伯爵の一手
昨日二話更新致しました。
話数のお間違えの無いようお気を付けください。
また、今回の話も例の如く2話分です。
序章、いよいよ佳境に入ります。
マルクスタ家領主、エヴラール・ド・エル・マルクスタ伯爵は他貴族から快く思われていない。
事の発端は5年前の大戦にある。
彼は長年同盟を結んでいた隣国に攻め入ることに対し、内心良く思っていなかった。しかし、玉座を継ぎ勢いのある国王の言うことを無碍にはできず、中立を保っていた。
彼は極めて保守的である。現国王は元王位継承権第5位の王子であり、他の王位継承者を暗殺することによってその座についたと噂されている。そんな男を相手に、大手を振って反対の意を唱えることなどできる筈はなかった。
そして。国王主導の下、長きに渡る同盟を破り隣国である亜人共和国ベスティアへの侵攻が開始される。
目的は資源の確保だった。
マルクスタの属する神聖王国ユーティラスは、海に隣接する土地を有していない。正確には、かつての首都が海と隣接する港湾都市だったが現在は都市の迷宮化に伴い近寄れなくなっている。
海がなければ塩を始めとした資源は岩塩や輸入に頼るしかなくなる。
加えて、隣接する共和国ベスティアは傭兵大国として有名だった。
現国王は、強大な戦力を保有する隣国を危険視し戦争へと踏み切った。
マルクスタ伯爵は、はっきり言って勝算は低いものと見ていた。
隣国、亜人共和国ベスティアは国名にもある通り、国民の大半が純然たる人間ではない。亜人と呼ばれる、魔物の特徴を有した人間なのだ。謂わば、人と魔物の混血。亜人を嫌う人間は多く、魔人と蔑称されることもある。
現国王もその一人だった。
だが、魔物の身体能力を有する国相手に勝てる筈がない。
仮に辛勝できたとしても、王国の負担は大きいものとなる。軍事拡大を行ってきたとはいえ、傭兵として各戦地で活躍し戦闘慣れしている亜人相手に短期間で勝てるとは思えない。勝機があるとしたら、長期戦による国力の差。つまるところマネーパワーしかない。
亜人共和国ベスティアは海以外の資産がなく、国力が乏しい。故に、傭兵家業を国策として推進している。唯一保有する貴重な資産も加工を始めとする技術が伴っていないため、決して有効に活用できているとは言い難い。
それに対し、神聖王国ユーティラスは漂流組合と懇意にしマレビトの技術を積極的に取り入れてきた。海という資産が手に入れば、その恩恵は計り知れない。
長期戦の末、大きな損害が出ようと補填できる。伯爵は国王の戦争に対する意欲をそのように解釈していた。
戦争が長期化すれば、人員補充のために農夫が駆りだされる。そうなってしまうと、その年の農作物の収入は大きく減る。伯爵はこのことを鑑みて、戦争へ反対していた。
だが、後に人獣戦争と呼ばれる一戦は伯爵の予想を遥かに上回る結果を出した。
ひと月。僅かひと月で、王国が共和国を打ち破ったのである。
その後、王国はベスティアを自らの版図として取り込み、亜人を奴隷として扱った。
その恩恵を受けたのは、王国民。特に、土地を構える領主である。
伯爵も例外ではない。
しかし……。
「5年前の大戦に於いて、我が領土は経済的事情により碌に徴兵に応じることができなかった」
それにも関わらず、奴隷による恩恵を受けた。受けてしまった。
故に、伯爵は成金領主。或いは、日和見を謗られ蝙蝠伯爵などと後ろ指をさされることになったのであった。
「領内の現状は私の本意とするところではない。良き隣人を奴隷にするなど、もっての外だ。無論、このようなこと口が裂けても陛下には言えないが」
決して広いとは言えない執務室の中で、伯爵が語る。
「……奴隷を買ったと聞いた」
相対するは、自らの娘。
即ち、オリヴィエ・ド・ラ・マルクスタ。
そして、その共である執事とメイドの三人。
「マレビトらしいな。お前が出した提案書も見た」
机の上に、オリヴィエが考案した計画書が無造作にばらまかれる。
「マレビトの入れ知恵というのは癪だが、確かに悪くはない案だ」
「で、ではお父様――」
期待に満ちた娘の瞳。彼女の希望を、伯爵は一刀のもとに斬り伏せる。
「だが、これらは全て長期的な計画となる。我が領地に必要なのは、即座に結果を出せる短期的な計画だ」
伯爵の言葉に間違いはない。長期的な計画は、確かな足場がなければ実行に移すことは躊躇われる。
「我が領は本質的には貧しいままだ。無闇に金を使い、貴族としての威厳を損ねた罪は重い。よって、お前には謹慎を言い渡す」
淡々と、実の娘に対して冷酷な処断を下す。
親心がないのか、或いは公務に私情を持ち込まない極めて公平な人間なのか。
その心は、彼のみぞ知る。
「お前は嫁入りのことだけを考えていればいい」
その一言に、オリヴィエが口唇を噛む。
貴族の娘に期待されるのは、他家とのコネクションを得ること。
家族を増やし、力とすることである。
伯爵の言葉に、配下の執事とメイドが目を伏せる。
貴族としてもっとも言い分だ。だが、それは令嬢個人の幸せに必ずしも直結するとは限らない。特に、金銭事情により嫁に出される者はその傾向が強い。婿と嫁、両家のパワーバランスが圧倒的であり、余程婿が人徳者でなければ虐げられるのは目に見えているからである。
彼女の幸福を願う二人からすれば、伯爵の言葉は到底看過できるものではなかった。
故に、その現状を打破できる可能性のあるマレビト……如月宗一には大いに期待していたのだ。
彼のいなくなった今、唯一の希望は彼が残した計画書のみ。
しかし、その希望も打ち砕かれた。
万事休す。最早打てる手など存在しない。
「脱走した奴隷のことは諦めろ。おって、私が処理しておく」
それは殺すということ。
希望の芽は、その根っこすら引き抜かれる。
完全に凍り付く室内。漂う空気が冷気を纏っているとしか思えない一室。
そこに、雰囲気を読めない闖入者が現れる。
「凶兆は吉兆。英雄は災厄のときにこそ現れる。偶然ここを脱走したのも、全ては運命」
ノックもなしに室内に踏み入ったのは、地方監査官であるモニカ・ド・ラ・ストラーゼ。公爵家の長女であり、国王と懇意にしている魔性の女。
「監査官殿、何が言いたい?」
勝手に応接用の椅子に腰かける魔女に対し、一切の動揺を見せることなく伯爵が問いかける。
魔女は流し目で伯爵を一瞥し、艶めかしい唇を開く。
「マルクスタ伯爵。君の奴隷がアーティファクトを起動したんだよ」
その言葉に、それまで鉄面皮の如き無表情を貫いてきた伯爵の眉根が動く。
「人獣大戦に於いて、王国を勝利に導いた大きな要因。君も分かっているだろう?」
「アーティファクト保有者の存在か……」
神聖王国が保有する国宝。使用者を選ぶとされる魔道具、アーティファクト。
5年前、盗難に遭い喪失された宝だが、そのうちのひとつを王国は保有していた。
しかも、アーティファクトが選んだ使用者付きで。
「そう、即ち英雄。漂流者組合の長から聞いたのさ。ここ数百年起動できなかった魔導書を起動した者がいる、とね」
偶然にも、世界に散らばった国宝は中立を謳う組織の長の手に渡っていた。
当の彼は、それをアーティファクトであると認知していない。
それどころか、魔女に魔道具の存在すら告げていないのである。
「千年前の六英雄再来、とまで謳われる存在」
アーティファクトの力は絶大だ。通常の魔道具とは一線を画した能力を有する。
魔女が召喚した英雄は、その力を以てして共和国の軍事指揮権を司る人間の悉くを暗殺したのだ。指揮系統が混乱し、英雄によって後方支援も断たれた共和国に勝ちの目は存在しなかった。
「次世代の英雄の誕生。君はどう受け止める? 彼は君にとっての英雄となりうるかな?」
そのような存在を、マルクスタ伯爵は無自覚に奴隷として保有していることになる。
ひとつの戦争を大きく左右した存在。英雄というカードは、国王とすら交渉できる強力な手札となり得る。
暫くの間、伯爵は沈思黙考に耽る。
魔女は静かに問いに対する返答を待ち……。
伯爵が、沈黙を破る。
「監査官殿……いや、モニカ嬢。このこと、暫く報告しないでは頂けまいか?」
彼は、監査官ではなく魔女個人と交渉する一手を選んだ。
魔女の双眸が好奇の色を帯びる。
「彼を抱き込んで、奴隷賛成派と反対派の板挟みから抜け出すつもりかい?」
「……ええ。ことここに至っては、寧ろ奴隷であったことが好ましくなる。首輪からは、どうあっても逃げられない。まともな職には就けず、行先も特定できる」
「探知魔法ねぇ。確かに、今ならまだ通用するかもしれないね」
「……雛のうちに、何としても掌中に抑えたい」
魔女は少しの間思考し、膝を組む。
貴族らしからぬ所作に一瞬伯爵が眉根を顰めるが、そんなことは気にもせず彼女が告げる。
「いいだろう。面白そうだし、黙っておいてあげるよ。その方が、彼のためにもなる」
「感謝致します。このお礼は後日、私の持ちうる全ての権限を用いて――」
謝意の言葉を、魔女は興味のなさそうな眼で眺めていた。
伯爵の言葉に被せるようにして、魔女が口を開く。
「あー、何も要らないよ。君の持ってるものなんてたかが知れてるし」
大儀そうに手を振る魔女。伯爵の口元が僅かに引き攣る。
だが、それも一瞬のこと。彼は瞬時に娘へと振り返り、下知を発する。
「オリヴィエ、前言撤回だ。そこの元狩人を共として連れていくことを許可する」
僅かに見えた希望に、オリヴィエを始めとした三人の目に力が戻る。
伯爵が大きく腕を振る。
「なんとしてでもマレビトを私の前に連れてこい!」
「はい! お父様!」
オリヴィエが一礼し、飛び出るかのように執務室を後にする。配下の執事とメイドもそれに続く。
魔女と伯爵。二人きりになった室内。
心地の悪い空気の中で、伯爵が問いかける。
「……面白い、と仰いましたね。その心をお聞きしても?」
それは、純然たる疑問。彼女にとって何の益もない。それどころか、監査官としては明確な汚職にあたる行為を平然と決意したのだ。
伯爵としては、彼女の言葉が信に足るか確かめたかった。
「何、当然のことさ」
内心必死な伯爵に対し、泰然自若と構える魔女はただ一言告げる。
「英雄には、いつの時代も試練がつきものだろ?」
振り返ったその顔には、意地の悪い笑みが張り付いていた。
宗一を主軸に伯爵と魔女、オリヴィエの思惑が回り始めました。
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