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異世界は僕に牙を剥く ~異世界奴隷の迷宮探索~  作者: 結城紅
序章 この残酷な異世界で
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涙はとうに枯れている

……僕が彼女の要請を承諾して暫く。

彼女は興奮を冷ます為にも、一度僕と先輩の飲み水を取りに屋敷へと戻った。


落ち着きのない様子で離れを後にするオリヴィエの後ろ姿を眺めながら、僕はどこか寂寥感を覚えていた。


僕と彼女は似た者同士で、僕の望みが永遠に叶わない一方、彼女の望みは果たされるかもしれない。僕は決して大人なんかじゃない。不平等を感じ、遣る瀬無い思いを覚えていることを否めないのだ。


ここが地球であったならば。例え世界の裏側にいたとしても戻って見せると息巻いて見せる。だが、ここは異世界で。魔法という奇跡はあっても、それは決して万能なものではない。


……昨晩、離れに来たメイドに尋ねた。


魔法でならば、元の世界に帰ることができるのではないかと。

メイドは表情を崩さないまま、否定の言葉を返した。


そんな高等な魔法は存在せず、あったとしても失われていると。

過去存在していたのは異界から呼び寄せる魔法であり、異界へ送る魔法など聞いたことがないとも。


魔法は過去の技術であり、今の人々は魔導書を発掘してそれを流用しているに過ぎない。写本の存在で市場の流通数こそあれど、本質の理解には至っていない。


数学で例えるなら、公式を理解して扱うことはできるが応用や公式そのものの開発ができない、といった具合だろうか。そも、その写本も国が管理する貴重な文献を勝手に写し取り横流ししたものだ。表の市場には出回らないため多くの目に留まることはなく、必然的に発展の芽を摘まれている。


魔法という技術は衰退の一途を辿っており、皮肉にもその引き金となったのはマレビトの存在だった。


1000年の間に、マレビトから伝えられた技術により人々の生活水準や環境が改善されたため魔法の必要性が薄れたのだ。


僕のいた世界も同じだ。洗濯機ができたから桶で手洗いなんてしなくなったし、冷蔵庫ができたから氷室を使うことも氷屋に頼ることはなくなった。

便利なものが普及すれば不便なものが淘汰されるのは万古不易の事実だろう。


1000年前の100年戦争の英雄? やマレビトの影響で平和が続き、兵器としての魔法も廃れた。軍勢を打ち滅ぼすような魔法は存在せず、飽く迄遠距離攻撃の一種。それも、素質ある人間にしか扱えず、攻撃までの予備動作が長い兵器という認識だ。個人が持つ力としては強いものの、数がものをいう戦争でその道理を覆すほどの力はない。故に、魔物狩りを生業とする人が重宝しているというのが現状らしい。


だから、この地上に世界を渡るような大掛かりな魔法は、ない。

それが、メイドの結論だった。

僕の望みは潰えたのだ。


……オリヴィエの願いが成就することを応援すると決めたにも関わらず、胸中には確かに蟠るものがある。

所詮、僕もまた大人になり切れない子供に過ぎないのだ。


「何かを諦めることには慣れていたのになぁ……」


事実を前に、感情だけが得心いかない。子供たる所以。

それもそうだ。母は僕の原動力であり、僕に残された幸福だったのだから。

玩具だったり、服だったり、友達との遊びだったり、部活だったり、青春だったり……そんなものとは違うのだ。


涙は出てこない。僕は既に一生分泣いている。

ただ、短く息を吐く。幼い頃、夜逃げしたときのように、呼気が白く大気に浮かび上がって消えた。


「……」


あの頃の思い出と共に、元いた世界に置き去っていくのが正しいのだろうか。

僕の記憶が定かなら……僕は一度死んでいる。原因もなんとなくだが理解している。恐らく過労だ。


確証はない。だが、心臓を締め付けられたような苦しみと第六感とも言うべき死の直感を覚えている。冷静に考えてみても、呼吸困難や昏倒から何の後遺症もなく立ち直れるとは思えない。


だから、僕にとってここは異世界であり死後の世界。僕を知る者はいないし、束縛するものも……本来はなかっただろう。


新しい自分として生きていく道だってある。多くのマレビトはそうしているんじゃないだろうか。

だが、僕の望みは簡単には捨て去れない。

僕は……。


「待たせたかしら」


遠慮がちに木戸が音を立てる。戸口の隙間から、恥ずかしそうにオリヴィエが顔を覗かせていた。

どうやら我に返ったようだ。


彼女は桶いっぱいに張った水を僕と離れの主である先輩に差し出し、僕の横……即ち藁の上に腰を落ち着けた。その動作に迷いはない。


「事情を話す前に……これ」


「これは……」


「市場に流れてた珍しい服、貴方のでしょう?」


バイト先で着ていたワイシャツに黒のスラックス。

今の襤褸とは比べ物にならないそれを、彼女は惜しげもなく差し出してくる。

この世界に於いてはきっと希少で、高値がついていたであろうそれを、さも当然のように。


「珍しいからすぐにわかったわ。貴方にとって大事なもの……よね?」


確証がなく、不安に揺れている眼差し。僕は瞠目しつつも、彼女の心遣いに微笑を浮かべた。


恐らく……ではあるけれども、これは万が一、僕の信頼が得られなかった暁に使用する取引材料だったのだろう。僕が持ち込めた異世界の物品であり、思い出の拠り所になる一品だ。垂涎ものに違いなく、余程理不尽な要求をされない限りは大抵の条件を呑んだに違いない。


だが、僕が協力の意思表示をした現在、僕に返却する義理や必要性は薄い。コストが掛かった以上、転売するなりして目減りした資産を回収する方が良いことは明白だ。


それでも、彼女が僕にこれを渡してくれたのは偏に誠実さや優しさ故だろう。


「……ありがとう」


万感の思いを込めて告げる。

僕が異世界からきた証左であり、記憶の拠り所。

従者に任せるでもなく、自ら渡してくれたそれを有難く頂戴する。


「当然でしょう。協力してくれる以上、誠意を見せるのは当たり前だわ」


「僕を買ってくれたのが君で、本当に良かった」


本心から、そう思う。

権力や資産を持ちながら善性を保てているのは彼女の気質や徳によるものだろう。つまりは、根っからの善人。


もし、僕を買ったのが他の人間であったのなら、きっと人権なんて期待できないような扱いだったに違いない。


「そ、そうね……」


彼女は気恥ずかしそうに頬を掻きながら一息つく。


「……ま、まあ。少し長くなるから、食べながら聞いて頂戴」


羞恥心を誤魔化すように、食事を促す。

お腹が減っていたことは事実なので、僕は有難く食事に手を付けることにする。

手始めに丸い乾パンを手掴みで頂く。


食感は、よくパンの広告で打たれているような『もっちりふわふわ』とは程遠い。しかし、決して不味いということはなく確かに腹を満たしてくれる。

そもそも、かつて食していた、少しでも満腹感を得るために食パンの耳をふやかしたものと比べれば格段に美味しい。


「昨夜は、伯爵が奴隷を買うのは法的に問題ない。ただ見栄の問題だと言ったわね。けれど、この見栄こそ貴族にとっては重要なの。くだらないとは思うけどね」


僕を流し目で見ながら、思い出すように告げるオリヴィエ。

僕は乾パンに対する所感を一時頭の中から追い払い、食事の手を落ち着ける。


「問題はもうひとつ。奴隷の売買そのものがあまり快く思われていないこと

まともな貴族なら奴隷売買に手は出さないわ。ここは、そうせざるを得ない事情があったの」


そして彼女は語りだす。

自らの一族の盛衰を。

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