告白と約束
夜会のことを追求されるのが嫌で、フランチェスカは屋敷に引きこもっていた。
知り合いからの手紙も数多く届いている。フランチェスカを本気で心配するものから、真相が知りたくて探りを入れてくるものまで様々だ。返事を書くのが面倒で、一度目を通しただけで放置していた。
何度目かのため息をついたとき、自室の扉をノックする音がした。
「お嬢様、エルネスト様がお見えになってますが……」
メイドのアンナが来客を知らせてきた。
「エルネスト……エル?」
愛称でしか呼んだことがない幼馴染の名前を思い出す。正式に訪問すると言われていたはずだ。フランチェスカは扉をそっと開けた。
「やあ。引きこもっていると聞いたけど、思ったより元気そうだな」
「質問攻めにされるのが嫌だったの」
家族ではない男を自室に招くわけにはいかず、サロンに案内することにした。アンナに紅茶の用意を頼み、向かい合わせにソファに座る。
「今日は着崩してないのね」
「ああ、ヴィドー公爵に会ってきたからな」
「お兄様に? 親友じゃなくて、第二王子として?」
「フランと第一王子の婚約は、正式に破棄された。他の家が君に見合いを持ちかける前に、先手を打っておこうと思って」
婚約が解消されたばかりなのに、見合いを申し込んでくる家があるのだろうかとフランチェスカは思った。しかも恋愛の揉め事で第一王子は継承権を失っている。関わりたくないと敬遠するのが当然ではないのか。
「フラン……君は自分のことになると、少し鈍くなるようだな」
本気で呆れているらしい。エルにため息をつかれた。
「不名誉な噂に隠れていたが、才女と名高い公爵令嬢を放置しておくわけがないだろう? 婚約破棄の原因は第一王子。君に全く非がないと分かれば、今まで手出しできなかった連中が動くに決まっている」
「でも、お兄様はそんなこと一言も……」
「俺が口止めしていた」
「どうしてエルが」
「……庭を歩かないか?」
エルは答えずにフランチェスカを誘った。立ち上がってこちらへ手を伸ばす。人に聞いているのに、選択肢は与えてくれないらしい。
二人で外に出て、両親が残した庭を歩く。無言のまま気まずくなってきたとき、エルが立ち止まった。
「フランは、どんな風に生きたい? ある意味、自由になっただろ?」
「今は何も。この先も、きっと変わらない」
「この先も?」
「どうせ家同士のことを考えて、別の家に嫁ぐことになるんでしょ?」
「それは……」
エルは口籠った。
「新しい恋を探せばいいなんて言ってきた人もいるけど、そんなの無駄じゃないの。どうせ別れさせられて、好きでもない人のところに行くんだから」
「誰と結婚しても構わないと?」
「私だけを愛してほしいなんて言わないし、真実の愛に従って勝手に浮気してくれてもいいけど、私が死ぬまで隠し通してくれる人がいい。最低限、妻としてエスコートはしてほしいわね。放置されて目の前で浮気相手と仲良くされたら、流石に堪えるわ」
「それだけ?」
「だって期待してもどうせ裏切られるから」
最初から期待していなければ、傷つかずに済む。自分のことをなんとも思っていない相手に振り回されるのは嫌だった。
「だったら、その相手は俺でもいいよな?」
「え?」
いつになく真剣な様子で振り返ったエルに、フランチェスカは少し心を動かされた。
「回りくどい言い回しは止めた。率直に言う。フランチェスカ、俺と結婚してほしい」
「エ、エル。どうして、私……」
フランチェスカはうつむいた。エルが近づいてきて足元に影がさす。触れようと思えば触れられる距離だ。
「ずっと前から好きだった。兄の婚約者だと知っていても、諦められなかった。生まれた順番を恨んだこともあったが、それももう関係ない」
「まさか、今日ここへ来たのは」
「ヴィドー公爵にフランと見合いをする機会を与えてほしいと願いに行っていた」
「み、見合いをする機会?」
てっきり結婚の申し込みだと思っていたフランチェスカは、驚いてエルを見上げた。
「寝込むほど傷ついている人に、今すぐ婚約をしてほしいなんて言える図々しさは持ってなくてね。君はアロルドのことを慕っていたから」
惚れた女性が誰を見ているのか、嫌でもわかる――苦笑するエルの言葉に、あの噴水前の光景を思い出す。もうアロルドのことは気持ちが冷めている。だが心の傷が癒えるには、もう少し時間がかかりそうだった。
「お兄様は、なんと?」
「本人の意思を最大限に尊重しろ、だが行き遅れになる前に決着をつけろ、だそうだ。なかなか難しいことを言ってくれる。公爵家の当主として、ある程度のふるい分けはするが、フランを幸せにするなら誰でもいいそうだ」
フランチェスカは子供の頃に婚約者が決まったため、アロルド以外の男性をよく知らない。社交の場で少し会話をしたことがある程度だ。
エルのことは幼馴染として好意を持っているが、異性として好きかと言われると返答に困る。同じ部屋にいても不快ではないことは確かだ。
「私、あなたのことを恋の相手として見たことがないのよ」
「今はそれでもいい。俺はもう遠慮しないからな。堂々とフランが好きだと言えるようになったんだ。フランに選んでもらえるように全力を尽くすよ」
穏やかに微笑むエルの目に、楽しげな光が見えた。いつもサロンでくつろいでいた気まぐれな猫が、実は優秀な狩人だったのだと気付かされる。
お互いの性格ならよく知っている。フランチェスカの好みも何度か教えたことがあった。何でも知っている相手だからこそ、どうすればフランチェスカが喜ぶのか分かっている。
――時間がかかっても、この人は私を捕まえる気だ。
エル――エルネストは第二王子だ。アロルドが継承権を失ったことで、次の王位に最も近い。権力を行使すれば、ヴィドー公爵といえどもフランチェスカを差し出すことを拒めない。それをせずにフランチェスカから承諾を得ようとしている。
道具だと諦めていた自分を、対等な人間として付き合いたいと。
「……私、噂通りの悪女かもしれないわよ」
「そうじゃないことは俺がよく知っている」
「いい噂も嘘かもしれない」
「フランが努力しているところは見ているよ」
「後は、そうね……また思いついたら言うわ。あなたが幻滅するようなことをね」
「それは楽しみだな」
余裕たっぷりに笑うエルを見て、フランチェスカは逃げられない予感がしていた。