最終話 ベルドゥジュールと宰相
なぜベルドゥジュールは、結婚して子どもを欲しがっていたのだろうかと。魔女になるものは、己の英知への探求心が強く支配されることを望まないため伴侶をもつものは少ない。魔女の力は、血筋で決まるわけではないこともマロウを引き取ろうとしたことでわかっている。
「何かそうしなければならない理由があるのだろうか」
実はベルドゥジュールの過去についてあまり知られていない。妹たちについてベルドゥジュールが語るので色々知っていたが本人の過去についてあまり話さない。
唯一知っているのが、国守の魔女をしていた魔女が母だったということくらいだった。その国守の魔女は、奇縁の魔女を産んで百年後くらいに亡くなり現在は別の魔女が国守の魔女をしている。
「魔女について知りたいなら魔女に聞くしかないな」
そう思ってカメリアの屋敷にやってきていた。屋敷は、獣魔が多いので王都の近くではなく少し離れた場所にあり大きな草原が広がり日差しや視線を遮るためか一定の距離に木が植えられていた。
「何しに来た」
木の近くへ足を踏み入れた瞬間、フェンリルであるフェンが現れ不機嫌そうに立っている。つい先日書類上の婚姻をしたばかりで人狼と同じ習性ならば蜜月も押しかけた形になる。
「魅了の魔女に幻想の魔女の事が聞きたい。もちろん今が大事な時期だというのはわかっているが俺だって曲げられないことがある」
血のような瞳の威圧感に気圧されるが、諦めて帰るならとっくにこの想いを捨てている。しばしにらみ合いをしていると緊張感のない女性の声が屋敷から聞こえてきた。
「あら、マロウくんじゃない。姉さんに何かあった? まさか姉さんと結婚報告かしら」
「違うんです。結婚したいのは山々なのですがプロポーズの返答をもらっていません」
「押しに弱いからすぐ返事をしそうだけどね。あんだけ囲いこんでいたら姉さんと結婚できるのマロウくんだけでしょう」
社交界によく顔をだしているカメリアにはお見通しだったようだ。対して仕事と研究一筋なベルドゥジュールは、マロウがしていることにまったく気が付いていなかったので楽だった。
「それで何を聞きに来たのかしら。魔女に質問するなら対価が必要ってことも知っているでしょう。まさか甥だからいらないと思ってる?」
先ほどのフェンよりもぞっとするような雰囲気に手が強張ったが対価の要求は想定内だったので息を整え手土産を差し出した。
「まさかそんな。こちらをどうぞ」
「それは銀河の涙の白ワインと星のジャーキー! きゃあ、どっちも欲しかったの」
お酒を抱えて鼻歌を歌いながら屋敷に入っていった。その後ろを守るようにフェンがついて行く。その姿は、マロウとベルドゥジュールのようで話を終えたら早く会いたくなってくる。
「それで何がききたいのかしら」
「なぜベルは、あんなに結婚したがったか知りませんか」
カメリアは、視線を下げて考えるように黙り込む。妹とはいえもしかしたら知らないのかもしれない。
「正確なことはわからないけど、昔は結婚したいっていう態度を出すような人じゃなかったわ。たしか母が亡くなってからかしら」
「国守の魔女殿が亡くなってからですか」
「正確には規律の魔女というんだけど、覚えている人ほとんどいないんだよね。魔術の理に長けた魔女でしばらくこの国を守ってたんだけど」
マロウは、規律の魔女と聞いても何も思い出せなかった。長命な魔女が歴史上何も残していないことはない。大概は悪名を残しているが例外として国守をしていた魔女は、国の守護者として記録が残る。
「そもそも身内のアタシもあまり覚えてないのも変な話なのよ。特別嫌って会っていなかったわけじゃないの」
そこまで言えばカメリアは、また口をつぐみお茶を飲み始めた。マロウも緊張が過ぎたのかお茶を飲もうとすれば空だった。思わずフェンを見ればおかわりは、やらないと目をそむけられる。
「なんか気が付いたら気になってきちゃった。姉さんの書庫なら母の事が書いてある本があるかもだけど……。話を脱線させたわ、姉さんの話だったわね。でもなんか変、変なのよ」
「とくに変なこともないだろう。案外家族といっても知っていることは少ないだろう」
「多種族ならそうでしょうけど。魔女にとって血族は大事よ。だからアタシたちは、三魔女なんて言われて……」
カメリアが血相を変えて部屋を立ち去ると、すぐにどこかで何かが落ちる音がした。何かあったのかとフェンとともに部屋を出て廊下を出れば、魅了の魔女が緑の装丁の本を真剣に読んでいた。
「そんな本あったか?」
「忘れてたんだけど昔、姉さんからもらった本なの。でもアタシ本読むの修行を思い出して嫌だったから仕舞ってたんだけどなぜか思い出したのよね。魔女のこういう感覚って結構馬鹿に出来ないから……」
ぱらぱらとめくられていくページを見て本当に読んでいるのかと、マロウとフェンが訝しげに見るが本の内容がよろしくないのか魅了の魔女はだんだん顔をしかめていった。
「うちの家の歴史書だったんだこれ。初代の魔女からアタシ達の代まで自動筆記の魔術で書いてあるうえに改変しないように編集の呪いまでかけてある」
フェンとマロウの困惑を他所にカメリア一人が納得している。
「その本から何かわかっただろうか」
「母の記録についてアタシの記憶から消された年代があるみたいね。とくに国守を辞めて亡くなる少し前から。国が受けた呪いを還すために払った対価が大きかったのね。これだと……寿命かしら、しかも母の寿命でも足りないからアタシ達の寿命も対価にされた?」
対価として寿命を払ったと聞いてその場にいた全員が絶句する。なぜそんな大事なことが記憶から消されてしまったのだろうかとマロウは、頭を抱えた。だが一番衝撃をうけたのは、カメリアで足の力が抜けたらしくフェンが支えている。
「でもおかしいわ。寿命が対価として払わされたのなら運命が歪むはず。アタシの運命は歪んでいないわ」
「ここで聞くのもあれだが運命の歪みについて聞いてもいいでしょうか」
「本来どの生き物にも全うすべき寿命がある。それは世界が決めた理の一つで寿命が縮めば縮んだ分の世界の……歴史みたいのがなくなるからしわ寄せが来るから歪むっていうの。運命が歪めば魔女の場合資質が変わったりするわ。それだけ影響が大きい」
カメリアは、眉間に皺を寄せて本を読み進めていく。時々記憶にないことが書かれているようで唸り声を上げ、フェンが差し出すお茶を男らしく一気飲みしていく。
「アタシとルノンの歴史は、問題ないけど姉さんの歴史が所々変わっているわ。もしかして姉さん、アタシやルノンが払う予定だった対価を全て支払った?」
「それ以上は駄目」
いつの間に侵入したのかベルドゥジュールは、魅了の魔女の手から本を取り上げていた。ベルドゥジュールは、その本を空間のどこかに仕舞い何もなかったかのように微笑んでいる。
「ベル、隠していることがあるなら話して欲しい」
「なぜ話さなくちゃいけないの?」
マロウは、その表情に見覚えがあり背筋が凍った。普段怒りを漏らさないベルドゥジュールが、マロウを愛童にしたいといった婦人にした表情と同じだった。マロウに対して向けた表情ではないとわかっていたのに、見なかった振りをしてその場から逃げ出したくなったものだ。実際その婦人は、夫の事業が敵対家に奪われたと風の噂で聞いたのでマロウに手出し出来なくなった。
だが今ならマロウにもベルドゥジュールがとても怖がっていたのだと理解出来た。大事に守ってくれた魔女が今では一番大事な女性なのだから。
「俺が全部知りたいからです。好きな人の全ての知り理解したい。これは、人間の強欲さなので諦めてください」
「私が貴方を捨ててもいいのかしら。もう充分育ったのだから親離れさせてもいいわよね」
「実の親以上の愛情を貴方から知った。だから貴方は俺を捨てたりなんかしない。俺は貴方がどんな重荷を持っていても分かち合い共に歩む覚悟が出来ています」
守られてばかりの子どもではないだとベルドゥジュールの腕を逃げないように掴むと表情の中に怯えが見える。普段ならそんな顔をされれば引き下がっただろうがそれではいつも通りはぐらかされてしまうだろう。はぐらかされるのはまだいい方で失踪してもおかしくない。
「ベル、俺は貴方に名前を与えられた時に俺は貴方のもので貴方は俺のものです。ずっと愛しているんです」
「泣くことないでしょ。もう!」
薬草の独特な香りと温かな手の感覚が頬を撫で目元にハンカチを当てられる。女性らしい花の香りではない薬草の香りはベルドゥジュールが魔術や魔法に頼らず手ずから作っているからだった。マロウは、その様子を見るのが好きで終わった後に一息つけるようにお茶を準備していた。
「姉さん、アタシだって怒ってるんだからね。なんでそんな重要なこと勝手に決めちゃうのよ。自分で決めたことだからアタシに責任はないなんて言うんだろうけど、勝手にそんなことされてもまったく嬉しくないわ」
「だって」
「だってじゃないでしょう! 姉さんは、頭がいいけどわからないことがあると一人で暴走するからアタシたちの中で一番危ないんだから」
カメリアは、ベルドゥジュールの手をとって叱りつけた。ベルドゥジュールは、目に見えて落ち込み視線を反らした。
「みんなで考えれば何か方法があるはずだよ。姉さんだけを犠牲になんてさせない」
「そうそう~」
突然聞こえた声に全員が驚いていると、ルノンが薄い胸を張って笑みを浮かべていた。カメリアの屋敷の警備は大丈夫なのか少し心配になるがフェンリルに喧嘩を売る馬鹿者はそうそうおるまい。
「あんた、マリュアージュ将軍……じゃなかったなんて呼べばいいのかしら」
「ベル、マリュアージュ外交官です。そろそろ国境を越える頃だと思っていたのですがなぜここにいらっしゃるのでしょうか」
一週間前に二人が旅の幌馬車に乗っていくのをみんなで見送ったのは記憶に新しい。魔女集会の出席のために長めに逗留していたが、身に持つ魔力の質の問題でそろそろ旅立たなければと本人が言っていた。
「出て行ったフリをしないと姐さん妙に感が鋭いから見つかっちゃうと思ったんだよね。だからアーニー君に転換の人形を持たせて出発して貰ったんだ。本当にまずくなったら転換の人形と僕を入れ替えればいいし」
「その手があったわね……」
転換の人形は、魔力を込めた人物と人形の場所を交換する魔術で転換の魔女のみが作成できた。転換の魔女は、悪用されるのを恐れあまり数を作らないので珍しい魔術具の一つだった。
「ここで朗報なんだけど、その呪いとの縁を僕が切れそうなんだぁ~」
「それは本当ですか!」
「ほんと、本当~。特定のものを切るには切る先がわからないと必要な縁も切っちゃうからいままで出来なかったけど僕たちと国との縁を切ればいいってわかったからねぇ~。呪いの対象は、魔女だけみたいだしマロウ君やフェン君は対象外だから遠慮なく切れちゃうよ」
ルノンは、なんでもないように笑みを浮かべた。だがそれは簡単なことではないはずはなくベルドゥジュールが何が対価なのかと聞く。
「そりゃあちょっとはあるけど、国との縁を切っちゃうから国から得られる祝福がなくなるなるね。僕は、ちょっと反動でしばらくこの国に入れなくなるけど元々そういう暮らししているから問題ないし」
「でもマリュアージュさんが困るんじゃないかしら。家を継がなくちゃいけないんでしょう?」
「そこは、魔法薬が得意な姉さんが面倒見てくれるって信じてるし。たぶん五年程度だから大丈夫だよ。アーニー君も問題ないって」
ルノンキュルは、刃も持ち手もすべて赤く染まった鋏を出した。鋏は、まるで生きて鼓動しているように一定間隔で鈍く光っている。
「それじゃあ、切るよ」
マロウには、見えない縁という物を切ったらしい。思わず実感がわかなかったのだが、ベルドゥジュールを見ると見知らぬ人を見たかのような初めての感覚に困惑する。王子と外遊に行って帰って来た時でさえそう思わなかったのだから何かおかしなことが怒っているのだろう。ベルドゥジュール自身も何か違和感があるらしく心もとなさそうだった。
「あー、国との縁を切るとこんな風になるんだぁ~。姉さんたぶん、この国で得ていた人の縁が揺らいでるからそのせいだよ。姉さんの場合、手っ取り早くマロウ君と結婚すれば治まるんじゃないかな」
「この国の住人との契約を得るってことね。でもマロウはいいの? 国との縁を切って心変わりしないかしら」
マロウは、まだ信じてくれないベルドゥジュールに呆れたがその慎重な考え方は失うことを極端に怖がっているのかもしれないと思う。ベルドゥジュールの全てを知ったわけではもちろんないが、当然のようにあったものがなくなるという喪失感を今のマロウなら充分理解出来た。
「俺マロウは、病める時も健やかなる時も、時間の流れが異なるこの身が滅びようと愛し続けます」
「まるで婚姻の儀式みたいじゃないの」
「えぇ、間違いなくそうです。ここには貴方が大事にしている妹たちがいるですから誓いの場として充分です。婚姻の証書はただの紙ですから後でどうとでもなります」
「それって宰相が言っていい言葉とは思えないわね」
ベルドゥジュールが淡く微笑むとマロウは、昼顔の装飾が掘られた銀の指輪を出した。昼顔が絡むように桃色と紫の宝石が埋め込まれていた。いつでも渡せるように肌身離さず持っていた。
「これもマロウの答えなのね。わかったわ。私ベルは、病める時も健やかなる時も、貴方は私の心に生き続けるわ」
ベルドゥジュールの指に指輪がはめられるとマロウには、一瞬白い光が弾けたように見えた。マロウには、魔術の素養がないと言われていたのでそういったもの見えるわけがないのだがそんな気がした。
マロウが視線を感じて見上げれば困惑した眼差しを向けられる。なぜなのか問えば指輪を優しく撫で微笑んだ。
「ずっと何かわからない焦りがあったのにこの指輪をいただいてようやくわかりました。……ありがとう、マロウ。ふふっ、わかっていないでしょう」
言う通りよくわからないがずっと得られなかったものが得られたという気持ちは、家族がおらず未来もなかった奴隷少年だったマロウには覚えがあった。それを考えれば胸の奥が熱くなる。
「でも嬉しいのです」
マロウは、立ち上がり残すは誓いの口づけだとベルドゥジュールの頬に手を添える。
「待て待て待って! そういうのは二人きりの時にして欲しいわ~。あんたも何か言いなさい」
「僕こういうの特に気にしなーい」
カメリアは、顔を真っ赤にさせておりそんな顔をフェンが楽しそうに見ている。そしてルノンキュルは、瞳を輝かせもっと続けてと急かした。マロウは、どうしたものかと見てくるベルドゥジュールの額に口づけを落とす。家族的な行為としてベルドゥジュールがマロウへよく行うのに林檎のように頬を染めた。
「続きは家で」
マロウが耳元で囁けばベルドゥジュールは、顔を覆いながら小さく頷いた。
かつて三魔女と呼ばれる三人姉妹の魔女がいた。教会による魔女狩りが行われ魔女という存在がおとぎ話にされる前に実在した魔女だった。
三人の魔女とその伴侶の物語は、語り部により広まり残っている。とくに次女の伴侶フェンは、高齢となっているが白狼の国の国主として存命であり魅了の魔女以外の伴侶を生涯娶っておらず生き証人となっている。
これにて完結です。魔女たちを気に入っているのでもしかしたら別の作品でひょっこり出てくるかもしれないですね。