二度目の呼出
明陽のお気に入りになったからといって、健介の学校生活が一変するわけではない。
明陽と一緒にいられるのは、昼休みと放課後ぐらいのものだからだ。
とはいえ、以前のように無視されたり、見下すような態度をとられることはなくなった。
教室では健介の隣に一条がいることが多くなり、自然と「健介」、「和」と呼び合うようになっていた。
そんなある日の昼休み、健介のもとに鬼頭が再び姿を現した。
彼は健介の席までやって来て、低い声で静かに言った。
「九条様がお呼びだ」
健介は弁当が入ったバッグを肩に掛け、黙って席を立った。
明陽のお気に入りになった時から、こうなることは分かっていた。
その様子を見ていた和がすぐにやって来て、真っ向から鬼頭を睨みつけた。
鬼頭の言葉は聞こえていた筈だが、彼は健介を庇うように先に口を開いた。
「健介に何か御用でしょうか?」
「君には関係ない。これは九条様の命令だ」
一条という名を冠した厄介な下級生に絡まれることを危惧した鬼頭は、九条の名を出すことでそれを一蹴した。
顔色ひとつ変えずに答える鬼頭に、何か言おうとした和を健介は手で軽く制した。
「行ってくるよ」
「健介!?」
「大丈夫だから」
心配顔の和に健介は笑って答えた。
彼の心には、もう以前のような迷いはなかった。
「分かった……」
和が言い終わらないうちに鬼頭が歩き始め、健介はその背中を追うように教室を出て行った。
当然のように連れてこ来られたビジルの部室には、あの時と同じく、九条 聖が大きな机を前に座っていた。
「呼ばれた理由は分かってるな?」
彼がドスの利いた低い声で尋ねた。
「いいえ」
健介は静かに、そして迷いなく答えた。
「俺は警告したはずだ。明陽から離れろと――なのに、なぜお気に入りなんかに収まってる?」
以前と同じように強い意志を持った健介の答えに、聖は眉を顰め不快感をあらわにした。
「それは明陽さんと僕との間のことで、九条先輩にとやかく言われることではありません」
「相変わらず口の減らない奴だな。分をわきまえろと言っただろ?」
「分はわきまえてます。でも人の心は……そんな理屈じゃ抑えられない」
「もう一度言う。お気に入りを解消して明陽から離れろ!!」
「嫌です! 僕は明陽さんが好きだし、明陽さんも僕が好きだと言ってくれました。なのになぜ離れなければならないんですか!? そんなの絶対おかしいです!」
「明陽は俺のものだ!」
聖は怒りに任せて机の上に置かれていたペン立てを掴むなり、健介めがけて投げつけた。
健介は咄嗟に避けたが、バラバラに飛んできたペンの先が凶器のように頬をかすめ一筋の血が滲んだ。
だが、そのわずかな痛みが、健介を却って冷静にさせた。
「貴方は明陽さんを縛り付けてるだけだ」
「どうしても離れないなら……俺にも考えがある」
獲物を狩る猛獣のような聖の鋭い眼差しが怪しい光を放ち、狙いを定めるように健介を見据えていた。
「何を言っても無駄です。僕は明陽さんから離れるつもりはありません。」
健介はかた時も聖から目を逸らさなかった。
「お前……!!」
「他にお話がないなら僕はこれで失礼します」
健介は礼儀としてきちんと頭を下げた。
「後悔させてやるぞ」
聖の呻くように低い声が、戸口へ向かう健介の背中に投げかけられた。
しかし彼は動じることなく、そのまま部室を後にした。
***
健介が廊下へ出て階段を下りると、その先に和が待っていた。
すぐに駆け寄ってきた彼を見ると、よほど心配していたのだろう。
「健介、その傷!?」
頬にできた赤い傷跡を見て、和が軽く叫んだ。
「大丈夫。かすり傷だよ」
健介は手の甲で頬を拭うと、穏やかに言葉を返し、和と並んで一階の昇降口へ向かった。
「それで、何か言われたの?」
「うん。お気に入りを解消して明陽さんから離れろって言われた」
以前のように隠す必要がなくなった健介は、どこか吹っ切れた様子だった。
「健介は何て答えたの?」
「嫌です、僕は明陽さんから離れるつもりはありませんって……」
健介は少しはにかみながらも、しっかりした口調で言った。
「よく言った健介!!」
和は感嘆の声を上げ、健介を抱きしめた。
そして今度は体を離して肩を掴むと、彼の瞳を覗き込んで言った。
「さすが明陽兄さんが選んだだけのことはある」
「おだてないでよ」
「おだててなんかないよ、やっぱり兄さんは人を見る目があるな。それと、僕もね」
にっこり笑って和が自賛した。
確かに和は入学当初から健介を普通のクラスメイトとして扱ってくれた。
それは彼が明陽と同じように、財力や家柄で人を判断しないということだ。
そしてそれが、健介にとってとても有難かったことを、今でもよく憶えている。
「ぷっ、和らしいね」
「笑うな。あ、これから兄さんとお昼食べるんだろ? 早く行かないと時間なくなっちゃうよ。きっと待ちくたびれてる」
和はフッと口元を緩めると、楽しげに健介を促した。
「たまには一緒に食べようよ」
「やめとく。弁当持ってきてないから学食行くよ。それに……おじゃま虫にはなりたくないからね」
そう言って、からかうように目を細めた。
「分かった。じゃあ行ってくる」
「うん。行っておいで」
昇降口で靴に履き替えた健介は、和に小さく手を振ってから、いつもの林へと歩き出した。
しかし、手を振り返し、その後ろ姿を見送る和は、なぜか浮かない表情をしていた。




