旅立ち
ゲートと呼ばれる、異世界に繋がる門が現代に現れた。
その世界で召喚された上位者という、人間を滅ぼす為だけの存在によって人類…いや、この世界は滅びの運命を辿る事となった。
多くの人々が命を賭けて滅びの運命に抗った。
その中に自分の父と母、そしてその仲間達も居た。
特殊な力を持ち、あらゆる戦闘術に長ける、人類最強だった父。
そして一度は父達と敵対した存在でありながら強大な力を持つ、彼の世界最強の戦士である「勇者」。
二人は手を組み、人間の敵と最後の決戦に挑んだ。
宇宙から地球ごと人類を滅ぼさんとする上位者を追って、遠く離れた月を舞台とした死闘の末、最強の上位者を打ち倒したものの…二人も瀕死の深手を負って倒れた。
勇者は父を庇って大気圏で消滅し、父だけが皆の元に帰って来た。
…それが19年前。
この世界では人間同士の紛争が散発していたが、とりあえず二つの世界は滅びの使者を滅ぼし、平和になっていた。
町の保有するマイクロバスに揺られながら、大淵大樹はリュックサックをいつも以上にしっかりと抱えていた。
これまでに傘や荷物、時には教科書ごと荷物を置き忘れては地元の交通会社の車庫にまで両親を付き合わせてしまったが、今日ばかりはそんなミスはしない。
自分の隣に座ってイヤホンで音楽を聴きながらスマートフォンの画面を見入る一つ下の妹…八重を横目で見た。
母に似て文句なしの美少女だった。 …黙っていれば。
八重はまったくもって平常通りの態度だ。何の高揚も無いのだろうか?
そう思いながら画面を盗み見ると、「第二世界Tips」なるタイトルと、彼の世界における平時・有事におけるハウトゥや必需品などの情報が羅列されていた。
(なんだ、コイツでも第二世界に少しはワクワクしたり緊張したりしてんのかな?)
第二世界…ゲートを通じて繋がった彼の世界の、日本での呼び方。…もっともそう呼ぶのは行政関係者が主で、市井の人や若者には「彼の世界」「異世界」と呼ばれる事の方が多い。
大樹は自分のリュックサックを開け、その中にあるクリアファイルを取り出した。
二時間前に隣接市の市役所で開かれた講習会で取得してきた、「第二世界探索許可証」だ。これが交付されない事にはごく一部の例外を除き、何人たりとも彼の世界に立ち入ることはできない。
満17歳以上で、彼の世界に於いて十分に自身の身を守る術と公序良俗に反しない人物であると認められた者が講習と実技試験を経て取得する事ができる。
因みに特定のエリア内で活動する報道関係者や視察者、現地スタッフなどの関係者にその都度交付される「第二世界通行許可証」とは別物である。
ただ現地の安全エリアを見たいだけなら通行許可証を申請するだけでいいのだ。
だが自分は違う。
父や母達のように冒険者となって彼の世界をこの足で進み、この目で見てみたい。
その第一歩を踏み出したのだ。
窓の外に目をやった。雪に閉ざされた険しい山々。切り立った崖と谷の間をバスは進む。客は自分達の他にお婆さん二人と中学生グループが四人。
来週のクリスマス前から来年の一月七日まで冬休みに入る。
約二週間の冒険だ。
手始めに明日の金曜日から早速、現地に飛んで慣らしておきたい。
大樹は彼の世界での冒険に心を馳せた。
血沸き肉躍る戦い……襲い来る有象無象のモンスター。そして強敵の代名詞・ドラゴン。 …しかし同居人の竜人を思い出し、案外身近な存在である事を再認識させられた。いや、確かにかつては父と戦い、彼の世界でそれこそ勇者のように大活躍していた父を殺しかけるほどには恐ろしく強い存在なのだが…
ならば最後の敵・魔王……も、姉同然の存在が既に一つ屋根の下に同居している事を思い出す。
いや、その他にもまだ彼の世界へのロマンはある。
まだ見ぬ財宝。
まだ見ぬ彼の世界の人々やその暮らし、異国の文化。
それを取り巻く異世界の雄大な景色。
そして、父のように大活躍して彼の世界の人々に褒め称えられる自分の姿を妄想した。
…もしかしたら自分のそんな活躍を見た、可愛いらしい美少女にも持て囃されたりして…
「なーにニヤケてんの、兄貴?」
いつの間にか八重が顔を上げ、ジトッとした呆れ顔で大樹を見ていた。
「に、ニヤけてなんか…いたか?」
「うん。すっごく気持ち悪かった」
容赦なく言われてしまう。
八年前まで自分を「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と慕い、親鳥の後を追う雛鳥のように後をついて回っていた、妹の鑑とさえ言える愛くるしい姿が信じられない。
「ひでぇ言われようだ… 父さんと母さんに許可をもらったら、俺は明日の放課後か
らあっちの世界に行っちまうんだぞ? 下手したら、それが兄への最後の言葉になっても良いのか?」
「あー、いいよいいよ。 あたしも行くから」
「はぁ? …お前、準備なんかしてあったのか?」
「とっくに。 大体、代々木ゲートに行けば近くのギルドとかコンビニでも必要なものはなんでも揃うでしょ」
…確かに。前もって遠足前夜よろしく色々準備していた自分が馬鹿みたいだ。
「けどまぁ、ゲート前で手に入るからって慢心しているより、予め備えておいた方が間違いないけどね。 油断してると用意し忘れたりするし」
「そ、そうだろ!? それに、帰ってきたらすぐに向かうんだからな。予め用意しておかないとドタバタするし。 …けどまずは、父さんと母さんにOKをもらってからだ」
除雪されたばかりの峠道を、バスが慎重に上り続け…やがて坂道が緩やかになったかと思うと、見慣れた橋と青々とした川が見えた。橋も川辺の石も雪を被って夏とは全く違う顔を見せている。
静かに降り続ける泡雪の中、橋の向こうに村の《《ランドマーク》》である火の見櫓の姿が見えた。
櫓のてっぺんに、これもまた見慣れた小さな人影が見えた。
マオだ。
黒と紫の禍々しい色合いのコートを羽織り、この極寒の中雪見酒でもしているのだろう。
幼女のような見た目をしているが、彼の世界に於ける北大陸の今代魔王であり、六億もの魔物…魔王軍を従える魔族の最高指導者である。
それでいながら、自分達と家族同然に暮らす、自分の姉代わりの存在でもある。
自分達に気づいたかどうかは分からないが、バスに向かって鷹揚に手を振ってくる。
マイクロバスが秋川村中心部の広場に辿り着くと、黄色い作業車両が三台、除雪作業に勤しんでいる所だった。 その内の一台は塩化カルシウム散布車だった。たった今、自分達が通って来た道に塩化カルシウムを散布して来たのだ。 車庫に向かう作業車の運転席には小柄な女性運転手、川村彩音の姿があった。ロータリー除雪車から降りてきた屈強な男が誘導してバスの回転を手伝ってくれた。
もう一台の除雪用ブルドーザーには更に大柄の男が乗り込んでおり、バスの為にバックして道を空けてくれた。父の仲間の一人、藤崎海だ。
マイクロバスの運転手も初老ながら雪国育ちのベテランだが、雪は細かな側溝や障害物を全て隠してしまう。細かな除雪など到底追いつかず、うっかりするとベテランでも雪で綺麗に覆い隠された《《落とし穴》》を踏み抜いてスタックしたり車両を破損させてしまう事もある。 雪の壁も一見すると柔らかそうに見えるが、強く当てれば車体をへこませてしまう。
村内の除雪を担って地形を細かに把握している尾倉道行が誘導してくれれば運転手も安心だ。
Uターンを終え、バスの乗客が下りていく。中学生たちのグループが先に降り、続いて老婆たちが、そして自分達が老婆たちの体勢にそれとなく気を配りながら続いて降りた。
「お疲れ様です、尾倉さん」
バスを降りた所で対面した尾倉に会釈しながら言った。 八重もぺこりと頭を下げた。
「除雪、お疲れ様です」
「…ああ。 よく降るな」
尾倉は帽子を被り直し、二人に向かって軽く手を振りながら除雪車に戻って行く。
コミュニケーションが苦手な彼なりの、最上級の挨拶だった。
中学生のグループも老婆たちも、自分の家へと帰っていく。大樹と八重も白い息を吐きながら自宅へと向かった。公民館を通り過ぎ、お隣の家を通り過ぎ…その少し先、少し傾斜のある坂道の先に自分達の家はあった。
しかし坂道を上る前に、隣家の庭先に異物を見つけた。
尾倉が動かすロータリー除雪車を手押しにしたもの…除雪機で作業する、蛍光色のヤッケ姿の男。
除雪機のシューターからは雪が吐き出されるが、その雪は隣家の庭先の一点に集められ、それを同じくヤッケ姿のアリッサ・ダーリングや星村あかりが童心に返ったように… …アリッサ先輩は常に童心のようなのだが…一心不乱に雪の塊を削り、なにやら雪像を作っているようだ。
「よう、仲良し兄妹!今日はいつもより遅かったな?」
「デートデスか? 二人共モテそうデスからねぇ~」
「違いますって。学校帰りに市役所で探索許可証の講習と試験を受けに行ってたんですよ」
大樹は苦笑しながら答えた。
「私はともかく、このバカ兄貴がモテそうに見えます?」
八重が大樹の顔を下から指差しながら呆れ顔でアリッサに尋ねた。
「モチロン! アリッサも大樹大好きデス!日菜子オバサマはガチで狙ってマスね! 大樹、日菜子と二人っきりになってはイケマセンよ?」
「ははは…」
アリッサのたちの悪いジョークに苦笑で付き合っていた大樹の顔が引きつる。
「…あらアリッサ? 確かあなたも私と同い年だった筈だけど? それと、大樹君にいい加減な事を吹聴するとどうなるか、前にも警告した筈だけど…分かって貰えていないようね?」
アリッサの背後から現れた長身の黒髪美女、斎城日菜子。 …恐れながら幼き日の自分の初恋の人でもある。 とても自分と倍以上も歳が離れているとは信じられない程若々しく、普段は悪戯っぽくもおしとやかな性格。
しかし今はアリッサを羽交い絞めにして軽々と締め上げている。
「の、ノーッ!!」
…こんな二人でも高い戦闘能力とステータス…常人には発揮し得ない身体能力を備える、世界に三人しか確認されていない「竜騎兵」である。
異世界に繋がるゲートの出現に伴って不特定の人々に望む望まぬを問わずに後天的に発現し始めた職種。剣士、銃士、術士…それぞれの職種によって得意とする戦い方や装備した武器への適性などが異なり、原則としてこれを持ち、適正な武器を装備した者でなければ彼の世界の強力な魔物達に対抗する事は、現代のハイテク兵器を以てしても困難だ。
…そしてそれは、ジョブとスキル・ステータスを持つ者に対しても同じ原理だった。
その為現在、日本を含めた世界中の軍や警察ではこの能力を持った人間を積極的にリクルートしている。
「くわばらくわばら。 そうか、お前らもやっぱり冒険者になるんだな。悪い事じゃない。 危険は確かにあるが、実績さえ積み重ねればどこのギルドでも採用されるし、富むも貧するも運と実力主義なのが冒険者の世界だ。 それに、お前らはその意味じゃサラブレッドの中のサラブレッドだからな」
黒島は除雪機を停止させ、ミニスコップを取って二メートル程の雪像を彫り始めた。その向こうでは雪中に投げ込まれたアリッサが斎城によって雪に埋められている。
「けどまだお前らの親父は出張中のようだ。寒いから家に帰って待ってな」
「はい。 それではお先に」
「またね、大樹君、八重ちゃん」
斎城達に手を振り返し、二人は坂を上って自宅へと入った。
「「ただいまー」」
兄妹の帰宅を告げる声に、左奥のキッチンから母の声と、青魚か、芳ばしい香りが出迎えた。
「おかえり。お父さんはまだ帰らないから、先にお風呂に入っておいで」
「私、先ー」
ダッフルコートの雪を払い終えた八重がコートと荷物を下ろしに二階の部屋へと向かい、大樹もそれを黙して認めながら自身と荷物に積もった雪を玄関先で払ってから、入浴セットを抱えた八重とすれ違いながら二階への階段を上がる。
荷物を下ろし終えた大樹は、例の許可証が挟まったクリアファイルを持って居間へと向かった。襖を開けると、二つ並べた炬燵にはいつものように先客があった。 身長二メートル二十超えの屈強な女巨人が涎を垂らしながら眠っている。
19年前に父と死闘を繰り広げた、竜人のカリューだ。
その手前側には二匹の茶トラ猫とキジトラ猫が布団の上で丸まっている。
チャオ助とタモジロウである。 誰が命名したかは諸説あるのでわからない。この二匹が三年前にどこかから流れ着いてこの家に住みつき、この家に住む誰かが勝手にそう呼び出した名が定着したのだ。
茶トラのチャオ助は痩せ型の猫で、逆にタモジロウは丸々太っている。 与えている餌の量は同じなのだが、人間にも個体差があるようにこの二匹も個体差があるようだ。
「んぁ? 大樹か? お前も入れよ、最高だぜ」
言われるまでも無くもう一つの炬燵に足を突っ込み、寝転がりながらスマートフォンを開いて八重が風呂から上がるのを待った。
剥き出しのコンクリートの壁に囲まれた部屋。
その部屋の中心にあるテーブルにつき、椅子に腰かけ、短機関銃を片手にスマートフォンでネットニュースを見て時間を潰す40代の男。
中肉中背ながら屈強な体つき。 安物のダウンジャケットの下にはチェストリグと呼ばれる弾倉入れが覗き、短機関銃の湾曲した細長いマガジンが納められていた。
男は鷹揚に窓の外を眺めた。 ガラスを取り除かれた窓枠の向こうに風も吹き込まない、虚ろな空間があった。 漆黒の闇と照明が放つ寒色系の光が物寂しい。
だが、人の気配は賑やかなものだ。
姿は全く認められないが。
そろそろか、と思った通り、突如として黒に近いネイビーブルーの戦闘服とタクティカルアーマーを着込んだ男が窓枠の外に逆さまに立ち、一秒も掛けずにその状態から拳銃を撃ち込んで来た。 間一髪でそれを躱すと、続々と同じ姿の黒ずくめの人影が飛び込んで来た。それぞれ手に短機関銃や拳銃を持ち、それまでの静けさから打って変わって激しい銃撃戦になった。
男は短機関銃を一連射して隣の部屋へ逃げ込む。
ドアの戸口で拳銃に切り替え、クローズドフォームで奇襲に備えながら隣室を走査する黒ずくめの兵だったが、それだけ警戒していたにも関わらず組み付かれ、反撃もままならずに地面に組み伏せられ、首筋に短機関銃を撃ち込まれて動かなくなった。
更に戸口から数発の攻撃があり、突入しようとしていた黒ずくめの兵達が二人、脚部から赤い液体を流して呻きながら倒れ込んだ。仲間達が負傷した二人をそれぞれの遮蔽物の影に素早く引きずり込んで追撃を阻止した。
建物の奥に逃げ込んだ男から正確無比な射撃が物陰から浴びせられ、それでも兵達は物陰から物陰へと援護し合いながら移動し、男を包囲しようとした。
『新庄隊は二階寝室から侵入。こちらが標的を階段に追い込む。標的を上階から射殺しろ』
『了解』
空き缶が転がるような乾いた音。 閃光手りゅう弾が男が潜む室内に放り込まれた。
ドラマや映画で見るような、しばらく目を開けられなくなるようなモノでは無かった。ただ、生物の生理上、どうしても一瞬だけ目を眩まされ、全ての集中が切らされる。
普通なら終わりだろう。
だが、自分には目が見えなくとも相手の気配と殺気が手に取るようにわかる。
視界は一瞬だけ奪われかけながらも、二階に音も無く侵入して、階段の方で凄まじい殺気を放つ精鋭の気配を察知していた。
この能力が無ければ最初のコンタクト時にとっくに射殺されていた。
それでも敢えて階段の方へ向かう。
敵も自分のこの能力は承知の上で自分を狙ってきている。
緊張しながら階下へ照準を合わせる兵達。
敵はこちらの動きを察知している筈だが、それでも作戦通りこちらに向かってきている。
階下で足音が止まった。
聞き慣れた乾いた音がして、兵の誰かが舌打ちしながら全員で物陰に引っ込んだ。
踊り場で眩い火花が散った。
急いで階下に狙いを付けようとして、既に裏を掻かれていた事を思い知った。
階上から銃撃を受け、兵達はバタバタと倒れていった。
『訓練終了、訓練終了』
倒れていた黒ずくめの兵達が立ち上がり、互いに何事か評し合っている。
「ありがとうございました、大淵さん」
短機関銃を下ろした大淵大輔の元に、例の戦闘服姿の男が話しかけてきた。
「こちらこそ。警察最強の特殊部隊と手合わせできるのは願っても無い事です。 それにお察しの通り冬は百姓仕事ができないので、私もこうした仕事は自分の戦闘技術も磨き直せて、ありがたい限りです」
特殊急襲部隊の隊長は表情を無念に歪めた。
「…気配と殺気が読めるとはいえ、一人相手に一撃も与えられないとは…指揮官失格です」
「その点はどうかお気になさらず。 この察知能力が化物なだけです。 それに、実弾であれば何発かは被弾していました。 いくらSATといえどエアガンに毛が生えた程度の初速しか出ないペイントガンでは、本来の射撃戦闘能力を発揮できませんよ」
大淵は自身の訓練用衣服の裾と襟元に微かに付着した赤いペイント顔料を示した。
「さすが、近距離戦闘と射撃センスは私より遥かに上です」
あくまで謙虚に評する大淵を、部隊長は内心でも苦笑しながら呆れた。
まだまだ30代で通る、穏やかながら精悍な顔つきと、20代の警視庁特殊急襲部隊員に劣らない強健な体つき。
40でこの戦闘能力…身のこなし… これでも加齢と共に19年前に比べて全ステータスが半減しているというのは本当か?
更に訓練の為、その力の殆どを最小限にまで加減しているのは間違いない。
まさに化物…畏敬の念を込めてそう評さざるを得ない。
「こうして訓練にお付き合い頂いておきながらこう言うのも何ですが…第一線に戻られるおつもりはもう無いのですか?」
今度は大淵が苦笑を返した。
「あちらももう平和な世界になりました。今更こんなオッサンがしゃしゃり出る事も無いでしょう。 …それに、そろそろ俺もお役御免のようです。 世代交代ってやつですね」
「もしや御子女が?」
「隠しているつもりなのかサプライズのつもりなのか、黙っていますがね。 それらしい装備品や物品を通販で買い込んでいるようです」
訓練施設前に整然と整列する若い隊員達を見て、大淵も部隊長に促され、講評の為に移動した。
村の中心部にある木造二階建ての公民館。
その玄関内に設置された結晶石が光を放ち、大淵が現れた。
時刻は七時半…談話室にも光は無い。 妻の桜もとっくに帰宅している。
桜はこの雪深い秋川村で、冬季は非常時の医師代わりに町から医療官として委託を受けている。 秋川村は黒島と前村長が結託して発展させ、この十九年で若い移住者も受け入れて人口も増え、こんな山奥だというのに生活基盤が極めて充実している。
それでも冬季は交通の便が最低であることは変えられず、またこの秋川村よりも更に山奥深くに点在する高齢化集落の医療を支援するために、いざという時には連絡を受けた桜を自分か、斎城やアリッサが足となり、時にはスノーモービルを使いながら救急車代わりに飛んで行くのだ。
公民館を出た。
雪など無かった東京と一変し、こちらは今も雪がかなり強まってきている。
道路脇は二メートル近く積もった雪の壁。踏み出すと、時間的に尾倉達が除雪してくれてから二時間も経っていないだろうに5センチも積もっている。本州の、牛の背骨のように突き出た山脈によって分けられた日本海側と太平洋側でこの違いだ。
荷物を背負い直し、我が家へと向かって歩いた。
あと少しで我が家、という所で隣家の庭先に佇む異物が目に入った。何やら見慣れた雪像…独尊を着込んだ自分に似たような雪像が、荘厳な表情でポーズを決めながら日の出を拝める東の山に向けて指を差している。
かぶりを振り、その前を通って自宅へと向かった。
「あ、来た来た。 おかえりー、パパ」
八重と、何故か自分に懐くチャオ助が高めの声で鳴きながら出迎えてくれた。
「ああ、ただいま」
チャオ助を抱きかかえながら八重の頭を撫でた。
年頃の娘だろうに自分をよく慕ってくれる、妻の面影を強く受け継いだ愛娘。
今の自分の懸念と言えば、この愛娘が嫁に出る時に平静を保てるかの心配くらいだ。
「ね、ね、兄貴がパパにお願いがあるって。聞いてあげて?」
やはりか…。という事は、兄想いな八重もついていくだろう。
「大樹が? よし、わかった。 じゃあ先に風呂に入ってくるよ。一緒に入るか?」
揶揄うと、八重も慣れた調子で応じた。
「もう入ったから遠慮しまーす」
「残念だ。じゃあチャオ助、お供しろ」
それまで大人しく父の腕に抱かれていたチャオ助が何かを察したように飛び降り、そっけなく居間へと戻っていく。
大淵は冷えた体を湯船に浸からせながら、彼の世界へ赴こうとする子供たちの職種とスキルを思い浮かべた。
八重は「聖剣士」だ。 スキルは「身体強化A」「ヒールB」「魔力変換」「怪力B」
これは両世界でも初めて確認された職種で、その期待から早くも各ギルドからオファーが殺到している。
それはかつて神官騎士として活躍した桜の上位互換と呼べるものだった。竜騎兵並の戦闘ステータスに加え、桜程ではないもののある程度の怪我やちょっとした病気を治癒させる事ができる。
本人自身の戦闘技術やセンスも高いと、八重に護身術や剣術を教えているアリッサや斎城も高く評価している。
スキルも極めて充実している。分かりやすい高性能な身体強化は自分の特殊強化の代替になり得るし、常時発動の怪力で並大抵の暴漢など問題にならないパワーもあり、魔力変換という見慣れないスキルもある。 弱点と言えば遠距離ができない事くらいだろう。
学校での成績も優秀。三者面談の時などは担任教師にべた褒めされていた。しっかり者で合理的な状況判断も出来る子だ。
八重なら兄をしっかりとサポートしてくれるだろう。
そして大樹だが…
…夕飯はなるべく全員が揃うのを待っている。 待たせるのは悪い。 物思いをやめ、風呂から上がった。
炬燵の上には鯖の塩焼きをメインに夕飯が並んで居た。 マオとリザベルが何やら言い合い、間に挟まれたリザベルが慣れた様子で不干渉を決め込んでいる。
「おお、待たせてすまんな。始めようか」
冷えた缶ビールを手に、大黒柱である大輔が桜の隣に座った。
いただきます、の合掌と共にいつもの夕食が始まった。とっくに夕飯を済ませた猫達はストーブの前で寝そべっている。
…夕食後、それぞれ思い思いに寛いでいる中、大樹が口を開いた。
「あのさ、今日、探索の許可証を取ってきたんだ」
「そうか。やはり卒業後は冒険者になるんだな?」
大樹は頷いた。
進路が冒険者、というのも自分の古い常識の中では噴飯ものだが、この世界では何らおかしい事ではない。 今となっては数ある仕事の一つに過ぎない。
実力さえあればどこかしらのギルドに採用され、能力と場合によっては一流企業のサラリーマン並の出世も十分にあり得る事だ。 ギルドはコングロマリットのようなものだ。現場で冒険者と働いた後、その経験や能力を活かして著名人になった者も少なくない。
体力に自信のある限り、自分のように引退するまで冒険者として探索と収集、現地での依頼を受けながら日銭を稼ぐ生き方も選べる。
「…八重も行くのか?」
「うん、私も行きたい。 …兄貴だけじゃ心配だし」
「ん。確かに二人一緒なら安心だな。だが大樹、お前は責任重大だぞ? 兄貴はお前なんだからな」
「わ、わかってるよ。絶対に二人共無事で帰ってくるから」
「お母さんの意見はどうかな?」
隣に座る桜に意見を求めた。桜も二人が冒険に出ることは予想していたらしく、特段驚いた様子も無く微笑んでいる。
「お母さんも昔、お父さん達と旅をしたから。 ただ、行くなら二人とも、充分に気をつけてね」
「…ということだ。父さんも反対はしない。お母さんの言うとおり、気をつけて、無謀な事に首を突っ込まないよう心掛けてくれ。確かにあちらの世界は安定しているが、モンスターや敵対的な魔物は未だ居るし、何が起こらないという保証もない」
大樹と八重は真剣な面持ちで頷いた。
「分かってくれたならいい。 なら今日はゆっくり休んでおいた方がいい。 …ああ、それと高校はちゃんと卒業してくれよ?」
前日の雪は嘘のように止んでいた。
それでも歩道に残る圧雪を踏み締め、大樹は高校への通学路を歩いていた。
八重は少し離れて途中の駅から合流した友人の少女と話し込んでいる。
通学中と帰宅以外で妹と一緒になる事は殆ど無い。
世の兄妹がどうしているかは知らないが、自分達の場合、学校や友人の前ではなるべく一緒に居ないようにするのが暗黙の了解だった。
そうしないと学校内で揶揄われたり冷やかされるからだ。
小中学校で散々経験した。
高校まで一緒になってしまったものだから、さすがに兄妹間でそうした暗黙のルールが出来上がるのは必然だった。
しかも八重は学校中の人気者だった。
文武両道で容姿も性格も…兄以外に対しては良い。
校内の噂では何人となく八重に交際を申し出ては撃沈した者も多いと聞く。
(ま、付き合ったら付き合ったで本性を知って逃げ出しそうなものだが…)
自分の十メートル後ろを、同級生の少女らと笑顔で談笑しながら歩く妹をちらと振り返りながらそんな事を思った。
自分の教室に着くと、大きく分けて三つのグループが出来上がっている。
ストーブ周りに屯する、やや血の気が多い分やや頭の足りない連中。
窓際や教室の中心辺りに散らばって友人と親しげにする普通の子、もしくは成績優秀者。
そして…教室の後方に隠れるように、更に細かなグループごとに分布する、「各趣味の同好会」連中。
大樹はその内の一つ、二人の小柄で、いかにも某国民的アニメに出て来そうなくらい気弱そうな少年と、一人ノッポな180近いがヒョロリとした、やはり気の弱そうな少年の屯する机に加わった。
…自分含め、漏れなく眼鏡である。 …これがなんだかちょっと嫌だった。
四人揃った瞬間に妙な効果音とBGMが流れて来そうで。
かと言って、冒険者になるとする意志はあるくせに、自分の眼にコンタクトレンズを入れる程の度胸はない。
(どうして家族で俺ばっかり目が悪くなったかな…畜生…)
小学校を終える頃、急激に視力が低下し、中学校に入学すると同時に眼鏡デビューする羽目になってしまった。 …いや、原因らしい心当たりはあるのだが…
同じ眼鏡キャラでも黒島さんのように、溌溂として爽やかな剽軽者だったら評価は全然違うだろうに。しかも黒島さんはアレでいて仕事も凄く出来る人だと父からよく聞かされていた。
…でも、そんな自分だったら他の連中とつるんで、こいつらとつるむ事も無かったのかもしれない。それはそれでなんだか寂しいかも。
「お、おはよう、大樹君」
ノッポ…保科有太がオドオドとしたいつもの口調で挨拶してきた。
「おはよう、保科」
「おはよっす。 なぁ大樹、やっぱり24式とマークⅣだったらマークⅣのが強いと思わね?」
このグループのなんとなく代表的存在である田沢がメイルアーマー…冒険者の必需品である防具について言い募って来た。
「24式って要するにルドベキアだろ? たしかに10年前に出来た、新しい設計のマークⅣの方が素材とか防御設計は優れているけど、どっちが強い弱いは無いと思うけど。ルドベキアの方が機動補正が高いから障害物の多い地形や展開が必要な場面では有利だと思うし」
「俺もそう言ったんだけどさぁ…」
もう一人の小柄な少年、高野が苦笑しながら応じた。
《《このグループは》》探索者の装備品オタクの会だった。
もっとも、自分は冒険者になる事を視野に、知識を広めたくて彼らの会話に混ざった事がきっかけだった。
「まぁ、職業もスキルも無い俺達には関係ないけどな」
「それなんだけど…今日の放課後から俺、向こうの世界に行ってみるよ」
三人が驚愕に口を開けて自分を見た。
「お前が? 今日から?」
「…伝手があってさ。向こうがどんな様子か見て来るよ」
「探索許可証取ったんだ? …でも一人で?」
「いや…妹と二人で。 …来るなって言ってもついていくって聞かなくてさ。親にも一人では行くなって言われてるし」
やや誇張しながら、仕方なさそうに言った。
「大樹の妹って、あの八重かぁ。 …あんな可愛い妹が居て良いよなぁ」
田沢が心から羨ましそうに呟いた。
「そんないーもんでもねーよ。 親も周りも皆、八重ばっかり見るしな」
「そういや、お前らの苗字って大淵だよな? …あの、もしかしてだけど、《《あの》》大淵小隊のリーダーの親戚か何かだったりする?」
大樹はポーカーフェイスのまま、僅かに逡巡した。 親戚どころか実の父親だ。
「俺はそのリーダーを知らないけど、同じ姓ならもしかして遠い親戚かもな」
…隠す事でもないが、あまり言い触らしたい事でもない。
自慢したいとかしたくないとかではなく、その息子が何の変哲もない軽騎兵だと知られて比べられるのが嫌だった。
…妹は聖剣士などという、極めてそれらしいジョブだというのに。
大樹は自身のステータスを確認した。
他人のステータスは同じくジョブや能力を持った現代人か、国の検査機関で測定しない限り、その他の第三者には察知する事も閲覧する事もできない。
だから保科達には何も見えない。
大淵大樹… 軽騎兵。 スキル「脚力強化」
…これだけならまだいい。 問題はもう一つの方だった。
ディスアビリティ「視力低下」 …これが自分の0.1しかない視力への心当たりだった。
(こんなもん要るか! わざわざステータスに表示する事か、これ!?)
自分の視力が低下したのは中学校入学と同時だ。 これらジョブやステータスが発現したのは二ヶ月前。
…ついに自分にも冒険者の最低限の資格であるジョブが与えられたかと喜んでいたらこれである。
おまけにステータスも軽騎兵故に軒並み低い。
父は汎用騎兵だったが軽騎兵の強みは素早さと、バイク、馬に限り他の騎兵より更に恩恵が得られるという事だけが強みだ。
父と同じ騎兵だった事だけは嬉しいが、いかにも貧弱なステータスだ。実際、ジョブを発現したばかりの八重に対して上回っているのは素早さとHP…総合生命力だけだ。
勿論、ステータスの数字はあくまで目安であり、HPとMP以外には状況や相性、戦い方によって若干の上下の誤差が出る事は知っているが…
妹を守るべき自分が妹より弱い…それが一番悔しくて情けなかった。
だが、無い物を嘆いていても始まらない。
これまでに自分なりに格闘術や筋トレを通してやれる事はやってきた。
あとは実戦で戦い方を学んでいくしかない。
放課後、二人でまっすぐに帰宅すると、八重を捕まえた母が自分のメイルアーマー・イベリスを八重に着込ませるべく各部のサイズ調整を始めた。
「もー、おかーさん、今はこんなガチガチのメイルアーマー装備している女の人なんて居ないんだよ? 恥ずかしいよ…」
「ダメダメ! そうやって油断してると危ないんだから! それに、八重は美人さんでスタイルも抜群だから、イマドキのちょっと露出が多いやつはダメ! 日菜子さんが色々アドバイスしてくれたんだから、お母さんに任せておきなさい」
「八重のライトブレストアーマーで良いじゃないデスかぁ、八重のピチピチナイスバディを見せびらかさないなんて勿体ないデス。 ちょっとくらい悪い虫がつく方が良い感じに一皮むけて垢抜けマス。 日菜子みたいになってから露出しても手遅れ…アイダダダダダッ!」
「いい年してそんな幼稚な思考しかできないこどもおばさんのアリッサさん?どうやらあなたには本格的な教育が必要みたいねぇ?」
どこからともなく長身を現した斎城が、アリッサにコブラツイストをかける。
「ノーッ! プリーズフォーギブミーッ! ギブギブギブ!もう言いません、日菜子オネーサマ!」
大樹は我関せずと二階の自室に入り、通学鞄を下ろしてプラスチックの大型ケースを開けた。
通販で購入した新品のメイルアーマー、41式ライトアーマーが収納されていた。
それを身に着け、これまた通販でコツコツと楽しみながら買い揃えたアウトドアグッズをまとめたバックパックを手繰り寄せた。
彼の世界で迎え得る、あらゆる野外状況を想定しながら、ネット上の口コミやリアルな冒険者レビューを見比べながら吟味して揃えたものだ。 これは危険が無い分、本当に楽しかった。
肝心な武器だが、いくら異世界への冒険が身近になったとはいえ、流石に探索者許可証を得たばかりの学生がそうホイホイ銃刀を購入・所持できる訳では無い。
これは成人であっても現地…代々木にある中央ギルドで警察立ち合いの元、ギルド登録と同時に銃刀剣武具類の登録を済ませるのが一般的だ。
…実際、父が活躍した当時よりも、能力を持った人間による犯罪率が増加傾向にあった。
昨夜の内から何度も確認した荷物をもう一度だけ点検し、最後にクリアファイルに収めた第二世界探索許可証を収納し、大樹はバックパックを背負った。
「もー、心配性なんだから、お母さんは」
結局母に反発し、アリッサの口添えもあってイベリスのアーマー…二の腕の部分や腹部、腰部、大腿部などのアーマーを部分部分で排して軽量化した八重が、革製のブランド肩掛けバッグを手に、玄関へと向かった。
大分軽量化されたメイルアーマーの下は今時の女性冒険者同様、戦闘服ではなく可愛らしいミニスカートや厚手のスパッツ、Tシャツといった出で立ちだ。
父が心配そうに…あからさまに気落ちしながら八重を見つめる。
(今からそんなんじゃ、嫁入りの時には寝込むぞ、親父…)
「大丈夫だって、パパ! 自慢の娘を信じてよ」
「うん…そう、そうだなぁ」
八重に抱きつかれ、娘に激甘の父はもう何も言えない。 母と斎城も心配そうに八重を見て…それから自分を見て、なんとも複雑な顔になった。
うぅっ…言いたいことは分かるが…
「…大丈夫だよ。俺も気を付けるから。それに、今回はあくまで向こうの空気を吸ってくるだけだから」
「大樹…八重をよろしくね? ちゃんと兄妹で仲良くするのよ?絶対に別々になっちゃダメだからね?」
「…やっぱり私かアリッサくらいついて行った方が…」
それは魅力的な提案ではあったが、大淵小隊の中でも知名度と今も根強い《《ファン》》が存在する斎城やアリッサが同行すれば、間違いなく悪目立ちする。
そうするとせっかくのこの《《予行演習》》そのものに悪影響を与え兼ねない。
「お気持ちは嬉しいんですが…絶対に無理をしないんで、どうか俺に任せてもらえませんか?」
「そうデスよ、日菜子。 剣の師匠であるアナタが大樹を信じずに誰が大樹の実力を信じてくれるんデスか?」
アリッサが妙にまともな言葉で斎城を諭す。
マオとカリューも玄関の外に出て二人を見送った。
「あー… 大樹」
自分を呼び止める父の声に振り向いた。
「どんなに役に立たなそうに見える物にも必ず意味はあるんだ。 …俺が昔、誰かさんに言われた受け売りだが、スーパーマンになれなくても良い。 お前だからできる事をやって、身の丈に合ったヒーローになれ。 …ヤバいと思ったら逃げたっていい。 ただし二人揃って、な」
…自分の、例のディスアビリティについて言っているのだろう。
「わかった」
公民館に向かい、玄関内に設置された転移ポイントから代々木のギルド拠点を選択した。
皆に見送られ、大樹と八重は光に包まれた。
眩い光が収まると共に、既に転移は済んでいた。
目を開けると、誰も居ない部屋の中にぽつんと二人が佇んでいた。どこかの会議室だろうか。
顔を上げて周りを見回すと、ホワイトボードに十数台の空のデスクなどがあるだけの殺風景なオフィスだった。
いや…一つだけ、この部屋にかつてあった活気と、ここで過ごした人々の喧噪を如実に感じられるものがあった。
ホワイトボードの上に印字された、「大淵小隊 予定表」の文字。
二人は感慨もひとしおに部屋を見回した。
「…パパたちがここで働いてたんだね」
「…そうだな」
部屋の出入り口から外に出ると、扉の前に立っていた戦闘服姿に拳銃と歩兵刀を差した青年が立っており、こちらの反応とは逆にさして驚いた様子も無く会釈してきた。
「ああ、大淵大樹君と八重さんだね? お父さんからお話は伺っているよ。 この部屋は原則として許可を得た者か関係者以外立ち入り禁止なんだが…君達は特殊な事情ばかりだからね。 どんどん利用してもらって一向に構わないんだが、なるべく第三者に見られないようにだけ気を付けてもらえるとありがたい。 …ここがギルド化してから、動画の視聴率や炎上目当てに聖地巡礼というかここに無断侵入しようとする輩も偶に居てね」
「は、はい。今後はそのように気を付けます」
「申し遅れてすまない。僕は東京中央ギルド警備部の山下だ。 改めて中央ギルドへようこそ。見ての通り、ここはかつて君達の御両親の拠点だった場所だ。今もその会議室は転移部屋兼、特別予備戦力である大淵小隊の待機部屋なんだ。 それ以外の部屋や施設は現在、東京中央ギルドの元でほぼ民営化されて運用されている。 施設の案内はあちらのお姉さんに引き継ごう」
山下の視線の先に、中世ヨーロッパ民族衣装風の制服を着込んだ可愛らしい女性が立っていた。
いわゆる受付嬢だ。
大樹より一つ二つ先輩だろうか、深々とお辞儀をしてから大人びた笑顔で二人に話しかけてきた。
「はじめまして、中央ギルド総合案内の瀬森と申します。お二人共ギルドのご利用は初めてでいらっしゃいますね? では施設をご案内いたしますのでこちらへどうぞ」
瀬森と自己紹介を交わし、その後に続いた。
「三階は室内がリフォームされた程度でほとんど変わっておりません。こちらの旧大淵小隊隊長執務室もそのまま保管され、展示となっております。また、かつて隊員の皆さんが使われていた個室の殆どは宿泊用の客室となり、会議室前の数室を宿直職員用の部屋として利用しております。休憩エリアもそのままです。 二階へ降りますね」
二人も階段を降りた。途端に人々の喧噪が強まった。
「二階はかつての談話室跡が装備品販売所に、武器保管庫が各種武器販売所に、旧星村あかり専用工房がアイテム販売所に、旧アリッサ隊待機部屋跡が救護所となっております。
なお、一階の造りも殆ど昔と変わっておりません。 入浴施設、食堂、談話室、倉庫、各種自動販売機、職員詰所があります。
かつては警備に当たった自衛隊員や警官の利用者が半分でしたが、今は武器登録の為に常駐する警官以外、特殊な理由がない限り殆ど利用される事はありません。 簡単ですが、施設案内とさせていただきます。 何かご質問・ご不明な点などございませんか?」
八重を振り返った。八重は首を小さく横に振った。
「大丈夫です。ありがとうございました。 早速武器を購入して、ゲートに入りたいと思います」
「それでしたらお買い物の後、職員詰所までいらしてください。自治体から交付された探索許可証をお見せ頂ければ、次回から許可証をお持ちにならずともゲートの通行がスムーズになる、ICチップ入りのIDを無料でお作り致します」
「わかりました。ありがとうございます」
二人で頭を下げ、瀬森と別れた。
武器販売所に入ると、ちょうど冒険者の男がロングスピアを購入し終え、ご機嫌な様子で店を出て行った。防具の傷み具合からすると既に何度か冒険した経験者だろう。
大樹と八重も男と入れ替わりになって店内に入った。
座ろうと下ろしかけた腰を、店員と警官が苦笑しながら再び立ち上がった。
「いらっしゃいませ。初めての方かな? まずはお巡りさんに探索許可証と、学生証でもいいので身分証を提出してください」
言われて二人はそれぞれの書類を提出した。
探索許可証にはそれぞれのジョブやスキルが記されている。 それによって購入する武器が本人に必要なものなのかどうか、一目で分かる。
「…聖剣士…に軽騎兵、ね。 妹さんは刀剣類のみ、お兄さんの方は銃器と刀剣類だね。お嬢さんの方は刀剣類を二本まで、お兄さんの方は軽だから刀剣一つに銃器一つだね。じゃあ、この書類に記入して。 予備の武器として購入する際はその分も登録書類を書いてもらうよ」
そうだ。自分は父のように二つの刀剣類を同時に装備する事は出来ない。
二人は店内に所狭しと並べられた刀剣弓銃火器類を見渡した。
大樹は迷わず、予め決めていた40式騎兵刀と、38式騎兵銃を選んだ。
理由は簡単だ。
40式は父がその戦闘経験を活かして設計し、西日本に拠点を置く日本刀造りの老舗中の老舗メーカーが製造した人気商品だからだ。刃渡りは75…一般的な木刀とほぼ同じサイズだ。
また、38式騎兵銃も極めて精度と評判の良い、7.62㎜の傑作バトルカービンだからだ。
財布から、長年溜め込んでいた小遣いとお年玉が夢幻のように消えていく。分厚かった財布は随分軽くなってしまった。これに加え、武器に比べればささやかな値段ながら登録手数料を支払わねばならない。 とても予備を買う余裕は無い。
横目で見ると、その衝撃的な光景に思わずギョッとした。
店員と警官も、そのインパクトある光景に表情を引きつらせながら笑っている。
八重は店内に唯一飾られていたジャイアントソード・「ウェルター」を軽々と片手で持ち上げていた。 剣の身幅15センチ、刃渡りは実に八重の身長に150越え…収納用付属品であるボディホルスターを肩から胸に掛け、ホルスターにその鋭利な二メートル近い長大剣をこともなげに収めた。
聖剣士というのは刀剣であれば何の制限も受けないようだ。
更に大樹同様、父の設計した40式騎兵刀を注文して登録を済ませ、大枚を払っている。
「ん、なに?」
「いや…すげぇ馬鹿力なんだな、お前…」
「…大好きなあっちの世界の土にしてあげようか?」
武器販売店を出て、瀬森に言われた通りにIDカードを製造し、いよいよギルド拠点の外…代々木公園ゲートへと向かった。
これから彼の世界へと向かうべくゲートへ向かう冒険者、帰ってくる冒険者が行き交う。
薄暗い冬の曇り空の下、そんな人々を東京の高層ビルが見下ろしている。
(きっと向こうもこっちと変わらない時間の筈だ。着いたらまずは適当な場所を探してテントを張ろう)
かつては剥き出しの洞窟だったゲート坑道も今では雰囲気を出す為なのかレンガ風の内装を施され、LEDのリアルな松明が証明として揺らめいている。
少し前を大学生か社会人か、屈強な青年たちが何やら笑い声を上げながら進み、カップルらしき冒険者の姿も見える。
やがて、開けた空間に出た。かつて異世界から攻め込んでくるモンスター相手の最前線であったゲート内拠点がライトアップされ、中世の砦のように厳めしく佇んでいた。
検問のゲート横にはかつてここで起きた壮絶な戦いの数々と、そこから魔王軍との和平に至るまでの苦難の歴史がパネルで展示されていた。
犠牲者の追悼碑も建てられていた。
「ここには書かれてないけど昔、モンスターや魔王軍との戦いがあって、自衛隊とギルドの兵隊が大勢殺されたんだってよ。人間が背骨からくの字を越えてこんな風にされたんだって」
若い男が脅すような口調で、くの字にしていた両手の平をバタンと合わせた。
「でもこうしてみるとその手のホテルみてぇだよな。 夜な夜な化けて出てきたりして」
「やだー!」
八重が不快げに横を向いた。
大樹もかぶりを振り、二人で早速受け取ったIDを検問所のギルド警備員に提示した。
「…車両は…無しと。 はい。ありがとうございます。 北大陸の魔王軍に所属する魔族には絶対に手を出さないようお願いいたします。彼らは人語を理解します。 違反して傷付ければこちらの世界での傷害や殺人と同様に扱われ、厳しく処罰されます。 どうかお気を付けて」
天下の悪法と言われた少年法も大反発に遭いながら大昔に改正され、大樹や八重の年齢でも非道な罪は成人と同様に処罰される。 北大陸の魔物についてはマオと生活している事もあって重々承知している。大樹は気を引き締め直して頷いた。
坑道を進んでゲートを抜けた。RV、バギー、キャンピングカーにバイクなど、事前に登録してギルドに預けていた車両がゲート先の駐車場に置かれており、若者のグループはそれらに乗り合って次々と出発していく。自分のように徒歩の者も少なくない。
脇を通り過ぎる自転車を見送り、八重は肩を竦めて大樹を見た。
「自転車でも持ってくればよかったかな?」
「それか施設に入った茂吉さんのシニアカーを拝借して来るとかな。あれでも多分俺、ジョブスキルが適用されるぞ」
「私は絶対乗らないけどね」
一台のキャンピングカーが八重の傍で停車した。
「乗ってく?」
運転席から茶髪の若い男が人懐こそうな笑顔を見せた。
「彼氏と一緒でもいいんですか?」
八重も邪気の無い笑顔で大樹を示した。
大樹の存在に気付いた男の顔が一瞬、不機嫌に歪んだ。 …気のせいか、舌打ちまで聞こえた気がした。 男は軽く後ろを振り返るフリをした。
「…悪いね、そういえば満席だった」
「そうですか、お気を付けて」
キャンピングカーは去って行った。八重はニヤリと勝ち誇った顔を大樹に向けた。
「また変なのに絡まれない内に行こうよ、《《彼氏くん》》?」
二人は連れ立って歩き出した。
「…何が彼氏くんだ、まったく…」
薄暗い空はあっという間に日没を迎え、夜の帳が落ちていく。
大樹と八重はそれぞれバックパックの背負い紐やアーマーのベルトに取りつけるタイプの乾電池式ライトを点灯して足元を照らして歩いた。ゲートを抜けてかれこれ二時間近く経っていた。 周囲は森に阻まれ、町の明かりも見えない。
自分達同様の徒歩組の明かりが前方後方にチラホラと見えるだけだ。しかし先頭を行っていた冒険者も立ち止まり、こちらに向かって戻って来た。
「…? どうしたんだろ?」
「もう結構暗いし、徒歩じゃ今夜中に一番近いルーヴァリスの町まで行くのは厳しいから、なるべく冒険者で集まってキャンプするんだよ。 …こんな暗い森の中、モンスターもいるかもしれないのにソロキャンするなんてゾッとしないだろ?」
「…え? ルーヴァリスの宿で寝るんじゃないの?」
八重の顔から笑みが消え、真顔になった。真顔を通り過ぎて蒼白くさえなっていく。
「んな訳あるか、冒険者が毎日宿屋で寝られる訳無いだろ。 投稿動画とかちょっと見れば分かるだろうに」
それとなく身を寄せ合うように十数メートルずつの間隔を開けながらキャンプの設営作業に入り始めた他の冒険者を横目に、八重は強張った声を絞り出した。
「あたし、テントなんて持ってきてないんだけど」
「…はぁッ!?」
女性冒険者向けとは言え、革のショルダーバッグ一つしかないと思ったら…
「だ、だって二泊三日しかないからてっきり宿屋で寝泊まりしながらちょっと冒険するだけかと思ったんだもん!」
…準備不足は八重の不手際だが、旅の行程をきちんと話し合わなかったのは…兄でありチームリーダーである自分の責任だ。
「…ま、まぁ心配するな。俺のテントは二人までなら余裕で入れる」
「えぇ~っ…」
「えぇ~っ…じゃねーだろ、えぇ~っ、じゃ! ほら、虫だらけの中で身一つで寝たくなけりゃテント張るの手伝え」
「張り方なんて分からないし…」
「一緒にやりゃ覚えられるだろ。 というか、実際に手を動かさなきゃ俺達みたいな凡人は見ただけじゃ覚えねーよ」
「分かったよ…」
八重に手伝わせ、テントを設営した。
「異世界交流」という名の謎の美少女の来訪を妄想…もとい想定しながら、大抵のキャンプ用品を二人分揃えておいたのが吉と出たf。
バックパック自体が椅子代わりになる代物だし、食器類もかさばらずに二人分用意できる収納型で、コンロや調理鍋も複数人分の調理が可能だ。食材・食料品は八重も過不足なく持ってきていた。
周りの冒険者達同様に食事を終え、二人でテントに入った。寝袋は八重に貸し、大樹は代わりに予備のブランケットを被った。
(ごめん、助かった)
たった一言。
…そのたった一言を言い損なったまま、八重は兄の隣で寝袋に包まったまま、懊悩とした思いを抱えて寝るにも寝られずにいた。
兄妹なんだから、という甘えに頼るのは自分のプライドが許さなかった。
…高校生活もあと数ヶ月という身分の癖に、急に冒険者として活動し始めると言い出しっぺの責任が兄にあるとしても、だ。
…そんな急な言い出しっぺの癖に、自分より遥かに弱いカタログスペック…戦闘系ジョブの平均ステータスの半分程度しかない能力しか持たない落ちこぼれの兄だとしても、だ。
それでもミスをしたのは自分だし、普段から兄を小馬鹿にした態度を取る自分に対して…兄は鬼の首を取ったように罵るどころか、まるでこの事態を予期していたかのように寝床と道具を分け与え、テントの張り方をぶっきらぼうながら丁寧に教える始末だった。
…それなのに、自分は「ごめん」すら言えていない。
このまま有耶無耶にしてしまえば、必ず後で後悔する。
罰が当たるとかそんな抽象論ではない。
予感…いや、確信があった。このままではきっと、何より自分自身が怖れていた事態を招く事になる。 そしてその時、他の誰よりも後悔し、永遠に苦しむことになるのは間違いなく自分だ。
兄は弱い。 攻撃能力、防御力…肝心なステータスがあまりに脆弱すぎる。
スキルは良い。脚力強化…逃げ足の底上げになるスキルだから。
父は兄の旅立ちにああ言ったが、父は兄に甘すぎる。
父ならその実力に物を言わせて兄を徹底的に打ち負かして「お前には冒険者は無理だ」と厳しく思い知らせることもできたのに。
気弱な兄の事だ。それできっと諦めただろう。 …それが兄の今後の為になるかと言えば…自分には分からないが、少なくとも命は失われずに済む。
…だが、兄は夢を追う事を許され、自分もこうして一緒に来てしまった。
…やっぱり謝ろう。
何かあって後悔する前に。
「…あのさ、兄…」
「しっかし、こうしていると思い出さねぇか? 親父が昔キャンプに連れて行ってくれたの」
タイミング悪く、兄の能天気な声が重なった。
…だが何とも懐かしい思い出だった。
「…うん。 マオお姉ちゃんがはしゃいで橋から川に落ちた事とか」
「そーそー」
『お前がうちのチビ共よりやらかしてどうすんだ!』
『ええぃ、こんなことで目くじらを立てるな!』
と父とマオがやり合っていたのを覚えている。
「ははは、そういや今でこそだが、あの頃はお前もパンツ丸出しで俺と一緒に野山を駆け回る野生児だったな」
「…」
前言撤回。一発殴ってお互い気持ちよく眠ろうではないか。
握り拳を振り上げた所で、テントの外で悲鳴が上がった。




