5.妹は熱がある時、少しだけ素直になる
ナツはギルドの医務室に運ばれた。
リコが内臓へのダメージだと言っていたが、ギルドの治癒師が診た結果、肋骨二本と内出血、あとは魔力の消耗が激しいということだった。命に別状はない。ただ、三日は安静にしろと言われた。
「よかった」
廊下で壁にもたれながら、俺は息を吐いた。
腕がまだ痛い。ヤノミソへの《写し》で流れ込んだダメージが、まだ抜けきっていない。体中が重くて、節々がじんじんしている。
でも、よかった。
「……ほんとによかった」
誰に言うでもなく、もう一度呟いた。
◆ ◆ ◆
ヤノミソは「用がある」と言って帰った。服がぼろぼろのまま、普通に歩いて帰っていった。止める間もなかった。リコは後処理でギルドに残っていて、俺だけが医務室の前にいた。
しばらくして、治癒師が出てきた。
「意識が戻りました。入っても大丈夫ですよ。ただ——」
「ただ?」
「微熱があります。魔力の消耗が体温に出てるみたいで。興奮させないでくださいね」
興奮させない。
俺とナツの関係でそれが可能かどうかは甚だ疑問だったが、頷いておいた。
◆ ◆ ◆
医務室は狭かった。白いベッドが二つ並んでいて、小さな窓から夕暮れの光が差し込んでいる。
ナツはベッドの上で上体を起こそうとしていた。できていなかった。
「……起きるな」
「うるさい」
声がいつもより低い。体力を使っている声だ。
俺は椅子を引いてベッドの横に座った。ナツが横目でこちらを見た。
「……怪我は」
「俺は平気」
「嘘」
「大した怪我じゃない」
「腕、抑えてるじゃん」
見ていたのか。俺は右腕から手を離した。
「……ちょっと痛いだけ」
「《写し》でヤノさんのダメージ受けたんでしょ」
ナツは窓の方を向いた。夕暮れが顔に当たって、オレンジ色に染まっている。
「馬鹿なことして」
「お前に言われたくない」
「……わかってる」
珍しく、言い返してこなかった。
しばらく、沈黙が続いた。外で鳥が鳴いた。夕暮れが窓枠を滑っていく。
「おにい」
「なんだ」
「……さっきの」ナツが少し間を置いた。「ラノベの主人公は全員妹を守るって、言ってたやつ」
「ああ」
「ラノベってなに」
「ラノベ?本だよ」
「魔導書じゃないんだよね?その……向こうの世界の本、ってこと?」
「まあそんな感じだ」
ナツがまた黙った。日本とは違って、この街の風はなんだか生ぬるい。
「……おにいって、変」
「よく言われる気がする」
窓の外で風が鳴った。夕暮れが少しずつ暗くなっていく。
「おにい」
「なんだ」
「……俺って本当にお前の兄なのかわからない、とか思う?」
ナツが、俺を見た。
「は? 何言ってんの」
それだけ言って、窓の外に視線を戻した。耳が、さっきより赤い。
俺は何も返さなかった。
聞き方が悪かったか、とも思った。でもナツの反応が、なんとなく——なんとなく、気になった。
まあ、いい。今は。
「おにい」
「なんだ」
「……帰る気ある?」
静かな声だった。さっきまでと全然違う声だった。
「帰るって」
「どこかに。ここじゃないどこかに」
俺は少し考えた。
「わからない」
「わからない、って」
「本当にわからない。ここが俺の場所なのか、違うのか。まだ何もわかってない」
ナツが、シーツをぎゅっと握った。
「……帰らないで」
小さかった。
熱のある声で、小さく、ナツが言った。
「帰らないでよ。どこにも」
俺は窓の外を見た。夕暮れが終わりかけていた。空が暗くなり始めていた。
「……お前が毎日スープ作ってくれるなら、考える」
「は?」
「毎日作ってくれるなら、帰る理由がなくなるかもしれない」
ナツが顔を上げた。目が真っ赤だ。熱のせいだ。絶対に熱のせいだ。
「……毎日作ってる」
「知ってる」
「毎日作るから」
「知ってる」
「だから、帰らないで」
俺はナツの頭に手を置いた。そのまま、何も言わなかった。
ナツも何も言わなかった。
窓の外で、夜が始まった。
◆ ◆ ◆
一時間後、リコが医務室のドアを開けた。
ナツが眠っていた。俺がその横の椅子で、うとうとしていた。
「……お疲れ」
リコが小声で言った。俺が目を開けると、リコは毛布を一枚置いて、すぐ出ていった。
ドアが静かに閉まった。
俺はまた目を閉じた。
ナツの寝息が、静かに聞こえた。




