セルゲイと坊主少年。
私は心を無にして時が過ぎるのを待った。
「もういいっ!」
ふぅ。 やっとニャームズのお説教は終わったようだ。
いくら逃げ遅れたとはいえ、そんなにガミガミすることないではないか。
このオスは私にだけ厳しすぎる。
「おや? セルゲイ氏もお帰りのようだ」
セルゲイが裏口から出てきたのを確認した我々はケーブを帰し、家に帰るついでに少しばかり尾行をすることにした。
○
「ガ、イ、コ、ク……ジンっ!」
「ひぇっ!」
「おや?」
尾行から中々時間がたち、もう帰ろうかと思っていたら、坊主頭の少年がセルゲイの背後から近づき、強く背中を叩いた。
友達……にしてはセルゲイの顔色が優れない。
「外国人。お前目立つな~。一発でわかったわ」
「……」
うーむ。『ガイコクジン』という呼び名が何やら刺を含んでいるな?
「この町はくだらねぇよ。くだらねぇ外国人のお前が住むのに相応しいよ」
「……」
ニャームズは目を鋭くして二人を見ていた。
何かあったらすぐにでも飛びかかれるのだろう。
「こっちの小学校通えよ。あっちの小学校はシラガネーゼの為の小学校なんだよ」
こっち……白子町。あっち……シラウオ町のことか? なんということだ。
シラガネーゼ差別はこんな子供たちの間にも蔓延している!
「でも……あと数ヵ月で卒業だし……」
「口答え禁止だぞ! おめー! またあいつをグッチャグチャネチョネチョにしてやろうか!」
『またあいつを』? それはロドリゴの事だろうか? そう私が思った時には私の視界には坊主少年にネコ・キックを放つニャームズが映っていた。
「うぎゃっ!」
少年はヨタヨタと後ろに数歩下がった。
額には肉きゅうマーク。
おみごと! ニャームズのニャー術の炸裂だ! あれはネコ・リブレの技だろうか?
「な……なんだよ。ねこぉ……」
必死で泣くのを我慢していた少年だったが、上唇がプルプルと震えだし、涙が右目から零れた。
「あっ……あっ……」
セルゲイが少年にハンカチを差し出したが、少年はそれに手を伸ばさず、走り去った。
「泣いてねー! いいか! 誰にも言うなよ! 俺は泣いてねー!」
「ふんっ!」
ニャームズはアゴを上げて鼻息を漏らした。
悪を見下す彼の『決め表情』である。
「セルゲイ。シンドーよ」
そして言葉も通じないのにセルゲイに語り出した。
「……?」
「天才とは理解されがたいものだ。だが才能を信じろ。信じぬけ。さすれば天から与えられしそのギフトは君を明るい場所に連れていってくれるさ」
「えっ……うんっ?」
急にねこにニャーニャー話しかけられたらそう反応するしかないだろう。
セルゲイはとりあえずとうんうん頷いていた。
「あの先生。彼女も君の才能に気がついている。シラガネーゼ祭り? 悪くない提案だと思うよ。では!」
もう隠れる必要はないだろう。
私も彼の前に姿を見せ、ニャームズとすれ違った瞬間に一礼だけした。
「……」
そして家に帰った。
○
入院患者とは思えない時間にカロリーヌは帰ってきた。
「つい盛り上がっちまって……」
彼女を送ってきたのはジョージ一匹だけであった。
「楽しくなってしまいまして……」
二匹とも何やらモジモジしている。
なんだろう? 二匹の周りだけピンク色の空気が漂っているような?
「楽しかったなら何より。『楽しい』は最高の心の薬ですよ。琥珀色の薬なんて目じゃないです。ジョージ。お疲れ様。気をつけて帰りたまえ」
「へえっ。失礼します」
「さようなら。ジョージさん」
まただ。別れ間際、肉きゅうを振り合う二匹の周りに漂うピンク色の空気……。
「ではカロリーヌさん。今日の報告をさせて……」
「ああ! ニャームズさん。明日も私。彼たちと行動してもよろしいかしら?」
「ん? ええ。それはいいでしょう。報告を……」
「やった! では私はお風呂に入ってきます!」
「……ごゆっくり」
ニャームズ相手になんという強引な! とても何時間か前までビクビクと脅えていたねことは思えない! 一体何が起きたのだろうか? 私にはさっぱりわからニャイ。
「チッ! これだからメスは嫌いなんだよ」
「ニャームズ。一体彼女はどうしたのだろう?」
「恋だ」
「……恋?」
「ニャトソン。覚えておきたまえ。メスにとって恋は玉ねぎよりも強力な麻薬だ。恋一つであっという間に猫生がクルっと変わる。理屈に合わない。理屈に合わないことは僕は嫌いだ。僕がメス嫌いなのはつまりそういうことなのだよ」
そういってニャームズは安楽椅子に飛び乗ってふて寝してしまった。
今日のことで聞きたいことがたくさんあったのだが、今、色々質問しても彼が何も答えてくれないのは明らかだったので、私はティッシュの箱で二時間ばかり遊んで爪を研いで寝た。
つづく。




