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鏡の中の魔法使い  作者: 星野 葵
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#2 森で出会ったモノ

セクエは朝ごはんを食べ終えてから、しばらく休んでいた。セクエはメトと合成されてから、体がなじまず、食べ物を飲み込むことができなくなっていた。だが、それでも最近は少し、食べ物を食べられるようになった。まだ食べるのにかなり時間がかかるが、それでももう少しで元に戻るだろう。


ちなみに、今までは水だけで生活していた。その時は、体内の魔力が足りない分の養分を作り出して補っていたようで、体が常に魔力を消費している状態だった。正直に言うならば、そうして魔力を使い続けている方が暴走の危険は減るのだが、それでも、やはりセクエは他の人と同じようになりたくて、同じように振る舞いたかったのだった。


(こんなことしたって、私はちっとも普通になんかなれないのにね。)


ましてや同じになんて、なれるわけがない。自分がたとえ、他の人と同じようにご飯を食べ、活動し、眠り、一目では何の異常も感じられないような生活を手に入れたとしても、それでもセクエは他の人と同じにはなれない。それは、少し前に証明されてしまった。


(私は…また人を殺したんだから。)


証明としては、それで十分だろう。もともと、殺す気なんて無かった。それでも殺したのだから、自分はもういつ暴走して全てを壊すか分からない。いや、むしろそうならない方が不自然なのだ。だが、セクエはその自然な流れを認めることなどできなかった。誰も殺したくない。何も壊したくない。皮肉なことだが、そう思えることだけが、かろうじてセクエを人間と認識できるただ一つの理由だったのかもしれない。


だから、セクエは最近外に出ていない。部屋からもほとんど出ていない。アトケインもバリューガもそのことに気づいているが、何も言わない。なんと言えばいいのか分からないのだろう。仕方ないことだ。慰めてほしいなんて思わない。


(あーあ、こんなんじゃ、昔と何も変わらないな。)


魔力が暴走しないように、人との接触を避けていたあの頃と。いや、むしろ魔力を抜かれていた分、あの時の方がまだ良かっただろう。かといって、あの頃に戻るなんていうのは可能性はどうあれ、精神的に耐えられないが。


精神的といえば、ティレアが最近よく遊びに来るようなったことは、セクエにとって嬉しいことだった。ティレアは何も知らない。自分の魔力がどういう状態なのか、自分がなぜ外に出ないのか、何も知らないのだ。だからこそ、下手に自分を気遣うこともない。別にアトケインとバリューガの気遣いがうっとうしいなんてことはなく、それはそれでありがたいのだが、それでも気兼ねなく話せる相手というのは話していて気分が落ち着くのだ。


コンコンコン、と壁を叩く音がする。噂をすれば、とはこのことだ。これは、ティレアが遊びに来たという合図なのだ。セクエが壁に掛けられた結界を解除の力で緩めると、セクエが合図を返す前にティレアが壁を通り抜けて入ってきた。どうやらかなり急いでいたようだ。


「セクエさんっ!」


喜びとも驚きとも思える表情をして、しかし嬉しそうな様子でティレアは言う。


「き、聞いてくださいっ!今日、私…!」

「落ち着きなよ。別に私は逃げたりしないから。」


言いながら、セクエは部屋に防音の魔法で部屋を覆うことを忘れなかった。ティレアはたまにだが、かなり大声でセクエの名前を呼ぶことがある。それが外に漏れると面倒なのだ。


ティレアはセクエの言う通り落ち着こうとしたのか、深呼吸をした。しかし、まるで息の仕方を忘れてしまったかのようにぎこちない。その周りでトモダチがソワソワしていた。


(これは…相当すごいことがあったんだろうな。)


呆れつつそう思っていると、ついにティレアが本題に入った。


「私、先生に褒められたんですっ!こんなの生まれて初めてですよっ?」


生まれて初めて、は少し言い過ぎだと思うが、それでもセクエは少し驚いた。ティレアは魔法が自力で使えないため、落ちこぼれと呼ばれていたのだ。そんなティレアが一体何について褒められたのか、セクエも興味があった。


「へえ?すごいね。何で褒められたの?」

「えへへ、それはですね…。」


ティレアは照れ臭そうに小さな指輪を取り出すと、セクエに見せた。


「これなんです。」


セクエは手に取ってみる。魔道具のようだ。その効果をすぐに調べることもできたが、セクエはあえてティレアに尋ねた。


「何の魔道具なの?」

「これはですね、つけた人が怪我をすると、自動的に回復魔法を使ってくれる魔道具なんです。」

「ティレアが作ったの?」


ティレアは嬉しそうに頷く。なるほど、これは褒められるわけだ。基本的に、魔道具は意識して使わなければ効果は現れない。自動的に発動される魔道具はいくつかあるが、やはり数が少ない。ティレアはそのうちの一つを新たに作ったのだから。


「先生に、すごく褒めてもらえて、嬉しくて。真っ先にセクエさんに教えたかったんです。」

「そうなの?」

「はい!学校からここまで走って来ました!」


(ああ、なんというか、それはずいぶん目立っただろうな。)


ティレアは恥ずかしがり屋で臆病だが、たまに人の視線が気にならなくなることがある。つまりは夢中になっているということで、悪いことではないのだが、普段の様子との差があまりにも大きいので、セクエとしては思わず笑ってしまう。


「これ、セクエさんにあげます。」

「え、いいの?せっかく作ったのに…。」

「いいんですよ。私は、いつでもミルルに助けてもらえますから。」


セクエはとりあえずそれをもらうと、指にはめた。小さな指輪なので、小指にしかはまらない。指輪をつけて眺めていると、扉が開いた。


「おっ、やっぱり来てたのか。」


バリューガだ。やっぱり、ということは、話し声が漏れていたらしい。


「あ、バリューガさん。お邪魔しています。」


ティレアはぺこりと頭を下げる。


「うーん、それ、オレじゃなくて賢者さんに言うことだと思うんだけど…まあ、いっか。」


バリューガは頭をかきながら言う。


「にしても、入口使えよ。ここは壁で、扉じゃないんだから。」


ティレアは恥ずかしそうに下を向く。臆病なティレアは賢者の館の入口を使うなんてできない。目立つからだ。それはバリューガも分かっているので、あくまでからかっているだけなのだろう。


「セクエも、昼飯も食べないでいつまで部屋でボーッとしてんだよ。」

「あれ、今、昼なの?」


まだ朝だったような気がしたのだが、そう言われてみれば、確かに朝のうちにティレアの学校が終わることはない。ティレアはセクエのその発言に少し驚いていた。それから、ふと何か納得したような表情になり、セクエにこう言った。


「ああ、そういえば最近、部屋の中で会ってばかりでしたからね。もしかして、しばらく外に出ていないんじゃないですか?」


ドキッとした。確かにそうなのだが、だが、それは出たくない理由があるからだ。


「ずっと部屋の中にいると、時間の感覚がなくなってきますからね。たまには外に行きましょうよ。せっかくなら、バリューガさんも。」


ティレアは嬉しそうにそんな提案をした。セクエはすぐに断ろうとしたが、それをさえぎってバリューガは言った。


「おお!たまにはいいかもな、そういうの!」

「そうですよねっ!」


と、二人で勝手に決めてしまった。


「ちょっと待ってよ。私はまだ行くとは…。」


ティレアは嬉しそうな顔を変えずに言う。


「多数決ですよ。もう決定です。」


ティレアはセクエの腕を掴んで言った。


「お願い、ポポ。転移魔法ロプ。」


三人は転移した。ティレアに魔法を教えるんじゃなかった、とセクエは少し後悔した。


ーーーーーー


ナダレはまたブラブラと森の中を歩いていた。何か思い出せそうな気がする。だが、それが何なのかはまだ分からない。ナダレは一つため息をついた。


「ナダレ、また例の少女の所に行っていたのか?」


声がする方を見ると、メトがいた。


「まあな。突然転移魔法でどこかへ行ってしまったので、探しているところだ。」

「そうか…ナダレは熱心だな。私にはとても真似できない。」

「そうでもないさ。我はただ気になっていることを調べているだけなのだからな。」


ナダレは続ける。


「何か思い出せたか?」

「いや、残念だが、まだ何も。」

「…そうか。」


メトはいつ思い出すのだろう。思い出した時、メトは今のままなのだろうか。最近はそんなことが気になって仕方ない。できればもうこの男とは敵対したくないものだ。


「…ん?」


一瞬、森の奥のどこかで何かの気配がした。ナダレは顔をしかめる。


(今のは…なんだ?)


感じた瞬間全身に鳥肌が立つような、嫌な気配。今までこんな気配は感じたことがない。


「ナダレ?どうかしたのか?」

「静かに。」


メトを黙らせ、ナダレはその気配を探した。


(どこだ。どこにいる?)


この森のどこかに、得体の知れない何かがいる。森は広いのだから、出会う心配は無いだろうが、それでも、何か胸騒ぎがする。それが何なのかを確認するくらいのことはした方がいいかもしれない。


(…いた。)


本当に嫌な気配だ。汚くて、気持ち悪い。その気配の近くに、セクエやバリューガの気配も見つかった。


「まずいな…。」

「ナダレ?」


ナダレは駆け出した。セクエのそばにいることが、単なる偶然ならいいのだが。


(悪い予感が的中しないことを祈るしかないのか。)


「な、ナダレ?どうしたんだ!待ってくれ!」


後ろからメトの声が聞こえた。ナダレは振り返らずに言った。


「すまない。話はまた今度だ。用事ができた。」


ナダレは走った。いつの間にか歯を食いしばっていた。


(頼む。気のせいであってくれ…!)


ーーーーーー


気がつくと、森に転移していた。


(やっぱり魔法だと速いな。)


バリューガは周りを見る。ティレアとセクエも一緒だ。セクエはまだ嫌そうな顔をしているが、たまには外に出るのも悪くないはずだ。


「じゃあ、少し散歩でもしましょうか。」


ティレアが言う。ここが森のどの辺りかは分からないが、帰ろうと思えばいつでも転移魔法で帰れるのだから、気にすることはないのだろう。


下草が冬の間に枯れたので、白っぽい地面が顔を見せている。しかし、日の光が当たる所からはまばらに草が生え始めていて、葉が反射する光が眩しかった。


(もう春なのか…。)


バリューガはそんなことを思ったが、ティレアはどうやら忙しいようだ。


「ああ、ちょっと、勝手にどこかに行ったらダメだってば。そばにいてよ、フィラ。」


どうやらまたフィラが逃げだそうとしているらしい。バリューガにはまだ見えないので、行ったり来たりするティレアを面白がって眺めていた。


「ああっ!フィラ!」


とうとう逃げ出してしまったようだ。


「もう!ポポまでどこかに行かないでよ!」


逃げたフィラをポポが追いかけたのだろう。ティレアは遠くを眺めてしばらくぼうっとしていたが、セクエとバリューガに向き合うと、頭を下げて言った。


「ごめんなさい。ちょっと二人を探して来ます。私から言い出してここまで来たのに、すみません。」


それだけ言うと、ティレアはフィラが向かったと思われる方に走っていった。


「…オレには見えないから、何が何だかさっぱりだよ。」


バリューガはつまらなそうに言う。


「まあ、そのうち見えるようになるよ。彼らは別に人見知りじゃないから。」


そう言うと、セクエは歩き出した。散歩を続けるつもりらしい。


「あれ、待ってなくていいのか?」

「大丈夫だよ。ポポは探知の魔法が使えるし、そもそもこんな森の中じゃ、同じ場所には戻って来られないだろうから。」


それから、しばらく二人は黙ったまま並んで歩いた。


「なんか…ごめんね。」


セクエがポツリと呟く。


「こうでもしないと、外に出られなくて…。」

「お前は何でも抱え込むからな。外に出すだけでも一苦労だよ。」

「…ごめん。」

「まあ、気持ちは分からないでもないけどさ、こうなるのが嫌なら、ティレアちゃんにはしっかり伝えておけよ。そうじゃないなら、そんなに嫌そうな顔するな。」


セクエはうつむいている。最近セクエは落ち込んでばかりだ。一緒にいてもつまらない。なんとか前向きになってほしいものだ。


「うん…そうだよね…。」


(まあ、いつまでも隠せることじゃないし、いつかはティレアちゃんにも教えるんだろうな。)


そこで、隣を歩いていたセクエが立ち止まった。それとほぼ同時にバリューガも止まる。


「…分かるか?」

「当然だよ。…こんなはっきりした魔力、気づかない方がおかしい。」


(奥から…何か来る。)


自分たちから見て、ちょうど正面。そこから、何かがこちらに向かってくる。


「魔法使いか?」

「うーん…似てるけど、少し違うような気がする。どちらかというと、魔道具に近いかな…?」


だが、魔道具から自分から動くことがあるだろうか。そもそも、こんなにはっきりと感じ取れるような魔力を魔道具から感じたことなんてない。セクエも自分の考えに自信がなさそうだった。


ゴクリと唾を飲み込む。全身に鳥肌が立つ。嫌な予感がする。バリューガは奥の方を睨みつけた。


しばらくの間は、何も起こらなかった。やがて見つめている奥の方から、ズッ、ズッ、と何かを引きずるような音が聞こえてくる。森の中は日が差し込んで明るい。近くに来なくても相手の姿が見えた。だが、それが何なのかは分からなかった。


「あれ、なんだ?」

「さあ…?私だって見たことないよ。」


それは、どうやら泥のようだった。白っぽい灰色の泥の塊がナメクジのように地面を這って動いていた。見たところ、かなり大きく、普通の人よりもさらに頭一つ分くらい背が高い。それだけ大きいと、周りの木々を押し倒しそうな感じだが、泥のような体は木をうまくすり抜けてこちらに向かってくる。それは呆然としている二人の前まで来ると止まり、ウネウネと気持ち悪い動きをした。


「生き物…なのかな?でも、魔力は感じるけど、人間じゃないよね…。」


セクエは不思議そうに泥を眺めていたが、やがて思い切ってそっと触れてみた。質感も泥と同じようで、手はその体の中にズブズブと入ってしまう。セクエは驚いたのか、すぐに手を引き抜いたが、その手には灰色の泥がべっとりとついていた。セクエは手を振って泥を落とそうとするが、泥なのでなかなか落ちない。セクエが苦戦していると、泥が動いた。


泥というだけあって、いろいろな形に変形できるらしく、泥は人のような形に変わった。おおまかだった形は細かく変わっていき、髪型や、顔つき、着ている服までもが形づくられていく。


(でも、この形はオレやセクエを真似たものじゃなさそうだよな…。だとするなら、この泥は誰を真似てるんだ?)


最終的に出来上がったものは、ビックリするほど良くできていた。女の人の形だ。髪は肩より少し下まで伸びていて、前髪は眉の上で切りそろえてある。顔は無表情だが、どこか厳しそうな感じがする。色が無いので分かりにくいが、よく見てみると、来ている服の形はアトケインが着ているものとよく似ている。ということは、シェムトネの人を真似たものなのだろうか。


(にしても、ここまでうまく作ると、なんだか気味が悪いな。)


色が無いからなおさらそう思うのだろう。よくできた人形、と言っても結局は泥だ。体は動いていたので、泥でできた操り人形、という印象を受けた。


と、そこで、バリューガはセクエの様子がおかしいことに気づいた。体が震えている。目を見開き、目の前の人形に見入っていた。


「セクエ、どうかしたのか?」


この女性に見覚えがあるのだろうか。だとしたら、なんでこんなに怯えているのだろう。セクエはバリューガの呼びかけには答えなかった。


「ヘレ…ネ…。」


少し開いた口からそんな言葉をなんとか聞き取れた。


(ヘレネ?ああ、昔セクエから魔力を奪ってたっていう、前の賢者だっけ?)


それなら、セクエのこの怯えようも理解できた。セクエはヘレネのことをかなり嫌っていて、さらに当時は逆らうこともできなかったというのだから。


「落ち着けよ、セクエ。こいつは確かにヘレネに似てるかもしれないけど、泥が化けただけだ。」

「だけど、だけど…!」

「落ち着けって。ヘレネは何年も前に死んだんだろ?」


その一言で、ようやくセクエはようやく少し落ち着いたようだった。だが、そこでまた泥が動いた。今度は手をゆっくりと上にあげ、セクエに手を差し伸べるような体勢になったのだ。


「い、嫌…来ないで!」


セクエは怯えて二、三歩下がった。バリューガはなんだか嫌になって、伝わるかどうかは分からなかったが、泥に向かって言った。


「おい、泥。セクエが嫌がってんだから、いい加減に…。」


そこまで言ったところで、バリューガは言葉を止めた。何かがものすごい速さで自分の横を通り抜けたような気がしたのだ。それとほぼ同時に、後ろでメリメリと音を立てて木が倒れた。


(なんだ、今の…?)


横を見ると、さっきまで人間のものとほとんど同じ大きさだった泥人形の腕が、いつの間にかありえないほどに伸びていた。どうやらそれが自分の後ろの木をなぎ倒したようだ。さらに、今バリューガの隣にはセクエがいなかった。


「セクエっ!」


バリューガは倒された木のところへ走った。あの泥は、自分の腕を伸ばしてセクエを木に押さえ付けようとしたのだろう。そしてその勢いのまま、木を倒してしまったのだ。この森の木はどれも人が一人で抱えられないほど太い。それを倒したのだから、それだけで力の大きさがよく分かる。さらに、その動作は目で追えないほど速かった。


(一体あいつ、何者なんだよ?)


予想通り、セクエは倒された木のそばに倒れていた。動かなかったが、どうやら背中を強く打って気絶しただけのようだ。バリューガは泥の方に向き直った。泥はこちらに近づいて来ていて、振り返るとすぐそばにいた。


(とりあえず、こいつをなんとかしないと!)


バリューガは魔道具から光の刃を出して構えた。この泥は自分の意思で動いているようだった。ならば、頭をこれで切れば気絶するはずだ。だが、泥はもう人の形をしておらず、どこが頭なのか分からない。バリューガは頭は体の中心に頭があると考え、泥を縦に真っ二つにするように剣を振り下ろした。


だがここで、バリューガが予想していなかったことが起こった。その泥は、あっけなく切れてしまったのだ。


(こいつ、生き物じゃないのか?)


そう驚いた瞬間、今度はその切られた場所から、黒い水のようなものが噴き出した。バリューガはとっさに顔を背け、手で顔をかばった。上から下までざっくりと切ってしまったので、バリューガはその水を浴びるというよりはかぶるような感じだった。体の中から出てきたのだから、おそらくこれは血液のようなもので、毒ではないだろう。そう思っていたが、なぜかバリューガはその場に倒れてしまった。体に力が入らない。水がかかったところから感覚がなくなり、動かなくなる。その感覚には一つ思い当たることがあった。


(この水、魔力なのか?)


そう思ったが、そこからさらに思考する時間はなかった。頭にその水がかかり、意識を失ってしまったのだ。


ーーーーーー


「もう!勝手にどこかに行かないでよ。探すのも大変なんだから。」


ティレアはフィラとポポをようやく見つけて、その頭を軽く叩いていた。こうして少しはお仕置きをしないと、また同じことをするのだ。


「じゃあ、そろそろ二人のところに戻らないと。ポポ、二人かどこにいるか…。」


探して、と言いかけて、やめた。なんだか胸騒ぎがする。少し迷ったが、ティレアはトモダチに向かって言った。


「みんな、私は置いていいから、二人のところに速く戻って。もしものことがあったら、助けてあげるんだよ!」


そう言い終わる前に、三人のトモダチは真っ直ぐに飛び去った。ティレアもそれを走って追う。やはり浮遊魔法が使える彼らはティレアが走るよりも数倍速い。


(何だろう、この感じ…。)


なんだかすごく嫌な予感がする。やっぱり、外になんて出ない方が良かった。ティレアは今すごく後悔していた。


ーーーーーー


バリューガとセクエが気を失い、静かになった森の中で、泥の塊は再び人の形になり、セクエの体に触れようとした。


「やめよ。」


高い女の声だった。その声は静かな森の中でよく響いた。泥の動きが止まる。


「おぬしも、やりたくてやっておるわけではなかろう。その少女に手を出すな。」


そう言って現れたのは、一人の女性だった。長い黒髪を首の後ろで一つに束ねている。女性は怯えることもなく泥に近づき、そっといたわるようにその体に触れた。


「…命じられてやって来たか。さぞかし苦しかろう。嫌な命令であれば、逆らうこともできるのだぞ?」


励ますようにそう言ったが、その泥の中に何か鉄のようなものを見つけて、顔を曇らせた。


「そうか…そなたにも枷が…。」


女性は手を泥から離した。苦しそうに、悲しそうに、うつむいている。


「そなたにはまだ理性が残っておる。この枷を外せば、そなたも自由に…。」


そう言って、女性は泥の中から見えている鉄に触れた。だが、女性が枷と言ったその鉄はまるで女性の手を嫌がるように、中から電気を発した。これでは外すことはできない。女性は手を離した。


「やはり無理か…。可哀想に。」


女性は一瞬苦しそうな顔を見せたが、すぐに顔から表情を消し、泥を見つめて言った。


「じゃが、それでもこの少女をそなたに渡すわけにはいかぬ。どうせあの男の命令で来たのじゃろう。どのような意図があるのかは知らぬが、あの男の思い通りにはことを進めたくない。あの男は図に乗るからの。…我らに枷をつけようとしたように。」


それだけ言うと、女性は唱えた。


灼熱の炎プムル・ヴァナス。」


その瞬間、泥は巨大な炎に包まれた。泥はなんとか炎の中から抜け出そうとするが、炎に触れたところから徐々に体が固まっていくため、しだいに動けなくなっていく。それはまさに窯の中に入れられた陶器そのものだった。最後、炎が消えた後に残ったのは、カチカチに硬くなった大きな灰色の塊だった。


「…すまぬ。わらわに助けるだけの力が無いばかりに…。」


女性はそう言って、しばらくその場に悔しそうに座り込んでいたが、やがて立ち上がり倒れた二人と灰色の塊を見て呟いた。


「さて。これらをなんとかせねばならぬ。…ふむ、やはりあそこへ持ち帰るしかないか。泥はともかく、この二人はそう長くは持たぬからの。あそこでなら時間を気にせずにすむ。」


そう言うと、女性は地面に手を向けた。呪文を使わずにそこに穴を作り出した。その穴はまるで水面か鏡であるかのように周りの風景を映していた。女性はもともと泥だった塊を魔法で持ち上げ、その穴に投げ入れる。塊は水面のようなその穴に浮かぶこともなく沈んでいく。次にセクエとバリューガを持ち上げたところで、女性は何かの気配に気づき動きを止めた。


「ふむ…何かおるようじゃな。三個…いや四個か。」


女性はしばらく二人を持ち上げたまま考えていたが、やがて言った。


「悪いが、この二人はしばらく預からせてもらう。じゃが安心せい。この二人に危害を加えるつもりはない。むしろ助けるつもりじゃ。無事目を覚まし、元の生活に戻れるようになれば、お前たちの所へ返してやろう。それまで、わらわが保護させてもらうだけのことじゃ。」


女性はそれからしばらく黙って、何か言い残したことはないかと考えたが、特に思い当たらなかった。


「ではな。」


と、それだけ言い残して女性は二人を水面のような穴に入れると、自分も入り、その穴を閉じた。その後は、辺りは何もなかったかのように静まり返っていた。

だが、そこには確かに、なぎ倒された木の根元に黒い水が飛び散っていて、そこで何かが起こったのだということを伝えていた。

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