力を加えるのがフィラだった。いつもは細かい仕事を嫌がっているフィラも、今回はちゃんと手伝ってくれていた。


トモダチはティレアの指示があると、その周りを跳ねるように飛び回って魔力を抜いたり入れたりしていた。ティレアは目を閉じていて、その様子を見ていなかったので、どんな動きをしていたかは分からないが、その様子はティレアの周りを踊っているように見えた。


ティレアは目を開ける。机の上には、魔道具になった腕輪の部品が四つあった。その一つ一つを手にとって確認し、最後に装飾部分を取り付けて魔道具を完成させた。


(なんとかできてよかった。今までこんなに難しい命令はしたことなかったからな…。)


後でトモダチを褒めてやらないといけないな、と思いながら、鏡を振り返る。女性はまだそこで待っていた。


「…器用なことをするのじゃな、そなたは。」


それが褒め言葉なのかどうかはティレアには判断できなかった。もしかしたら、この人にはトモダチの姿が見えているのかもしれないが、この言葉だけではなんとも言えない。ティレアは立ち上がって鏡の前まで魔道具を持ってくると、それを女性に見せた。


「これで…どうですか…?」


女性はまじまじと腕輪を見つめ、感心したような表情で頷いた。


「うむ。これは良い出来じゃ。そなたを選んでよかった。」

「そうですか。…フィラ、ミルル、余った魔力をこの人に返してあげて。」


ティレアがそう言うと、二匹は鏡を確認して、少し困ったような顔をした。相手にどう触れたらいいのか分からないのだ。女性は笑う。


「フフフッ。気にせずともよい。わらわがそちらに姿を現せばよいだけのこと。」


そう言って、女性は鏡から手だけを出した。てっきり鏡から出られないと思っていたティレアは、これには少し驚いたが、二匹はその手に触れて魔力を返していた。


「ほれ、この手の上に魔道具を乗せよ。二人の元へ届けねばならぬ。」


そう言われ、ティレアは差し出されたその手の上にそっと腕輪を置いた。


「この腕輪は、どちらの腕につけても構いませんが、同じところにつけさせて下さい。それから、鳥の柄の腕輪はセクエさんにつけて、山犬の柄の方はバリューガさんにつけて下さい。」


ティレアは最後にそれだけ伝えた。女性は大きく頷いた。


「分かった。そなたの言う通りにしよう。腕輪を作ってくれたこと、感謝する。…と言っても、つけるかどうかは二人が決めることじゃ。そちらに返せると断言はできぬ。」

「それでも構いません。二人がそう決めたなら。」


女性は手を鏡の中に戻した。ティレアは、手を鏡の中に戻す時、手だけが戻って、腕輪だけ取り残されてしまうのではないかと思ったが、そんなことはなく、二つの腕輪は鏡の中に入っていった。


「…ではな。」


そう言うと、女性は鏡の中から姿を消した。一瞬驚いたが、おそらく転移魔法で移動したのだろう。


(夢じゃ、ないんだよね…?)


ティレアはなんだかぼうっとしてしまって、夢を見ていたような気がしていた。しかし、トモダチが疲れた様子でティレアの肩の上に乗っているところを見ると、夢ではないのだろう。ティレアはその頭を優しく撫でながら思った。


(学校には行こう。もし二人が戻ってきた時、行ってなかったって知ったら、きっと心配するだろうから。)


ーーーーーー


セクエは手を上に上げ、魔法を放った。放たれた魔力はセクエの命令通りに魔法へと変わり、頭上に小さな竜巻を起こした。


(なんか…違うんだよな…。)


ここが自分のいた世界と違うからだろうか。魔法を使った時の感覚に違和感がある。まあ、それも仕方ないことだろう。


セクエは竜巻を消す。それから、驚いて周りを見渡した。何か音がしたような気がしたのだ。近くに誰かいるのだろうか。


(なんだろう、この気配。あの女の人じゃないし…でも、どこかで感じたことがあるような…。)


そう思って見渡すうちに、その気配はセクエから離れていってしまった。追いかけたいところだが、あの女性からあまり動くなと言われている。ここは我慢することにした。


「何をキョロキョロしておるのじゃ?」


そう声がして、あの女性がセクエの前に現れた。


「別に。何もないよ。」

「ふむ、そうか?それならまあ良い。」

「何かあったの?」


女性は頷く。


「いきなりだとは思うが、そなたをバリューガのところまで連れて行く。」

「え?でも、目覚めるかは分からないって…。」


女性は面倒そうに頭をかきながら答えた。


「わらわの読みが甘かった。予想以上に早く目覚めたのじゃ。だからそなたをバリューガのところに連れて行く。そなたも早い方がいいじゃろう?」

「うん。そうだね。」

「では。」


彼女はセクエの腕を掴む。


「行こう。」


そう言って、二人は転移した。セクエがあっけにとられるほど自然な魔法の使い方だった。相当使い慣れているのだろう。気がつくと、セクエのすぐそばにはバリューガがいた。


「お、セクエ。」


バリューガはまるで歩いている途中で偶然出会ったかのような軽い調子で声をかけた。さらに何か言おうとしたが、それは女性に止められた。


「話は後じゃ。今は、とりあえずこの魔道具を使うのかどうか、それを決めねばならぬ。」


そう言って彼女が差し出したのは、二つの腕輪だった。


「これは魔道具じゃ。そなたらの魔力を一つに繋げる効果を持っておる。が、これをつける前に、そなたらに言っておかねばならぬことがいくつかあるのじゃ。」


女性はいつになく真剣な表情になって言った。


「魔力を共有することに関しては、ほとんど前例はない。そのため、どんな副作用が現れるか分からぬのじゃ。わらわが想像できる限りでは、まず、二人の記憶が一部共有されることになるじゃろう。」

「記憶が?」


女性は頷く。


「そうじゃ。魔力は、体の中を回る間に、体の中の記憶や情報を自然と溜め込んでしまうものなのじゃ。それを共有するということは、おそらくは記憶…それも、そなたらの中に今もなおはっきりと残っておる記憶が共有されることになるじゃろう。そしてそれはおそらく、あまりいい記憶ではないじゃろう。」


セクエは黙ってその言葉を聞いていた。セクエの場合、それは幼い頃のヘレネの記憶ということになるだろう。それをバリューガと共有しなければならないのだ。バリューガはどう思っているのだろう。きいてみようと思ったが、なんとなくそれを言う気にはなれなかった。女性は続ける。


「それから、そなたらは似たような性格になっていくことも考えられる。好みや動作、考え方が似てくるのじゃ。これも、魔力を交換しあっているからこそ起こること。それから、もっとも危険なことは、そなたら二人が、完全に一体化してしまうことじゃ。これだけは絶対に避けねばならぬ。」

「そうなると…どうなるの?」


セクエはおそるおそる尋ねた。女性は答えた。


「そなたらは二人の人間ではなくなる。二つの体を持った一人の人間になってしまう。」


そう聞いて、セクエは驚いた。二人が一人になる?魔力を共有したというだけのことで、そんなことが起こるわけがない。


「そんな…ありえないよ!一人になるなんて、そんなこと…。」

「そう。ありえぬことじゃ。だからこそ、絶対に避けねばならぬことなのじゃ。魔力を共有することで、二つの魔力は少しずつ混ざっていく。もし完全に魔力が混ざり合い、一つの魔力になってしまえば、そなたらはもうそなたらではない。人間でさえない。そんなことになるのなら、このままそなたらを元の世界に返さずにいた方がよほど良い。」

「それは避けられないことなの?」

「避けられぬことじゃ。少なくともこの方法では。そなたらに与えられる時間は、長くておよそ一年といったところじゃろうな。それ以上この魔道具をつけ続けることは危険じゃ。それまでになんらかの解決策を見つけられなければ、そなたらは再びこの世界に留まるか、死ぬしか道はない。」


一通り話し終えると、女性は少し間をとった。そして落ち着いた口調で二人に尋ねた。


「そのような危険を冒してでもそなたらは…この腕輪をつけて元の世界に帰りたいと思うか?」


セクエは黙った。セクエは答えることができなかった。セクエ自身は、その腕輪をつけてでも元の世界に戻りたかった。たが、バリューガはどうだろう。もしここで自分が帰ることを望んだら、バリューガはその意見に押されて、本当は嫌なのに元の世界に戻ることになるかもしれない。そう思うと、セクエは自分から意見を言うことができなかったのだ。


「そんなの決まってんだろ。」


今までずっと黙っていたバリューガが口を開いた。


「オレは帰る。どんなに危なくても、時間が限られてても、そんなの関係ない。オレは元の世界に帰る。」


木の根元に座り込んだまま、バリューガははっきりと言った。これにはセクエは驚いた。もしかしたら、バリューガは自分よりもずっと強い決意を持っていたのかもしれない。一体何がバリューガをそうさせているのだろう。


「私も構わないよ。元の世界に帰りたいから。」

「そうか。ではいいじゃろう。腕輪をつけてやる。」


それだけ言って、女性はまず近くにいたセクエの右手首に腕輪をはめた。そしてバリューガの右手首にも同じようにした。


「気をつけるがよい。」


女性は静かに言った。


「そなたらはおそらく、一年と経たぬうちにその腕輪を破壊されることになる。」


セクエもバリューガも、黙ってその言葉を聞いていた。


「魔獣に襲われたということは、どこかの国で、誰かがそなたらを狙っておるということなのじゃ。今までわらわの前に何体か魔獣が現れたことがあるが、それらは全てわらわを狙ってきていた。だが、今回は違う。狙われたのはそなたらじゃ。狙われておるのが命か、それとも力なのかは、わらわには分からぬが、それでも狙われておることだけは確かなのじゃ。」

「待てよ。あんたも、狙われてるのか?」


バリューガは少し驚いて尋ねた。それから、女性は苦しそうな顔をして少し黙った。


「まあ…それは…その…。」


女性は何を言ったらいいのか分からないように呟いた。


「そのことに関して、一つ頼みがあるのじゃ。助けてやった礼というと、あまりにも図々しいが、それを聞いてはくれぬか?」


そう言う彼女は、なんだかとても弱々しく見えた。さっきまでその眼差しに宿っていた力強い光が、今この瞬間はなぜか今にも消えてしまいそうなほど弱い。気づかなかっただけで、彼女はだいぶ追い詰められていたのかもしれない。


「何か、あったの?」


セクエは尋ねた。


「そうじゃな…何から話せば良いものか…。」


彼女は二人から視線をそらし、呟くように話し始めた。

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