異世界でも内臓脂肪は裏切らない
神殿から手紙が届いたのは、龍満楼の支店ができて三か月ほど経った頃だった。封蝋を割ると、羊皮紙に赤い字で一行だけ書いてあった。要再検査。
異世界でもこの字は赤いのか、と思った。
指定された日に神殿へ行くと、前とは違う部屋に通された。白い石の壁に囲まれた狭い部屋で、真ん中に寝台が一つある。棚には水晶玉と聖印と、金色の巻き尺が並んでいた。
「こちらに横になってください」
神官長が巻き尺を手に取った。
「……測るんですか」
「腹囲です。聖別された巻き尺なので、ごまかしは効きません」
息を吸って腹をへこませようとしたら、巻き尺が勝手に緩んで元の位置に戻った。本当に効かなかった。
続いて水晶玉が腹の上に置かれた。ひんやりした。水晶の中で白い霧が渦を巻き、やがて文字が浮かんだ。神官長はそれを読んで、しばらく黙った。
「どうですか」
神官長は水晶から目をそらした。
「筋肉量は、勇者様にふさわしい数値です」
「それで」
「内臓脂肪が、魔王級です」
魔王を倒した男の腹の中に、魔王がいたらしい。
「そんなに食べてないつもりなんですけど」
「そのつもりが一番危ないのです」
神官長に言われて、考えてみた。米と麦は止めている。月一の日以外は守っている。ただ、その分だけ肉を食べている。龍満楼の肉野菜炒めは、控えめと頼んでも大盛りで出てくるし、残そうとすると胸が痛む。宿に戻れば、おかみさんが寝酒のつまみにチーズを一切れ出してくれる。今日は戦ったからいいか、と思う日もわりと多い。
指を折って数えていくと、思い当たることしかなかった。
その場で、目の前に半透明の板が出た。【隠しスキル解放】の文字のあとに、【沈黙する内臓脂肪】と続く。普段は何も悪さをしないが、ある日まとめて牙をむく、と説明に書いてあった。
「最悪じゃないですか」
「隠しスキルですからね。今まで黙っていただけです」
神官長はなぜか少し気の毒そうだった。
神殿を出ると、エルマーが待っていた。結果を聞かれたので、魔王級だったと答えた。エルマーは俺の腹のあたりを見て、言葉を選ぶように少し間を置いた。
「勇者様、最近は少し……貫禄が出てこられましたよね」
「気をつかわなくていい」
「すみません」
その日の夜、龍満楼に寄って事情を話した。陳さんは鍋を振りながら聞いていたが、話が終わると、黙って皿を出した。いつもより野菜が多く、肉が少ない。量は変わらず大盛りだった。
「……減らしてはくれないんですね」
「腹いっぱいにならねぇと、夜中にチーズ食うだろ」
図星だった。
次の朝、走ってみることにした。
夜明け前に宿を出て、城壁の外の草原を走る。百歩もいかないうちに、腹の肉が上下に揺れるのが気になりはじめた。一歩ごとに、少し遅れてついてくる。それが嫌で、結局半周で歩いた。
宿に戻ると、エルマーが朝の稽古をしていた。走るのはやめたと言うと、少し考えてから、城の裏手に湖があると教えてくれた。騎士団が夏に水練に使う場所らしい。
泳ぐのは昔から好きだった。会社の近くの区民プールにも、週に一度は通っていた。帰りに龍満楼へ寄って、泳いだ分以上に食べて帰るのが常だった。
湖の水は冷たかったが、入ってしまえば平気だった。鎧は岸に置いて、スキルの補正も切った。板に向かって「切ってください」と頼んだら、文字が灰色になった。ただの四十八歳として水に入ると、体が思ったより浮いた。脂肪は水に浮く。内臓脂肪がはじめて役に立った気がした。
クロールで岸から岸まで往復する。走るのと違って、水の中なら腹の肉が揺れても気にならない。最初の日は二往復で岸に上がった。一週間経つと、五往復しても息が切れなくなった。
岸でタオルを渡してくれたエルマーが、勇者様は泳ぐときだけ動きがきれいですね、と言った。「だけ」は余計だと思った。
内臓脂肪というのは、部下みたいなものかもしれない。放っておくと黙ったまま抱え込んで、ある日まとめて問題を持ってくる。毎日少しずつ顔を見ていれば、そこまで大ごとにはならない。
ひと月後、もう一度神殿に呼ばれた。巻き尺を巻かれ、水晶を乗せられた。神官長は前回の羊皮紙と見比べて、少し長く考えてから顔を上げた。
「増えてはいませんね」
「減ってはいないんですか」
「減ってはいません」
神官長は羊皮紙に一行書き足した。
「経過観察にしましょう」
異世界まで来て、結局それか。
帰り道、少しだけ足取りが軽かった。
その頃、荒川区の龍満楼では、常連の一人が会計のときに言った。
「おかみさん、大盛りがちょっと少なくなったね」
「あの人のが多すぎたのよ」
女房はそう言って、レジを閉めた。




