ニーナは探し屋さん
「ここにも爪痕が残っているな」
馬を降りた私たちは、魔獣の痕跡を見つけながら歩いていた。経験豊富なエルートは、痕跡を見つけるのが上手い。魔獣の爪痕は、太くて堅固な樹の幹を深く抉り取っていた。その高さは、私の肩ほどもある。どれほど大きいのだろうか。進行方向に向けた盾を握る手に、力が籠った。
それは、突然のことだった。ガサガサと微かな音がしたと思ったら、黒い塊が私の脇を凄い勢いで通り過ぎた。匂いがふっと後方に移る。私は盾を持って振り向いた。
黒くて、丸い。2本の細い脚がひゅっと伸び、長い首がもたげられた。丸い体に、長い首が生え、小さな頭が乗っている。その目は、ぎらぎらと赤く燃えていた。魔獣だ。
「ゲェッ」
濁った、荒々しい鳴き声を鋭い嘴から放つ。鳥のようだが、羽を広げることはしない。代わりに片足を持ち上げ、踏み込んだ瞬間、真っ直ぐに走り込んできた。
一瞬のことだった。アイネンが、構えた盾で魔獣をいなす。また通り過ぎて行った魔獣の方に、私も全身で振り向く。
「厄介な鳥だな」
「魔女さん、無理に受けようとするなよ。僕達が庇うから。奴の突撃を受けたら、全身吹っ飛ぶ」
魔獣から視線を逸らさずに、レガットがそう教えてくれた。確かに、あの勢いは尋常ではない。
だからと言って、私は攻撃の避け方を知らない。ただ、盾の持ち手を握りしめただけだ。
「大丈夫。もう奴のやり方はわかった」
レガットが、じり、と半歩踏み出した。呼応するように魔獣が脚をもたげ、踏み込む。鳥の魔獣の突撃はあまりにも速く、黒い影のようにしか見えない。間近に現れた鳥は、レガットの構えた盾に向かって脚を振り上げていた。
下される鋭い爪を、レガットが盾で斜めにいなす。逸れた軌道の先に、アイネンの置いた剣先があった。すぱっと、爪が飛ぶ。
ゲェ、と魔獣が鳴く。おぞましい鳴き声が途中で消えたのは、エルートが首を跳ね飛ばしたからだ。しゅう、と黒い霧が吹き上がり、無くなった首の先から消えていく。
一太刀。瞬きをする間もなかった。改めて、王宮騎士である彼らの手際の良さに感心する。最近共に討伐に出ていた若手の騎士は、持久戦に持ち込み、少しずつ魔獣を削っていた。それと比較すると、あまりにも鮮やかだ。
首と片足を失った真っ黒な巨鳥は、勢い良く霧を吹き出しながらふらつく。全身が消えるのは、時間の問題だ。盾を構えたまま、私と騎士達はそれを見守る。
ふらふらしていた魔獣の足が、不意に地面を捉えた。
「あ」
と思ったのも束の間。捉えた地面を踏み込み、魔獣は最後の力を振り絞って蹴り出した。丸く重い胴体が、鈍い音を立ててぶつかる。盾でまともに受けたエルートの体が、鞠のようにぽーんと飛んだ。
がしゃ、と金属のぶつかる音。エルートは宙を飛び、背中を樹に衝突させて止まった。樹にもたれるようにして地面に座り込むエルートの腹部に、盾と魔獣の胴体が落ちた。半分ほど霧になった魔獣の体が、ゆっくりと解けてゆく。
「エルートさん!」
「行くな!」
アイネンが私の腕を掴んだ。魔獣が、完全に消えてなくなるまで。エルートの黒い騎士団服の上に黒い心臓が転がるのを見届けてから、やっと私の手は離された。
今度こそ駆け寄る。エルートは顔を顰めていたが、自分の手で、腹部に乗っていた盾を退けた。
「……すまない」
喉の奥から絞り出すように話すと、また顔を顰める。どこか痛めているらしかった。宙を飛び、あれだけの勢いで樹にぶつかったのだから、怪我をしていてもおかしくなかった。
アイネンが肩を貸し、エルートを立たせる。動く度に顔を顰める様子が痛々しい。アイネンと肩を組んだまま、エルートは溜息をついた。
「お前らしくない」
「悪い。気が散った」
剣を鞘に戻し、視線を上げる。アイネンが手を離すと、エルートは自分の足で体を支えた。重い怪我ではなさそうだ。私は少しほっとして、彼の様子を伺った。エルートは、渋い表情をしている。それは痛みとは、別の感情に見えた。
「他人には万全の状態で臨めと言っておきながら……」
悔恨。悔しい気持ちを、苦々しく奥歯で噛み潰すような。エルートはそんな顔で、レガットに視線を向けた。
「すまない」
「いや……何だよ急に。倒したと思って不意打ちを喰らうなんて、誰にでもある失敗だろ」
あまりにも真っ直ぐな謝罪に、レガットはたじろぐ。フォローを受けても、エルートは表情を変えなかった。溜息をつき、最後にもう一度「すまない」と謝罪してから帰路についた。
騎士団に帰り着いてから、エルートは薬師に診てもらうべきだと主張したのは、アイネンだった。エルートは嫌そうな顔をしていたが、レガットに「カルニックは最近療養室にいないらしい」という情報を貰い、渋々出て行った。
「奴は怪我に慣れていないからな。きちんと治して貰わねば、私達が困る」
「またそう言って、心配なくせに素直じゃない奴だな……いって! 踏むことないだろ!」
「何の話だ」
エルートの背を見送り、軽口を叩くレガットの足を、アイネンが踏みつけて咎めた。おどけて飛び跳ねるレガットの表情は、いつものように柔らかだ。
「普通に歩いてたし、すぐ戻ってくるだろ。先に飯を食いに行こうぜ」
レガットの合図で、私達は食堂に向かった。
冷えた廊下から食堂に入ると、たくさんの人と食事の熱気で、むっとした空気に出迎えられる。その中に、薬草の香りもたっぷりと混ざり込んでいた。通り過ぎたテーブルの騎士も、半分ほど食べ終わった肉の煮込みに薬草を振りかけている。
同行した騎士達から薬草が広まり、今では、多くの騎士が口にしてくれるようになった。直接面識のない騎士ばかりだが、私の存在を認めてもらえたようで、その様子を見ていると嬉しい気持ちになる。
「魔女さん、うまく宣伝したよね。皆食べてるじゃん」
「食う奴の気が知れないな。得体の知れない薬草を」
「お前、まだそんなこと言ってんの? 他の奴より僕達の方が、絶対魔女さんに詳しいだろ」
やれやれと肩を竦めながら、レガットは席に着く。彼に勧められて向かいに腰掛けると、アイネンは通路を挟んで向こうのテーブルに着席した。
「魔女と一緒に飯を食う気はない」
という訳だ。アイネンの頑なな態度は、私の胸をちくりと刺す。でも、本来ならそんな風に、粗雑に扱われても仕方がないのだ。周りが余りにも優しいから忘れがちな身分を、アイネンの厳しい態度は思い出させてくれる。
「あいつも頑固だから。旨いんだけどね、これ」
レガットは煮込みに薬草を振りかけ、大きく切り分けて豪快に口に運んだ。ひと口、ふた口。ごっくんと喉を鳴らして飲み下すと、口端のソースを布で拭った。
「魔女さんのおかげで、久々にまともに飯の味がわかったよ」
「そうなんですか?」
「ああ。どうしても妹のことが気になって、食事が喉を通らなくてさ。体が持たないから無理やり食ってたんだけど」
そこで台詞を切り、また肉を口に運ぶ。
軽薄そうなレガットは、妹のことになると、真摯に思い悩む。今も匂いを一方向に向かって強く放っている彼は、妹のことが気になって仕方がないはずだ。
それを隠して普通に振る舞っている仮面の厚さは、私には真似できない。
「ちなみに、妹はどの辺りにいるの?」
「方向しかわからないのですが、あちらの方に」
「南東か。とにかくずっと進めば良いんだよね? 2日あれば足りるかな」
気付けばレガットの皿は、すっかり空になっていた。私はまだ半分も食べていないのに、圧倒的な早さだ。水をごくんと飲みながら、レガットはアイネンに顔を向ける。
「僕、妹を探しに行くから」
「夜通し駆ける気か? 凍えるぞ」
「そんなの、慣れてるだろ。エルートには言っておいてくれ」
レガットはアイネンに告げると、私に向かってウィンクをかました。
「ありがとね、魔女さん。とりあえず東に行ってみるよ」
「え、今からですか?」
「勿論。きっとどこかの医院にいるんだろうけど、音沙汰ないのは心配だから」
「そんな……」
いくら方向がわかったからって、それで見つかるものだろうか。確かに匂いの向いた方向を追えばいいのだけれど、居場所が変わりでもしたら、もう見つからなくなってしまう。
「……私もご一緒した方が良いんじゃ」
「いいの? 僕は助かるけど」
確実に妹を見つけるのなら、私が一緒にいた方が良い。魔獣を探す訳ではない。あるとすれば、悪党に襲われる危険くらいだ。それも、レガットが一緒なら手を出せないだろう。騎士を襲ったところで、返り討ちに遭うのが関の山だ。
「でも、さすがに僕と二人で、夜出歩くのは人聞きが悪い。なあ、アイネン」
「私を巻き込もうとするな」
アイネンは、皿に残った最後の一切れをフォークで刺し、品の良い手つきで口に運んだ。レガットは、期待に満ちた眼差しを向けている。そんな風に見ても、アイネンはきっと付いてこないだろうに。
静かに咀嚼し、肉を飲み込んだアイネンは、小さく溜息をついた。
「……騎士とは、何を置いても市民を守るもの。お前はともかく、その妹は守るべき市民だ」
「助かる。持つべきものは友だな」
「お前と友になった記憶はないが」
消極的な態度ではあるが、なんとアイネンは同行してくれるらしい。頑固な彼の意外な一面を見たようで驚いていると、アイネンはぎろりと私を睨んだ。
「早く食え」
「あっ……すみません」
慌てて肉を口に放り込む。私の傍では、アイネンとレガットが何やら話し込んでいた。
アテリアの作る料理は美味しいのだけれど、いかんせん量が多い。あと3分の1ほど残して、どうにも胃に入らなくなってしまった。服の上からお腹を撫でると、明らかに皮膚が張っている。
いつもなら、エルートが食べてくれたり、他の騎士が事前に取り分けてくれたりするのだ。レガットに頼んでおけば良かったのに、うっかりしていた。
「あれ、もう食べられない? 女の子には多いかもね」
レガットがさらりとした動作で皿を引き寄せ、そのまま残りを口にした。
「お前……品性に欠けるな」
「夜駆けするんだから、腹ごしらえしておかないとな。さ、さっさと行こう」
あっという間に平げ、レガットは立ち上がる。すたすたと歩いていく2人の後を、私は追った。
「エルートさんには、お伝えしなくて良いんでしょうか」
「うん? 大丈夫だよ。あいつならわかっているから」
「そうですか……」
いつ、エルートに伝えたのだろう。疑問は浮かんだが、レガットがそう言うのならそうなのだろう。
今日討伐に出たアイネン達は、明日は元から休みの予定らしい。玄関口で目的と行き先を告げれば、外に出ることができる。「上手く言っておくから」ということで、私は玄関での報告をレガットに任せた。待っている間に、防寒具の留め具をきつく締める。
「寒いから、覚悟しといてね」
囁くように告げ、レガットは扉を開く。ひゅう、と冷たい風が一気に吹き込んできた。
「わ……」
一瞬、寒さを忘れる。真っ暗な空に、満天の星空が広がっている。頭上から降ってきそうなほど、細かな白い星々はあちこちに煌めいていた。
「悪いけど、僕に同乗してもらうよ。僕達と違って、君は予備の馬はいないから」
そう断りながら厩舎に向かったレガットは、「あれ」と驚きの声を上げた。
理由は、すぐにわかった。暗闇の中に、ぬっと突然現れた大きな影。ぶる、と鼻を鳴らす音がして、白い吐息が丸く現れる。
「何でこいつがいるんだ」
アイネンが、声に警戒を滲ませる。私が黒馬に近付こうとすると、アイネンが塞ぐように前に立った。
「奴は危険だ。近寄るな」
「たぶん大丈夫です。私、あの子に乗せてもらったことがあるので」
「ほんとに? 魔女さん、暴れ馬も手懐けられるんだ。凄いね」
アイネンが傍に逸れたので、私は今度こそ黒馬の前に立つ。そっと、その鼻先が私の頭に触れた。手を伸ばして滑らかな額を撫でると、外気に冷やされた毛皮はとても冷たかった。
「本当は勝手に馬を連れ出したら駄目だけど、こいつは普段から勝手に走り回っているからね。魔女さんがいいなら、こいつに乗ればいいんじゃない」
「いいんですか」
声の温度が一段上がったのが、自分でもわかった。澄んだ冷たい夜の中を、黒馬と共に駆けたら、きっと最高の心地がするだろう。
こうして私達を乗せた3頭の馬は、ひっそりと、静かな夜の中に滑り出して行った。




