22
夏休みが終われば秋がやってくる、そんな当たり前のことを俺は今噛み締めている。
新学期が始まって、一週間が過ぎていた。明希が女になったことがもう遠い昔のことのように思えてしょうがない。そういえば、まだあの生意気な神様はどうしているんだろうか……まだ存在を覚えているということは、まだ彼女は人間にはなれていないのかもしれない。
オレンジの色に染まろうとしている空を見上げる。
「向日葵ね……」
「青春してるな佐々木君」
何か硬いものが俺の頭に当たった。振り向くと森先生がニヤついていた。手に持っていたノートを見て頭に当たった物が判明した。
「先生……」
先生は、辺りをぐるりと見回して少し小声で話しかけてきた。
「畑中と一緒じゃないんだな」
「あー、明希なら今……」
俺は、手でハートマークを作ってこれですっと告白で呼び出されているのをジェスチャーで教えた。
「そういうことか、モテる旦那を持つと大変だな」
「は?」
旦那という言葉に過剰に反応してしまった。俺達の気持ちが通じたことは誰にも言っていないしそんな態度をしているつもりはない。
バレるわけがないはずなのに……
「違うか?」
多分、この人は全部勘付いている。分かっていて聞いてくる態度だった。
それでも、隠し通したくて素っ気なく返してしまう。
「そんなんじゃないですよ」
きっと、これは無駄な行為だ。
「はいはい、先生優しいから深くまでは聞かないでやるよ」
「言っている意味わかんないですけど……どうも」
気恥ずかしくて、先生の顔を直視するのは出来なくて横目で盗み見ると嬉しそうな表情をしていた。
「そういえば進路の話したのか?」
「進路? してないですよ」
そういえば、夏休み中に先生に相談した時アドバイスでそんなことを言っていたな。俺の否定の言葉を聞いて目を丸くする先生だった。
「したから変えてきたのかと思っていたけど違うんだな」
「明希の進路って……」
そういえば、聞いたことなかったな。
高校の時はなんだかんだと同じだったけど、大学まではそういかないんだよな。
思わず寂しさからか俯いてしまった俺に先生は溜息を吐いた。
「ホントは教えちゃいけねぇんだけどな……」
頭を掻いて、俺に手招きをしてきた。俺は恐る恐る顔を近づけると「耳貸せ」っと言って、言われた通りにした。
「夏休み明けすぐに進路の変更に来て、その内容が……お前と一緒の学校にしてくれだと」
そう言い終えて先生は俺の背中をおもいっきり叩いてきた。
「……っ」
「が ん ば れ よ!」
教師のすることか? じんじんと痛む背中を撫でながら先生を睨みつける。
けれど、叩かれて当然かもしれない。そんな行動をする明希を想像して思わず顔がにやけそうになってしまう自分が情けない。
「ははっ、すまんすまん……で、向日葵がどうしたんだよ?」
「へ?」
「さっき呟いてただろ?」
聞かれていたのか、思わず口元を手で隠してしまう。
「いや、その、好きな花なんですよ」
苦し紛れの言い訳に先生はふーんっと言いながら俺の顔を覗き込んできた。
「お前が花の名前ねー……しかも、向日葵……」
「俺、そんなに似合わないですかね……あはは……」
「そうだな、似合わないねー……」
しばらく先生と無言の時間が生まれる。
この先生は察しが良いから下手のことは言えない。固まったままの先生に振り絞りながら声をかけた。
「せ、先生?」
「……俺も好きな花なんだよ、向日葵」
顔を覗き込んでくる先生に思わず後ずさりしてしまう。急に食いついてきて自分の危機を感じてしまう。
「 へ、へぇ、意外ですね」
また何か察したのか、鼻で笑って近づくのを止めた。
「好きな女の名前が、向日葵だったんだよ」
そういう先生の表情はどこか寂しそうで、遠い何かを見つめていた。
俺は、あの神様のことが頭に浮かんだ。ただの偶然なんだろうけど、先生から目が離せずにいた。何も反応しない俺を見てまた鼻で笑って喋り続けた。
「知ってるか? 向日葵の花言葉」
「知らないですけど……」
「あこがれ 熱愛 情熱 そして、あなただけを見つめる」
きっと子供の俺には理解できない何かを先生は抱えているのかもしれない。これ以上何も聞かないほうがいい俺は先生から目を逸らしてまた空を見上げた。
「先生も人のこと言えないぐらい似合わないですよ」
「ははっ、俺もそう思うよ……じゃっ、大人はお仕事があるからな」
電気消して帰れよっと、言い残して先生は教室を出て行った。
あの神様は約束している人にそう呼ばれていたって言ってたよな、そして先生の好きな人が向日葵。
もしかして……なんて……あるわけ、ないよな?
「まさか、な……」
俺はこれ以上考えるのを放棄した。きっと、ただの偶然だ。
しばらくしてガラッとドアが開く音がして振り返ると、息を切らし気味の明希がいた。
「ごめん、帰ろうぜ!」
秋といっても今の平均気温は28度前後の夏と言ってもいい温度だ。
うっすらと汗をかいている明希を見て思わず笑ってしまう。
「そんなに急いで来ることないだろ……」
机に置きっぱなしの二つのカバンを持って、明希のカバンをドアの付近で息を整えている明希に投げつけた。明希は抱え込むようにキャッチして肩にかけてカバンの中から飲みかけのペカリを取り出して飲んでいた。
俺は教室を出る前に誰もいないのを再確認して、電気を消してドアを閉めた。もうとっくに過ぎている下校時間のおかげで人の気配がない。二人っきりの世界のようで明希に触れてしまいそうになる。
「あんまり遅いと晴が不安になるかと思ってさ」
試すような目をして俺を見つめてくる明希にバカっと軽く小突いてドアを閉め、下駄箱へと歩き始めた。俺の反応が面白くないのか、少し頬を膨らませて俺の行く手を阻んできた。
俺はわざとらしく溜息を吐いて、膨らんでいる頬を右手で挟んで空気を抜いてやった。
「今更、そんなことでなるかよ」
「ふにゃらほらら」
何を言っているのか分からなくて右手を離した。
「俺は不安になってばかりだ」
何を言うのかと思って苦笑してしまう。
「何でだよ」
「……クラスの女子が最近お前が優しくなったって言ってるのを聞いた」
「だから?」
「女子に対して優しくなったって……」
ここ最近の自分の行動を振り返ってみる。
そういえば、重いものを持つ女子を何度か助けたり調子の悪そうな子に声をかけてやったか……確かに、今までそのなことしてなかったよな。何で……って、女の明希と一緒にいて染み付いただけじゃねぇか。
誰のせいだよ、誰の!
「誰のおかげでそうなったと思う?」
俺の質問に明希もしばらく考えて、何かに気がついたのか気まずそうにこちらを見つめてきた。
「俺、だな」
「そうだな」
可笑しくて二人して吹き出してしまった。つまらない痴話喧嘩は犬も食わないとはこのこをいうんだろうな。
気をとりなおして帰るぞっと下駄箱まで明希の手を握った。誰かに見られやしないかと内心ヒヤヒヤするけれど。明希に対する愛しさを我慢できるほど大人にはなれなかった。
昇降口を出るとすっかりオレンジ色に染まった空が目に入ってくる、肌で感じる温度は夏休み前とは違って涼しく心地良く感じる。吸い込む空気は少し澄んでいてすんなりと身体を通り抜けていく。明希もその空気を感じたのか大きく息を吸って吐き出した。
「夏も終わるなー」
「秋になると、お前の誕生日だな」
「やっと好きな季節がくるぜ」
後一ヶ月もすると明希の誕生日がやってくる、その頃には残暑もなくなって今着ている制服も袖を通すことがなくなっている。夏休みが始まる頃はその季節になるのを早く早くと待っていた。嫌いな夏が早く終わってしまえと。けれど、今は……
「なぁ、後悔してるか?」
自転車置き場に向かう途中、明希が立ち止まって聞いてきた。夏休み最終日からこの質問をしてきたのは今日が初めてだった。きっと聞くのが怖かったんだろう。今にも泣き出しそうな顔は忘れそうになっている女の時の明希を思い出す。
「していないと言えば嘘になるかもな」
「……」
「……けど、これで良かったって思ってる、明希は?」
俺がそう答えると、俺の好きな笑顔を向けてくれた。
「俺も」
これで良かっただなんて心から思える日は来ないのかもしれない。こんなこと考えているとあの神様にまた馬鹿にされてしまう。
” せいぜい、今日のことを何度も後悔しながら生きなさい ”っと捨て台詞を吐いた彼女を思い出す。
「俺さ……夏が嫌いなのは、暑さとか虫とか色んな理由があったんだけどさ」
「うん」
「実はそれ以外にも嫌いな理由があったんだよ」
「……うん」
「俺達の邪魔してるから。春と秋の間に入ってきて俺達を遠ざけているみたいで……けど、今年の夏でホントは俺達を近づけてくれる存在だって思えた。だから、少しだけ夏が好きになれたよ」
ぶわっと風が吹いて、まだ早すぎる落ち葉が数枚俺達の周りを舞っていた。
なんだ、明希も同じことを思っていたのか……
ホント、俺達遠回りしすぎだろ。
「そうか」
「晴は? 晴は夏が好きか?」
この先、ずっと明希と一緒にいることが難しくなるのかもしれない。この夏起きたことを忘れてしまうのかもしれない
かもしれないことばかりで不安だらけだけど……
「言っただろ……俺は明希が好きだって」
また夏が俺達を助けてくれるはずだ。
今ならじわりと流れる汗も悪くないなと思えてしまう。
END




