千年の呪い
「オールドマギ、お前は一体誰なんだ?」
魔導書が、沈黙する。
即断即決と言わんばかりの回答を見せるオールドマギが、何かを躊躇しているかのように言葉を発しない。
答える意志がないのか。白紙に文字が浮かばない。
僕はただひたすらに待つ。
オールドマギが僕のために手を尽くしてくれているのは事実だ。だが、後継に仕立て上げるためとは言ったものの、何のためかは分からないままだ。
そして、時折見せる道具らしからぬ人格の片鱗。
先の『生きてくれ』という言葉がまさにそうだ。
僕には、この魔導書の中に誰かがいる気がしてならない。
僕はただ、知りたいのだ。
少しして、オールドマギは絞り出すように言葉を浮かべた。
『現段階では開示できない情報だ。
私はただの道具に過ぎない』
「僕には、お前が自我を持っているように見える」
予想できた回答に、素早く切り返す。
また少し時間が空いて、返答がくる。
『契約者よ。
ときに、知ってはならないことがある。
力量の伴わない情報は身を滅ぼすだけだ。
それを誤ると、どうなるか』
一瞬の間。
オールドマギが言葉を紡ぐ。
『答えは目の前にある』
「まさか、千年の呪いって……」
『その問いに答えることはできない』
その返しは、答えているようなものだ。
何とはなしに予想していたものの、驚愕を禁じ得ない。
オールドマギの言葉が意味するものは、つまるところ……。
「人間だったのか、お前……」
知ってはならないことを知ってしまった。その結果、魔導書になった。
それが、解き明かしたいと言っていた千年の呪い。
そういうことなのだろう。
そうだとすれば、オールドマギは人間に戻りたいという意志があるのか。
『秘匿する』
頑として譲らない姿勢。
明示は避けているが、オールドマギは僕の問いに答えてくれた。
知りたい、という欲求が一層強まり胸中で鎌首をもたげている。
それを見透かしたように、オールドマギが即座に文字を浮かべた。
『ひとつ、警告しておく。
君が探そうとしている者の痕跡は、この世のどこにも残っていない。
全ては歴史の闇の中へ葬られたことだ』
探しても無駄、ということか。
だが、痕跡なら目の前にあるじゃないか。本人という、これ以上ない証が。
『どうする?
追体験を行うか?』
オールドマギが問う。
「ああ」
僕は迷うことなく、受け容れた。
必要な技術の習得。そして、こいつが何者なのか。それを知るまたとない機会だ。
オールドマギの警告に耳を貸さなかったわけではない。
ただ、それ以上に。僕に力を貸してくれる存在について知りたい。
力量に伴わない情報が身を滅ぼすというのなら、力量が伴うように努力すればいい。
そのためにも、リスクを呑む。
『追体験を開始する』
記憶への影響は最小限と言っていたが、全くないわけではない筈だ。
最小限のリスクも、積もれば大きなものとなる。
追体験は必要最低限、あとは僕の努力で技量を上げる。
オールドマギが零すように、言葉を滲ませる。
『無事を祈る』
……そういう優しさを見せるから、僕はお前が気になるんだ。
刹那、視界が闇に染まり。
――意識が、切り替わる。
――――
視界が開く。
真っ先に、石造りの壁が目に入った。次いで、鎧を着こんだ人々が忙しなく物資を運んでいく様子が映る。
どこか、屋内だろうか。視座も、いつもより高く感じる。
「騎士様よりも先に俺に教えを請うとは、変わった奴だ」
腹に響くような、低い声が耳を打った。視界が、声のする方へと移る。
陰気な男の姿があった。痩身痩躯、針金のような男が帳簿らしきものを片手に持っている。ひ弱に見えるが、落ち窪んだ双眸からは力強いものを感じる。
「私に剣を振るうだけの膂力は、今はまだありませんから」
記憶の主が返答する。声は若い。美青年を彷彿とさせる、美声。
「お得意の謀を駆使すればいい。俺からしてみれば、お前は剣よりも筆を執るべき人間だ」
「交渉の背景には武力が付き物です。孤立無援な私からしてみれば、武力は必須。私の世界では筆が剣よりも力を持ちますが、この世界では真逆。対策を講じるのは必然と言えるでしょう」
記憶の主は、理路整然とした言葉を吐く。
眼前の男が、面倒そうに頭を掻いた。
「そういう言い回しが文官ぽいんだよ。勿論、対価は頂けるんだろうな?」
「無論。口止め料も含め多く出させて頂きます」
「流石はお姫様のヒモ。持つものはもってるってか。だが――」
僕は……いや、記憶の主が言葉を遮る。
「足りないとは言わせません。ここに、貴方が過去城内で行った不正の証拠があります。戦乱に乗じた武具の横流し、調度品の買い付け係に賄賂を渡して破損品の数を改竄した形跡もありますね。国民の血税でどれだけ稼いだのやら」
帳簿らしきものの切れ端を片手に、記憶の主が言った。
男は買い付け役なのだろう。加えて、出てきた城内という言葉。
どうやら、ここはどこかの城の中のようだ。
……それが、いつ、どこのかは分からないが。
「王侯に公表する気か?」
瞬間、全身に強烈な殺意が走った。
男の瞳から、闇の中に引きずり込むような底知れない圧を感じる。
――逃げなければ。
殺される、殺される……!
初めて感じる圧倒的なまでの威圧感に、心が完全に委縮する。
だが、その場から逃走しようとするも、身体が言うことをきかない。
……そうだ。これは追想だ。
僕の記憶じゃない。
「用意周到な貴方のことだ。既に根回しは済んでいるでしょう」
記憶の主は怯むことなく、告げる。
「――国民に向けて告発します」
男の表情に、僅かな動揺が見て取れた。
「この領地全ての住人が貴方の敵となる。私の言っている意味が分かりますね?
私は曲がりなりにも選ばれた英雄。民衆が私を支持するのは明らかだ」
英雄を自称する男が、続ける。
「貴方の偉大さは民衆には理解されない。難しいから。民衆は娯楽に飢えている。国が彼らに厳しいから。鬱積した怒りの矛先は、分かりやすい敵を求めている。そういう下地が既に出来ているのです。城内以外に、貴方の居場所がなくなることは自明の理」
「……」
「ここで私を消せば、自動的に告発されるように手筈は整えてあります」
その言葉に観念したのか、男からの圧が消失した。
「……食えねえ野郎だ。お前に武力が必要だとは到底思えねぇよ」
苛立ちを隠そうともせずに、男が言った。
「言ったでしょう? 私の世界では筆……つまり情報が武力に優ったのです。さて、ナイフによる戦闘術。教えて頂けますね。先生?」
勝利を確信する言葉。
男がため息を零す。
「……今日のところは基本だけ教えてやる」
――走馬灯の如く、記憶が過る。
握り、構え、対峙の仕方。
刺突、斬撃。
大量の記憶が頭に……。
………………。
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