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断罪


「誰がそのようなことを」


 怪訝そうにするアロルドに対し、エルは冷静な態度を崩さないまま言った。


「何もご存じないのですね、兄上」

「は……?」


 エルは会場の奥を見た。夜会の主催者である王妃が現れ、招待客からの挨拶を受けている最中だ。エルの視線に気がついた王妃は、悠然とした足取りでこちらへ歩いてきた。


「なるほど、貴方の言った通りだったわね」


 王妃はエルに向かってそう言うと、招待客へ声を張り上げた。


「留学中だった息子を紹介するわ。第二王子、エルネストよ」


 仮面を取ったエルは招待客へ穏やかに微笑む。いつも公爵家でくつろいでいた姿とは似ても似つかない。フランチェスカと踊った後でなければ、よく似た他人と言われても信じそうなほどの変化だった。


「ご挨拶が遅れて、申し訳ない。陛下の意向と私の希望により、今までは公の場に出ることを控えていた」


 淀みなくエルは招待客へ告げた。


「だが諸国で見聞を広め、帰国した今。我が国の発展に、積極的に貢献していくつもりだ」

「さあ、堅苦しい挨拶はここまでよ。今日は楽しんでいってちょうだい」


 エルが手短に終わらせると、王妃は注目している招待客を解散させた。状況についていけずに黙っているフランチェスカに、王妃が声をかける。


「あなたが置かれた境遇については、息子から聞いているわ。本当に、なんと言えばいいのか……信じられないでしょうけど、私はあなたのような人が嫁いでくることを楽しみにしていたのよ」

「王妃様……」

「エルネスト、後は任せてもいいのよね?」

「はい。事前に申し上げた通りに」


 王妃は招待客の関心を集めるように、近くにいた者に声をかけながら離れていった。残されたのはフランチェスカたちと、事態を見物していたゴシップ好きな者ばかりだ。


「お前、なぜ仮面など」

「母上の趣向ですよ。そのほうが面白いだろうと。まさか兄上が見抜けなかったとは意外ですが」

「くっ……なにが留学だ。数年で終わらせて国内にいたくせに」

「俺のことは今は関係ない」


 フランチェスカは一歩前に出てアロルドに向き直った。どうしても聞きたいことがある。


「アロルド様。どうして、私を避けるようになったのですか? 初めてお会いした時から数年は、良好な関係を築いていたように思います。政治の思惑を超えて信頼関係を築きたいというお言葉をいただいて、私は嬉しかったのに」

「……お前は、完璧すぎる」


 アロルドから聞かされたのは、苦しみが滲んだ返事だった。


「何もかも、完璧だった。お前に会うたびに、俺は自分の未熟さを責められている気がした」

「そんなこと……」

「ああ、お前ならそう言う。だがそれも俺には負担だったんだよ。俺を立てているつもりだろうが、常に隙がない女に尽くされるのが、どれほど惨めなのか分かるか? 比較されて、努力が足りない、支えられるに値する人物なのかと評価される。月日が経つほど、お前がいると息苦しくなってきた。エミリアは、そんな俺を理解してくれる」


 そんな風に自分を見ていたのかと、フランチェスカは悲しくなってきた。


 フランチェスカは最初から何でもできたわけではない。むしろ平均的な才能しかなく、人一倍時間を費やしてきた。寝る間も惜しんで勉強して、メイドに無理矢理ベッドに寝かされたのは一度や二度ではない。


 努力していたのはアロルドのため。支える者として相応しくなりたいと思って努力してきたのは、全て空回りだった。


 ――私はどうすれば良かったの? 将来、王になる人のために頑張るほど、苦しめていたなんて。


 何も言えなくなったフランチェスカに代わり、エルが再び口を開いた。


「さて、兄上。フランチェスカ嬢に関する噂ですが」

「……他の令嬢への嫌がらせか」

「本当に調査したのですか? フランチェスカ嬢に関する噂の出所は、全て同じところでしたよ。その噂も全て嘘だった」

「そんなはずは……」

「証拠ならあります。噂の日付とフランチェスカ嬢の予定が全く合っていないんですよ。兄上と王宮でお茶をしている最中に、遠く離れた教会にいる令嬢に泥水をかける方法があるなら、ぜひ教えていただきたい。それとも兄上は目の前にいたのがフランチェスカ嬢ではなかったと言うつもりですか?」


 アロルドは反論できずに押し黙った。きっと彼は上がってくる報告を聞くだけで、自分で精査しなかったに違いない。だから明らかにおかしな所があっても気がつけなかった。


「フランチェスカ嬢の悪評を流していたのは、借金などの問題を抱えている家ばかり。ちょっと王家の権力を行使したら、みな本当のことを喋ってくれましたよ。とある新興貴族が、援助の見返りに社交界で囁いてほしい話があると持ちかけてきたとか。確かコロイア男爵だったな」


 エミリアの顔が青ざめた。落ち着きをなくし、アロルドの背中に隠れる。


「まさか兄上が婚約者を放置して、浮気に走る男だったとは。貴族の末端とはいえ、男爵家の者が第一王子の婚約を知らなかったはずがない」

「う、浮気だなんてそんな……」


 エミリアは目にうっすらと涙を浮かべている。か弱く可憐な彼女の涙に、守ってあげたいと思う男性はきっと多いに違いない。


「アロルド様と出会った時は、本当に知らなかったのです。私のような家の者は、王家の方の顔をよく存じ上げませんし……だから、まさか好きになった方が第一王子だったなんて」

「お前も真実の愛などと寝言を言うつもりか? お前に貢いできた男のうち、兄上が最も社会的地位が高いからだろう」


 エミリアの顔が引きつった。


「……ち、違い、ます」


 すぐに反論しなかったエミリアに、アロルドはショックを受けていた。ゆっくりと後退り、首を振る。


「嘘だったのか? どうして」

「そ、そんなことありません! 私は本気でアロルド様を」

「兄上はもうすぐ王位継承権を失う予定だ」


 エミリアとアロルドは揃って言葉を失った。


「……は? なぜ、俺が」

「必要な手順を踏まずに感情を優先させ、有力貴族であるヴィドー公爵家の令嬢を社交界の笑い者にした。噂の真偽を確かめようともしない。王となって権力を得たとき、国政に反映されることは想像に難くない。よって王位継承者として不適切であるとの結論を下す――国王陛下はそう決断された」


 エルの声は周囲の傍観者には聞こえていない。だがアロルドたちの顔色から、重大なことが起こっていると感じているようだ。沈黙して事態を見守っている。


「この件で最も怒っているのはフランチェスカ嬢の保護者であるヴィドー公爵だ。政治が絡んでいるとはいえ、結婚前から浮気をする男に妹を嫁がせたくない、婚約を破棄するなら喜んで受け入れる、だそうですよ。よかったですね」

「わ、私は関係ないわ!」


 エミリアがアロルドから離れた。


「だってただの男爵の娘ですもの! 第一王子なんて位の高い人から迫られたら、断れないでしょう!?」

「エ、エミリア!?」


 王位を継承しないと知った途端、エミリアは手のひらを返して無関係を装った。愛した女性の豹変ぶりに、アロルドは呆然としている。あまりの変わり身の速さにフランチェスカも何も言えなかった。


「待ってくれエミリア」

「まさかまだ婚約されていただなんて。私を騙していたのですね? 私を王妃にすると囁いて、ありもしない夢を見る女と笑っていたのでしょう!? さようなら、アロルド様!」

「エミリア!」


 出口へ向かって走り出したエミリアを、アロルドが追いかける。


 エミリアが大声で被害者を装ったことで、彼女の声しか聞こえなかった招待客はアロルドに非難の目を向けていた。あの演技力で他の令嬢にフランチェスカの噂を流していたのだろう。


「さて、噂と称してヴィドー公爵令嬢の誹謗中傷をしていたのは誰だろう?」


 エルが周囲を見回すと、目を逸らす者がちらほらいた。いずれも若い女性だ。


「まあ根も葉もない話だ。きっと明日には『誤解だった』という話になっているだろうね。俺はそう信じているよ。騒がせて悪かった。夜を楽しんでくれ」


 フランチェスカはエルに促されて会場から庭園に出た。


「入り口は混乱している最中だろう。公爵家の馬車はこちらへ来るように指示させてもらった」


 一部の者しか知らない通り道なのだろう。庭園を通り過ぎて行った先に、見覚えのある馬車が停まっている。御者はフランチェスカの姿を見ると、安堵の笑みを浮かべた。


 馬車の扉が開き、踏み台が用意された。先に乗り込んだフランチェスカの後から、エルも乗って扉を閉める。踏み台を片付けた御者は、公爵家へ向かって馬を走らせた。


「……一度に色々なことが起きすぎじゃない?」

「様々な思惑が重なった結果だ」


 エルは家までついてくるつもりなのだろうか。ごく自然に馬車に乗った彼を、フランチェスカも御者も当たり前のように受け入れていた。


「会場にいなくてもいいの? 今日は第二王子の紹介だったんでしょ?」

「フランは第二王子の顔を見たら帰ると言ったじゃないか。それに俺の役目は果たした。主催者の母上の許可はもらっている」

「私とアロルド様の婚約は解消されたってことでいいのよね?」

「ああ」

「継承権の剥奪とか言っていた気がするけど」


 馬車は王城の正門付近に差し掛かった。エルは窓から外を見て、カーテンを閉める。


「フランが噂通りの悪女で、第一王子が手順を踏んで解消したいと申し出たなら、婚約は事務的に処理されただろう。婚約の解消なんてよくある話だ。名誉を重んじて誰もが知らないふりをしているだけ。ところがあいつらは全てを台無しにした。だから国王としては処罰せざるを得なかった」


 それだけの話だよ、とエルは言う。


「二人はどうなるの?」

「俺としては無一文で放り出したいんだけど、あれでも王族だ。利用価値はある。余計なことをしないように監視がつく。功績があればまた継承権を得られるかもしれないが、その状態から王になった者はいない」

「そんなに重いの?」

「言っただろう? 手順を踏まなかったって。貴族の婚約には政治的な理由が絡んでいる。個人の感情で勝手に解消してもいいものじゃない」

「エミリアは……」

「王子を誘惑して混乱をもたらした。彼女が君の噂を作っていた本人だ。悪役に仕立て上げて、婚約を破棄するに値する人物だと思わせようとした。男爵令嬢という身分だったのは不幸中の幸いだったな。彼女の嘘を信じようとしたのは、フランと関わりが薄い下級貴族ぐらいだ」


 馬車が屋敷に近づいてきた。


「彼女は国家に仇をなした者として、どこかへ幽閉されるだろう。俺の権限では場所までは分からないが……二度と外へは出られない。他にも処罰を受ける者が複数。ああ、到着したよ」


 エルは扉を開けて外に出た。フランチェスカが降りやすくなるために手を差し出す。


「今日はもう休むといい。一度に色々なことがあって混乱してるだろ?」


 馬車を降りたフランチェスカと入れ替わりに、エルはまた馬車に乗る。


「すまないが、また城へ戻ってくれないか」

「かしこまりました」


 御者は恭しく頭を下げた。


「エル!」


 扉を閉めかけたエルは、フランチェスカに笑いかけた。


「近いうちに、訪問させてもらう。今度はリベリオのついでじゃなくて、正式に」


 遠ざかっていく馬車をフランチェスカは見送ることしかできなかった。エルを乗せた馬車が見えなくなり、メイドのアンナに促されてようやく屋敷へ入る。数人のメイドにドレスを脱がせられ、着替えを済ませると、ようやくまともに呼吸ができるようになった気がした。

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