連鎖する呪いと嘘
ふと、視線を感じると宿屋の店主が青醒めた顔でこちらを見ていた。
「ああ。そういえば、あんたも知ってたんだっけか」
僕が、奴隷であることを。
「ま、待て。待ってくれ。誰にも言わない、言わない!」
何を勘違いしたのか、慌ててかぶりを振っている。
別に、殺人に関しては物的証拠が残るわけではないから言いふらされたところで害はない。
奴隷であることに関しては……詮無いことだ。他の商人も知っていることだし。
「……安心しろよ。あんたを殺しはしない」
野盗と違って、宿屋の店主が急にいなくなったら話題になるからな。
犯人捜しが始まるのは僕の本意ではない。
だが、これは利用できるな。
「口にしない、その確証が欲しい」
「か、確証……?」
「ああ。少なくとも、僕がこの街にいる間はね」
ここで恐怖を植え付けておけば、余計な面倒事の種を事前に摘み取れる。
「な、何をすればいいんだ……?」
何をしたところで、確証なんて得られはしない。
人の口に戸は立てられないからな。
ならば、逆にそれを利用するまでだ。
「『コール』」
魔導書を呼び出す。
店主の顔が一層青白くなる。
いいぞ、恐怖しろ。その感情を使わせてもらう――!
「『契約を交わそう、偽証の約束事を。睦言は閨より広がりし戯言。連鎖する呪い』」
詠唱を終え、懐からナイフを取り出す。暗がりに光る刃先に、店主がしゃくるような悲鳴をあげた。
「魔導書に血を垂らせ。それで、僕とお前の契約が完了する」
「け、契約……?」
「お前が余計な口をきかない。そういう契約だ」
口元を悪役らしく、歪める。店主が震える手つきで、指先をナイフの刃先にあてがった。
薄く開く傷口。血が、魔導書に滴る。
「契約は成った。なってしまった……」
「……え?」
殊更に、恐怖を煽るように口を開く。
「これは呪いだ。僕に関することを明かすと不幸がやってくる」
「しゃ、喋らない! 喋らない!」
「だが、喋らなければ呪われる」
「え? え?」
矛盾する言葉に、店主が恐怖と戸惑いを隠しきれない様相を見せる。
「この呪いは他人に伝染する。僕の正体を知る人間に、この呪いのことを話さなければならない。知らない人間に話せば、呪いが完成する」
要は、チェーンメールだ。僕は携帯を持っていなかったので受け取ったことはないが、後輩が騒いでいたので知っている。
奴隷であることを黙っていないと呪いが降りかかる。これを他の商人に話さないと呪われる。これを、商人の間で広める。不都合が生じれば、疑いが向けられるのは仲間内の誰かだ。
人の口に戸が立てられないのならば、それを悪用するまでだ。
勿論、こんな呪いなど存在しない。
元居た世界であったように、ネズミ算式で被害者は増えていくだろう。
呪いなんて存在しない、他人に迷惑をかけるくらいなら自分の胸の裡に留めておく。現代では、そういった剛の者も存在したかもしれないが……。
異世界では、呪いが実在する。オールドマギの存在がその証左だ。
現代でも商人はゲン担ぎを重んじていた。他人に話す程度で被害を未然に防げるのであれば、多少の労苦は厭わない筈だ。
中には、口にしない猛者も出るかもしれないが、数人が口を噤んだところで大差はない。
この街で、僕のことは暗黙の了解になるだろうさ。
まあ、この下策がうまくいこうが失敗しようが、あと数日でここを去る僕としてはどちらに転んでも問題はない。
「さて、と」
完全に怯え切った店主に再度笑みを向ける。
「あんたが賢明な選択をすることを祈っているよ」
「……! ……!」
店主が震えながら何度も首肯する。
……よし。これで後は、勝手に呪いの噂を広げてくれることだろう。
脅しが終わったところで、タイミングを見計らったかのように背後の木戸が開く。
「旦那、待たせたな」
「いや、お陰で有意義な時間を過ごせたよ。手間をかけさせて悪いな」
「……旦那」
委縮しきり、僕の顔色を窺う宿屋の店主を一瞥して、死体清掃人の男が問う。
「何をしたんだ?」
「いや、何。ちょっとしたお願い事をね。な?」
「は、はい!」
店主の肩を叩くと、大仰に彼が頷いた。
「……お願い、ね」
死体清掃人の男が意味深に呟く。
「俺も旦那にお願い事をされないよう、気を付けるとするよ」
薄笑いを浮かべながら、彼が階段の手すりに手をかける。
多少は、牽制になったかな。うまく立ち回る人間ならば、私を敵に回してはいけないことくらいは理解しただろう。
何も、殺しだけが全てじゃない。
邪知暴虐の渦巻く王宮で、自分の身を……延いては彼女を守るためにはこの程度の術は心得ておかなければならない。
それにしても、まさかチェーンメールの知識が役に立つ日が来るとはね。僕には縁のないものだったけれども、何事も勉強しておくものだ。
「それじゃあ、旦那。ついてきてくれ」
「……ああ」
彼の後を追い、軋む階段を上る。一昨日宿泊したばかりなのに、木板が悲鳴を上げる音が妙に懐かしく感じる。これも追想の影響だろうか。
「この部屋だ」
一番奥の角部屋に案内される。
一昨日僕が泊まった部屋だ。
彼が扉を開くと同時に、魔眼を解放する。
「……起動しろ、誓約の魔眼」
激しい疼痛が右眼に走る。
……そうか。オールドマギが行使していたから……今日はもう限界か。
だが、少しの時間。ほんの少しだけでいい。
部屋に入っていく死体清掃人の男を右眼で見る。
この眼は、万物を観測する魔眼。未来予知だけが、全てではない。
人の筋繊維が見えるのであれば、鼓動も見える道理。
男の心臓は、一定のリズムを保って脈打っている。
「ここに保管してあるのか?」
「ブツはここにあるので全部だぜ」
男が部屋の片隅に立てかけてあった袋、ベッド下、懐から短剣、魔石を始めとした盗品を床に並べていく。
その背に向かって、何気なく問いかける。
「まさかとは思うが、ちょろまかしたりしていないだろうな?」
人は嘘をつく際、心拍が乱れるという。
僕の右眼はこの十秒ほど、眼前の男が身体の内で鳴らすリズムを観測してきた。
その音が乱れれば、こいつは嘘つきだ。
死体清掃人がこちらに振り返る。
「旦那。そんな恐ろしいことする筈がねぇだろう。先ほど言ったように、俺も相手は選ぶ」
彼が、僕を指さす。
「旦那は裏切っちゃあいけない相手だ」
嘘は、ついていなかった。
力には代償が伴う。
得れば失う。
それに気が付くことはない。




