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side:レガット

「お兄ちゃん、無理はしないでね」


 妹のカーサは、ベッドに横たわったまま、乾いた声で弱々しく言う。美しい銀の髪が、ベッドに乱れて広がっている。ここ数日妹は体調が悪くて、起き上がるのが困難になっていたらしい。調子が良い日は近所を散歩できるくらい元気なのだが、天気が悪くなると、妹の体調も悪くなる。今日は雨。彼女の出かけられる天候ではない。

 ここは、王都の片隅にある小さな共同住宅の一部屋だ。王都の家賃は、田舎者である僕には法外に高く感じられる。しかし、王都に家を構え、病に効く薬を買い、カーサの世話をする使用人を毎日雇ってもまだ余るのだから、騎士団で得られる報酬は凄まじい。


「大丈夫だよ」

「なら、よかった」


 僕が安心させるように言うと、カーサは口角を僅かに上げ、僕と同じ緑の瞳をそっと閉じた。死を思わせるほど、静かな眠り。腹部が規則正しく上下しているのを確認し、僕は安堵する。


 僕が騎士になることを決めたのは、カーサが病持ちだと分かった頃だ。僕は、5歳の頃に生まれた妹を、心底可愛く思っている。妹は小さくて、のんびりしていて、よく寝ていて、そして体が弱かった。

 昔、カーサが体調を崩して死にかけた時、両親はなけなしの貯金を全てつぎ込んで医師に見てもらった。そして、彼女は生まれつき、病にかかりやすく、病が重くなりやすい体質だとわかった。似たような体の人は、稀にいるそうだ。そしてその体質は一生治ることがなく、大きな病に罹らず生き続け、大人になれれば御の字だとか。その時は、普通なら少し休めば治る風邪を、こじらせていたという。

 

 大したことない病気でも、すぐにこじらせ、それが命にかかわる。病が判明してから、カーサはそれまで以上に人と関わらなくなった。病にかからないために、できるだけ誰とも関わらない。病を追い出しやすくするために、体調を整える効果のある、不味くて苦い薬を飲み続ける。

 命を繋ぐためには、とんでもない不都合が生じる。愛想が良いと皆に可愛がられていたカーサの表情は、曇りがちになった。

 皆と同じように、いや、誰よりもカーサを可愛がっていた僕は、愛らしい笑顔を取り戻したいと思うようになった。


 薬は高くて、田舎の両親が買い続けることはできなかった。それで僕は、騎士になることを目指したのだ。田舎に住む僕が、薬を買えるほどの高給を得るには、騎士くらいしか夢がない。


 自分なら騎士になれる気はしていた。幸いにして運動はよくでき、頭も良かった。顔も良いから、騎士の素質はあると思っていた。

 ただ、騎士試験を受けるためには、有力者の推薦が必要であった。僕がどのようにして、騎士団に口の利く権力者に取り入ったのかは思い出したくもないが──この、誰もが賞賛する飛び抜けた容姿が役に立った、とだけ言っておこう。


「よりによって、一般人と同室とは。最低だ」


 アイネンの台詞を思い出し、懐かしくて薄く笑う。


 晴れて騎士団に入った僕は、実績を積み重ね、権力者への顔売りを重ねて、死にものぐるいで王宮騎士団入りを果たした。

 騎士団では、身分はあまり重んじられない。実力が重視される世界だ。そうは言っても、一般人の僕が王宮騎士団に配属されるのは、稀有な例だった。

 王宮騎士団の寮に入り、2人1部屋の同室の相手が、アイネンだった。最初は嫌になるほど、目の敵のように嫌味を言われていた。今でも嫌味は変わらないが、僕の相談には耳を傾けてくれるし、貴族と接する時の振る舞いにはアドバイスをくれる。口が悪いだけで、心底嫌な奴ではないことが、だんだん分かってきた。


 魔獣の討伐は、3人1組が基本。いけすかないアイネンと、何を考えているのかわからない「命知らず」と組まされた時は外れくじを引いたかと思ったが、蓋を開けてみれば有能な2人と共に、僕自身も順調な成果を上げることができた。


「それじゃあ、僕は出かけるから……」


 眠っているカーサにそっと告げ、起こさないように部屋を出る。辛い夢でも見ているのか、眠りの中でも、妹が笑うことはない。

 僕は身支度を整え、後は使用人に任せて外に出た。


 道には、予め呼んでおいた馬車を付けさせてある。雨の日に肩が濡れている男など、惨めたらしくて好かれない。どんな天気でも爽やかで、魔獣の討伐譚で席を沸かせる、そんな騎士しか社交界では認められない。

 絢爛な装飾の施された馬車に乗り込み、天井に当たる雨音に耳を傾ける。屋根の下で、ぱらぱらと乾いた雨音を聴く。情趣のある雨は、嫌いではない。

 ただし、雨の中の討伐で、雨具に当たる雨音と濡れる騎士服は、面倒で大嫌いだ。


「ランガード家まで」


 御者に行き先を命じ、馬車の中で、楽な姿勢を取る。


 昨日は肉食魔獣の討伐に同行し、ちょうど降り出した雨によって、頭から足先までしこたま濡れた。正直言って、疲労は否めない。ただでさえ討伐は疲れるのに、あの天候だ。

 大体、エルートが魔女を連れてきて、自分の元から手放そうとしないから、討伐が優先的に回ってくるようになるんだ。僕は重い肩を回し、溜息をつく。


 元々、エルートは休日も魔獣討伐に出掛けるほどの熱心な男で、その腕前には定評があった。その上、どんな幸運か、魔獣を必ず見つけ出す魔女を見つけてきた。そんな人材、魔獣を探す騎士団としては、絶対に手放せない。

 魔女のことを一番理解しているのはエルートだということで、彼女の処遇には、奴の意見が大いに採用されている。奴が許さない限り、魔獣討伐という外れくじが、暫く回って来続けるだろう。

 考えると、また溜息が出る。行動を共にしている利点を生かして、魔女を自分の物にでもできれば良いのだが。彼女はエルートに惚れ込んでいるようで、こちらには見向きもしない。

 僕には、魔女との出会いという幸運を引き寄せたエルートを指をくわえて見ながら、命じられた討伐に赴く以外の選択肢はなかった。


 過ぎたことを言っても仕方がない。騎士の泥臭さなど、御令嬢との会食で匂わせてはいけない。僕は顔を引き締め、「爽やかな騎士」の仮面を身につける。


「やあ、ランガード嬢。ご機嫌いかがですか」

「レガット様……」


 僕が迎えに行ったのは、最近懇意にしている貴族のご令嬢だ。真っ白な肌、柔らかくカールした髪、細い体。なかなかの美人だ。そして何より、彼女が出てきたのは、かのランガード家である。


 騎士として働ける期間など、たかが知れている。僕が一生妹を養い続けるには、どう考えても足りない。騎士としての武を生かしてどこかの貴族の護衛にでもなる選択肢はあるが、そんなことをしたら、妹の顔を見られる日がさらに減ってしまう。

 僕は妹との時間を大切に、そして彼女の笑顔を取り戻すために、裕福な女性のところへ婿入りしたいのだ。今まで何人もの女性と触れ合ってきたが、何がいけないのか、上手く行ったことはない。ランガード嬢は、そろそろ2桁目になろうかという僕の相手だった。


「よくお似合いです」


 ランガード嬢は、僕が事前に送ったドレスを身につけている。淡い黄色の、布のたっぷりしたドレスは、可憐な彼女によく似合う。


 逢瀬の際には、女性に衣装を贈るものだと教えてくれたのは、アイネンだ。彼は騎士の異性交遊を是とはしないが、僕が初回の逢瀬で振られ続けているのを見かねたらしく、貴族の作法を教えてくれた。

 流麗な素振りで、彼女に手を差し出す。この作法も、アイネンに教わって練習したもの。作法を身につけてから、女性の笑顔を引き出すことはできるようになった。

 ところがランガード嬢は、いつもの可愛らしい笑みを見せることもせず、嬉しそうに僕の手を取ることもしない。もじもじと俯いて下唇をまごつかせている様子に、嫌な予感がした。


「悲しい知らせは、聞きたくありません」


 嫌な予感がしたから、そう先手を打ってみた。案の定ランガード嬢ははっと息を飲み、目をこぼれんばかりに丸くする。

 僕は、悲痛な表情を作って見せた。その顔で彼女の罪悪感をくすぐり、言い出せなくするねらいがあった。ランガード嬢は眉尻を下げて暫し口籠るも、目を閉じ、きっぱりと首を振った。

 この後に続く言葉は、想像がついている。もう会えないと告げる時、女性はこうして言いにくそうにする。何度もふられてきた僕だからこそ、その気配を感じ取れてしまうのだ。


「……いえ。お伝えしなければなりませんの」


 ほらね。

 鈴の鳴るような声音で告げられたのは、父が反対するからもう会えないという、何度も聞いたことのある台詞だった。

 僕が一般人の出だから交際できないというのなら、最初からそう言ってくれればいいのに。彼女に送った衣装代も、出かける際にかかった費用も、費やした時間も、馬鹿にならない。全ては僕と妹の未来のための投資だったのに、またゼロからのやり直しだ。


「左様でしたか。幸せな時間をありがとう、ランガード嬢」


 僕が怒りもせず、優美な仕草で礼を告げると、彼女は表情をぱあっと明るくさせる。

 令嬢同士の連絡網は、馬鹿にならない。対応を謝ると、誰からも相手をしてもらえなくなる。僕はできるだけ余裕のある振る舞いをし、家に戻る彼女を見送ってから馬車に戻り、馬車が揺れだしてから溜息をついた。


「うまくいかねえなあ……」


 騎士を目指すようにしてから封じていた、田舎の乱雑な物言いが思わず出てしまう。


 妹に生きていてもらえるなら、僕は自分自身の人生を捧げる覚悟があるのに。捧げさせてくれる女性すら、うまく手に入れることができなかった。

 どっと疲労感が押し寄せる。この疲れは、別れを告げられたことによるものなのだろうか。それとも、昨日の討伐のせいか。

 20代も半ばに近付き、討伐の疲れが、ほんの少しずつではあるが、癒えにくくなっているように感じる。体が衰えた時が、騎士としての引退の時だ。限界を迎える前に、次の場所を探さなくてはならない。


 焦燥感を抱える僕を乗せ、馬車は騎士団本部へと走って行く。雨音が、ひどく絶望的に聞こえた。

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