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女王蜂に育てられた俺~宇宙最難関資格に挑む  作者: 和子


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buzz.43 ミェリナの外交戦略


「はい、これはクロ2専用のスマホ。私が2台目を契約したのよ」


 クロ2失踪(勘違い)事件の翌日、前日の「全休」から明けたミェリナの出動日である。

この日、「高柳正平様方 邑人ミェリナ様宛」に届いた小さな宅配便の箱を開けると、中からピカピカに輝く新品のスマートフォンが現れた。ボコモの最新アントロイド携帯、その名も『Formicidaeホルミシダエ』Simフリー、まさに蟻(アリ科)の女王にふさわしい逸品である。


「ミェリナさん、ありがとうございます。これでみんなと離れていてもお話ができますし、もうあのようにご心配をかけることもなくなります」


 両手で恭しく端末を受け取ったクロ2が、健気にお辞儀をする。


 実は、高柳家に居候しているミェリナ、ツェンドリカ、クロの三人は、それぞれ人類社会での戸籍上、あの邑人英二の「養女」という扱いになっている。彼の持つ超文明的なハッキング技術にかかれば、国や自治体のシステムに侵入して住民基本台帳にデータをねじ込むことなど、赤子の手をひねるよりたやすいことだったのだ(そもそも、邑人英二という存在自体がその手法で登録されたものなのだが)。


 しかし、今その天才ハッカーとは連絡がつかない。リフレッシュのために地球を離れてしまっているからだ。


「スマホ自体は、直ぐに手に入ったけれど……」


 蜂蜜通販で大成功を収めている老舗個人事業主のミェリナは、人間界の商取引を進める中で、個人情報の取り扱いや、本人確認の実務などに精通している半面、これが無いと、何かと不都合な人間社会の営みを思い、ふうと美しいため息をついた。


「問題は、クロ2の身分証明(ID)をどうするかよね。公的で、なおかつ人間社会で絶対に信用される証明書。これを早くなんとかしなければならないわ」


 そう、住民票がなければ、公的なカードを新規で作ることもできない。身分証の提示を求められる現代の人類世界において、これは何かと不便きわまりない死活問題だった。


「まあ、体調を崩したとしても、あなたの群体には健康管理の専門医官である箕通みつがいるから、お医者さんにかかる心配はなさそうね」


 ミェリナが安心したようにそう言うと、横から「それどころじゃないよ!」と、心配性のユキオがまた変な妄想を膨らませて口を挟んできた。


「家出少女か迷子と間違われて、街頭で警察に職務質問でもされたらどうするんだよ! 厄介なことになるのは目に見えてる。それに……何より物騒なのは、あの丹節にぶしだよ! もし警察官が『ちょっと君、お名前は?』とか言ってクロ2の腕にでも触ろうみろ。あいつがブチ切れてクロ2の体から飛び出してきて、『我が女王への無礼は万死に値するッ!』とか叫んで、警察相手に全面戦争バトルを始めかねないぞ……!」


 ユキオの頭の中で繰り広げられる心配妄想ではあったが、丹節の武人としての苛烈なキャラクターを見てきただけに、妙にリアルで生々しかった。


「とにかく、しばらくは遠くに出かけないようにします……」


 クロ2は健気にも、自分の心を律し、人間社会のルールに合わせることこそが最良の選択肢だと考えたようだ。

しかし――「出歩かない」という縛りは、蟻にとって過酷なものであった。一歩地上に出れば、猛暑で焼け付く大地であっても怯むことなく、種族の繁栄のためにどこまでも探索を続け、資源収集にいそしむことこそが、蟻の本能なのである。お散歩禁止は、これを大きく押さえつける過酷なかせであった。その衝動を力尽くで抑え込もうとするあまり、クロ2の小さな胸は今にも押しつぶされそうになっていた。


「でも、お隣さんとは約束しているので、行かせてください。昨日、秘密の通路を教わりましたので、大通りに出ないで行くことができます」


 うるうると瞳を潤ませながら健気に懇願するクロ2を見て、ミェリナは優雅に頷いた。


「そういうことなら、近隣住民へのご挨拶と御礼も兼ねて、私もご一緒しましょう。――ユキオ、あなたもお隣さんとは顔見知りなんだから、ついて来てもらうわよ」


 ミェリナからの直々の指名に、ユキオは(ここでクロ2とミェリナだけで行かせたら、お隣の寺田さんの前でうっかり秘密がダダ漏れるかもしれない。それだけは絶対に阻止しなきゃ、俺の胃に穴が空く……!)と、正式な護衛役、というより秘密漏洩の防衛線ディフェンダーとして同行を快諾した。


「分かったよ、行く行く! あの垣根の木戸だろ? ギミックの開け方なら俺に任せといてよ!」


 ユキオは胸をドンと叩き、得意げな顔をして見せた。しかし、その仕掛けは昨日、寺田の奥様からクロ2へ丁重にレクチャーされ、今やクロ2のほうがよっぽどスムーズに開けられるという事実を、ユキオはまだ知らない。


「それではユキオ、ご案内よろしくお願いいたしますね」と、すべてを察してあえて話を合わせてくれるクロ2の聖母のような微笑みに導かれ、一行は裏庭の隠し戸を抜けて寺田家へと向かった。そこには手作りコンポストを解体する寺田智恵子の姿があった。


「あら、クロツーちゃんよく来てくれたわね。それにお隣のユキオくんも、久しぶりに顔を見せてくれて嬉しいわ」


 裏庭で出迎えてくれたお隣の奥さんに、ユキオは少し緊張しながらも、ぺこりと頭を下げて挨拶する。


「寺田さん、こんにちは。お元気そうで何よりです。先日はクロ2が突然お邪魔してしまって、本当に申し訳ありませんでした。事前に僕から紹介しておけばよかったんですけど……。あ、それと、こっちは友人の邑人ミェリナです」


紹介されたミェリナは、一歩前へ出ると、まるでヨーロッパの宮廷貴族を思わせる流麗なカーテシーの作法で静かに膝を折り、ドレスの裾を広げるようにして智恵子に一礼した。人間の女子高生の姿でありながら、その一挙手一投足には二億年の歴史を背負う老舗事業主――女王としての絶対的な気品が満ち満ちている。

挿絵(By みてみん)

「邑人ミェリナと申し増す。以後お見知りおきください。こうして奥様にお会いすることができまして、とても感激しております。また、奥様の学問の師たる気高さと、お心の優しさを目の当たりにし、実に身の引き締まる思いでございます。何もわからぬ新参者のクロ2に対し、温かいおもてなしとお言葉をいただき、一族を代表して心より感謝申し上げます」


 淀みもなく、極めて恭しく紡がれた初対面の挨拶。

その完璧すぎる所作と、ただ者ではないオーラを前にして、寺田智恵子は内心で深く感嘆していた。

(……まあ。私の長い教授生活の中で、これほど見事な礼儀作法を身につけた教え子はいたかしら?一体どこの国のプリンセスだというの……)


 驚きを優雅に隠しながら、智恵子はにっこりと慈愛に満ちた笑顔で返礼した。


「ご丁寧にわざわざ足を運んでいただき、ありがとうございます。立ち話もなんですし、どうぞ中へお入りくださいな」


「恐れ入ります」と再び美しく頭を下げるミェリナの横で、ユキオは(おいおい、ミェリナのやつ最初からアクセル全開すぎるだろ……!)と、その高度な外交術に早くも舌を巻いていた。


 玄関に一歩足を踏み入れると、奥から主の寺田耕一が満面の笑みを浮かべて姿を現した。


「おお、クロツーちゃん、よく来てくれたね! ああ、ユキオくんも、本当に久しぶりだねぇ。――おや、そちらの美しいお嬢さんは?」


 耕一が目を細めて問いかけると、ミェリナは玄関の限られたスペースのなかで、実にスマートな略式の挨拶をして見せた。


「邑人ミェリナと申します。クロ2がこちらで大変ご親切にしていただいたと伺い、本日はその御礼に参上いたしました。こちらは、蓮華れんげの蜂蜜です。よろしければ皆様でお召し上がりください」


 そう言って、ミェリナは持参した上品なガラス瓶を耕一へと手渡した。中には、黄金色に透き通る美しい液体が満ちている。


 ミェリナが選んだこの蓮華の蜂蜜は、お年寄りの方にとって実に理想的な食材であり、手土産としてこれ以上ないほどおすすめの品だった。クセがなく上品でまろやかな風味は誰にとっても食べやすく、毎日の食生活に美味しく健康的な要素を取り入れることができる。


 何より、蜂蜜の主成分である「ブドウ糖」や「果糖」は、体内でこれ以上分解される必要がないため、素早くエネルギーに変換される特性を持っていた。これは、年齢とともに胃腸の働きが低下しがちな高齢者の疲労回復に、まさに最適な栄養源なのだ。さらに、優れた殺菌・抗菌作用も秘めており、乾燥しがちな喉の不調を和らげたり、毎日の健康維持や免疫力のサポートにも大いに役立つ。


 この蓮華蜜特有の、フローラルな香りと優しい甘みであれば、毎朝のトーストやヨーグルトに合わせるのもいいし、紅茶や白湯に一さじ混ぜるだけで手軽に楽しんでもらえる。二億年の歴史を誇るミツバチ種の女王として、相手の健康を完璧に気遣った、非の打ち所がない至高の手土産であった。


(……すごい気合入れすぎだけど、ミェリナのやつ、何か考えがあるんだろうな)


 横でその完璧すぎる立ち回りを見ていたユキオは、感心を通り越して圧倒されていた。そして、彼の思考はなぜか、自分が合格を目指して勉強中の難関資格「恒星域観測士」の試験へと飛躍していく。


(なるほど……。俺が『恒星域観測士』の試験を受けるときも、こういう手土産を持参して会場に行けばいいのかな。何か付け届けを持っていくなら、こういう気が利いたものがいいんだろう。そうすれば、試験官の人もいろいろ便宜を図ってくれるかもしれないし……!)


「公的で信用ある証明書」の獲得に向けて、百戦錬磨の女王が「外交戦略」の布石を打っているとは露知らず、ユキオは一人で盛大な心得違いの納得をして、ふむふむと深く頷いているのだった。

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