エピローグ 帰郷
タケルはバスから降りるとすぐに、大きな深呼吸をした。新緑が目に眩しい。
「トウコ、やっと帰って来れたよ。ここが俺の育った17村だよ。なんか、子供の頃より建物が増えてるけど、遠くに見える山は記憶のままだ。一面にある田んぼも変わらないなぁ。」
タケルは懐かしさに自然と笑顔になる。
「私もここに来たかった。」
同行しているトウコも、感慨深そうに辺りの景色を眺めている。
「早く診療所へ行こう。サーちゃんとトオルが待ってる。」
タケルは、トウコの手を引っ張るように出張所へと急いだ。
タケルは30歳になっていた。実に15年ぶりの帰郷である。本当はもっと早く帰って来たかった。でも、仕事に忙殺される毎日でなかなか帰ることが出来なかった。
タケルは5年前、正式に深山家と養子縁組をした。これからはソウタの後を継ぎ政界に出て行く予定だ。
人工ゲノムに関する法律や行政の調整、そして開国間もないこの国の防衛など、考えなければならないことは山のようにある。ビッグデータを扱うワタルや、今はアメリカで外交官として働くジュンの助けを借りながら試行錯誤の毎日を送っている。
最初は児童カウンセラーとして働いていたトウコも、タケルに協力する為に仕事を辞めてくれた。
仕事に誇りを持っていたトウコには申し訳ない事をしたと詫びたが、「これはこれですごくやりがいがあるわよ。」と笑って許してくれた。
一度だけ、トウコに激しく怒られたことがある。
トウコが自分の子供を望むなら、トウコの幸せのために別れた方がいいかも知れないと言った。
「本当にそう思ってたなら、さっさと自分から別れを決めるわよ!あなたと共に行きたいと思っているからそばにいるんでしょう?
タケルが負い目を感じて私といるのが辛いんならそう言えばいい!私の為だなんて言い訳するのはずるいわよ!」
そう言われて、タケルは何も言い返せなかった。ただ、ごめんとしか言えなかった。
結局、タケルは未だにズルズルと結論を出せずにいる。いつかプロポーズしたいと言う気持ちはあるのだが、言い出せない。
(本当に情けないな俺・・)
タケルは自分の不甲斐なさで、心の中でトウコに謝ることしか出来なかった。
出張所のバス停から5分ぐらいで診療所に着いた。
「小さな村だから、主要な施設はすぐそばにあるんだよ。」
「そんな近い距離しか歩かないのに、何人も声掛けられて。みんなすぐにタケルのことが分かるのね。タケルがどんなに愛されていたのかがよく分かって、私も嬉しかったわ。」
トウコがくすくす笑いながらそう言った。
「みんな、親戚みたいなもんだからね。」
タケルは照れ笑いをしながら、診療所のインターフォンを押した。
「どちら様ですか?」
スピーカー越しから若い女の人の声が応答してきた。
「タケルです。サーちゃんとトオルはいてますか?」
タケルがそう答えると、ドアの向こうからバタバタと慌てたような足音が聞こえ、診療所のドアが開かれた。
「タケル君!!久しぶり。やっと帰って来れたのね。奥にトオル君とサーちゃん先生も居るわ。さあ、中に入って!」
若い女性はニコニコとそう言った。その笑顔には見覚えがある。
「もしかして、メグミ?やっぱりそうだ。すっかり大人になってる!」
そう言われてメグミはコロコロと笑った。
中に入ると、サエコとトオルが出迎えてくれた。
トオルは5年前に村へ帰り、サエコの後任としてこの村の駐在医になっている。サエコはまだまだ現役で、厳しくトオルの指導にあたっていると聞いた。
サエコの横に3歳ぐらいの女の子が座ってこちらを不思議そうに見ていた。
「ばあば、だあれ?」
舌足らずに話す姿が可愛らしい。
「僕の娘のチホだよ。チホ、この人達はパパのとっても大事なお友達だよ。」
トオルは目を細め、優しく娘にそう言った。
「可愛いな。トオル、お前が幸せそうで俺も嬉しいよ。」
トオルがメグミと結婚し、子供まで産まれていると聞いた時は本当に驚いた。そして、チホに話しかけるトオルの穏やかな姿を見て、涙が出そうになった。
「チホちゃんって言うのね。私はトウコよ、よろしくね。」
トウコがチホに笑いかけ、握手しようと手を伸ばした。チホが恥ずかしそうに、「こんにちは。」とトウコの手を握った。その仕草がとても可愛らしい。
タケルは微笑ましいのと同時に、トウコに対して申し訳なく思った。トオルは家族を作る時、迷いは無かったのだろうか?いや思慮深いトオルが迷わない筈はない。
(トオルの話を聞きたい。)
トウコを見ながら、そんなことを考えた。
1週間、村での休暇を楽しんだ。
坂下のじいちゃんはもう90歳を超えていると思うのだが、いまだに現役で矍鑠としてた。
「よう、タケル元気だったか。ずいぶん背が伸びたなぁ。」と歯の抜けた大きな口で笑っていた。
「じいちゃん、俺もう30歳だよ。もういい大人になってしまったよ。」
タケルがそう言うと、「まだまだ子供だな。」と言われてしまった。
坂下のじいちゃんには幾つになっても敵わない。
この村に来た次の日には、フミカの実家に行った。
飯島のおじさんおばさんは、迎え入れてくれるだろうか。タケルの余計な一言がフミカの事故に繋がったと、恨まれていても仕方ない。
玄関の前で緊張するタケルの手をトウコがそっと握ってくれた。
「大丈夫よ。私がいるわ。」
タケルは恐る恐る玄関のチャイムを鳴らした。
「どちら様ですか?」と懐かしい声が聞こえた。マチコおばさん、フミカの母親だ。
「ご無沙汰してます。タケルです。」
タケルがそう答えると、相手は少し驚いたようだっが、すぐに玄関のドアが開き、おじさんとおばさんが笑顔で招き入れてくれた。
「今更謝っても仕方ない事ですが・・・、俺が余計なことを言わなければ、フミカは事故に遭わなかったのかも知れません。どう謝罪すればいいのか、今になってやっとここに来ることが出来ました。本当に申し訳ありません。」
タケルは深く深く頭を下げ、謝罪した。
「タケルが気に病むことはない。確かに今でもフミカの死を受け入れているわけではない。・・・でもね、これを誰かのせいして恨んでいては俺たちも楽になれないし、何よりフミカが大好きだったタケルのことを恨んでいては、死んだ後にフミカに怒られてしまう。それよりも、フミカの写真に話しかけてくれないか。」
フミカの父、トシオはそう言いながら微笑んだ。
フミカの部屋はまるで時が止まったかの様に、タケルの記憶のままだった。みんなで集まり、ここでグループ学習の相談をしたことを思い出す。
畳の床にベッドと小さな本棚がある。そして、日当たりの良い窓の横に勉強机があり、笑っているフミカの写真と花が花瓶に飾られていた。
タケルはフミカの写真に話しかける。
「フミカ、今まで来れなくて本当にごめんよ。俺、怖くて来れなかった。
フミカの気持ちにも気付かないで・・・、俺本当に鈍感だから、それでどれだけフミカのことを傷つけたんだろうって。本当にごめん。」
鼻の奥がツンとして、目から涙が溢れた。トウコが横で優しく背中を撫ぜてくれる。
「フミカちゃん、私もここに来れてよかった。本当に優しく微笑うのね。あなたに会いたかったわ。
あなたの思いを引き継ぐ事ができるように、私頑張る。だから、タケルの事見守っていてね。」
トウコは何か覚悟を決めたかのような、優しくも精悍か顔つきになってフミカの写真を見つめていた。
「俺もフミカの分まで、頑張って生きなきゃいけないよな。フミカ、お前は本当に俺達の最高の仲間だったよ。」
タケルも、今まで有耶無耶にしていたことに決着をつける決心の様なものが芽生えてくるのを感じた。
村外れの小さな納骨堂へも行った。
ここはタケルがいた頃にはまだ無かった。中には村で亡くなった人の遺骨が収められて、お参りができるようになっていた。フミカと轟の遺骨がここで眠っている。
サエコに案内され、慰霊碑の前で手を合わせた。
「まさか、あの人がこんなに早く亡くなるなんてね。
チホが産まれるのをすごく楽しみにしていてね・・・、産まれた時はすごく嬉しそうだった。その後、すぐに逝ってしまったんだけど、すごく穏やかな顔をしていたわ。
最後の時を一緒に過ごせて、本当に良かった。」
サエコがしみじみとそう言った。
轟は3年前、肝臓癌でこの世を去った。
自分の健康に無頓着で、健康診断も行ってなかったらしい。体調不良が続くのを心配した助手に無理やり病院に連れて行かれた時には、もう手の施しようが無かったそうだ。
それを知らされたサエコが動けるうちにと村に呼び寄せた。ここに来て半年後、轟はサエコに見守れながらこの世を去った。
「博士、本当にサーちゃんのこと好きだったから、最後に一緒にいられてよかったね。」
タケルがそう言うと、サエコが寂しそうに微笑みながら言った。
「私も、ずっとあの人に恋焦がれてたわ。」
タケルは驚きはしたが、同時に優しい気持ちになった。たぶん轟は心穏やかに最後の時を過ごすことが出来ただろう。たとえ、短い時間だったとしても、二人は幸せだったのだろうと思えた。
最終日の夜、タケルとトオルは二人で酒を酌み交わした。二人ともあまり酒に強い方ではないが、お互い呑みたい気分だった。
「チホちゃんを産もうと決めた時、迷いとかは無かったの?」
タケルの素朴な疑問に、トオルは笑い出した。
「相変わらず、ストレートに聞いてくる奴だな。迷いが無かったと言えば嘘になるけどね。
・・・そうだな・・・、この村がね、この村が本当に普通に僕を受け入れてくれたんだ。だから、自然な流れでメグミと結婚してチホが産まれた。
大恋愛という感じでは無かったけど、僕とメグミの間には確かな絆があると感じたんだ。だから、妊娠を告げられた時は、心から嬉しかった。僕も普通の人間になれたのだと心から思えた。
僕の子供に拒否反応を示す人もいるだろうけど・・・、僕は今幸せだし、家族を守るためなら何を犠牲にしても構わないと本気で思えるよ。」
淡々とではあるが、トオルが本気で家族を守ろうとしている事は、痛いほど伝わった。
「トオルは本当に幸せなんだな。」
タケルは、心の底からおめでとうとトオルに伝えた。
トオルは少し照れ臭そうに。「ありがとう。」と答えた。
帰りの列車の中、タケルとトウコは向かい合わせに座り、口数も少なく流れる景色を見ていた。
向かい合わせで無言でいたが、二人の間には優しい空気が流れているような気がして、タケルはトウコのことを本当に愛おしいと感じた。
「ねえ、トウコ・・・。」
タケルが声をかける。
「なあに。」
トウコがにっこりと微笑みタケルに答えた。
「俺・・・、やっと決心が付いた。俺、トウコと結婚したい。ずっと怖くて言えなかったけど・・・、肝心な時に情けない俺だけど、俺と家族を作ってくれませんか?」
トウコの瞳に涙が溢れてきた。そして頷いた。
「ずっと待ってた。でも、私からは言えなかった。嬉しい。」
タケルはトウコの隣の座席に座り直した。
いつか子供が産まれて、親子で村に訪問できたらどんなに幸せだろう。タケルはそんな事を思いながら、トウコの肩を優しく抱きしめた。




