表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/52

エマのアドバイス

「雨止みを待って、迎えに来る。その頃には君の傷も、癒えているだろうから」


 暫く世間話を交わし、エルートは帰っていった。彼と共に去る花の匂いは、いつものそれよりも遥かにほのかで。私は自分の鼻がおかしくなったのだと思っていたが、まさか自分に向けられた匂いは、わからないなんて思いもしなかった。

 本当に、そんなことがあるのだろうか?

 私の疑念は、翌日には晴れることになる。


「ニーナ! 帰ってきていたなら、顔を出してくれれば良かったのに」


 店へ勢い込んで入ってきたのは、町長のルカルデだった。雨具は着ているが、彼の丸い体型には全くフィットしていない。室内に入ったルカルデが雨具を脱ぐと、体の下半分は雨で濡れてしまっていた。


「肌寒くなってきたな。……ああ、相変わらず、旨いのう」


 寒そうに肩を震わせたルカルデは、淹れたての熱いお茶をくいっと飲み干し、満足げに丸い腹を撫でる。

 ルカルデからは、彼特有の木の匂いがする。その匂いが戸外に向かって流れているのを確かめて、漸く私は、自分の鼻の機能は失われていないと確信を持った。それは同時に、エルートの仮説がますます信憑性を帯びてくることでもあった。

 私は本当に、エルートの匂いだけがわからないらしい。彼が私のことを、求めているから。


「疲れているようじゃな」

「えっ?」

「顔が赤いぞ、ほっほ」


 腹を揺らしてルカルデが笑う。私は、頬にさらに赤みが差すのを感じた。疲労ではない。顔が赤いのは、エルートのことを考えたからだ、きっと。

 彼のことを思うだけで頬が染まるくらいに、私は彼に恋をしている。「命知らず」と呼ばれて誤解されている彼の過去を尊重し、彼の役に立ちたいと思っている。触れられたら嬉しいし、話していると楽しい。そんな時間が、もっとほしい。

 の、だけれど。


 私が本心を伝えても、エルートには「俺が求めたから応えている」と言われてしまう。それ以上の何かを証明する方法が、私には思いつかない。

 エルートへの恋心に気づいたあの時、先に気持ちを伝えていたら、こうはならなかったのだろうか。後悔もするが、エルートの気持ちがわからない時点で自分から気持ちを伝えるなんて、暴挙だ。何度やり直しても行えない。今だって私には、求められていないことを自分からするのに、大きな躊躇いがある。


「やはり王都での仕事は大変そうじゃの」


 気持ちと現実の乖離を思って溜息をつくと、ルカルデにそう評される。

 私は曖昧に首を振り、笑顔を作った。


 止まっているともやもや考え続けてしまう全てを置き去りにして、私はルカルデと共に外へ出た。


「こんにちは、ルカルデさん」

「やあ、メリー。先日の結婚式は素晴らしかったそうだね」

「お陰様で! 次は孫の顔を見るのが楽しみなんですよ」


 世間話に相槌を打つと、ルカルデの腹はゆさゆさと揺れる。軒下でも風に吹かれた雨が降りかかり、決して快適とは言えない。なのに女性は、幸せそうな表情で笑っていた。


「あら、魔女さん。久しぶりねえ!」

「……お久しぶりです」


 頭を軽く下げると、雨具の端からぽたりと一粒、雨粒が鼻の頭に落ちた。


 ルカルデの匂いを追って彼の屋敷に着くと、例の如く町長夫人であるエマに歓迎される。彼の探し物はいくつかあったが、その全てがすぐに見つかった。そして私は、夫妻と共に食事の席についている。ルカルデの探し物を見つけた後の、恒例行事と化した会食だ。

 目の前には、エマお手製の野菜たっぷりスープ。気温が低いこともあって、素朴で温かなスープは、体の芯から染み入るような味わいだった。


「どうだね、王都での仕事は」

「何とかやれています」


 ルカルデとエマは、私が王都で働いていることは知っていても、騎士団で働いていることは知らない。仕事の内容を話すことはできないが、何とかやれているのは本当だ。命の危機に瀕したり嗅覚を失ったと焦ったりはしたが、とりあえず、私は今元気でここにいる。


「さすがじゃのう。わしが見込んだだけある」


 先ほどまで野菜しか入っていないスープに文句をつけていたルカルデが、今は満足げに腹を撫でている。


「王都なんて人もたくさんいるから、大変でしょう。困ったことはない? 悩みはない?」

「エマ、心配しすぎじゃ。ニーナはひとりでやれるだけの力を備えておるよ」

「でも……心配だわ」


 眉尻を下げて本気で案じてくれるエマと、鷹揚に構えるルカルデ。対照的なのに、二人はとても仲が良い。互いを尊重し、思いやりあっている睦まじさが、普段から見て取れる。


「いつもあなたが迷惑をかけてばっかりなんだから、ニーナちゃんの悩みは聞いてあげたいのよ」


 エマは、悪く言えばおせっかいだが、よく言えば心優しい人だ。彼女は今、私が悩みを話すことを望んでいる。


 悩みなら、ある。それも、エマが得意な分野の悩みだ。

 彼女は噂をすぐに広めるから、話し方には気をつける必要があるけれど、相談するなら今しかないように思えた。王都に戻ったら、相談相手はいない。騎士団にいる人は皆、私の相手はエルートだとわかっているからだ。

 私は少し迷い、それから、意を決して口を開いた。


「実は」


 エマの目が、きらりと輝く。


「……いいわねえ、初々しくて」


 私の相談をひと通り聞いたエマは、その頬を柔らかな手のひらで包み、うっとりと嬉しそうに言った。私は、相手が騎士であることは隠し、職場の人に恋心を抱いているのだけれど、伝える方法がないと話した。伝えようにも、「本心からじゃないだろう」と言われ、信じてもらえない、と。


「彼に本気だと伝えたいのね?」


 エマは、腕まくりをする。私は頷いた。私だってエルートと同じ気持ちでいることを、信じてもらいたい。


「それなら、行動するしかないわね。行動あるのみよ。人は口では何とも言えるから、行動しないといけないの」


 人差し指を立てて、エマはそう言った。指をくるくると回してから、私を指す。


「私がニーナちゃんを好きなのは、わかっているわよね?」

「はい、いつもありがたく思っています」

「そうでしょう? どうしてそう思うの?」

「エマさんはいつも、お宅に伺うと歓迎してくださるし……こうして食事も共にさせてくださること、普段から優しい言葉をかけてくださること、他にも……」


 ルカルデ夫妻は、私の恩人だ。こんな流れで感謝を伝えることになるとは思わなかったものの、日頃から抱いていた気持ちがぽろぽろと口から溢れる。


「ありがとう。伝わっていて嬉しいわ」


 エマは目尻を優しげに垂らす。この人の良さそうな笑顔も、彼女の魅力のひとつ。


「ニーナちゃんを『好きよ』と言うのは簡単なこと。そしてそれは事実だけど、『好き』と言っているのに挨拶もしない、外で会ったら無視をする、そんな対応だったら嘘だと思うでしょう。極端な例だけど、似たようなものよ。言葉はないよりあった方がいい。でも、行動で示さないと、信じてはもらえないわ」


 なるほど。私は深々と頷きながら、エマの回答に耳を傾ける。

 エマは噂話を吹聴してしまうのに、いつもいろいろな人に相談を持ちかけられている。不思議に思っていたが、この返答で納得した。相談に真剣に向き合い、適切なアドバイスをしようとしてくれる彼女の誠実さが、好ましいのだ。


「これから、木枯れる季節じゃない。愛を伝えるのには最適の季節よ。何かの思し召しかもしれないわね」


 エマは自分の台詞を、励ましの言葉で締め括った。


 言葉ではなく、行動で伝える。

 言われてみれば、私がエルートの気持ちを信じることができたのも、彼の日頃からの行動によるものだったと思う。理由のわからない優しさや配慮の理由が、好意にあると言われると、多少は納得できる。

 対する私が、自分の言葉をエルートに信じてもらえないのも、日頃の行いによるものなのだ。「求められたら応える」という原理で行動していたから、エルートの気持ちに応えようとしても「求めたからだ」と思われてしまう。

 今まで私がその信念に基づく行動を積み重ねてきたのだから、当然の話だった。

 一度痛い目に遭ってからずっと、母の教えに固執してきた。まさかそれが、裏目に出る日が来るなんて。


「ありがとうございます」


 どうしていいのか手探りだった私の前に、手がかりが現れたような気分だ。お礼を言うと、エマは目を見開き、それから大袈裟な仕草で笑った。


「やあねえ、ニーナちゃん、そんな真面目な顔して! あなたは素敵な人なんだから、そのままのあなたでいいのよ」

「そうじゃ。君は今のままでいい」


 エマの言葉にルカルデが重ね、励ましてくれる。


「ありがとうございます」


 私はまたお礼を返したけれど、心の中では、今のままではいけないと強く感じていた。エルートに信じてもらうためには、行動を変えないといけない。彼に信じてもらえるよう、自分の意思でも行動できるという実績を、積み重ねていかなければならない。

 誰かに求められたからではなく、自分のしたいことを、自分の意思で。気持ちを伝えるのは、それからだ。


「冷めないうちにスープを食べよう。エマのスープは、唯一、悩み多き日には美味しいのじゃよ」

「いつも美味しいでしょう、人聞きの悪い」

「ほっほ」


 ふてくされたふりをするエマを見て、ルカルデが愉快そうに笑う。息の合った夫婦だ。エマの言葉を実践できたら、私とエルートも、彼らのようになれるのだろうか。

 私と、エルートも?

 ルカルデ夫妻の姿に、自然と自分たちを重ねている自分自身に苦笑した。彼との関係はまだ何も、始まってすらいないというのに。


「お邪魔しました」

「また来るのよ」

「いつだって、来てくれて構わないよ」


 去り際まで、夫妻は温かな声をかけてくれる。おかげで私は、帰宅の寂しさは最小限に、楽しかった時間を反芻しながら帰ることができる。

 やはりルカルデたちのいる場所は、私の居場所である。何かあってもここに帰ってこられるという安心感が、私を支えてくれる。


 誰かの求めに応じるのではなく、自分のしたいことを。では私は、本当は何がしたいのだろう。

 騎士団には、戻りたい。魔獣を討伐する助けをしたいことには、変わらない。誰かの役に立ちたい。でもそれは、本当に私のしたいことなのだろうか。


 今まで人の求めることばかり気にしてきた私には、自分のしたいことを改めて洗い出すのは、簡単なことではなかった。帰り道で数日分の食料を買い、あれこれと思いを巡らせながら、私は家へ続く小道を歩いて戻った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ