戦士すず
結局、旅支度はひかるさんが手伝ってくれた。
ひかるさんは乾飯と呼ばれる炊(た
)いた米を天日干ししたものを大量に麻の袋に入れてくれた。そして俺の足のサイズに合った草鞋を3足と蓑と呼ばれる藁で出来たカッパみたいなものも持たせてくれた。全部纏めると結構な荷物だ。
…会津って、福島だよな…。今ここ滋賀だよな…え?本当に歩いていくの??
「太助様…よろしいですか?」
俺が左近さんと2人旅で歩く道のりを想像して辟易していると障子の外からひかるさんの声がする。
ひかるさんは部屋に入ると美しい所作で正座する。俺も何となく正座で座りひかるさんに正対する。
「この度は父が無理を申しまして」
ひかるさんは三つ指をついてお辞儀をする。
「本来なら私が同行すべき所、申し訳ありません」
その他人行儀な挨拶に俺は何も言えなくなる。
「このような事に巻き込んでしまい、太助様には何とお詫び申し上げればよいか…」
ひかるさんは頭を下げたまま喋り続ける。
「…ちょっ!ちょっと待ってください!ひかるさん!俺は別に巻き込まれたと思っていません。それにひかるさんのお父さんに協力するのは当たり前のことですよ!ひかるさんのお父さんってことは俺にとってもお義父さんになるんですから…」
俺がそう言ってもひかるさんは何も答えず頭も上げない。
「…ひかるさん?」
呼びかけてもひかるさんは頭を下げたまま微動だにしない。
俺の中に疑念が浮かぶ。それは随分前から何となく感じていたものだ。
「あの…ひかるさん?俺とひかるさんは婚約してるんですよね?結婚…するんですよね?」
俺は自分の中に産まれた不安を飼い慣らすことができずに、浮かんだ疑念を口にする。
ひかるさんの肩がピクリと震える。しかしそれ以上の反応はない。
「ひかるさん、俺のこと好きって言ってくれましたよね?」
重ねて問いかける俺にひかるさんは頭を上げないままでいる。それはあたかも嵐が過ぎるのをじっと待つ動物のような弱く、しかし退く事のない意思を感じた。
無言の時間が過ぎる。
外から聞こえる虫の音が遠くに聞こえる。
「…無事にお帰りになったらきちんとお話を…」
ひかるさんが絞り出すように言った。
俺が何も言えずにいるとひかるさんは立ち上がり、一礼すると部屋から出ていった。
…明日は朝早い。さっさと寝ないと。
俺は自分に言い聞かせると布団に包まる。
いつの間にか上った月が部屋を明るく照らす。
…なんだ?なんだろう?ひかるさんはどうしちゃったんだろう?結婚が嫌になったのか?俺のこと嫌いになったのか?また嫌われるのか…
…俺は好きな人にこそ嫌われる。初めは上手く付き合えてるつもりだ。…ただ次第に皆離れていく。距離の詰め方を間違えてるのかもしれないとは頭でわかっている。けれど好きな人とは少しでも長く一緒にいたいと思ってしまう。そして、好きな人を独占したいと思ってしまう。それが相手に伝わるのか、気が付けば自分の周りには誰もいなくなっていた。
…また同じことの繰り返しか…ひかるさんとは上手くやれてると思っていたのに…
…月、明るすぎて寝れないな…
「…では行ってくる。新吉、後を頼んだぞ」
「はい父上!行ってらっしゃいませ」
「父上…お気を付けて」
翌朝、まだ薄暗い時間。俺と左近さんは旅支度で門の前に立つ。
ひかるさんと新吉君と左近さんの奥さんが見送りに出てくれる。
…あれ?琴子は?
「琴子さん、起こしたんですけど…」
ひかるさんは俺の顔を心配そうに見ながら言い訳をするみたいに言う。
「別にいいですよ!琴子なんて…」
俺はいつもこういう時強がってしまう。
…本当は少し琴子の顔を見たかったのに。
「おい!太助!行くぞ!」
左近さんは既に歩き始めていた。10歩くらい先で振り返ってこちらを見ている。
「あっ!はい!」
俺は慌てて3人にお辞儀をすると左近さんの後を追う。
「左近さん…会津まではどのくらいですか?」
左近さんに追いついてその背中に問かける。
「半月もあれば着く」
左近さんは振り返りもせずに答える。
…あ〜あ。この調子で2週間か…気まずい。
無言で歩く左近さんの後を無言で追いかける。段々と民家が減っていく。田畑が無くなり雑木林の中を歩く。そろそろ陽は昇っている筈だがこの道は薄暗いままだ。
「殿…」
雑木林の中から声がする。
「喜作か…」
「はっ。本来ならお伴するところ、この老いぼれでは役立たずと思い、代わりを連れて参りました…」
喜作爺さんの声だ。俺は辺りを見渡して探すがその姿は見えない。
「ふん…無用…と言いたいが儂1人では太助を守るのに不安があった…助かる」
左近さんはそう言うと歩き始める。その後を追うようにおかっぱ頭の女の子が歩いている。白い脚絆と手甲を着けた旅装束だ。腰の後ろに短い日本刀…小太刀と言うのだろうか…を差している。
…いつの間に?全く気配を感じなかった。というか…
「すず?」
そう。すずが左近さんの背を守るように歩いていた。
すずはこちらを振り返るとにこりと笑う。俺はわけがわからないまま2人の後を追った。
峠の途中で俺が音を上げて小休止をとってもらう。道の脇に腰を降ろすと、すずが差し出してくれた竹の筒から水を飲む。
「ふぅ〜死ぬかと思った」
峠というから緩やかな道をハイキング気分で歩けるとばかり思っていたら、これは最早完璧な登山だった。
しかも左近さんはともかく年下のすずもひょいひょいと登って行ってしまうので追いかけるのがやっとだった。
「すずと言ったな…喜作から一通りは仕込まれておるな?」
唐突に左近さんが視線を左右に動かしながらすずに問かける。
「…」
すずはそれには答えず姿勢を低くして辺りを窺いながら腰の小太刀に手をかけている。
「出てこい…」
左近さんが低い声で呼ばわる。
左近さんとすずが身構える。2人の視線を追うとそこには1人の女が立っていた。
峠道のさらに上、大きな岩がせり出している。その岩の上に紫色の着物を着た女性がこちらを見おろしていた。
…あれは…。
「高いところから失礼します…私、上杉家家老直江山城守の手の者…。島左近様を会津若松までご案内するように申し付けられました。…が、手練をお連れの模様。私は一足先に会津に戻り山城守にご報告いたします。会津に入られましたらまたお迎えに上がります」
女はそう言うと忽然と姿を消した。
…今のは、あの月の夜に現れた謎の美女。目元と口元の黒子…間違いない。
「上杉の透破か…」
左近さんは呟くと抜いた刀を鞘に仕舞う。
「すず…なかなか隙の無い構えであったぞ。さすが喜作の仕込みだ」
左近さんは普段からは想像のつかない可愛い笑顔ですずに笑いかける。
「はっ!ありがたき御言葉!」
すずは嬉しそうに笑うと頭を下げる。
「ちょっ!ちょっと待って!何ですずがそんな感じになってるの?何があったの?」
俺は我慢できずにすずに問いかける。
「はい?」
すずは不思議そうに首を傾げる。
「いや、つい最近まで普通の村娘だったじゃん!でも今は何か凄腕な感じじゃん!」
俺が叫ぶとすずは得心した顔だ。
「あぁ…師匠に戦闘全般を叩き込まれました」
何でもないことのようにすずは微笑む。
…いや…戦闘全般って…。
「ある日お勤めに来たら門前にお師匠が立っていて『これからお前を一流の戦士に育てる』って…そこからずっと山籠りです」
…あぁ…あの日の翌朝か。
俺は背中を向けたまま戦になるのかと聞いてきた喜作爺さんの姿を思い出す。
「喜作爺に戦闘の手ほどきなんてできるのか?」
喜作爺さんは歳の割には赫灼としているが、それでもとても戦闘なんてできそうもない。
「喜作はずっと私の元で先手組頭を務めてきた生粋の戦士だ。今は引退しているが忍城攻めの時など先陣切って突っ込んでいっていたわ」
左近さんは何が面白いのか笑いながらそう語る。
「はい!お師匠はすごいんですよ!」
すずは握り拳で嬉しそうに頷く。
「…だからって…何も…」
…こんな子供に戦闘術を仕込むなんて。喜作爺さん何考えてるんだ…
「充分休めただろう?いくぞ!」
俺の気持ちなんてどこ吹く風で左近さんはスタスタと歩き始める。すずもそれに付いて行く。俺はなんだかモヤモヤとしたものを抱えながらそれに続いた。




