30秒の死闘 終
「「『茨姫の血を以て、冷たき心を穿つ』」」
輪唱するように、詠唱が響き渡る。
執事は背後に後衛が控えている為、後退できない。僕の、速力に任せた暴力を足で、剣で、脇で、ひたすらに受け止める。
無理矢理空けた脇腹を蹴り、兄妹を一直線上に並べた。
「「『永久に、訪れることない春を願い』」」
最後の詠唱と共に、僕は背後へと跳躍した。
――20秒が経過。疾風の効果が消える。
この一撃を以て、勝負を決する――!
「「『氷槍』!!」」
そして、魔法は放たれた。
魔眼がメイドの前方に強大な魔力の出現を確認。次いで、体内から急速的に魔力が失われていくのを知覚する。
魔眼を維持するだけの魔力を残し、残った魔力は全てこの一撃に注ぐ。
スローモーションに映る世界の中、僕の眼前に白い靄が現れる。
魔眼が魔法の発動を確信する。
――博打に勝った。
身を震わせるほどの高揚感は、即座に別の感情によって塗りつぶされた。
視界の中、執事が血走った眼で虚空を睨み据えていた。その虚空とは、即ち僕の魔法が出現する座標。
かつてないほどの悪寒が総身に走る。数々の戦闘経験によって養われた、第六感が何かがマズいと訴えていた。
……何を不安に思う必要がある。
僕は自分を叱咤し、感情に蓋を閉め不安を押し殺した。
そして、引き延ばされていた現実が圧縮される。
刹那、耳鳴りと共に爆発音が響き渡った。黒一色の夜景が白色の靄によって塗りつぶされていく。高速で射出された第四節魔法の衝突。その瞬間に、僕は確かに血飛沫が舞い上がったのを目の端で捉えた。
僕が放った魔法の軌道上には執事とメイドがいた。殺すつもりで魔法を行使した。そして、白色のキャンパスに散った赤色は二か所。執事とメイド、それぞれに命中したことが窺える。
確信しても良い筈だ。僕が、勝利したことを。
だが、油断してはいけない。致命傷を与えたとはいえ、相手を殺し切れていない可能性もある。
即座にここから離脱するべきだ。
僕は背後を振り向き、叫んだ。
「アイリス――!」
それは約束していた合図。馬車を走らせてくれという下知。
頷いたアイリスは、馬を走らせようと手綱を振り上げ――。
上がった腕が、硬直した。彼女の瞳は、信じられないものを見たかのように瞠目していて……。
僕の首筋に、冷たい感触が走る。
「……す」
僕の頬に、生温かい何かが付着する。この馴染みのある感触には、心当たりがある。
ゆっくりと正面へと向き直ると、そこには幽鬼の如く屹立している男の姿があった。
「終わり、です」
男の左肩は抉れているものの、致命傷にはなり得ていない。携えた剣は刀身が半壊しており、剣先は影も形もない。
血反吐を吐きながら、彼が告げた。
「……投降、してください」
言い終えると同時に喀血。僕の頬に血が散った。
「嘘、だろ……」
こいつは……。
この執事は……。
――剣で、僕の魔法を逸らしたのだ。
それは僅かなものだったのだろう。彼の背後に控えていたメイドは、肩を穿たれ気絶していた。
狙いがズレた。いや、ずらされた。執事が身を捩り剣先で魔法を軌道修正。魔法は正面から衝突せず、交錯様に爆発し更に軌道がズレた。威力の減衰した僕の魔法がメイドに突き刺さった。
そうとしか、解釈できない。
僕は目立った外傷こそないものの、魔力はあと十秒もしない内に底を尽きる。
そうなると、短剣一本のみで執事に立ち向かわなければならない。
いっけんすると、重傷を負った執事の方が不利のように思えるが、そんなことはない。
僕は疾風の反動で、思うように足を動かせそうにない。
何より、既に首筋に刃が当てられている。
……詰み、だ。
彼の技量と執念を甘く見ていた。できることは全てやった。それでも尚、僕は及ばなかったのだ。
オールドマギと交代だ。最初は倫理観を持っていかれた。代償として、次に何を持っていかれるのかは分からない。
そもそも、この現状から彼が勝利できるのかも分からない。
僕が敗北を受け容れ、眼を伏せた。そのときだった。
「『英雄従えし昏き姫』」
天使のような歌声が戦場に響いた。
その場にいた誰もが、声高に歌う声の主に目を向けた。
馬が牽く荷車。その中で眠っていた筈の少女が。銀色の長髪を棚引かせ、赤子に聞かせるような優しい声音で詠唱句を諳んじていたのだ。
「『凍てつく心は血に通う』」
その双眸は、妖しく朱色に輝いていた。
「君は、一体……」
「『千代に八千代に。不倶戴天を討つまでは』」
僕の疑問に答えることはなく、少女は歌い上げるように詠唱を続ける。
その姿に、昨日見た幼い様相はない。まるで、別人に乗っ取られたかのような印象さえ受ける。
だが、不思議と不安はなかった。それどころか、昨日感じた時よりも強い高揚と使命感が身体の底から湧き出てくるようだった。
「『遠き日の誓いをここに』」
「五節もの詠唱、だと……?」
割れた刃先から執事の震えが伝わってくる。
誰もが、少女から目を離さずにはいられなかった。
戦場に突如として現れた神の如く、不可侵の存在の如く、誰もが眺めつつも害しようとは思わなかった。
少女の瞳が僕を捉える。童女とは思えない妖艶さを伴う流し目に、僕の身体が硬直した。
「受け取れ、我が英雄よ! 『従騎士への施し』」
凛とした声が僕の耳朶を貫いた。
同時に、僕の身体をかつてない充足感が満たしていく。それまでの痛みが嘘のようにひいていき、疲労と引き換えに全身が活力に溢れていくのを感じる。
「なっ……!」
執事の目線が少女から僕の右手へと移る。
僕の肉体を回復するのは飽くまでもついでだと言わんばかりの光景が、そこにはあった。
彼が狼狽したのも刹那。すぐさま壊れた片手剣が振り上げられる。
僕は残り数秒もない魔眼で彼の動作を見上げつつ……。
過去最高の速度で、僕は右腕に握る黒塗りの剣を振った。
「ッ!?」
執事の息を呑む音と共に、剣が弾かれ空を舞う。
僕は、まるで伝説の勇者が佩いているような片手剣を振り上げる。
重さは変化する前の黒短剣と何ら変わりない。羽根のような軽さを持ちながら、威力は執事の握っていた片手剣より遥かに高い。
半壊した片手剣が地に突き刺さる。その剣身は最早ナイフと遜色ないレベルにまで削がれていた。切断された刀身が片手剣の横に音を立てて転がった。
それらの光景を尻目に、僕は叫びながら剣を振り下ろした。
「アイリス――!」
馬の嘶きと共に、宵闇を切り裂くような袈裟懸けが放たれた。
決着。
次話にて序章最後の話となります。




