少女の真意
「……ひとつ聞かせてくれ」
居住まいを正す。
正直、ここが異世界だとは未だに信じられない。いや、信じたくない。
信じるということは、母の下に帰れないことを意味するからだ。
だが、理性はここが異世界であることを認めている。
感情の方はそれを認められなくて、気を抜けば昨日みたいに暴走してしまいそうだ。なんとか、感情を理性で蓋をして押しとどめている状態。
頭はぐちゃぐちゃで感情も綯交ぜ。
それでも、この少女が真摯に僕を必要としていることは理解できた。
僕なんかに大枚を叩くくらいには。
「君はなぜ、そこまでする?」
マルクスタ家は行き詰っている……と言っていた。
昨日も思ったことだが、とても凋落した家だとは思えない。昨晩、肥料を片しにメイドがやってきた際、木戸の隙間から見えた屋敷は大層立派なものだった。華美な馬車だけならばまた見栄だと言えるかもしれないが、豪邸は見栄だけでは構えられないだろう。
僕の問いに、お嬢様は答えない。
「行き詰っている、って言っていたようだけど。僕にはそうは思えない。少し戸口から覗いた限り、立派な屋敷と広大な敷地を擁している。加えて、僕を買うだけの資金力もある。金銭的に窮しているようには見えない」
答えないのであれば、詳細に問うしかない。
金銭面に関しては、場合によっては僕を執事として雇う……つまり、奴隷の身分から解放する、と言っているあたり相当なものだ。
僕の視線を受けた目が、逸らすように伏せられる。
奇しくも、昨日とは真逆の構図だ。
「……お金の問題が端を発したのは間違いないわ。けど、問われているのは貴族としての品格なの。見たでしょ? 奴隷商が市場を白昼堂々と闊歩する姿を。あれは、貴族の領地で本来あってはならないことよ」
それは、貴族としては痴態を晒すに等しいものなのだろう。だから、苦々し気な顔をしたわけだ。それでも聞かせてくれたのは、僕だけに事情を押し付け、自身の事情を秘匿するのは不公平だと思ったからなのかもしれない。
貴族としての誇りを持ちつつ、貴族らしくない思考。アンビバレンスを体現するかのような彼女に、少し親しみを覚えつつ……僕は彼女の発言を咀嚼する。
……マルクスタ家と奴隷商は切っても切り離せない関係にある、と言っていたな。
幅を利かせないよう、睨みを利かせているとも。
それは、マルクスタ家は奴隷商を良く思っていないが、見逃す理由があるということか。
妥当な推測だと、利権の問題か?
いずれにしても、僕が質問を投げかけた目的は別にある。
「……なんとなくだけど、察したよ。でも、肝心なことを聞けていない。君の動機だ」
「……」
「僕が言うのもなんだけど、君はまだ幼い。差別的にも捉えられるかもしれないけど、女性でもある。家のことは心配しなくても良い立場の筈だ。
だけど、君は貴族としての誇りを捨ててでも僕に協力を求めた。それに足る想いを、僕は知りたい」
緊張の糸が張り詰める。
ともすれば、彼女の怒りを招くような発言。だが、僕はこれまでのやり取りで彼女がそのような人間ではないと確信している。
今までの特殊な環境で悪意ある者、善良な者、種々雑多、多岐に渡る人々と関わってきた。観察眼には多少の自信がある。
彼女は一見高慢に見えるが、それは威厳を保つためのポーズであり、その実子供っぽく、しかしそれでいて誠意には誠意で返してくれる礼節も持ち合わせている。昨日会ったばかりで、極めて稀な関係だが、彼女の言動の端々にその気質は現れている。
砕けた口調を今も許してくれるのは、従者がこの場にいないからだろう。威厳を保つ必要がない以上、ここにいるのは素の彼女の筈だ。
友達がいなくて、洒落の利いた返しに笑ってしまう、ただの女子の筈なのだ。
その彼女が、何故、敢えて苦難の道を選ぶのか。
僕はそれが知りたい。
真一文字に引き結ばれている桜色の唇。その口唇が、意を決したように震えながら持ち上がる。
「……貴族とかはどうでもいいの。私はただ、お父様の力になりたい」
擦れるような声音。彼女の本音が、静謐な場に痛いほどに響く。
自分でも、目を見開いているのが分かった。息を呑む。
「お父様は、元々家族思いの方だったの。家の立て直しよりも、私たちを優先してくれた。でも、お母さまが亡くなってから、お父様は貴族としての伝統や権威にしがみつくようになってしまって……」
経緯や内容はあまり理解できないが、それは彼女も分かっているのだろう。右手が、握っては離してを繰り返し、落ち着きと冷静さをなくしていることが目に見える。だが、それだけに、彼女が真剣に自身の感情を吐露していることも理解できる。
僕は、ただ黙って彼女の言葉を受け容れる。
「館はあんなにも広いけど、お父様の味方は私だけ。
従者は彼と彼女以外、殆ど金で雇った、何のつながりもない他人よ。
貴族としての誇りを失った伯爵に誰も手なんて貸さない。
誇りを失った、金だけの貴族。爵位も買ったものだって。
散々な言われようだわ。だからこそ、唯一の肉親である私だけはお父様の味方でありたいの。例えもう、見向きもされなくても」
訥々と、言葉を詰まらせながら懸命に語る。
貴族としての権威の失墜、成金貴族としての扱い。父は慕われておらず、四面楚歌の状態。言葉の端々から、何となくだが状況が見えてきた。
お嬢様の指す、彼と彼女は昨日の執事とメイドのことだろう。昨日のやり取りがありながら、信頼関係のない間柄だったとしたら吃驚に値する。
「私の振る舞いが貴族らしくない、お飾りの貴族だって言われているのは知っている。
でも、お父様の力になるには貴族でなければいけない。
だから、私は拙いながらも貴族として振舞うのよ。
そして、貴方はそんな父と……私を救ってくれるかもしれない人材なの」
伏せられていた目が、僕をまっすぐと見据えている。
双眸には先程までの臆病さは影も形もなく、確固たる決意の光が灯されていた。
……勇気のいる発言だ。
貴族でありながら貴族を否定する、他人に聞かれてはいけない、敵を作る言葉。
僕が誰かに零してしまう可能性も考慮している筈だ。
それにも関わらず、話してくれた。
人によっては、リスクを顧みない稚拙な行為だと思うかもしれない。
だが、これは打算なき行い。僕を信頼してくれている証左。
僕が彼女の性質を推測したように、彼女もまた、僕という人間を見定めたのかもしれない。
信頼には、信頼で報いたい。
それに……。
「……どこか、似ているのかもしれないな」
僕が母を想うように、この子も父を想っている。
僕は恵まれない環境にいて、彼女は裕福な環境で育って。僕が母から愛を受けたのに対して、彼女は見向きもされなくて。
けれど、実の親を想っている。
似ていないようで、似ているのだ。
……ならば、僕も多少は手を貸すべきなのだろう。
僕もまた、本心では母の幸せを望んでいる。同じ望みを持つ人間の妨げをするのは、僕の本意とするところではない。ともすれば、僕自身を裏切ることにもつながる。
「分かった、協力するよ」
思考の末に、賛同の意思を示す。
僕の言葉に、一瞬彼女は目を丸くして……。
「本当!?」
食いつくように、端正な顔が急接近する。
視界一杯に広がる、花の咲くような可憐な笑顔。
まさに喜色満面といった様相。
慮外の出来事だったのか、今にも舞い上がりそうな雰囲気だ。
少女然とした振る舞いに、僕は苦笑いしながら告げる。
「……まずは、事情を聞かせてほしい」




