書籍発売記念SS「文学サロンの淑女たち」
書籍用短編として書いたものの、ページ数の関係でカットしたシーン。
それを 捨てるなんて とんでもない! と心の中にメッセージが表示されたので再利用。
色々と付け足して供養を兼ねて投稿しておきます。
広い心でお読みください。
ストルキオ公爵夫人が開いた文学サロンは、女性が自由に書籍を楽しみ、感想を語り合うことを目的としている。
どのような立場であろうと、気兼ねすることがないように――夫人のサロンに参加できるのは女性のみ。男性は基本的に立ち入り禁止のため、異性との醜聞を避けたい淑女が気軽に参加できる社交場だった。
夫人は文学の発展を強く望んでおり、読者層の拡大に尽力している。平民でも物語を楽しめるように読み書きを教え、安価で利用できる貸本屋まで経営していた。その活動は国王も知ることとなり、新たな教育機関の設立に関わるのではと囁かれている。
文学サロンにはフランチェスカもよく顔を出していたが、私生活が忙しくなったことで参加を見送ることが増えた。今日も彼女の姿はない。集まった令嬢たちはフランチェスカの不在を残念に思いつつも、彼女を話題にして盛り上がっていた。
「仕方ありませんわ。新たなお相手も王子ですから。ここ以外の社交界にも顔を出しておかないといけないのよ」
「ええ。一時はどうなるかと思いましたが、フランチェスカ様が幸せなら、それでいいと思うわ」
悪意ある噂や困難を経て婚約に至った二人のことは、すぐに社交界を駆け巡った。
第一王子との婚約を解消したフランチェスカは、家柄だけでなく能力も高く評価されている。彼女を狙っていた家にしてみれば、とつぜん現れた第二王子に横取りされた気分なのだろう。フランチェスカの新たな婚約者が判明したとたんに、彼女に相応しくないのではと疑問の声を投げかけていた。
今まで影が薄かった王子に、国を統治する才能があるのか。ヴィドー公爵家に操られるのがオチではないのかと。
ところがお披露目された第二王子は、そんな八つ当たりに似た指摘など気にもしなかった。したたかに、着実に人脈を築き、政治の世界で頭角を現しはじめているという。批判どころか、むしろなぜ今まで隠れていたのかと言われる始末だ。
結果的に王室の一人勝ちとなり、思うところはある。だが大切な友人の朗報は素直に喜ばしい。
「表の政治は紳士にお任せするとして……皆様、エルネスト殿下からお手紙が届きました。代表して私が受け取りましたが、宛名はフランチェスカ様のご友人一同、となってます」
「あら、どうして?」
テーブルの上に出された手紙を回し読んだ令嬢たちは、書かれていた内容を討論し始めた。
「先日、私たちがフランチェスカ様に教えて差し上げたことについて、ですわね」
「要約すると、ほどほどにしてくれ、ですか」
フランチェスカから恋人らしいふるまいについて相談された彼女たちは、当たり障りのない行動を教えたつもりだった。ところが知識の内容が政治経済に偏っているフランチェスカには、少しだけ難易度が高く、未遂に終わってしまったらしい。
不審な行動に疑問を持った第二王子がフランチェスカに問い質し、友人一同の助言が原因だと突き止めたようだ。
「私、フランチェスカ様から何があったのか聞いたわ」
手紙を持ってきたカミラが言った。フランチェスカと最も親しくしている伯爵家の令嬢だ。ヴィドー公爵家を訪問した際に、助言通りにうまくできたのかを尋ねたという。
「どうやらフランチェスカ様がなさろうとしていたことを、偶然にも殿下が先にしてしまったとか」
「あら……偶然?」
「ええ、今回は偶然のようです」
婚約者に先手を打たれた形となり、フランチェスカは混乱してしまった。赤面して『尊い』と呟いたあと、しばらく顔を伏せて沈黙していたそうだ。
「可愛らしい反応を独り占めなさって、羨ましいですわ」
正直な感想に、他の令嬢はうなずいて同意した。
「照れるフランチェスカ様に、殿下は非常に満足なさった様子。ですが、それはそれ、これはこれということですね」
「殿下はやりすぎだとお怒りなのでしょうか? だって、私たち全員に伝わるように手紙を出すなんて……」
一人の言葉に、全員が手紙に視線を落とす。
「怒りとは少し違うような……むしろ苦笑?」
穏やかな文面から、怒りは伝わってこない。ならば別の解釈をすべきではないだろうか。
「これは……行間を読む力を試されているのでは?」
「行間……!?」
何度も仲間の間で交わされた言葉に、全員が程度の差はあれど反応した。
「エルネスト殿下は友好国のエスパシアに留学されていたのよ。皆様、あの国が優れた詩人を多く輩出していたことをご存知? 一つの詩に複数の意味を込めるのは初歩ですわ。手紙にも応用して、密かな関係を匂わせることもあるとか」
「私たちが普通の本を読む時と同じね」
次々と賛同の声が上がった。
彼女たちが嗜む書籍の中には、特殊な恋愛を扱った話がある。フランチェスカは知らない。刺激が強いだろうと判断され、彼女がいるときは決して話題になることはなかった。
特殊な世界の話を書く作家は少ない。さらに優れた作家となると希少。素人が手慰みに書いたものを回し読んだりしているが、物足りない。そこで普通の物語の行間を察して楽しむという遊びが密かに流行していた。
男同士の友情を描いた場面が、彼女たちの手によって愛憎溢れる物語へと生まれ変わることも珍しくない。だがそれは決して表に出ず、水面下で広がっている楽しみかただ。
知られてはいけない背徳感。
それは彼女たちが心を奪われた物語――禁断の愛とよく似ている。秘密にすればするほど盛り上がるのだった。
「つまり殿下からの手紙には、ただ読むだけではわからない隠れた意味があると仰るの?」
「私、聞いたことがあるわ。殿下は留学先で優秀な成績を修められたって。手紙に裏の意味を込めるなんて簡単でしょうね」
「……私たちは試されているのね」
第二王子からもたらされた挑戦状に、令嬢たちは密かな闘志が燃えるのを感じた。
微笑みと言葉で本音を隠す令嬢たちは、察する能力の高さにプライドを持っている。相手の要望を深読みして先回りする力は、己の武器であり盾だ。必ず正しく読み解いてやると心に誓う。
「殿下のフランチェスカ様へ向けた執着――いえ、愛情の深さを考えると、フランチェスカ様に近づく者は一通り調べられていると思うのよ。害をなす前に排除できるようにね」
「まぁ、想いが成就したばかりですもの。全方位を警戒するのは当然でしょうね。微笑ましいわ」
「本当、情熱的ですこと」
優雅に笑う令嬢たちだったが、その瞳は全く笑っていなかった。排除できるものならやってみなさいと、未来の王へ向けて挑戦状を叩き返す。
「そうなると、あの手紙は」
「まず、明確に助言を止めろとは書かれておりませんね。控えてほしい、ですから。フランチェスカ様と恋人についての意見を交換することは続けても良いかと」
「では内容を厳選しなければ」
「お二人は婚約されたばかり。今は恋人のことを何でも知りたい時期よね」
「あら。幼馴染の関係と聞いたけれど? お互いのことは知り尽くしているはずよ」
「友人と恋人が違うなんて、あなたが一番よく知っているでしょう?」
すっと静かになった。それぞれ友達と恋人の差について、脳内で想像した映像が入り乱れている。
友人と恋人。
より濃密な関係。
友人のままでは越えられなかった壁が、障害が、取り払われた世界。
誰かが咳払いをし、想像の世界から意識を引き剥がした。
「え、ええ。そうよね。知人から友人、恋人と順調に昇格して、知らなかった一面が見られるようになったのだし?」
「むしろ試してみたいことばかり、ですよね?」
「ということは、この手紙の真の意味は……」
「ねえ、あなたなら、どう読み取る?」
一人だけ、質素な服を着た少女に視線が集まった。彼女の身分は平民だったが、ストルキオ夫人に才能を見出されてサロンに参加している。
見た目はただの少女。だがひとたびペンを握れば、優れた作品を生み出す作家だということは、ここに集まった全員が知っている。
そして、行間の読み方を広めた開拓者でもあった。
彼女がいなければ、歴史は退屈なままだった。彼女がいたから、男しか出てこない物語でも楽しく読めた。彼女に触発された自分が、まさかペンを走らせるなど想像したこともなかった。
令嬢たちにとって、大切な仲間であり、偉大な師だ。もちろん彼女が特殊な世界を書く作家だという情報は、令嬢たちによって厳重に秘匿されている。
守りたい、この才能を――少女以外が密かに掲げているスローガンだ。当然ながらフランチェスカは知らない。
少女は会話に加わらず、手紙の言葉遣いを興味深く読んでいた。貴族からの手紙なんて生まれて初めて見た。創作の資料になると考え、隅から隅まで観察するのに忙しい。
「そうですね……」
少女はようやく視線に気がつき、令嬢たちを見回す。
貴族らしい言い回しなら、少女よりも令嬢たちのほうが優れている。その令嬢たちに読み取れない意味ならば、もっと素直な感情が秘められているはずだ。
フランチェスカから伝え聞く第二王子の性格は、猫のように気まぐれだと言っていた。ならば言葉と行動が一致しない場合の最適解は。
「けしからん。もっとやれ」
「そ……」
それだわ、と令嬢たちは無言で同意した。長い間、秘密を知られず共有し続けた彼女たちにとって、微笑み一つで賛否を伝えるなど容易だ。
「フランチェスカ様の魅力をもっと引き出せという催促でしたのね」
「今のままでは物足りない、と」
とたんに令嬢たちはソワソワし始めた。
「悪評の件でお力になれなかったぶん、挽回いたしましょう」
いくら令嬢たちがフランチェスカの潔白を訴えても、悪意ある噂には勝てなかった。ずっと後悔していたのだ。自分たちにもっと力があれば、友人が無駄に悲しむことはなかったのにと。
「幸い、殿下はフランチェスカ様に甘いご様子。もしフランチェスカ様が失敗しても、丸ごと受け入れてくれるでしょうね」
「安心感が段違いですわ。さすが初恋を拗らせ――いえ、純愛を貫く紳士ですこと」
「素晴らしい。恋人らしい振る舞いについて、新たな情報を仕入れておかないといけませんね」
「ねえ、待って。過激なものは完全に封印いたしましょう。そもそもフランチェスカ様に大胆な色仕掛けは似合いません。フランチェスカ様に似合う仕草で、殿下を翻弄するのよ」
「制限が多ければ多いほど、想像が捗りますわ」
令嬢たちの微笑みに黒いものが混ざった。鍛え上げられた想像力を、存分に発揮する時が来たようだ。
あわよくば後々、書物として語り継ぐネタにならないだろうかと令嬢たちは考え――ふとカミラの視線に気がついた。
「……カミラ様。どうか、このやりとりは内密に」
「私たちはフランチェスカ様の未来のために、提案させていただくのです」
「決してやましい気持ちなど……」
本当はやましさしか持ち合わせていない。他人の行動は全てネタになると断言するほど、令嬢たちは題材に飢えていた。付き合い始めたばかりの甘酸っぱい恋人なんて、格好の餌食に決まっている。
カミラはフランチェスカの親友。彼女を通じて第二王子へ企みがバレる可能性がある。裏で流行している書籍の存在が明るみに出てしまうと、執筆活動を止めさせられるかもしれない。
一度知ってしまった娯楽は、そう簡単には捨てられない。
「ええ、もちろんですわ皆様。新作、お待ちしております」
読み専門のカミラはそう言って、にっこりと笑った。
口止め料か――令嬢たちはそう判断した。
後日、令嬢たちが到達した結論をフランチェスカ経由で知ったエルは、頭を抱えて解釈の違いに悩んでいたという。