バラ園にて
次の日、フランチェスカは一人で庭園に来ていた。
身分を問わず開放されているバラ園は、この王国で品種改良をした植物を展示する場でもある。優れた花を世間に知らしめて技術力の高さを誇示する意向があるようだが、ほとんどの国民は純粋にバラの美しさを楽しんでいた。
今日はアロルドと会う予定だった。婚約者として親交を深めるためにと、アロルド側から提案してきた。いつも無愛想なアロルドにしては珍しい。母親である王妃に何か言われたのかと勘繰ったりもしたが、滅多にないデートに誘われたことが嬉しかった。
楽しみにしていたのに、昨日届けられた手紙には、急な仕事で行けなくなったと書かれていた。前日になって予定を取り消されるのは、初めてではない。いつもフランチェスカを気遣う言葉はなく、定型文を少し変えただけのような謝罪の手紙が送られてくるだけ。
フランチェスカは誰もいない東屋を見つけて座った。この庭園はお気に入りの場所だ。花に囲まれていると気持ちが落ち着いてくる。
一人で座っていると、冷たい態度のアロルドのことばかり考えてしまう。
彼のことは、会えば会うほど分からなくなっていく。
フランチェスカが初めて自分の結婚について聞いたのは、わずか八歳の時だった。自分の意思ではなく周囲の意向で嫁がされると知り、悲嘆に暮れていたのを覚えている。だが顔合わせとして招待された王城で、アロルドから聞かされたのは、政治の思惑を超えて信頼関係を築きたいという本音だった。
フランチェスカは驚いた。道具としてではなく、一人の人間として扱ってくれる。政治のために嫁いだとしても、アロルドとなら夫婦としてやっていけるだろう。フランチェスカがアロルドを異性として好きになったのは、この時だ。
第一王子にふさわしい女性になりたくて、苦手だったダンスや礼儀作法に弱音を吐かずに取り組んできた。
将来、教養がない王妃と馬鹿にされないよう、家庭教師に頼んで学ぶ教科を増やした。国内だけでなく海外にも目を向け、広い視野を持つように。
自分に悪評がつけばアロルドの迷惑になると、徹底して完璧を目指していた。
全て、好きな人のためだと思うと頑張れたのに。
「でも前日になって言わなくてもいいじゃない……あら?」
東屋は木やバラで隠れているが、ベンチに座ると周囲が見渡せる。フランチェスカが見ている方向には噴水があり、一組の男女が仲睦まじく歩いてくるところだった。
「……アロルド様?」
仕事があると断ったアロルドが、若い令嬢と一緒にいる。久しく見ていなかった笑顔を浮かべ、楽しんでいる様子が嫌でも分かった。
フランチェスカとお茶をしている時とは正反対だ。
真顔で、こちらの話に耳を傾けて、時おり相槌をうつ。それがアロルドの性格なのだと思っていたのに。真面目で寡黙なのは、フランチェスカに見せている仮面だった。
「相手は、エミリアといったかしら。コロイア家の」
天真爛漫で愛らしいと噂になり、フランチェスカも知っている男爵令嬢だ。同性のフランチェスカから見ても、彼女の笑顔は輝いていて魅力的だった。だが彼女が自由に振る舞うほど、貴族としての品位に欠けると非難する声も上がっていた。
二人は噴水の縁に腰掛けて見つめあっている。恋人同士と言われても違和感がない。アロルドがフランチェスカの婚約者でなければ、きっと勘違いしただろう。
努力を認めてほしかった婚約者は、私を見ていない――フランチェスカはアロルドの心を理解してしまった。
政治のために結婚することは覚悟していた。けれど、あんなに態度が違うところを見ると、自分は何のために結婚するのか分からなくなってくる。
これから先、死ぬまで愛がない結婚生活を続けられるのだろうか。結婚してから仲良くなった夫婦もいるが、自分たちはきっと今以上の関係にはなれない。仕事として妻を演じ続けるしか道はない。
悪い噂を流されるたびに、見返してやろうと努力してきたのは何だったのか。こんな悪女が妻だなんてと、婚約者まで悪く言われないようにしていたのに。
フランチェスカに見られているとも知らず、アロルドはエミリアにプレゼントを渡していた。小さな宝石がついたネックレスは、エミリアの家格を考えて作らせたものだろう。派手すぎず、男爵令嬢がつけていてもおかしくないデザインだ。
――私、誕生日以外で何かを頂いたことがあった?
自分からプレゼントをねだることは恥ずかしい。そう教育されたフランチェスカの誕生日に贈られたのは、白いバラとレースのハンカチだ。毎年変わらない品に、フランチェスカ付きのメイドは『王子のくせにケチ臭い』と文句を言っていた。
きっと女性への贈り物を選ぶのが得意ではないのよ、と擁護していた自分は何だったのか。
隠されていたアロルドの本音を覗き見てしまい、フランチェスカは膝から崩れ落ちそうになった。
意地でも泣くものかと決意した途端に、涙が溢れてくる。
成長するにつれ無愛想になる婚約者は、単に心変わりをしていただけだった。フランチェスカに非があるなら、他の令嬢と会う前に教えてほしかったのに。
「フラン」
後ずさったフランチェスカの耳に、よく知った声がした。
「エル? どうして、ここに」
「それは俺のセリフだ。護衛というか、監視みたいなものかな。フランは……って、あいつのせいか」
貴婦人は他人に涙を見せてはいけない――教えられたこと全てが台無しだ。
エルは泣いているフランチェスカに気付き、そっと肩を抱き寄せた。
「大丈夫、誰も見てない」
優しくされると余計に泣きたくなる。一人にしておいてほしいと言いたかったが、うまく声にならない。
フランチェスカが泣き止んだ頃には、アロルドとエミリアの姿はなかった。