覚醒
「よぉ! 久し振りだな、マルクスタの奴隷」
「お前ッ……!」
先頭にいる男の顔。
忘れなどするものか。あいつは……あいつは!
「1週間ぶりの再会か? 元気してたか?」
こいつは……!
「よくもそんな口がきけたもんだな」
「お、やっぱり元気そうじゃねぇか!」
男の笑い声に、追従の大笑が湧く。
こいつは、こいつは……!
僕を、奴隷商に売り払った男だ……!
歯軋りする。
脳髄が沸騰しているかのように思えるほど、頭が熱い。
自然と、手が首元のスカーフに触れる。
この首輪の所為で……。
漂流組合の保護下には入れず、マルクスタ家から命を狙われる危険性が生じ、商人からは疎んじられ、命を懸けて迷宮に潜ることになった。
「マレビトが迷宮にいるって話題になっててよぉ……」
僕は……。
「俺にはすぐにピンと来たぜ。もしかしたら、お前かもしれねぇってよ」
僕は、どうしても……。
「迷宮の外で張ってたら、案の定おめーが出てきた。こりゃ儲けもんだと思ったよ」
――こいつを許せそうにない。
「脱走してくれてありがとよ。お陰でもう一度お前を売れるぜ」
「『エンド』魔眼解放」
オールドマギを消し、右眼を見開く。
「誓約の魔眼」
――お前だけは、僕の手で……!
硬い床を踏みしめる。
「僕がどれだけ悲惨な目に遭ったか……!」
怒りと憎悪の視線を向けられた男は、ただ一言。
事も無げに、零す。
「そんなの知らねぇよ」
「お前――ッ!」
発破の如く地を蹴り立つ。
起動しろ誓約の魔眼。
あいつの敗北を予知しろ!
男を守るように、従者の三人が立ちはだかる。
一人目、二人目、三人目の動きがそれぞれ影となって未来図として視界に表示され――。
「ッ――!」
視界に血が滲む。眼窩をくりぬかれたような激しい疼痛が右眼を襲った。
三人同時の未来予知。行動を予測するための処理負荷に脳が耐えきれそうにない。
このままだと右眼ごと脳が使い物にならなくなりそうな予感さえする。
それでも、それでも……。
この一瞬だけもってくれればいい!
「お前ら! 多少の傷は構わねぇ! 捕らえろ!」
男の声に応じて、三人が一様に短剣を構える。魔物用の武器ではない。対人に特化した武装。
こいつら、はなから僕を……!
探索者組合のルールに反している。そちらがその気ならば、こちらも応じるまで。
「短剣で僕に勝てると思うなよ……!」
飛び込むような刺突。予知していた行動。
腰元から抜いたナイフで軌道を逸らし、柄を相手の短剣の柄に引っ掛ける。
「あっ……!」
減速していく赤い視界の中で、一人目の敵が声を漏らす。
短剣を引き、男の重心を崩す。前のめりになる敵。落ちてくる頭を掴み、膝蹴りを顔面にかます。
これで、一人目。
痛みに悶える敵を蹴り飛ばし、二人目へとぶつける。味方が飛んでくるのは予想外だったのか、攻撃を躱しきれずよろめく。
その隙を、見逃さない。
素早くナイフを投擲し、二人目の手元に命中させる。思わぬ攻撃と痛みに、短剣を取りこぼしうずくまる。
三人目の顔にあからさまな動揺が走る。彼の視線が一瞬味方の方へ向く。
一息に距離を詰める。彼の進行方向に肘を置いてやる。
昨日組合員の男が披露したカウンターの構え。それに移動による加速、三人目の敵自身の重量と加速が加わり……。
「あがっ……!」
痛烈な一撃。鼻が折れたのか、虚空に血が舞う。
これで一時的とはいえ、配下の三人を無力化した。
残るは僕を売った怨敵ただ一人。一対一で相手できるのは僅かな時間。
だが、それで十分だ。
「てめぇ!」
男が懐から手斧を取り出す。斧にしては軽めで、取り回しに優れている代物。
そこに彼の膂力が加われば、短剣とは比較にならない破壊力が生まれるだろう。
だが、当たらなければ意味はない。
腰を低く落とし、床を這うように駆ける。
痛みに悶える敵の手首からナイフを抜き取り、そのまま再度投擲。
狙いは顔面だ。男が咄嗟に手斧で投擲を防ぐ。
――視界を塞いだな?
右眼による視界が深紅に染まる。未来予知が覚束なくなる。
あと少し……あと少しなんだ。
手斧を握る腕を抑えて、大外刈りの要領で男の足を払い、引き倒す。
重量のある音が迷宮の暗闇に響く。
あと少し……。
激しい痛覚と共に、魔眼が切れる。
あと少しで――。
腰元に提げた予備のナイフを抜く。
――こいつを殺せるんだ。
短剣で男の喉笛を掻き切ろうとして、自身の殺意に気が付く。
今、僕は何をしようとした……?
こいつを、殺そうとしなかったか?
反射的に飛びずさる。
「『コール』!」
無力化するだけでいい。それで探索者組合に報告するだけでいいはずだ。
それなのに、どうして僕は……。
「殺さないと、誓った筈だ……!」
例え、こいつらのようなクズであろうとも!
人を殺した時点で、こいつらと……取り立ての連中と同じ悪党に落ちてしまう。
それだけは、それだけは決して……!
例え、この世界では許されたとしても。僕は僕自身を許せなくなる。
犯罪者が母に合わせる顔なんてないのだ。
何よりも……。
「……くそ」
今更ながら、殺人を意識してしまう。
人を衝動のままに殺そうとした自身の殺意と、殺人という禁忌に総身が震える。
人殺しが許容されたのは戦時下だけだ。いや、例え正当性があったとしても犯してはいけない罪だ。
18年という期間に渡り積み上げてきた倫理観が、僕に攻撃を躊躇させた。
それが、この世界では致命的だというにも関わらず。
『契約者!』
オールドマギの叫び。
間髪入れず重い一撃が顔面に炸裂する。
初めて喰らう攻撃。追想による経験が、辛うじて僕の意識を繋ぎとめた。
「よくもやってくれやがったな……!」
怒りに満ちた男の瞳。その背後から、配下の三人がよろめきながらも立ち上がる。
よろめく僕に、強烈な蹴撃が見舞われる。
追撃に身体が耐えきれず、冷たい壁にもたれ臥す。
「せっかく可愛がってやろうと思ったのによぉ!」
「……よく言うよ。はなっから探索者組合のルールを守る気なんてなかったくせに」
探索同士の争いはご法度だ。当然、殺人も。
そのことは、彼らも重々承知している筈だ。
「お前、馬鹿か?」
霞む視界の中で、男が心底不思議そうな顔で僕を見つめている。
「そりゃあ、飼い主の前では従順な犬のように振舞うさ。だが、俺らの本性は獣だ。ハイエナだ。弱い獲物を見つけりゃあ、骨の髄までしゃぶりつくす」
そうだった……。元よりこいつらは……探索者の大半は、どうしようもない荒くれものの集まりだ。
そんな奴らが、ルールなんて遵守する筈がない。
「金がなけりゃ奪う。抵抗するなら殺す」
一歩、男が近づいてくる。
「例えそれが、同類であろうともなぁ!」
腹に強烈な足蹴りが入る。
「あぐっ!」
視界が……意識が保てそうにない。
僕の身体は彼らのように頑丈ではない。だから、遠距離からの攻撃と、機動性を活かす戦術を取ってきた。
このように、追い詰められた時点で詰みなのだ。
「さてと、次は逃げられねぇようにしねぇとな」
お仲間の三人共々近づいてくる。その手に握られているのは……ノコギリのようなものか。
「流石に足がなけりゃ逃げられねぇだろ」
配下のひとりが鋸を構える。
馬鹿かこいつ。そんなことしたら僕が死ぬだろう。奴隷業者に売れなくなる。
「世の中にはマレビトの剥製を集める好事家ってのがいやがる」
「……」
「オメー、自分は殺されねぇと思ってただろうが……。死体でも、珍しいモンは売れんだよ」
「……」
「無論、生きてる方が価値はたけぇが……」
顔を踏みつけられる。
「オメーは俺をブチギレさせた。だから、殺す」
まあ、ならず者なんてそんなものだろうな。
後先考えず。合理的な思考なんてできやしない。
内心笑いを零す。
……一週間か。
我ながら、よく頑張ったと思う。僕にしてはよくやった方だ。右も左も、何も分からない状態でさ。
ここで、終わりだ。ここが死だ。終着点だ。
人を殺すくらいなら、殺される方がマシかもしれない。
母さん……親不孝な息子でごめん。
そして……。
投げ出されたオールドマギを見る。
霞む視界の中で、彼が何かを訴えているような気もするが……。僕にはもう、伝わらない。
オールドマギ、お前の呪いを解いてやれなくてごめんな。
期待に応えられなくて……。
ごめん……。
ゆっくりと瞼を閉じ……。
僕は死を迎え入れる……。
――筈だった。
右眼が閉じない。いや、右眼だけじゃない。
身体が言うことを利かない。
これが、俗にいう死後硬直ってやつか?
それにしては早すぎやしないか。
「魔眼解放……」
ゆっくりと、陽炎のごとく揺れながら僕が立ち上がる。
……違う。
これは僕じゃない。
僕は立ち上がろうなんてしようともしなかった。
気が付いたら、痛覚もない。
身体が、言うことをきかない……!?
「人格、交代」
口が勝手に開く。
「お前、なんだその眼は……!」
男があからさまに動揺している。
眼が、眼がどうしたっていうんだ……!?
「どけよ下郎」
身体が勝手にナイフを構える。
「私の弟子を殺させはしない」
 




